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4話目
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……頭が痛い。やはり寝不足だろうか。
◇ ◇ ◇
3時にマンションに帰り着いた俺は運悪く、隣の部屋のおばさんと遭遇。おばさんと呼ぶには若過ぎるような気もするし、実際そう呼ぶと怒るのだが。
そのまま、なぜこんな遅い時間に帰ってきたのかを問い詰められ、話しては不味いところをぼかしながらもなんとか説明をした。
納得してもらうのにおよそ1時間。
ようやく部屋に入った時には、もう4時だった。
9月の夜は思いの外寒く、その頃には眠気はすっかり吹き飛んでしまっていた。
そして、もう4時だし眠らなくてもいいかもしれないと思って、寝なかったのが間違いだったのかもしれない。
登校して、いつも通り窓側から二列目の一番後ろの席に着いた途端、猛烈な眠気と頭痛が襲ってきた。
ただ、朝のショートホームルームまでは時間があった。なので、周りの席の男子に挨拶をしたら直ぐ、迷わず机に突っ伏し眠りについたのだが……
「斬夜くーん。おっはよーう!」
耳元で鳴り響いたその声によって叩き起こされたのだった。
◇ ◇ ◇
まだ耳がキーンと痛い。
ひょっとすると、今現在の頭痛の要因はこの大声かもしれないとさえ思えてくる。
怒りを込めて、その声を発した相手。3年前に知り合った女の子、沢田梨花さわだりかを恨めしく睨みつける。
ポニーテールがよく似合う、とても活発なやつだ。
「うわわっ。そんな怖い顔しないでよ。
目の下のクマもひどいし。迫力ある顔してるよ今日」
「……寝不足なんだよ。だから寝かせろ」
「あー。そういえば今朝、お母さんが何か言ってたっけ。
昨日帰ってくるの遅かったんだよね」
「そうそう」
この言葉からわかる通り、となりのおばさんは沢田の母親だ。
名前は……沢田美嘉子といったような気がする。いつも頭の中ではおばさんと、口ではお姉さんと呼んでいるため忘れてしまうのだ。
一児の母とは思えないような若々しさ、それでいて大人の余裕も感じさせるその雰囲気に、夫がいるのもお構いなく、アタックしてくる男性が後を絶たないのだとか。
たまに愚痴を聞かされる。
不意に沢田が、キョロキョロと周りに人がいないのを確認した。首をブンブンと振って、髪を尻尾のように暴れさせている。逆に人が集まってきそうだ。
今回は、運良く誰も寄ってこなかった。
それが終わると俺の耳元まで口を持ってくる。
吐息が耳に当たって、何ともむず痒い気持ちだ。
「……ねえ、それってもしかして妖魔関係だったりする?」
「そうだよ」
肯定すると、沢田はむっと頬を膨らませた。
机を掴む手にも力がこもったような気がする。
「……何で教えてくれなかったの」
「連絡したはずなんだけど」
携帯電話を見ていないのか。女子高生としてそんなことあり得るのだろうか。
いや、これも偏見だな。そういう人もいるかもしれない。
「嘘」
「ほんと」
そう言って俺の携帯電話を取り出し、メールを送った履歴を見せる。
こいつを含め4人。ちゃんと昨夜、俺がメールを送ったという証拠が残っている画面だ。
それを見て、沢田は慌てて自分の携帯も確認しようと制服のポケットを漁る。
「あ」
「どうした?」
「いやー。ね、そのさあ、見つかったんだけどさあ」
そう言って取り出された携帯の画面は、真っ暗だった。
「昨日充電切れて、そのままだったの忘れてたよ」
ごめんごめんと頭を掻き、あははと笑う。
うん。そういえばこいつはどこか抜けたやつだった。
「に、睨まないでって。今日の斬夜くん顔怖いってさっきも言ったでしょ」
「あのなあ……お前らと連絡取れてればもっと楽だったんだぞ。それこそ俺が寝不足にならないくらい」
「うー……。あ、そうだ。結局昨日鬼が出たんだよね」
「そうだけど」
「よく倒せたね。斬夜くんって戦えたっけ?」
「ん? 昨日沢田の母親に説明したはずなんだけど。聞いてないの?」
「あー。鬼が出て、それで斬夜くんが3時ごろ帰ってきたってところまでは聞いたんだけど……直ぐお母さん仕事に行っちゃって」
「ん。じゃあ帰ったら聞いといてね。
おやすみー」
沢田は母親よりずっと聞き分けがいいので、説明するのもそんなに時間はかからないだろうが、今はその時間も惜しい。
「って、ああっ! ちょっと待って。寝ないでよぉ」
沢田がぐわんぐわんと俺を揺さぶる。
力を抜いていた俺は彼女のされるがまま。
やばい。脳まで揺れる。
何で結構力を入れてるんだよこいつ。その辺の男より力が強いの自覚してないのか。
たまらず俺は起き上がった。
「……本当に、何してくれてんの」
不機嫌さがにじみ出たのか、沢田は一歩後ずさる。
ただ、引かずに言葉を紡いだ。
「ひっ……しょ、しょうがないでしょ。夜まで待てるほど、私の気は長くないよ!
