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4章
(6)同族嫌悪
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人を殺すところだった。
どんなことがあっても人の命を奪いはしないと思っていた俺が、あの時だけは我を忘れるほどの殺意に満ち溢れていた。あのニヴィに対してすら躊躇ったはずの人殺しが、あんなに容易く成せることだったなんて知りたくなかった。
だが、今更手を汚さずにいて何になるのだろう。俺はこれまで何度も死んで、中には人間に殺された記憶もある。だったら俺も相手を殺さないと不公平だろう? どうせ偽物のクローン人間なのだから、倫理観を守ったって無意味じゃないか。
俺はまだ、すべての記憶を思い出したわけではない。俺を殺したのは、これまで戦ってきた雑魚ドラゴンから上位ドラゴン、竜王まで、ほぼすべてのドラゴン。そして俺が鍵者だからという理由だけで殺してきた、幼馴染や隣人、里の人たち、処刑台、ベアルドルフ。以前にロッシュから鍵者は危険因子だから処刑されると言う話を聞かされていたが、まさか他人事の殺人事件の被害者が、すべて自分だと思わなかった。
しかもここ最近の死の記憶はほとんどベアルドルフで占められている。ベアルドルフが鍵者を殺しまわっているのは本当だったらしい。最後に見るベアルドルフの表情は全て憤怒や憎悪で彩られており、思い出すだけでも背筋がゾッとした。
あろうことか、俺は自分を殺した男の娘と同居している。自分の家族の欠落を埋めるために拾ったくせに、今ではおぞましくて、あの細い首を握りつぶしたくなる。
「うっ……げほ」
こみ上げてくる吐き気にえずきながら、俺は滝裏の洞窟から外へよろけ出る。今まで見ないようにしてきたものを直視してしまった弊害が、じわじわと存在感を増してきている。このままでは俺が縋っていた矜持や価値観までもが、殺意と憎しみですりつぶされてしまいそうだ。俺は激しい葛藤に耐えきれず、その場に崩れ落ちた。
滝から吹き付けるマイナスイオンが、俺の伸びっぱなしの髪を揺らす。小鳥の鳴き声すらかき消してしまう滝の轟きを聞いているうちに、荒んでいた内心が落ち着いていった。それでも、立ち上がって自宅に戻る気力はない。家に帰ったらシャルがいる。シャルに会ったら……俺はどうなる。
エトロは、よくシャルを受け入れられたものだ。自分の家族を殺した男の娘なんて憎いに決まっている。いや、彼女の場合は、薄々自分が間違っていると気づいているのかもしれない。ベアルドルフがやむを得ない理由でハウラを殺し、ヨルドの里を見捨てるしかなかったのだと、エトロなりに納得し始めているのだろう。
だが俺は違う。鍵者という理由だけで、生まれるたびに殺された。思い出した記憶のせいで、死ぬ寸前の苦しみが何十倍にも膨れ上がって俺に焼き付いている。
記憶も身体も作られた俺には家族はいない。故郷もない。守護狩人になったところで、帰る場所はとっくの昔に仮想世界へと作り直されている。そこに帰るということは、肉体を捨てるということ。
俺は、機械仕掛けの世界に閉じ込められた故郷を、この世界へ復活させるために送り出された。それが鍵者の使命だ。しかし俺は、地獄のようなこの世界から故郷に帰りたい。だが、そもそもの原因が故郷にある。そんな場所に、帰るというのか。
今までの俺の努力は無駄だった。殺されるためだけに生きているようなものだった。エラムラで瀕死になったベアルドルフを、癒すのではなく殺してしまえばよかった。
「……はは、そうだよ。どうせ帰れないんなら、あいつも、ベートも全部ぶっ殺してから死んでやる」
もっと強くなろう。そして次は躊躇わない。どうせ俺は人間じゃない。
