退魔士学園記

むにゃむにゃ

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プロローグ1

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一本の木。
花に囲まれた丘。その頂上に生えている木。大きく枝を広げ、のびのびと葉を伸ばしている。
別世界のように彩られたこの空間。
木の下にはまだ幼い兄妹の姿がある。
背丈は兄の方が高いが、双子である。

二人はそんな空間に似つかわしいとは言い難い、透き通るような白い肌に、いまにも崩れてしまいそうな程線の細い顔立ち、さらにどこか神聖さを感じさせる、冷たく光る銀髪を持っていた。
顔も瓜二つで、二人に違いがあるとしたら背丈と髪の長さくらいしかないだろう。

兄は木に寄りかかり、ぶちぶちとシロツメクサをちぎり取り、花の冠を作る妹を見守っていた。

万物を祝福するような明るいこの花畑の中で、真逆と言っていい冷たい雰囲気を放つ二人だが、不思議と違和感を感じさせるものではなかった。



「ほら、被せてあげるから顔をこっちに寄せて」

「うん!」

兄の顔の下あたりに来る妹の頭。
兄は妹から手渡された花の冠をやさしく被せた。

「ねえねえ、お兄ちゃん。どう?」

一歩引き、存在を確かめるように冠に手を添えながら不安そうに妹は兄に尋ねた。

「うん、似合ってる。可愛いよ」

「……へへ……えへへへ。嬉しい」

妹はそう言って兄の方へまた擦り寄り、胸に顔をうずめた。兄の方も微笑んでそれを受け入れ、冠を崩さないように気をつけながら、妹の髪を優しく手櫛ですくう。

妹の手が兄の後頭部に伸ばされる。
淡く輝く、己と同じ銀髪に、これまた兄と同じように指を絡めた。
数本掬うと、それに軽く口づけをする。

何とも形容し難い一体感。
二人いるということは分かりきっている。しかし、どうしてか、“二人”と認識するより、“一つ”のそういった存在だと認識してしまうのだ。
ぴったりくっつきすぎて境界が分からなくなっているよう。

妹が口を開く。細い喉から出ているとは思えない。どこまでも決意に満ちた、しっかりとした声。

「お兄ちゃんと私はずうっと、永遠に一緒。私にはお兄ちゃんしかいないし……」

「ぼくにも妹しかいない」

そこに、兄の声も重なる。

『あなたの痛みはわたしのもの。あなたの苦しみもわたしのもの。わたしはあなたであなたはわたし。
わたしたちは二人で一つ』

二人の声に反応するように、花も木もその身を揺らし始めた。

互いが互いに執着し、魂までもを束縛し合う。

ギシギシと心が軋む音を感じながらも、その痛みさえ愛しさに変え、二人は幸せそうに抱き合い続けた。







◇ ◇ ◇






真っ赤な炎が天を焼く勢いで燃え上がる。

汗を滲ませがら、ぼくは瓦礫の奥に妹をやった。
自分の身体を盾にする形で、妹が見つからないようにした。

辺りの家屋は全て焼け落ちてしまった。ただ残骸の瓦礫があるのみである。

いくつかの気配が、瓦礫に隠れてある。
ぼくたちと同じように、あいつに見つからないように隠れているんだ。

隠れているのは、戦えない女子供。
大人は今もあいつに立ち向かっている。

ただその光景は実際、戦いとは呼べない、一方的な虐殺であった。



「う、うわあっ! 何だこいつ!」

刀が皮膚に弾かれる。
彼は背後から打ち込んだのだが、そいつの肌に切り傷一つ付けられていない。それどころか、切りつけた刀の方が欠けてしまっている。
そいつは攻撃されたことを気にしていないのか、そのまま歩き続け、狙っていた獲物の方へ近づいていた。

「ひっ……や、やめ。来るな来るな来るな……」

狙われた女性は、武器として槍を持ってはいるものの、そいつの禍々しい紅い双眸に射竦められ、完全に腰が引けてしまっている。

「ふふっ。そう恐ろしがることはないよお嬢さん。
全ては一瞬。抵抗しなければ天にも昇る快楽を約束しよう」

そいつは優しそうな青年の風貌をしていた。
しかし身にまとった雰囲気は真逆のもの。
全身に返り血を浴び、口の端から血を流す。その下唇には、二本の牙が突き立てられていた。