今説明しちゃってよ。周りに誰もいないんだしさ」
面倒くさいし。さらに、万が一話が漏れたらどう言い訳するつもりなのだろうか。
ただ沢田の様子からするに、説明されるまで俺を寝かせる気はないようだ。
仕方ない……のか?
沢田が待てばいいだけのような気もするが。
取り敢えず、話が漏れ出ないよう簡易的な結界を張る。
効果は<遮断>。今回は音を切り離した。
外から入ってくる音は通すが、中からは漏らさない。
不自然さをなくすためだ。周りの音まで遮断したら、沢田に結界を使ったと気づかれてしまう。
結界を使えることぐらい気づかれてもいいかもしれないが、それによって駆り出されることが増える可能性があるため却下だ。
「んじゃ、説明する」
◇ ◇ ◇
そして俺は、昨日沢田の母親相手に最初説明したのと同じ説明をした。
説明の最中、昨日のこともあるため、いつ質問がとんでくるか冷や冷やしたが、沢田は母親とは違い黙って俺の話を聞くだけであった。
「なるほど。鬼を見つけて逃げてたところを、北川アリナっていう子に助けてもらったのね」
「そうそう」
「へぇー。それにしても、鬼を一人で倒しちゃうなんて北川さんすごく強いね。
Bランクなんでしょ。いやあ恐ろしいわ。Cランクの私とは大違いだよ」
「悔しがらないの?」
確か沢田は、同じ退魔士で任務を一緒にしている金髪の男、Cランクに対して、対抗心を燃やしていたはずだが。
そのことから負けず嫌いなのだと思っていた。
「いやいやいや。レベルが違い過ぎて、対抗心なんて出てこないよ。
それよりも、そんな子がこの町になんの用なんだろう?
聞いてないの?」
「仕事だってさ。詳細は聞いてないぞ」
「ええー。聞いといてよぉ」
「ごめんごめん。忘れてた」
「もう、抜けてるんだから」
何だろう。沢田には言われたくない気がする。
「うーん。それにしても何の仕事なんだろう」
「さあな」
「ひどいと思わない? この町で活動してる退魔士は私たち4人……あ、斬夜くんを入れたら5人か」
「俺は含めるな。俺の役割はあくまでサポートだし、免許を持ってるだけで協会にも所属してないだろ」
サポート役。
以前俺は、こいつを含めた4人組が妖魔を討伐している現場に偶然居合わせてしまったことがあった。
その時彼らが苦戦しているようだったので、咄嗟に妖魔の弱点や攻撃方法を教えたのだった。
そしたら何故か、サポート役とやらで彼らの妖魔退治に協力することになってしまった。
あの時、一般人は早く逃げろと言われて、一般人でないことを示すため、退魔士免許を見せてしまったのが間違いだったのかもしれない。
何であの時、一般人と言われて無駄な反発心を起こしてしまったのだろう。
今更後悔しても、もう遅いが。
「むぅ。今は5人でチームなんだしいいじゃない」
「駄目だ。俺はあくまでサポート役だからな。実際に戦ってるのはお前ら4人だ」
「ほんっと。頑固だなぁ」
はぁっ。とため息をつかれる。けれどもそこは譲れない。頑張っているのは4人なのだから。
「まあ、言っても無駄だって分かってたけどさ……
んで、そうだよ。さっきの話だけど、この地域で活動している私たちに連絡も何もないっておかしくない?」
「まあ、確かにな。
でも、もしかしたら力不足って判断されたのかも」
ピクンと彼女が反応する。
そして目を剥いた。
「はあっ!? 何でよ!
驕ってるわけじゃないけど私たち、確かにその北山って子には負けるけど、それでも同年代の子と比べたら結構強いと思うけど。
私だって強くなってるし!」
“力不足”……その言葉が琴線に触れたのだろうか。
ギリッと歯を噛み締める音が聞こえた。
「可能性の話だって。
それにBランクの人が来るくらいなんだから、相当危ないんじゃない? それこそ命に関わるくらいの。
そうじゃなきゃ、あのおっさんが伝えないはずないし」
「ん……ぐ、……それでもさ……」
「ま、それか伝え忘れてるとかじゃない?