ふらふらしながら立ち上がると、不意に階段の方からこつこつと足音が近づいてきた。せめてシャルではないことを祈りながら、ぎらぎらとした目で顔を上げると、そこには全く予想外の人物が立っていた。
「レオハニー……さん?」
久しぶりに見る燃えるような赤い長髪と、彫刻じみた美しい顔立ちに目を奪われる。それから、俺の口からハッと嘲笑う声が漏れた。
「来るの遅くないっすか」
俺は自分の発言に青ざめるほど驚いたが、同時にしっくりときて謝る気にもならなかった。息苦しい空気が立ち込める中、レオハニーは階段の真下で足を止め、無表情のままうつむきがちに目を伏せた。
「すまない」
抽象的過ぎる簡素な言葉に、俺の膨らみ切った不満が破裂した。
「本当に、いい加減にしてくださいよ。せめて言い訳ぐらいしたらどうですか!? 討滅者が忙しいことも知ってますし、村に来られないのもそれ相応の理由があるんですよね? でも、仲間だと思っているのなら、俺に守護狩人になれと言ったんなら! 少しぐらい歩み寄ってくれたっていいじゃないっすか!」
肝心な時にはいない。どこで何をしているのか、弟子であるエトロですら知らない。俺に道を示しておきながら近況すら聞かず、手一杯な時に限って現れる。
こうなってくると、もはや俺の心を折るために意図して現れたのではと思うぐらい、彼女の存在が不快だ。
最初は俺の故郷を知っている唯一の仲間かもしれないと期待していた。だが、仲間が何度も死にかけて、俺も死を覚悟した。いつか助けに来てくれるかもと期待しても現れないレオハニーに幻滅した。しかも俺の存在自体が偽物だと知らされた後では、彼女が故郷を知っているのは違和感しかない。
そもそも出会いからしておかしかった。人里離れた樹海の奥で放置された俺を、レオハニーがああもピンポイントで見つけ出して鮮やかに救い出せるものか。わざと俺を森に放置してドラゴンに襲わせたマッチポンプとしか思えないぐらい出来すぎた出会いだった。
レオハニーもどうせ、ベートと同じだ。俺を利用するためにバルド村に連れてきたのだ。
「貴方は本当に俺たちの仲間なんですか?」
耐え切れずに疑念を口にすると、レオハニーの表情が大きく変わった。大人びていた鋭い目つきが丸く開かれ、捨てられた子供のように感情が削げ落ちていく。
そこでようやく一線を越えてしまったのだと気づいた。命の恩人に対してやっていい仕打ちではない。彼女がどんな思いでバルド村に帰ってきたのか知りもしないで、八つ当たりするなんて最低だ。
二転三転する自分の意識を自覚しながらも、俺は罪悪感に苛まれた。
「俺の思い違いなら聞き流してください」
咄嗟にそう言い捨て、俺はレオハニーから顔を背けて別の階段の方へ歩き出した。
「……待って」
通り過ぎる間際に呼び止められ、無碍にもできず立ち止まる。滝から離れたおかげで、いままでかき消されていた川の音色が場違いなほど涼やかに鼓膜を揺らした。だが谷底に差し込む光は僅かなもので、縦長の青空はかなり遠い。俺はやけに空が眩しく感じられ、奥歯を強く噛みしめながら地面を睨みつけた。
「話があるなら早くしてください」
こんな言い方しかできない自分が惨めだ。しかし今の俺では、どうあってもレオハニーに寄り添う余裕がない。早くこの場を立ち去らせてくれ、と念じながら、葛藤に震えるレオハニーの吐息に耳を澄ませる。
数分にも感じられる長い数秒の後、小石が転がるような小さな声がした。
「……私はこの世界に関わるのが怖い。私のせいで大勢の運命を変えてしまうから、誰の責任も取りたくなくて、極力人との接触を避けてきた。そのせいで誰かが苦しむのも、ずっと見て見ぬフリをしてきた。けど君は、君についてだけは、私が責任を取らなきゃいけない」
「……あの?」
