完全犯罪小説家

roos

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2章

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 かこん、と鹿おどしが石を打ち、風流な座敷に動静を与える。
 開け放たれた障子の向こうには縁側と、松とつつじが生えた玉砂利の庭が一望できる。美しい眺めを傍に、字良たちは座敷で二対一になって向かい合うように座っていた。

「不幸が始まったのはいつですか?」

 これまでの頼りなさげな態度から一転、弭間は怪談話の語り手のような声色で問いかけた。対する彩葉丹もまた、いつもの飄々とした笑みの代わりに無表情に徹しているようだった。

「最後の身内が殺されてからです。十四年ほど前に」

 彩葉丹空門が作家デビューを果たしたのは今から十年前、彼が十六歳の時だ。ならば十四年前となると、彩葉丹はたった十二歳で祖母を無くしたらしい。しかし字良はこれまで彩葉丹の身内が死んだという話を一度も聞いたことがなかった。

 彩葉丹はテーブルに置かれた林檎模様の湯呑を一口傾け、とつとつと語り出した。

「祖母が死んだ日を境に、僕の周りで人が死ぬようになりました。学校の友人、修学旅行先。卒業してからは、出版社でお世話になった人から、旅行先ですれ違っただけの観光客まで、見境なく」

 彩葉丹は一旦言葉を区切ると、自虐気味に笑った。

「いつしか僕は呪われていると噂され、僕自身もそうなのではと思い始めるようになりました。つい先日も、貴方を紹介してくれた友人が事故で亡くなってしまったんです」
「それは……お悔やみ申し上げます」

 弭間は黙礼し、ゆっくりと頭を下げる。彩葉丹も静かにお辞儀を返し、また厳かに続けた。
 
「これが呪いであるのなら、なんとしても止めねばなりません。せめて字良君だけでも呪いに掛からなければ、それで良いのです。彼女は先日の友人の一件で酷く怯えているので」

 何を白々しいことを。

 字良が睨めつければ、彩葉丹は口元だけでいかにも楽しそうに笑った。しかし目つきだけは真面目なものだから、弭間はその笑みを彩葉丹の強がりと受け取ったらしく、どこぞの政治家のように胸を張って深く頷いた。

「事情は分かりました。解呪とまではいかないでしょうが、誠心誠意手伝わせていただきます。手始めに、貴方の呪いがどのようなものか、確認させてください」
「というと?」
「俺が預かる呪いの品々と共に、まずは一晩眠っていただきます」
「えっ!」

 口を挟むつもりはなかったが、字良はとんでもない申し出についを上げてしまった。二人の視線が一点に集中するのを感じながら、字良はまごまごと声を震わせた。

「な、なぜ呪いの品と寝なければならないのですか?」
「呪い同士は互いに影響を与える性質があるんです。相乗効果を生んだり、反対に、相殺したりといった風にね」
「相乗効果……相殺……?」

 まるで昆布と鰹節の出汁を合わせたら旨み成分が爆誕する、というような、呪いと関係なさそうな単語が出てきて混乱する。

 弭間は専門家らしいキリッとした顔から一転し、指を二本立てながら柔和な教師のように笑った。

「例えば、ベートーベンの絵画が芸術館に飾られているのを見たら、どう思いますか?」
「うーん、特にどうとは思いませんね。絵画が芸術館にあるのは当たり前のことですから」
「ではその絵画が小学校の音楽室にあったら何を連想します?」
「音楽室の怪談ですね。音楽室のベートーベンの目が光るとか、夜な夜なピアノを弾いているとか」
「そう! それが呪いの相乗効果なんです! 学校というものは得てして呪いが集まりやすい! そこに呪われた絵画が揃うことで! 七不思議という強力な存在感を放つようになるんです!」

 なんだかこじつけられたような気もするが、確かに、芸術館でベートーベンの絵画が飾られていても怖い話なんて生まれない。要するに呪いは場所によって生まれることもあるから、呪いの相乗効果も実際にある、と弭間は言いたいのだろう。

「……では、そういった呪いの相乗効果を使って、彩葉丹先生の呪いを解こう、というわけですか」
「その通り! 正確には相殺の方ですがね!」

 弭間はテンションが上がったのか、正座のまま飛び跳ねてテーブルに膝をぶつけた。痛みで冷静になった弭間は、膝を摩りながら震える声で続けた。

「えぇっと、なんだったっけ。そうそう、彩葉丹先生は『罰戒』の呪いではないかと電話でおっしゃっていましたが、万が一、別の呪いだった場合は下手に相殺するとむしろ悪化させてしまうリスクがあるんです。なので今回の実験……ごほん、調査のためにも、比較的安全な翁面を使って、呪いの反応を見ようと思った次第です。字良さんは怖いかも知れませんが、一晩だけ我慢してくださいね」
「……はぁ……」