あのおっさんならそれも有り得る」
沢田は、何かを飲み込むように喉を鳴らす。
「う、ん。……わかったよ。それじゃあ聞いてみる」
「よし」
切り替えるように、手をパンっと叩く。
それと同時に結界も解除した。
やっぱり張っておいてよかった。張ってなかったらさっきの激昂でかなり目立っていただろう。
「それじゃあ話は終わりでいいか?」
「うん」
まだ複雑そうな表情をしているものの、これで終わりにしてくれるようだ。
周りに耳を向けると、普段以上にガヤガヤしていた。
何かあるのだろうか。
「ねえ、今日いつもよりうるさくない?」
沢田もそう思ったようだ。
「そうだな。沢田は何か知らないの?」
「知ってたら聞かないわよ」
「ああ。確かに」
普段、こういう時真っ先にネタを仕入れてくるやつなので、今回も知っているものだと思ってしまった。
「ふぁーあ……」
まあ興味もないしいいか、と思って寝ようとしたところ、タイミングを見計らったように廊下側から呼ぶ声が聞こえた。
「あ、いたいた。梨花に斬夜。 おはよう!」
茶髪の男……4人組の一人石川司いしかわつかさが、教室前方のドアから爽やかな笑顔を浮かべて手を振っていた。
髪は短く切り揃えられて、如何にもなスポーツマンだ。
そのルックスと明るい雰囲気から、女子の人気はもちろん、男子からの人望も厚い。
その彼が俺たちの名前を呼んだのだ。自然と皆の視線もこちらに向く。
およそ80の目に見られるなんて、気恥ずかしい。
一方隣の彼女は、そんなことを気にしている様子はなく、こちらもまた手を振り返していた。
……何だ今日は。普段だとこんなに誰かから話しかけられることなんてないのに。眠い日に限って……厄日か。
「ちょっとこっち来てもらっていい?」
「うん。今行くー」
俺はいいや。と言おうとしたのだが、それよりも早く沢田が、ほら、行こ。と俺の手を掴んで引っ張ってきた。
俺はそれに引きずられるようにして、実際に引きずられて彼の元へ向かった。
◇ ◇ ◇
「ごめんねー。すぐに行けなくって」
「おう。別に気にしてないぜ」
本当に気にしてないように司は言う。
こういうところも人気の理由なのだろう。
俺たちは廊下の窓側によって話をしていた。
ドア付近だと通行人の邪魔だからだ。
今も、他クラスから帰ってきた生徒、登校してきた生徒等々、朝は特に交通が多い。
そんな中、片側を塞ぐのは忍びなかったのだ。
あと、たとえ脇を開けておいても、そこを通るには少し勇気がいるというのも理由だ。あくまで俺視点の話だが。
「それで、わざわざ来たんだ。何か用があったんでしょ?」
「ああ、そうだな。まあ用ってほどでもないが」
……なら呼ぶなよ。
そう思っていると、沢田が横から頭をペシッと叩いてきた。
じとー。と顔を見られる。不機嫌な様子が伝わったのだろうか。
そんな俺たちに構わず、司は言葉を続けた。
「お前ら。転校生について何か知ってるか?」
「「いや、全然」」
全くの初耳だ。
もしかしたら、この噂で今朝盛り上がっているのかもしれない。
「お、何だ。斬夜はともかく梨花まで知らないとは。これは期待が外れたな」
本当に俺が来る意味なかっただろ。最初から期待していないのなら何故呼んだ。
「期待に応えてあげられなくてごめんね。
……それで、司くんの用事はそれで終わり?