脈絡のない台詞に困惑しながら顔を上げると、レオハニーの横顔が見える。赤い瞳は遠くを見つめており、口元は細かく震えて凍えているようだった。
「鍵者の使命は、機械仕掛けの世界に囚われた同胞たちの魂を蘇らせることだ。君が地球を選ぶなら、この世界に生きるエトロたちは、肉体から魂を追い出され、実質的に死を迎える。だが、君がこの世界を選べば、地球に残された人々は、二度と人生を謳歌できない。私は選べなかったんだ」
「レオハニーさん……なんの話をしているんですか。どうして今そんなことを」
強風が吹き、胸を押さえつけられたように俺の声が途切れた。予言書の解読を続けているロッシュですら鍵者の使命を知らなかったのに、レオハニーはさも常識のように平然と貴重な情報を垂れ流している。
予言書に書かれた終末の日。それは鍵者による機械仕掛けの世界の解放。地球の人々が復活する代わりに、エトロたち異世界人は魂を失う。それを知っているのは、俺やベートといった当事者だけのはずだ。
なら、それを知っているレオハニーは……。
レオハニーは暴れる髪を手で押さえながら、微かに濡れた赤い瞳をひたと向けた。
「私は、地球出身。……君たちと同じ、転生者だ」
――ああ、終わってる。
これまでの出来事すべてが、映画フィルムのようにからから回って、俺の思考回路に織り込まれていく。
仕組まれた命、仕組まれた世界の真実に何も信用できなくなった。同時にc今さら同族を見つけて俺は安堵してしまった。
「君はまだ、故郷に帰りたい?」
それと同時に、レオハニーに対して形容しがたいほどの憎しみを抱いた。
・・・―――・・・
師匠が帰ってきた。その知らせをアメリアから聞いた瞬間、エトロはギルドから飛び出して村中を探し回った。
レオハニーと会うのは実に二週間ぶりだ。リョーホが来る前は一年も会えずじまいなのが当たり前だったのに、最近はよく村に帰ってきてくれるので素直に喜ばしい。特に今日はレオハニーに話したいことがたくさんあるのだ。
バルド村の天辺から隅々まで見渡して、息を切らしながら最下層まで辿り着くと、ようやくお目当ての後姿を川辺に見つけた。
「師匠!」
声を張り上げながら階段から飛び降りると、彼女の後姿に隠れていたもう一人の人物を見つけた。
「リョーホ?」
朝に見かけた時より随分やつれて見えるが、リョーホで間違いなさそうだ。レオハニーはエトロの方を振り向くと、リョーホに手を振りながらこちらに歩いてきた。
「また後で話そう」
リョーホは機械的に頷くと、エトロを一瞥してからそのまま別の階段の方へ向かっていった。珍しくそっけない反応に少しだけ寂しさを覚えたが、レオハニーを放置して追いかけるわけにもいかない。エトロは悶々としながら、レオハニーの元へ駆け寄った。
「師匠。お久しぶりです!」
「久しぶり。元気そうだね」
いつもと変わらぬ少し味気ない返答だったが、その声色が温かく感じられて、エトロは自然と笑みがこぼれた。
「師匠、何か良い事でもありましたか?」
「うん。弟子が無事だったからね」
レオハニーは目を細めながらエトロの頬に手を添えると、親指で目元を優しくなでてくれた。
「竜王討伐、おめでとう」
「……怒らないんですか? 無断で行ってしまったのに」
「心配はしたけれど、エトロは十分強くなったから問題ない」
遠回しな評価だったが、認めて貰えたと言っていいかもしれない。エトロは胸の中がくすぐったくなるのを感じながら、ちらりと遠ざかっていくリョーホへ目を向けた。
「あの、リョーホと何を話していたんですか?」
レオハニーは無表情のまま、リョーホの方を一旦振り返ると、淡い笑みを浮かべながらこう答えた。
「いつか話すよ。すべてが終わった後にね」