「おい、化け物! 俺を無視してんじゃねえよ!」

余裕綽々、といった様子で歩み続ける青年。その首目掛けて真横から刀が振るわれた。
刀を振るったのは、先ほどの男である。

空気を裂くようなその一閃は、一度目より冴え渡っており、ぼくの目には銀色の線が走ったようにしか見えなかった。

男にも会心の手応えがあったのだろう。青年の首が斬り飛ぶ未来を幻視し、口元に笑みを浮かべた。
しかしそんな期待は、パシッ、という乾いた音と共に打ち砕かれた。

青年は人差し指と中指で、刀を掴み取っていた。

「は、はあ!?」

男は驚嘆し、周りの大人たちも息を呑んだ。
そんな周りの様子を一瞥すると、青年はさらに非常識な行動を起こす。


ーーーパキッ

青年はくいっと、掴んでいる二指を交差させた。
あまりに自然な動きであったので、周りも首を傾げる。

いや、違う。自然なんかじゃない。
青年の二指の間には刀があったんだ。それなのに指を交差出来るわけがない。
刀は何処へいった。

ぼくがそれを見つけるのと、周りが今起こったことを認識するのはほぼ同時だった。

青年の足元には、刀の切っ先が落ちている。


ーーー折られた

その事実を認識すると同時。男とその周りは一様に顔を強張らせた。
玉鋼の塊が。いとも簡単に。
そういえばさっき何か割れる音がしていたと、今更ながらに思い出す。

「ふむ、そこの男。中々に良い剣の冴えであったぞ。
防御しなければ傷を負っていたであろう」

一方青年は、初めて男に興味を向けた。
賞賛されているようだが、その言葉は暗に、まともに喰らっても傷を負う程度でしかないと言っている。

それに気付かない大人たちではない。
ーーー絶望
その二文字が全員の頭をよぎった。

「戯れであれば眷属に加えてやってもよかったのだがな」

「……貴様は、この行動には目的があると言うのか」

周りより一回りほど年老いた、この村の村長が低く沈んだ声で尋ねた。

「ああ。そうでなければ、このような辺鄙な村まで、この私が来るはずはないだろう」

人間は何をおかしなことを聞くものだな。と続ける。
青年は本気でそう思っているようだ。

突然現れ、村人の体をバラバラにしたのも。
バラバラにした後、首に槍を刺し見世物のように地面に突き立てたのも。
人の血を啜り、その人を操って愛しい人や我が子を殺させたのも。
使い魔に人を、ギリギリまで生かした状態のまま喰わせたのも。
捕まえた村人一人の血を燃料に変え、爆弾として使ったのも。

血を吐くほどの絶叫が、その度に木霊した。
怨み、憎しみ、怒り、絶望、あらゆる負の感情が含まれたその叫びは、多くの村人の耳にこびりついた。

ぼくと妹は、その声が目覚まし代わりになって目を覚ました。
外を見ると、赤い。そして肌がひりつくような痛々しい熱さを感じた。
急いで布団代わりにしていた藁を払い、寝床として与えられていた馬小屋から飛び出した。

僕たちの目に飛び込んできたのは、血や肉が散乱し、人々の悲鳴が飛び交う惨状の中、たった一人、青年だけがケラケラと笑っている光景だった。


「な……。あんな行動の何処に目的があると言うのだ!」

「何、私はある人物を探してこの村に来たのだ。そして、どうやらその人物を私の同族にするには、力が必要であると考えたからな」

「それとこの残虐な行為とは、何の関係があるのだ」

「ふむ。少しは頭を働かせたらどうだ。
お前たちは、その為の贄になるのだよ。喜べ」

「喜べ……だと?」

「ああ。本来なら我々吸血鬼の家畜でしかないお前たちの命が、その範疇を超えて仕事をするのだ。
どうだ? 光栄なことだろう」

会話が成り立たない。
周りの大人たち、付近に隠れている女子供は、はっきりとそう感じた。
価値観が違いすぎる。
人型をしているから、話し合うことくらいは出来ると、無意識にでも期待していたが、やはり妖怪。我々とは違う化け物であった。

「それでは、結局貴様は私たち全員を殺す、ということか」

「当たり前じゃないか」

その言葉を皮切りに、まず男が切り掛かった。
青年は余裕を持ってそれをいなすと、懐に入り込み貫手を放つ。

その手が男を貫く直前、さらに横から伸びてきた手に掴まれた。
その手に担がれると、青年は勢いを落とさず地面に叩きつけられた。
間髪入れずに槍や刀が振り下ろされる。
腕、肩、腰、首、足、体のほぼ全ての部位に、青年を地面に縫い付けるよう、それらは突き立てられた。

「おいおい、痛いな……ぁあっ!?」

トドメとばかりに、青年の頭に棍棒が叩きつけられる。
グシャッ、と、トマトのように青年の頭が潰れた。
さらに、細かい肉片までもをすり潰すように、何度も何度も執拗に棍棒は振り下ろされた。
そして最後に、燃料とともに火種を飛ばす。