もう結構いい時間になってるけど」
そう言われて背後の教室の時計を見ると、もう8時26分を指していた。朝のショートホームルームまで5分を切っている。
……寝たかったのにぃ。
「ああ……。いや、あともう一つあった」
「んで、それは?」
言い方が少し刺々しくなってしまったが、言及はされなかった。
「少し待て……。よし、張れた」
周りの喧騒がピタリと止む。本当に無音だ。
皆が喋らなくなったのではない。現に皆の口は、今も活発に動き言葉を作っている。しかし言葉だけが聞こえないという不思議な状況だ。
「相変わらずすごいねー。ぱぱっと結界を張っちゃうんだもん」
「おう、ありがとう」
鼻をかく仕草。司が喜んでいる時によくするものだ。
こうして素直に喜ばれた方が、褒めた方も嬉しいのだろうか。
「これってさ、風を操って音を遮断してるんでしょ」
「流石。よく知ってるな」
「いや、司が張れたって言った後、若干俺たちの周りで埃が舞ったから。
それに司の得意な属性と言ったら風だし」
「斬夜くんも相変わらずよく見てるねー。学校ぐらい気を抜きなよー。
それに今日は眠いんじゃなかったの?」
「眠くてもこれくらい分かる。
それで、わざわざ結界まで張って何の話をするんだ?」
「いや、ちょっとした話というか、注意というか」
注意か。昨日から特に変わったことはなかったような気がする。
まあ、俺は探知が出来ないので五感で気付ける範囲しかわからないが。
「親父から言われたんだけど、昨日鬼が出たらしい。もうそれは退治されたんだけど、普段そんな強い妖魔はこの辺りに出ないから、何かしらの異変が起こっているのかもしれない。ただの偶然かもしれないが。
だから注意はしておいてっていうことな」
司は、途中で何かに気付いたようで、急に早口になった。かなり焦っている。
まあね。出来ることなら俺もこの場を離れたいけどさ。
気付くのが遅かった。あいつはまだ間に合うかもしれないが、俺と沢田はもう遅い。
と、まあそんなことより。
鬼ね、鬼……。 昨夜のあれか。
沢田が確認を取るようにこちらを見てくる。
小さく頷いて返した。
「あ、鬼のことなら斬夜くんが」
「そういう事で、じゃな!」
よく知ってる。と続けようとしたのだろう。
けれどもその前に司が走って、自分のクラスに戻って行ってしまった。
あいつ、逃げた。
「……ん? あんなに慌ててどうしたんだろう?」
気づいてない沢田が呑気に尋ねてくる。
俺は無言で俺たちの背後を指差した。
「ん? 何かいる……の……」
沢田は振り返り、その先にいたものを見て言葉を詰まらせた。
「お前らぁ。遅刻ってことでいいのかな」
バン!バン!バン!と黒表紙を鳴らし、口角を吊り上げながらも目は笑っていない女性。
俺たちのクラスの担任が立っていた。
「ち、遅刻って。まだ時間じゃ」
「沢田ぁ。お前、あの時計が見えないんじゃねえよな」
バッと効果音がつく勢いで振り返り、時計を見る。
時計の針は8時半を既にまわっていた。
「嘘……。でも、まだ鐘が……」
「沢田。さっき司が張ったやつ」
「ああっ!」
得心がいったようだ。
と、同時に、言い訳をなくしたことに気付き、愕然とし出した。
先生はその表情の変化を面白そうに見ていた。
さて、俺はこの隙に教室に戻るか。
動き出しを気付かれないほどスムーズな力運び、体重移動。
動きにムラを作ってはいけない。
先生は、呆然とそれを見てるだけ。よし、いける。
そのまま先生の横を平然と、通り過ぎようとした。
「おっと。危ねえ危ねえ」
むんずと後ろ襟を掴まれる。喉が軽く締め付けられ、俺は少し咳き込んだ。
気付かれたか。さすが先生だ。
惜しいところまでは行けたんだけどな。
「ったく。油断も隙もあったもんじゃねえな」
力ずくで元の位置に戻される。
先生の前に二人並んでいる格好だ。
「よし。お前ら覚悟は出来たか」
「「は、はい」」
ぎゅっと縮こまるようにして、頭に力を込める。
せめてもの抵抗だ。
「んじゃ、制裁っと」
軽い口調。軽い挙動とは裏腹に、黒表紙はビュンっと風を切って振り下ろされた。縦方向で。
バシンッ! と小気味良い音がなる。
丁度背表紙で当てられ、頭を割るような痛みが走った。じんわりではない。芯を貫くような痛みだ。
気になったのだろう。廊下側の席のやつが、窓を開けてこちらを見た。
「そんじゃ。次は沢田な」
「せ、先生。みんなが見てますしやめにしませんか? あの中の誰かが体罰として訴えるかも」
俺がやられた時の音で、さらに怖くなったのだろう。命乞いのように言葉を重なる。
残念なことに、先生には耳を貸している様子がないが。
「安心しろ。揉消す」
再度黒表紙が振り下ろされた。
見苦しいところはあれど、やはり沢田は女の子だから、先生も気を使ったのだろう。
俺の時とは違い、広い面が頭に叩きつけられていた。
バシーン!と再度音がなる。
沢田は最初痛みを感じていないようだったが、時間が経つにつれ表情が歪んでいった。
じんわりと来るタイプらしい。
頭を押さえて、あぅあぅ言っていた。少し涙目も滲んでいる。
そんな彼女にお構いなく先生は言った。
「ほら、早く席に着け。本当に遅刻にするぞ」
「はい」
「……ふぁい」