意味深長な言葉にエトロは首をかしげたが、レオハニーに隠し事が多いのはすでに周知の事実なので、今は深く訊ねないことにした。だが少しだけ、喉に小骨が引っ掛かったような違和感を抱いた。
どんなことがあっても人の命を奪いはしないと思っていた俺が、あの時だけは我を忘れるほどの殺意に満ち溢れていた。あのニヴィに対してすら躊躇ったはずの人殺しが、あんなに容易く成せることだったなんて知りたくなかった。
だが、今更手を汚さずにいて何になるのだろう。俺はこれまで何度も死んで、中には人間に殺された記憶もある。だったら俺も相手を殺さないと不公平だろう? どうせ偽物のクローン人間なのだから、倫理観を守ったって無意味じゃないか。
俺はまだ、すべての記憶を思い出したわけではない。俺を殺したのは、これまで戦ってきた雑魚ドラゴンから上位ドラゴン、竜王まで、ほぼすべてのドラゴン。そして俺が鍵者だからという理由だけで殺してきた、幼馴染や隣人、里の人たち、処刑台、ベアルドルフ。以前にロッシュから鍵者は危険因子だから処刑されると言う話を聞かされていたが、まさか他人事の殺人事件の被害者が、すべて自分だと思わなかった。
しかもここ最近の死の記憶はほとんどベアルドルフで占められている。ベアルドルフが鍵者を殺しまわっているのは本当だったらしい。最後に見るベアルドルフの表情は全て憤怒や憎悪で彩られており、思い出すだけでも背筋がゾッとした。
あろうことか、俺は自分を殺した男の娘と同居している。自分の家族の欠落を埋めるために拾ったくせに、今ではおぞましくて、あの細い首を握りつぶしたくなる。
「うっ……げほ」
こみ上げてくる吐き気にえずきながら、俺は滝裏の洞窟から外へよろけ出る。今まで見ないようにしてきたものを直視してしまった弊害が、じわじわと存在感を増してきている。このままでは俺が縋っていた矜持や価値観までもが、殺意と憎しみですりつぶされてしまいそうだ。俺は激しい葛藤に耐えきれず、その場に崩れ落ちた。
滝から吹き付けるマイナスイオンが、俺の伸びっぱなしの髪を揺らす。小鳥の鳴き声すらかき消してしまう滝の轟きを聞いているうちに、荒んでいた内心が落ち着いていった。それでも、立ち上がって自宅に戻る気力はない。家に帰ったらシャルがいる。シャルに会ったら……俺はどうなる。
エトロは、よくシャルを受け入れられたものだ。自分の家族を殺した男の娘なんて憎いに決まっている。いや、彼女の場合は、薄々自分が間違っていると気づいているのかもしれない。ベアルドルフがやむを得ない理由でハウラを殺し、ヨルドの里を見捨てるしかなかったのだと、エトロなりに納得し始めているのだろう。
だが俺は違う。鍵者という理由だけで、生まれるたびに殺された。思い出した記憶のせいで、死ぬ寸前の苦しみが何十倍にも膨れ上がって俺に焼き付いている。
記憶も身体も作られた俺には家族はいない。故郷もない。守護狩人になったところで、帰る場所はとっくの昔に仮想世界へと作り直されている。そこに帰るということは、肉体を捨てるということ。
俺は、機械仕掛けの世界に閉じ込められた故郷を、この世界へ復活させるために送り出された。それが鍵者の使命だ。しかし俺は、地獄のようなこの世界から故郷に帰りたい。だが、そもそもの原因が故郷にある。そんな場所に、帰るというのか。
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「……はは、そうだよ。どうせ帰れないんなら、あいつも、ベートも全部ぶっ殺してから死んでやる」
もっと強くなろう。そして次は躊躇わない。どうせ俺は人間じゃない。
ふらふらしながら立ち上がると、不意に階段の方からこつこつと足音が近づいてきた。せめてシャルではないことを祈りながら、ぎらぎらとした目で顔を上げると、そこには全く予想外の人物が立っていた。
