完全犯罪小説家

roos

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2章

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「彩葉丹先生。本当は呪われていないと、貴方自身がよく理解しているのでは?」

 二人きりになった応接間に、弭間の凄然とした声が落ちる。
 日が翳り、鹿威しの音が鋭く庭園にこだまする。秋麗を追い越した北風が二人の間をすり抜け、数分前までの談笑の名残りを寒々しく攫って行った。

 彩葉丹は字良に向けていたものと全く同じ、人好きのする笑みを弭間へ向けた。

「本当はこの世に呪いなんて存在しないんです。あるのはただ、不運な事実だけ。そうでしょう、弭間さん」
「……流石、よく分かっていらっしゃる」

 まるで喉元にナイフを突きつけられているような緊迫感があった。

 彩葉丹の外見は、赤紫の瞳を除けば至って凡庸だ。特別美しいわけでも、醜いわけでもない。しかし、所作から滲み出る丁寧さが際立つあまり、精巧に作られたアンドロイドを前にしたような不安が込み上げてくる。字良が同席していた時は全く気にならなかったが、いざ二人になった途端にそれが顕著になった。

 弭間は膝の上で手を握りしめながら、舌の上を滑らせるような低い声で問うた。

「彩葉丹先生、あえてお聞きしましょう。呪いではないと知っていて、なぜ俺に会いに来たのですか」

 彩葉丹は笑みを張り付けたまま、少しだけ背筋を正し、長い前髪の隙間から赤紫の瞳を覗かせた。

「僕はただ『罰戒』という言葉の起源を知りたいのですよ。僕の大事な友人を外道に突き落としてまで、メッセンジャーにした黒幕を炙り出すために。それと、字良君にもいい刺激になると思いまして」
「──黒幕、とは? まるで『罰戒』という単語が、何者かによってもたらされたかのような言い方ですね?」
「ええ。その通りなんですよ。これまでと全く同じ手口だ」

 赤紫色の目が燃えるように揺らぎ、何者にも焦点を合わせぬままを視る。その瞳の中には怒り、憎しみ、悲しみと、あらゆる負の感情が内在しているが、一つ一つが水に薄めたように曖昧で、彩葉丹の真意を推し量ることはできなかった。

「最初にお話ししましたが、僕の祖母は十二年前に亡くなりました。居眠り運転の自動車に轢き殺されたんです。あれが僕にとって黒幕とのファーストコンタクトであり、『罰戒』の始まりでもあったんです」

 お茶のおかわりを頂けますか、と冴えた声がして、弭間は熱に浮かされたようにぼんやりとしたまま急須を手に取った。彩葉丹から差し出された林檎模様の湯呑に茶を注ぎ入れると、ほんのりと湯気が弭間の指先を温める。

 急に喉の渇きを覚えた。

 彩葉丹が湯呑を回収していったのを見計らい、弭間も自分の湯呑へ急須を傾ける。若葉色に色付いた緑茶の匂いは、ひりついた応接間にささやかな癒しを与えた。

 二人同時にお茶を飲み、ほうっと息をつく。それから彩葉丹は、湯呑の中に視線を落としたまま寂しそうに続けた。

「僕の周りには、僕にはもったいないほど心根の美しい人が集まってきます。しかし、その半数は何かしらの要因で狂気に堕ちていきました。少し暴力的になるだけならまだ可愛い方です。会社を倒産に追い込み、とある社長を自殺に追い込んだ人もいます。中には快楽のために人を殺してしまうような人も。……僕に親しみを覚えている人ほど、より深く狂気に堕ちていくんですよ」
「……それが黒幕の仕業であると、貴方は確信しているんですね?」
「ええ」
「そして狂ってしまった人々は、貴方の周りで死んでいくんですね?」
「そうです」
「──ならば、貴方はそれを利用して、意図して人を殺すこともできるんですね?」
「その通りです」

 教会の懺悔室で行われる問答の如く、次々に彩葉丹の罪が告白される。あるいは検察官に告白を促されているようにも見える。しかし肝心の物証や、関わった事件の具体性が欠けている。呪いの専門家でしかない弭間では、この男が正しいかどうか、天秤にかけることすら不可能であった。

 はたして罪に問えない殺人は、呪い殺すのと何が違うのか。彩葉丹の言葉が全て真実だとして、それは一体どんな名前の罪になる。

 湯呑を両手で握りしめながら、弭間は顎を引き唇を丸めた。対して、向かい側の席に静かに座る彩葉丹は、見るものが無害と即断するほどの完璧な笑顔を浮かべながら補足を入れた。

「一つ勘違いしないで欲しいのですが、僕はあくまで、黒幕がけしかけてきた殺人鬼から身を守るために、黒幕と同じ手法で『罰戒』を利用しているだけですよ。いわゆる正当防衛ってやつですね」
「なんと……では『罰戒』は、彩葉丹先生にとっては呪いではなく、殺しの手段だというのですか」
「ええ。呪いのように、奇跡のように人を殺せるんですよ」

 では、直接手を汚さずに人を殺せる『罰戒』の手法とは、いかほどのものなのか。

 弭間は職業病ともいえる未知のものに対する好奇心を押さえきれず、考えがまとまらぬままに口を開いた。

「俺がお会いした槙野先生は、とても温厚な方でした。ですが、俺に『罰戒』の存在を知らせた時は、なんというか、情緒が不安定で……箍が外れていたような気がします。あれはきっと、本来の彼じゃなかったんでしょうね。黒幕に操られていたと言うべきでしょうか」
「いいえ、槙野先生は槙野先生のままです。普段は表に出ない残虐な欲求を引きずり出され、その快楽に溺れてしまっただけです」
「──だから殺したのですか。槙野先生を」
「……敏いですね。彼が死んだのは昨日だと言うのに」