沢田が歩き出し俺もそれに続く。
一方先生は廊下を進んでいった。
カツンカツンと足音が反響する。
俺はその背中に声をかけた。
「先生は教室に戻らないんですか」
足音が止まる。階段を降りる手前で立ち止まってくれた。
「ちょっとな。転校生を迎えに行かないと行けないからな」
「転校生ですか。そういえば噂になってましたね」
「本当に。どこから情報を仕入れているのやら」
そして再び歩き出す。
最後に先生は振り返らずに言った。
「あいつらにとって、いい刺激になるんじゃないか?」
◇ ◇ ◇
3時にマンションに帰り着いた俺は運悪く、隣の部屋のおばさんと遭遇。おばさんと呼ぶには若過ぎるような気もするし、実際そう呼ぶと怒るのだが。
そのまま、なぜこんな遅い時間に帰ってきたのかを問い詰められ、話しては不味いところをぼかしながらもなんとか説明をした。
納得してもらうのにおよそ1時間。
ようやく部屋に入った時には、もう4時だった。
9月の夜は思いの外寒く、その頃には眠気はすっかり吹き飛んでしまっていた。
そして、もう4時だし眠らなくてもいいかもしれないと思って、寝なかったのが間違いだったのかもしれない。
登校して、いつも通り窓側から二列目の一番後ろの席に着いた途端、猛烈な眠気と頭痛が襲ってきた。
ただ、朝のショートホームルームまでは時間があった。なので、周りの席の男子に挨拶をしたら直ぐ、迷わず机に突っ伏し眠りについたのだが……
「斬夜くーん。おっはよーう!」
耳元で鳴り響いたその声によって叩き起こされたのだった。
◇ ◇ ◇
まだ耳がキーンと痛い。
ひょっとすると、今現在の頭痛の要因はこの大声かもしれないとさえ思えてくる。
怒りを込めて、その声を発した相手。3年前に知り合った女の子、沢田梨花さわだりかを恨めしく睨みつける。
ポニーテールがよく似合う、とても活発なやつだ。
「うわわっ。そんな怖い顔しないでよ。
目の下のクマもひどいし。迫力ある顔してるよ今日」
「……寝不足なんだよ。だから寝かせろ」
「あー。そういえば今朝、お母さんが何か言ってたっけ。
昨日帰ってくるの遅かったんだよね」
「そうそう」
この言葉からわかる通り、となりのおばさんは沢田の母親だ。
名前は……沢田美嘉子といったような気がする。いつも頭の中ではおばさんと、口ではお姉さんと呼んでいるため忘れてしまうのだ。
一児の母とは思えないような若々しさ、それでいて大人の余裕も感じさせるその雰囲気に、夫がいるのもお構いなく、アタックしてくる男性が後を絶たないのだとか。
たまに愚痴を聞かされる。
不意に沢田が、キョロキョロと周りに人がいないのを確認した。首をブンブンと振って、髪を尻尾のように暴れさせている。逆に人が集まってきそうだ。
今回は、運良く誰も寄ってこなかった。
それが終わると俺の耳元まで口を持ってくる。
吐息が耳に当たって、何ともむず痒い気持ちだ。
「……ねえ、それってもしかして妖魔関係だったりする?」
「そうだよ」
肯定すると、沢田はむっと頬を膨らませた。
机を掴む手にも力がこもったような気がする。
「……何で教えてくれなかったの」
「連絡したはずなんだけど」
携帯電話を見ていないのか。女子高生としてそんなことあり得るのだろうか。
いや、これも偏見だな。そういう人もいるかもしれない。
「嘘」
「ほんと」
そう言って俺の携帯電話を取り出し、メールを送った履歴を見せる。
こいつを含め4人。ちゃんと昨夜、俺がメールを送ったという証拠が残っている画面だ。
それを見て、沢田は慌てて自分の携帯も確認しようと制服のポケットを漁る。
「あ」
「どうした?」
「いやー。ね、そのさあ、見つかったんだけどさあ」
そう言って取り出された携帯の画面は、真っ暗だった。
「昨日充電切れて、そのままだったの忘れてたよ」
ごめんごめんと頭を掻き、あははと笑う。
うん。そういえばこいつはどこか抜けたやつだった。
「に、睨まないでって。今日の斬夜くん顔怖いってさっきも言ったでしょ」
「あのなあ……お前らと連絡取れてればもっと楽だったんだぞ。それこそ俺が寝不足にならないくらい」
「うー……。あ、そうだ。結局昨日鬼が出たんだよね」
「そうだけど」
「よく倒せたね。斬夜くんって戦えたっけ?」
「ん? 昨日沢田の母親に説明したはずなんだけど。聞いてないの?」
「あー。鬼が出て、それで斬夜くんが3時ごろ帰ってきたってところまでは聞いたんだけど……直ぐお母さん仕事に行っちゃって」
「ん。じゃあ帰ったら聞いといてね。
おやすみー」
沢田は母親よりずっと聞き分けがいいので、説明するのもそんなに時間はかからないだろうが、今はその時間も惜しい。
「って、ああっ! ちょっと待って。寝ないでよぉ」
沢田がぐわんぐわんと俺を揺さぶる。
力を抜いていた俺は彼女のされるがまま。
やばい。脳まで揺れる。
何で結構力を入れてるんだよこいつ。その辺の男より力が強いの自覚してないのか。
たまらず俺は起き上がった。
「……本当に、何してくれてんの」
不機嫌さがにじみ出たのか、沢田は一歩後ずさる。
ただ、引かずに言葉を紡いだ。
「ひっ……しょ、しょうがないでしょ。夜まで待てるほど、私の気は長くないよ!