「レオハニー……さん?」
久しぶりに見る燃えるような赤い長髪と、彫刻じみた美しい顔立ちに目を奪われる。それから、俺の口からハッと嘲笑う声が漏れた。
「来るの遅くないっすか」
俺は自分の発言に青ざめるほど驚いたが、同時にしっくりときて謝る気にもならなかった。息苦しい空気が立ち込める中、レオハニーは階段の真下で足を止め、無表情のままうつむきがちに目を伏せた。
「すまない」
抽象的過ぎる簡素な言葉に、俺の膨らみ切った不満が破裂した。
「本当に、いい加減にしてくださいよ。せめて言い訳ぐらいしたらどうですか!? 討滅者が忙しいことも知ってますし、村に来られないのもそれ相応の理由があるんですよね? でも、仲間だと思っているのなら、俺に守護狩人になれと言ったんなら! 少しぐらい歩み寄ってくれたっていいじゃないっすか!」
肝心な時にはいない。どこで何をしているのか、弟子であるエトロですら知らない。俺に道を示しておきながら近況すら聞かず、手一杯な時に限って現れる。
こうなってくると、もはや俺の心を折るために意図して現れたのではと思うぐらい、彼女の存在が不快だ。
最初は俺の故郷を知っている唯一の仲間かもしれないと期待していた。だが、仲間が何度も死にかけて、俺も死を覚悟した。いつか助けに来てくれるかもと期待しても現れないレオハニーに幻滅した。しかも俺の存在自体が偽物だと知らされた後では、彼女が故郷を知っているのは違和感しかない。
そもそも出会いからしておかしかった。人里離れた樹海の奥で放置された俺を、レオハニーがああもピンポイントで見つけ出して鮮やかに救い出せるものか。わざと俺を森に放置してドラゴンに襲わせたマッチポンプとしか思えないぐらい出来すぎた出会いだった。
レオハニーもどうせ、ベートと同じだ。俺を利用するためにバルド村に連れてきたのだ。
「貴方は本当に俺たちの仲間なんですか?」
耐え切れずに疑念を口にすると、レオハニーの表情が大きく変わった。大人びていた鋭い目つきが丸く開かれ、捨てられた子供のように感情が削げ落ちていく。
そこでようやく一線を越えてしまったのだと気づいた。命の恩人に対してやっていい仕打ちではない。彼女がどんな思いでバルド村に帰ってきたのか知りもしないで、八つ当たりするなんて最低だ。
二転三転する自分の意識を自覚しながらも、俺は罪悪感に苛まれた。
「俺の思い違いなら聞き流してください」
咄嗟にそう言い捨て、俺はレオハニーから顔を背けて別の階段の方へ歩き出した。
「……待って」
通り過ぎる間際に呼び止められ、無碍にもできず立ち止まる。滝から離れたおかげで、いままでかき消されていた川の音色が場違いなほど涼やかに鼓膜を揺らした。だが谷底に差し込む光は僅かなもので、縦長の青空はかなり遠い。俺はやけに空が眩しく感じられ、奥歯を強く噛みしめながら地面を睨みつけた。
「話があるなら早くしてください」
こんな言い方しかできない自分が惨めだ。しかし今の俺では、どうあってもレオハニーに寄り添う余裕がない。早くこの場を立ち去らせてくれ、と念じながら、葛藤に震えるレオハニーの吐息に耳を澄ませる。
数分にも感じられる長い数秒の後、小石が転がるような小さな声がした。
「……私はこの世界に関わるのが怖い。私のせいで大勢の運命を変えてしまうから、誰の責任も取りたくなくて、極力人との接触を避けてきた。そのせいで誰かが苦しむのも、ずっと見て見ぬフリをしてきた。けど君は、君についてだけは、私が責任を取らなきゃいけない」
「……あの?」
脈絡のない台詞に困惑しながら顔を上げると、レオハニーの横顔が見える。赤い瞳は遠くを見つめており、口元は細かく震えて凍えているようだった。