 理解できるようでできない理論を展開され、字良は曖昧な反応しかできなかった。いや、正確には理解したくないと言うべきか。

 字良は鈍った思考を諦め悪く働かせて、どうにか呪いの品と眠らずに済む口実を作ろうとした。

「あの、私だけ普通の部屋でお泊まりとかできませんか? 呪われているのは彩葉丹先生だけですし」
「彩葉丹先生の『罰戒』は近くの人まで巻き込む危険があるんでしょう? だったら先生と一緒にいてもらった方が安全だと思いますよ。専門家の俺が言うんだから間違いありませんって」
「嫌です! 呪いが混ざり合って凶悪な結果を招きそうなんですが!」

 半ばヤケになりながらテーブルを叩くと、弭間は困ったように笑った。

「いやぁ、ね。これには色々とあるんですよ、事情が。ははは」
「色々ってなんですか」
「企業秘密です」
「納得できません!」

 なおも食ってかかろうとすると、肩にぽんと彩葉丹の手が乗せられた。

「字良君。諦めなさい」
「……はい」

 そこはかとなく威圧感のあるアルカイックスマイルを向けられ、字良は子犬のように萎縮した。それから冷静になって考えてみると、このままでは呪いの品だけでなく、彩葉丹と同じ部屋で一晩を明かすことになると返事をしてから気づいてしまった。

 殺人鬼と同じ部屋というのはかなり気が引けるが、寝ている間にまた赤い羽根の矢が飛来してくるかもしれないため、背に腹は代えられない。竹林で襲われたときも、彩葉丹のお陰で字良は助かったようなものなのだから。こうなったら一人で寝るより二人で寝た方が安全だと思い込んだ方が良い。

 悶々としながらぬるくなった茶を嚥下していると、先に茶を飲み終わっていた彩葉丹がちらりとこちらを見下ろしてきた。

「話もまとまったところで、字良君は先に部屋に戻っていてくれるかい? 僕が呼ぶまではそこで待っていて欲しい。その後、弭間さんに呪いの取材もするからメモも用意しておいて」
「……私が殺される前に来てくださいね。絶対ですよ」
「別に僕は君を守る義理がないんですがね?」
「編集者が死んだら困るのは先生でしょう!」

 即座に字良が反論すると、彩葉丹は一本取られたと言わんばかりに声を殺して笑った。あまりにも幼い笑い方だったため、字良は急に羞恥心が込み上げてきた。

 字良だって両親を殺したかもしれない黒幕に助けを乞うのは遺憾千万である。だが、二度も命を救われた相手に殺意を抱き続けるのは至難であった。

 なにより、生前の字良の父は彩葉丹の小説を愛読していたのだ。字良自身も、蛍雪シリーズの『足切り』を読むまでは彩葉丹の純粋なファンだった。リビングの本棚に彩葉丹の小説を揃えて置いているのは、何も復讐だけが理由ではないのだ。

「と、ともかく早く終わらせてくださいね。先生の本業は、ミステリー作家なんですから!」

 字良は最後にそう言い捨てると、ツルツルの畳に足を取られながら応接間の外へと出て行った。後ろ手に襖を占めて、二階に駆け上がって客間へと飛び込む。それから自分のスーツケースを枕代わりに字良は思い切り突っ伏した。

「……私、本当に復讐する気あるの?」

 自分でもおかしいとは思っている。両親が死んで、復讐に縋らなければどうにかなりそうだった毎日なのに、彩葉丹と行動を共にするようになってから、驚くほど思考がクリアになっていることに。

 『足切り』を読む前の字良は、精神科に受診したわけではないが重度の鬱病と同じような症状に見舞われていた。何をするにも億劫で、頭が働かず、破滅願望ばかりが頭の中で風船のように膨らんでいく。自分が生きている理由も分からず毎日が辛かった。

 それが、復讐相手を見つけた瞬間に劇的に変化した。復讐のために望む会社に入社しなくてはならない。そのためには勉学に励み優秀な成績を残さねばならない。最短で彩葉丹の担当編集者に就任するために、字良は自分でも信じられぬほどの集中力とエネルギーを発揮した。

 だというのに、いざ復讐相手が目の前にいても殺意を維持できないなんて、殺された両親に顔向けできない。

 酒に溺れながら、弟子が死んだのは呪いのせいだと喚いた徒糸場の顔が蘇る。誰かのせいにしなければやりきれない時は誰にでもある。そして自分も、結局は不完全燃焼の復讐心を都合の良い誰かにぶつけているだけなのではないか?

「……早く証拠を見つけないと……」

 字良はそう自分に言い聞かせながら、吐息で湿ったスーツケースから顔を上げた。スーツケースの隣には床に置かれた手提げカバンがあり、その中にはスタンガンが入っている。もしかしたらこれの出番は一生来ないかもしれないと、字良は不安と安堵が綯い交ぜになった笑みを浮かべた。
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