今説明しちゃってよ。周りに誰もいないんだしさ」
面倒くさいし。さらに、万が一話が漏れたらどう言い訳するつもりなのだろうか。
ただ沢田の様子からするに、説明されるまで俺を寝かせる気はないようだ。
仕方ない……のか?
沢田が待てばいいだけのような気もするが。
取り敢えず、話が漏れ出ないよう簡易的な結界を張る。
効果は<遮断>。今回は音を切り離した。
外から入ってくる音は通すが、中からは漏らさない。
不自然さをなくすためだ。周りの音まで遮断したら、沢田に結界を使ったと気づかれてしまう。
結界を使えることぐらい気づかれてもいいかもしれないが、それによって駆り出されることが増える可能性があるため却下だ。
「んじゃ、説明する」
◇ ◇ ◇
そして俺は、昨日沢田の母親相手に最初説明したのと同じ説明をした。
説明の最中、昨日のこともあるため、いつ質問がとんでくるか冷や冷やしたが、沢田は母親とは違い黙って俺の話を聞くだけであった。
「なるほど。鬼を見つけて逃げてたところを、北川アリナっていう子に助けてもらったのね」
「そうそう」
「へぇー。それにしても、鬼を一人で倒しちゃうなんて北川さんすごく強いね。
Bランクなんでしょ。いやあ恐ろしいわ。Cランクの私とは大違いだよ」
「悔しがらないの?」
確か沢田は、同じ退魔士で任務を一緒にしている金髪の男、Cランクに対して、対抗心を燃やしていたはずだが。
そのことから負けず嫌いなのだと思っていた。
「いやいやいや。レベルが違い過ぎて、対抗心なんて出てこないよ。
それよりも、そんな子がこの町になんの用なんだろう?
聞いてないの?」
「仕事だってさ。詳細は聞いてないぞ」
「ええー。聞いといてよぉ」
「ごめんごめん。忘れてた」
「もう、抜けてるんだから」
何だろう。沢田には言われたくない気がする。
「うーん。それにしても何の仕事なんだろう」
「さあな」
「ひどいと思わない? この町で活動してる退魔士は私たち4人……あ、斬夜くんを入れたら5人か」
「俺は含めるな。俺の役割はあくまでサポートだし、免許を持ってるだけで協会にも所属してないだろ」
サポート役。
以前俺は、こいつを含めた4人組が妖魔を討伐している現場に偶然居合わせてしまったことがあった。
その時彼らが苦戦しているようだったので、咄嗟に妖魔の弱点や攻撃方法を教えたのだった。
そしたら何故か、サポート役とやらで彼らの妖魔退治に協力することになってしまった。
あの時、一般人は早く逃げろと言われて、一般人でないことを示すため、退魔士免許を見せてしまったのが間違いだったのかもしれない。
何であの時、一般人と言われて無駄な反発心を起こしてしまったのだろう。
今更後悔しても、もう遅いが。
「むぅ。今は5人でチームなんだしいいじゃない」
「駄目だ。俺はあくまでサポート役だからな。実際に戦ってるのはお前ら4人だ」
「ほんっと。頑固だなぁ」
はぁっ。とため息をつかれる。けれどもそこは譲れない。頑張っているのは4人なのだから。
「まあ、言っても無駄だって分かってたけどさ……
んで、そうだよ。さっきの話だけど、この地域で活動している私たちに連絡も何もないっておかしくない?」
「まあ、確かにな。
でも、もしかしたら力不足って判断されたのかも」
ピクンと彼女が反応する。
そして目を剥いた。
「はあっ!? 何でよ!
驕ってるわけじゃないけど私たち、確かにその北山って子には負けるけど、それでも同年代の子と比べたら結構強いと思うけど。
私だって強くなってるし!」
“力不足”……その言葉が琴線に触れたのだろうか。
ギリッと歯を噛み締める音が聞こえた。
「可能性の話だって。
それにBランクの人が来るくらいなんだから、相当危ないんじゃない? それこそ命に関わるくらいの。
そうじゃなきゃ、あのおっさんが伝えないはずないし」
「ん……ぐ、……それでもさ……」
「ま、それか伝え忘れてるとかじゃない?