「鍵者の使命は、機械仕掛けの世界に囚われた同胞たちの魂を蘇らせることだ。君が地球を選ぶなら、この世界に生きるエトロたちは、肉体から魂を追い出され、実質的に死を迎える。だが、君がこの世界を選べば、地球に残された人々は、二度と人生を謳歌できない。私は選べなかったんだ」
「レオハニーさん……なんの話をしているんですか。どうして今そんなことを」
強風が吹き、胸を押さえつけられたように俺の声が途切れた。予言書の解読を続けているロッシュですら鍵者の使命を知らなかったのに、レオハニーはさも常識のように平然と貴重な情報を垂れ流している。
予言書に書かれた終末の日。それは鍵者による機械仕掛けの世界の解放。地球の人々が復活する代わりに、エトロたち異世界人は魂を失う。それを知っているのは、俺やベートといった当事者だけのはずだ。
なら、それを知っているレオハニーは……。
レオハニーは暴れる髪を手で押さえながら、微かに濡れた赤い瞳をひたと向けた。
「私は、地球出身。……君たちと同じ、転生者だ」
――ああ、終わってる。
これまでの出来事すべてが、映画フィルムのようにからから回って、俺の思考回路に織り込まれていく。
仕組まれた命、仕組まれた世界の真実に何も信用できなくなった。同時にc今さら同族を見つけて俺は安堵してしまった。
「君はまだ、故郷に帰りたい?」
それと同時に、レオハニーに対して形容しがたいほどの憎しみを抱いた。
・・・―――・・・
師匠が帰ってきた。その知らせをアメリアから聞いた瞬間、エトロはギルドから飛び出して村中を探し回った。
レオハニーと会うのは実に二週間ぶりだ。リョーホが来る前は一年も会えずじまいなのが当たり前だったのに、最近はよく村に帰ってきてくれるので素直に喜ばしい。特に今日はレオハニーに話したいことがたくさんあるのだ。
バルド村の天辺から隅々まで見渡して、息を切らしながら最下層まで辿り着くと、ようやくお目当ての後姿を川辺に見つけた。
「師匠!」
声を張り上げながら階段から飛び降りると、彼女の後姿に隠れていたもう一人の人物を見つけた。
「リョーホ?」
朝に見かけた時より随分やつれて見えるが、リョーホで間違いなさそうだ。レオハニーはエトロの方を振り向くと、リョーホに手を振りながらこちらに歩いてきた。
「また後で話そう」
リョーホは機械的に頷くと、エトロを一瞥してからそのまま別の階段の方へ向かっていった。珍しくそっけない反応に少しだけ寂しさを覚えたが、レオハニーを放置して追いかけるわけにもいかない。エトロは悶々としながら、レオハニーの元へ駆け寄った。
「師匠。お久しぶりです!」
「久しぶり。元気そうだね」
いつもと変わらぬ少し味気ない返答だったが、その声色が温かく感じられて、エトロは自然と笑みがこぼれた。
「師匠、何か良い事でもありましたか?」
「うん。弟子が無事だったからね」
レオハニーは目を細めながらエトロの頬に手を添えると、親指で目元を優しくなでてくれた。
「竜王討伐、おめでとう」
「……怒らないんですか? 無断で行ってしまったのに」
「心配はしたけれど、エトロは十分強くなったから問題ない」
遠回しな評価だったが、認めて貰えたと言っていいかもしれない。エトロは胸の中がくすぐったくなるのを感じながら、ちらりと遠ざかっていくリョーホへ目を向けた。
「あの、リョーホと何を話していたんですか?」
レオハニーは無表情のまま、リョーホの方を一旦振り返ると、淡い笑みを浮かべながらこう答えた。
「いつか話すよ。すべてが終わった後にね」
意味深長な言葉にエトロは首をかしげたが、レオハニーに隠し事が多いのはすでに周知の事実なので、今は深く訊ねないことにした。だが少しだけ、喉に小骨が引っ掛かったような違和感を抱いた。
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