恐ろしいことに、潰してから燃やすまでの数瞬の間にも、青年の体の再生は始まっていた。
極寒の視線が、周りの大人たちに向けられたが、すぐにそれは炎に遮られた。




「よしっ。お前ら、早くこの村から出ろ!」

村人もこの程度で青年……吸血鬼を殺せるとは思っていない。
しかし、時間稼ぎは出来た。

「荷物はいいから早く出るぞ」

「ううっ。でも……」

「駄々をこねないの。ほら、急ぐのよ」

妻子持ちや女子供は優先して、脱出させられた。

その他の村人は、青年の回復を遅らせるため、炎の中にさらに燃料を投下していく。
炎の中に薄っすらと見える黒い影は、その度にまた崩れ落ちていった。

次々と隠れていた村人が走り去っていくのを、ぼくと妹は横目に眺めていた。

「うふふっ。みんないなくなってくね、お兄ちゃん」

「ああ」

「このままどっかに消えていっちゃえばいいのに」

ぼくは返答をしなかった。その代わりに妹を抱き寄せる。妹もぴたっとぼくに寄り添った。


「そうらっ!」

何度目か分からないが、家の木材の残骸を炎の中に投入しようと、一人が炎に近づく。

ぬっ、と。炎の中から真っ黒に炭化した顔が出てきて、その男の目と鼻の先に迫った。

何が起こっているのかわからず、男はぼうっと突っ立っていた。



「おいっ! お前、早く逃げろっ!」

びくっと。周りの村人の声で、意識が戻される。
離れようと後退したがーーーその前に首を掴まれた。

「……ひっ」

悲鳴をあげる暇もない。
ブチッと筋繊維が千切れる音が聞こえ、気づいたら、男の頭は胴体から離されていた。

黒い影が頭を持ったまま炎の中から出てくる。
まだ残っていた大人たちは身構えた。

黒い影は、血がドバドバと滝のように流れている頭部、断面を口にあてると、ごくごくと血を飲みだした。
男の頭はどんどんやつれていき、最後にはシワシワになって地面に落とされた。

黒い影は口を拭うと、一瞬体に力を込める。
それだけで、炭化した皮膚がはがれていき、綺麗で瑞々しい皮膚が姿を現した。

口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。


「……君たち。これは中々に熱かったよ」

ひゅんっと。音がした。
青年の腕が、元あったところから動いている。多分振ったのだろう。
ボトリと、取り囲んでいた男達、六人の手足が切り離された。
周りの者はおろか、逃げていた者たちさえもその光景に、立ち止まって口を抑えた。
気分のいいものではない。

「君たちも体験してみるといい」

青年は動けなくなった男達を抱えると、一人ずつ炎の中に投げ込んでいった。

絶叫を背に、青年は振り返る。
その顔には隠しきれない愉悦の感情が表れていた。

「ひぃ。ふぅ。みぃ……と、向こうにいる人も合わせると……。ああ、良かった。全員いるみたいだ」

最初に逃げたはずの人たちでさえ、数えられている。

「おい、お前ら! 何立ち止まってんだ。早く逃げろ!」

さっきの光景を見て立ち止まった人たち。さらにその向こうの、絶叫で立ち止まった人たちに向け、村長が逃げるよう促した。

青年はそれに冷笑で返す。

「……何が可笑しい」

「いやいや。必死になって馬鹿みたいでしてね。
……逃げられるわけないのに」

パチンと青年が指を鳴らすと、村を囲うように、赤黒い液体が噴きあがった。

結界であることはすぐに分かった。

逃げられない。この村は牢獄と化したのだ。
いや、全員殺すと言っている以上、例えるなら断頭台かもしれない。

「さて。なるべく抵抗しないでくれると有難いのですが……そのつもりはないようですね」

どうせ死ぬならと、逃げていた者たちも戻ってきて武器を手に取る。

「まあ、いいです。どうせそんなに変わりませんし」


青年が駆けた。








◇ ◇ ◇






「ふうむ。思った以上に時間がかかりましたね」

青年は感心したように呟いた。

体には無数の傷がつけられている。
再生しきれなかったのだ。

しかし村にいた村人たちは、健闘むなしく、ぼくと妹を残し全滅した。

おびただしいほどの血が溢れかえっている。地面も吸い取れきれない量だ。
さらに、血のプールにはぷりぷりとした肉片が、これまた地面を埋め尽くすほど浮かんでいた。

ぽとり

青年はヨダレを垂らしていた。

「ああ。いけませんね、はしたない。
獲物の血は最後にまとめて飲むと決めているのに……さっき一回破ってしまいましたからね。二回目はダメです」

最後にまとめて。ということは、まだ最後ではないのだろう。

隠れていることが気づかれている。
ぼくはそう分かった。

「ではでは。君たちが最後ですよ。早く出てきたらどうですか?」

「……」

「あら、無視ですか。ならこちらから出向きましょうか」

出て行くのと、来られるの。どちらが生き残れる可能性が高いか。
来られてしまったら逃げ場はない。
ならーーー

「おや、出てきてくれましたか。しかも二人揃って」

ぼくたちは二人で出て行った。
どちらかが囮になって、もう片方が逃げるという選択肢はない。
よしんば逃げた方が生き残れたとしても、一人だけで生きるなんて、そんなの死ぬよりも辛く、苦しい。


「銀髪……。なるほど、私の探し人はあなたでしたか」

青年は妹の方を見て言うと、スッと妹の方へ近づいていった。
流れるような動きで、ぼくも妹も反応できなかった。

青年は妹の真正面に来ると、手を差し出した。
そして言う。



「あなたには、私の娘になってもらいます」


ぼくと妹を引き裂く、その一言を。
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