あのおっさんならそれも有り得る」
沢田は、何かを飲み込むように喉を鳴らす。
「う、ん。……わかったよ。それじゃあ聞いてみる」
「よし」
切り替えるように、手をパンっと叩く。
それと同時に結界も解除した。
やっぱり張っておいてよかった。張ってなかったらさっきの激昂でかなり目立っていただろう。
「それじゃあ話は終わりでいいか?」
「うん」
まだ複雑そうな表情をしているものの、これで終わりにしてくれるようだ。
周りに耳を向けると、普段以上にガヤガヤしていた。
何かあるのだろうか。
「ねえ、今日いつもよりうるさくない?」
沢田もそう思ったようだ。
「そうだな。沢田は何か知らないの?」
「知ってたら聞かないわよ」
「ああ。確かに」
普段、こういう時真っ先にネタを仕入れてくるやつなので、今回も知っているものだと思ってしまった。
「ふぁーあ……」
まあ興味もないしいいか、と思って寝ようとしたところ、タイミングを見計らったように廊下側から呼ぶ声が聞こえた。
「あ、いたいた。梨花に斬夜。 おはよう!」
茶髪の男……4人組の一人石川司いしかわつかさが、教室前方のドアから爽やかな笑顔を浮かべて手を振っていた。
髪は短く切り揃えられて、如何にもなスポーツマンだ。
そのルックスと明るい雰囲気から、女子の人気はもちろん、男子からの人望も厚い。
その彼が俺たちの名前を呼んだのだ。自然と皆の視線もこちらに向く。
およそ80の目に見られるなんて、気恥ずかしい。
一方隣の彼女は、そんなことを気にしている様子はなく、こちらもまた手を振り返していた。
……何だ今日は。普段だとこんなに誰かから話しかけられることなんてないのに。眠い日に限って……厄日か。
「ちょっとこっち来てもらっていい?」
「うん。今行くー」
俺はいいや。と言おうとしたのだが、それよりも早く沢田が、ほら、行こ。と俺の手を掴んで引っ張ってきた。
俺はそれに引きずられるようにして、実際に引きずられて彼の元へ向かった。
◇ ◇ ◇
「ごめんねー。すぐに行けなくって」
「おう。別に気にしてないぜ」
本当に気にしてないように司は言う。
こういうところも人気の理由なのだろう。
俺たちは廊下の窓側によって話をしていた。
ドア付近だと通行人の邪魔だからだ。
今も、他クラスから帰ってきた生徒、登校してきた生徒等々、朝は特に交通が多い。
そんな中、片側を塞ぐのは忍びなかったのだ。
あと、たとえ脇を開けておいても、そこを通るには少し勇気がいるというのも理由だ。あくまで俺視点の話だが。
「それで、わざわざ来たんだ。何か用があったんでしょ?」
「ああ、そうだな。まあ用ってほどでもないが」
……なら呼ぶなよ。
そう思っていると、沢田が横から頭をペシッと叩いてきた。
じとー。と顔を見られる。不機嫌な様子が伝わったのだろうか。
そんな俺たちに構わず、司は言葉を続けた。
「お前ら。転校生について何か知ってるか?」
「「いや、全然」」
全くの初耳だ。
もしかしたら、この噂で今朝盛り上がっているのかもしれない。
「お、何だ。斬夜はともかく梨花まで知らないとは。これは期待が外れたな」
本当に俺が来る意味なかっただろ。最初から期待していないのなら何故呼んだ。
「期待に応えてあげられなくてごめんね。
……それで、司くんの用事はそれで終わり?