 途端に鋭くなった彩葉丹の声色に、弭間はモノクルの奥で右目を眇め、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 『罰戒』の語源が一罰百戒だとするなら、のための呪いだと考えるのが道理である。事実、独自に呪いの調査をしていた作家の槙野志狼はそう定義した。

 しかし呪いの専門家たる弭間は、槙野が死んだとニュースで知った時に違うと直感した。

 これは見せしめではなく、天罰である。
 因果応報。当然の報い。そういったものを意図的に引き起こした事象こそが『罰戒』だと、弭間は槙野の死をもって確信した。そして目の前の男が槙野を殺したということも、今の説明で理解した。

 実をいうと、弭間は彩葉丹空門という男を以前から知っていた。一年ほど前に呪いの取材のためにここに訪れた槙野が、嬉々として彩葉丹の話を持ち出してきたからだ。

『僕の友人に呪われていると噂の面白い奴がいるんです』

 出会ってすぐに槙野はそう白状した。彼の少し焦ったようなあの時の表情は、呪いの取材というのは口実で、ただ単に友人の手助けをしたかっただけのように見えた。事実、弭間が呪いの品を説明するたびに、槙野は「これは違う」「これは似ている」といちいち口に出して確認していた。だが結局、槙野は弭間の力を借りても『僕の友人』の呪いがなんなのか、手がかりすらもつかめなかった。

 その日の呪いの取材が終わった後も、弭間と槙野の関係は続いていた。メールや電話で、それらしき呪いが見つかるたびに槙野は相談してきたり、逆に『僕の友人』の体験した呪いらしき事件についても色々と教えてくれた。相談者と専門家という垣根を超えて、それなりに親しい関係を築けていたように思う。

 だが、ある日を境に槙野に変化が起きた。

『ついに見つけたんですよ! あれはきっと『罰戒』だ! これで僕もホンモノの仲間入りですよ!』

 電話越しだったが、興奮のあまり半ば裏返ったその報告は狂気じみていた。それ以降、槙野からの連絡頻度が激減し、彼の住所がある某県で連続殺人が起きるようになった。まるで話に聞いた彩葉丹のように、周囲の人間が勝手に死んでいるようにも見えた。

 もしや、槙野は『罰戒』に呪われてしまったのかと、弭間は不気味なものを感じずにはいられなかった。

 そして槙野の狂気はついに最悪の結果を招いてしまった。彩葉丹が弭間との面会を予約してきたその日に、槙野は死亡してしまったのだ。用済みだと言わんばかりに、あっさりと。

 今朝のニュースに出た槙野の死を知った瞬間に、弭間は思った。彩葉丹の歴代の担当編集者が死んでいったこと、旅行先の他人が事件事故、災害に巻き込まれて死ぬこと、それらすべては彩葉丹が意図して殺した可能性があると。

 だから今度は自分の番だと、弭間は覚悟していた。

「……っ今日も……誰かを罰するつもりですか」

 声が震えた。しかし恐怖だけが理由ではない。弭間は未知の方法で殺される己の未来を夢想し、やにわに歓喜に胸躍らせていたのだ。

 弭間がわざわざ呪いの品を集め、面倒な他人の相談事を生業としているのは、一言でいえば手の込んだ自殺である。

 ディアトロフ峠事件。
 オーラング・メダン号事件。
 ヒンター・カイフェック事件。
 その他、未解決事件多数。

 不可解な死を遂げた人々が何を思っていたのか。その真相は。その好奇心が、弭間を呪い専門家という道へ引きずり込んだ元凶である。あわよくば、その不可解な事件の被害者の一人になれたら、これ以上の名誉はない。そう思うほど弭間は未知に魅了されていた。

 しかし科学が発展した近年、それらの事件は呪いによるものではないと解明されつつあった。科学が未知を消すほどに、弭間はこの世に呪いはないのだと痛感し、だが諦めきれずに呪いの品の収集に執着した。それで呪いが証明されるのなら、その果てに怪死を遂げるのも本望である。むしろそうあればよい。

 あるいは『罰戒』ならば、弭間の生涯の夢を叶えてくれるやもしれない。

 そんな秘かな願望を込めて、弭間は物憂げに彩葉丹を見た。

 対する彩葉丹は、心なしか冷めた目つきで弭間を眺めた。

「罰するなんて大層なものではありませんよ。僕は自分に降りかかる火の粉を払っているだけなんですから。ただし今日限りは、僕の出番はありません」
「ならば今日以降は『罰戒』を止めないんですね?」

 弭間の探るような問いに対して、彩葉丹はただ笑みを返した。

「──では、僕も部屋に戻ります。貴方は元から狂っているので問題ないでしょうが、一応忠告します。『罰戒』の件はくれぐれも慎重に取り扱ってくださいね」
「……ええ。『罰戒』の起源については俺に任せてください。今夜はどうぞごゆっくり」

 確答を得られなかったことに弭間は肩を落とし、綺麗に飲み干された彩葉丹の湯呑を見つめた。それから応接間を出ようと襖に手を掛ける彩葉丹へと語り掛けた。

「この世に呪いがないとするならば、あの弓も巳弦君も、呪われているのではなく、ただ不運なだけだったのでしょうね」
「……ええ。語るのも無粋な、可愛い子供の想いですよ」

 紫色の瞳が寂しそうに床を見下ろし、やがて襖の向こうへと消えた。
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