もう結構いい時間になってるけど」
そう言われて背後の教室の時計を見ると、もう8時26分を指していた。朝のショートホームルームまで5分を切っている。
……寝たかったのにぃ。
「ああ……。いや、あともう一つあった」
「んで、それは?」
言い方が少し刺々しくなってしまったが、言及はされなかった。
「少し待て……。よし、張れた」
周りの喧騒がピタリと止む。本当に無音だ。
皆が喋らなくなったのではない。現に皆の口は、今も活発に動き言葉を作っている。しかし言葉だけが聞こえないという不思議な状況だ。
「相変わらずすごいねー。ぱぱっと結界を張っちゃうんだもん」
「おう、ありがとう」
鼻をかく仕草。司が喜んでいる時によくするものだ。
こうして素直に喜ばれた方が、褒めた方も嬉しいのだろうか。
「これってさ、風を操って音を遮断してるんでしょ」
「流石。よく知ってるな」
「いや、司が張れたって言った後、若干俺たちの周りで埃が舞ったから。
それに司の得意な属性と言ったら風だし」
「斬夜くんも相変わらずよく見てるねー。学校ぐらい気を抜きなよー。
それに今日は眠いんじゃなかったの?」
「眠くてもこれくらい分かる。
それで、わざわざ結界まで張って何の話をするんだ?」
「いや、ちょっとした話というか、注意というか」
注意か。昨日から特に変わったことはなかったような気がする。
まあ、俺は探知が出来ないので五感で気付ける範囲しかわからないが。
「親父から言われたんだけど、昨日鬼が出たらしい。もうそれは退治されたんだけど、普段そんな強い妖魔はこの辺りに出ないから、何かしらの異変が起こっているのかもしれない。ただの偶然かもしれないが。
だから注意はしておいてっていうことな」
司は、途中で何かに気付いたようで、急に早口になった。かなり焦っている。
まあね。出来ることなら俺もこの場を離れたいけどさ。
気付くのが遅かった。あいつはまだ間に合うかもしれないが、俺と沢田はもう遅い。
と、まあそんなことより。
鬼ね、鬼……。 昨夜のあれか。
沢田が確認を取るようにこちらを見てくる。
小さく頷いて返した。
「あ、鬼のことなら斬夜くんが」
「そういう事で、じゃな!」
よく知ってる。と続けようとしたのだろう。
けれどもその前に司が走って、自分のクラスに戻って行ってしまった。
あいつ、逃げた。
「……ん? あんなに慌ててどうしたんだろう?」
気づいてない沢田が呑気に尋ねてくる。
俺は無言で俺たちの背後を指差した。
「ん? 何かいる……の……」
沢田は振り返り、その先にいたものを見て言葉を詰まらせた。
「お前らぁ。遅刻ってことでいいのかな」
バン!バン!バン!と黒表紙を鳴らし、口角を吊り上げながらも目は笑っていない女性。
俺たちのクラスの担任が立っていた。
「ち、遅刻って。まだ時間じゃ」
「沢田ぁ。お前、あの時計が見えないんじゃねえよな」
バッと効果音がつく勢いで振り返り、時計を見る。
時計の針は8時半を既にまわっていた。
「嘘……。でも、まだ鐘が……」
「沢田。さっき司が張ったやつ」
「ああっ!」
得心がいったようだ。
と、同時に、言い訳をなくしたことに気付き、愕然とし出した。
先生はその表情の変化を面白そうに見ていた。
さて、俺はこの隙に教室に戻るか。
動き出しを気付かれないほどスムーズな力運び、体重移動。
動きにムラを作ってはいけない。
先生は、呆然とそれを見てるだけ。よし、いける。
そのまま先生の横を平然と、通り過ぎようとした。
「おっと。危ねえ危ねえ」
むんずと後ろ襟を掴まれる。喉が軽く締め付けられ、俺は少し咳き込んだ。
気付かれたか。さすが先生だ。
惜しいところまでは行けたんだけどな。
「ったく。油断も隙もあったもんじゃねえな」
力ずくで元の位置に戻される。
先生の前に二人並んでいる格好だ。
「よし。お前ら覚悟は出来たか」
「「は、はい」」
ぎゅっと縮こまるようにして、頭に力を込める。
せめてもの抵抗だ。
「んじゃ、制裁っと」
軽い口調。軽い挙動とは裏腹に、黒表紙はビュンっと風を切って振り下ろされた。縦方向で。
バシンッ! と小気味良い音がなる。
丁度背表紙で当てられ、頭を割るような痛みが走った。じんわりではない。芯を貫くような痛みだ。
気になったのだろう。廊下側の席のやつが、窓を開けてこちらを見た。
「そんじゃ。次は沢田な」
「せ、先生。みんなが見てますしやめにしませんか? あの中の誰かが体罰として訴えるかも」
俺がやられた時の音で、さらに怖くなったのだろう。命乞いのように言葉を重なる。
残念なことに、先生には耳を貸している様子がないが。
「安心しろ。揉消す」
再度黒表紙が振り下ろされた。
見苦しいところはあれど、やはり沢田は女の子だから、先生も気を使ったのだろう。
俺の時とは違い、広い面が頭に叩きつけられていた。
バシーン!と再度音がなる。
沢田は最初痛みを感じていないようだったが、時間が経つにつれ表情が歪んでいった。
じんわりと来るタイプらしい。
頭を押さえて、あぅあぅ言っていた。少し涙目も滲んでいる。
そんな彼女にお構いなく先生は言った。
「ほら、早く席に着け。本当に遅刻にするぞ」
「はい」
「……ふぁい」
沢田が歩き出し俺もそれに続く。
一方先生は廊下を進んでいった。
カツンカツンと足音が反響する。
俺はその背中に声をかけた。
「先生は教室に戻らないんですか」
足音が止まる。階段を降りる手前で立ち止まってくれた。
「ちょっとな。転校生を迎えに行かないと行けないからな」
「転校生ですか。そういえば噂になってましたね」
「本当に。どこから情報を仕入れているのやら」
そして再び歩き出す。
最後に先生は振り返らずに言った。
「あいつらにとって、いい刺激になるんじゃないか?」
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