破戒聖者と破格愚者

桜木

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43.婚約式

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 リュラのベッドの端に転移すると、僕の重みでわずかに軋む。
 待ち構えていたらしいリュラは、すぐに飛び起きて抱きついてきた。

「おかえりライル!」

 もちろん、転移と同時に遮音も気配隠蔽も使っている。

「ただいま、リュラ」

 ここが僕が生まれ育った孤児院だからじゃなくて、リュラのいる場所が帰る場所だと思えるから、このやり取りを不自然に感じなかったんだなと思う。

「あのさ、リュラ」

 抱き締め返してリュラの温もりを感じたあと、その肩に手を置いて話し始めた僕を不思議そうに見つめ返してくる。

「ライラさんのところに行かないの?」
「うん、今日はもういいんだ。リュラに聞きたいことがあるんだけど」

 もう就寝時間で部屋も暗いけど、僕は夜目が利くから分かる。首を傾げてじっと聞いてくれている。

「もし…もしもなんだけど、僕の寿命が短かったとしたらどうする?」

 自分でも唐突な質問だとは思う。だけど普通の肉体だったら聖者様でも10年早いなら、僕なら大人にもなれなかったかもしれない。

「…ライル、死んじゃうの…?」
「もしも! もしもの話だよ!!」

 涙ぐんだ声が聞こえて、慌てて強調する。
 たとえ記憶になくても、両親を亡くしているリュラにはもっと慎重に話すべきだったと後悔しながら、聖者様が婚約破棄を言い出した理由のひとつだったと説明した。

「ごめんね、僕たちだったらどうしたかなって話をしたかったんだ」
「そうなんだ…」

 やっと落ち着いて、真剣に考えている。
 それでも変わらないと即答してくれるかな、なんて少し期待していたけど、死別しても再婚できないこの国の事情とか、リュラもいろいろ理解し始めているのかもしれない。

「…早く結婚しちゃうとか?」
「え?」

 不安に思っていたことと真逆の答えが返ってきて、僕のほうが戸惑ってしまった。

「成人してなくても結婚はできるんだよね。一緒にいられる時間が短いなら、早く結婚して少しでも長く一緒にいればいいかなって思ったの」

 この国の法とかは一応ちゃんと分かっていて、その上でやっぱり結婚する気持ちは変わらないと言ってくれる。
 僕は嬉しくなって、リュラの両手をしっかり握った。

「僕ももしリュラの寿命が短かったとしても、やっぱり一緒にいたいよ。でも僕はまだ子どもで、世間のこと何も分かってなくて…だからこれからよく考えるよ。結婚したらどこでどうやって暮らすとか、旅をしながらいろんな人たちの生き方を見てリュラにも話すよ。一緒に考えよう。そして大人になったら結婚しようね」
「うん!」

 リュラも嬉しそうに頷く。
 最初の求婚プロポーズは、僕がおじいちゃんたちに引き取られることが決まったときだった。寂しがるリュラを慰めるためと、僕自身リュラと会えなくなるのが嫌で思いつきのように言った言葉だったけど、今は以前より真剣に結婚して一緒にいたいと思っている。
 これからはもっと具体的に考えて、大人になったらなるべく早く結婚したい。

「今日はもう戻るけど、明日も多分来れるから」
「うん待ってるね、おやすみ」

 そう言って、僕の頬にキスをしてくれる。
 僕も「おやすみ」と言いながら頬にキスをする。

 頬にキスをしあうのは、僕たちが3歳の頃、大人がしているのを見て真似した子どもたちの間で一時的に流行ったことだ。
 始めた子どもたちは、行為自体よりもそれを見た大人たちが「可愛い」と反応するのを面白がっていたと思う。
 だから大人たちが慣れてあまり反応しなくなると、みんな次第にやらなくなった。

 だけど僕とリュラだけは、こっそりと続けていた。
 みんながやらなくなってからは、見つかるとからかわれるから2人だけのときにしていて、これは母さんの前でもやっていない別れ際の習慣になっていた。

 そうやってリュラの頬に触れたとき、ふと今日の光景が頭をよぎる。

「そうだ、リュラ」

 顔が近いから、そのまま僕はリュラの額にもキスをした。

「これね、婚約式でやるんだって」
「えっ…あ、うん……」

 リュラは額を押さえてしばらく固まったかと思うと、突然ベッドに突っ伏すように丸くなってしまった。

「え? ……あ、ごめん、嫌だった…?」

 頬と額くらいの違いを嫌がられるとは思ってなくて、先に聞かなかったことは自信過剰だったろうかと困惑する。
 だけどリュラは突っ伏したまま首を横に振って、少しだけ顔を上げて上目遣いに僕を見た。

「違うの、嫌じゃないし嬉しいんだけど…ちょっと恥ずかしい…」

 やっぱり無邪気に頬にキスをしあっていた頃とは変わってきたんだな、と思っていると、リュラはゆっくり顔を上げた。
 僕じゃなければ見えないだろうけど、今まで見たこともないほどに真っ赤になっている。

「えっと、これ、私もするの?」

 正式な手順は何も知らない。

「どうだろ、ちゃんと聞いたわけじゃないんだ」

 そうすると、リュラは赤い顔のまま僕に近づいて額にキスを返してきた。

「分からないなら、一応…」

 されてみて初めて、おやすみのキスとは違う意味のあるキスの照れくささに気づく。
 改めて誓い合ったような嬉しさと、なんだか胸が熱くなるような感覚で、多分僕も赤くなっている。

 母さんや聖者様の話からすれば、僕は今生を終えればかなり長い時間を転生もせずに天界で過ごすことになるんだろう。
 今この瞬間の記憶も持ったまま。

 リュラの言うとおり、来世で会えないのは寂しい。
 だけど今の記憶も手放しがたくて、母さんの天界での記憶を消さなかった神の気持ちがそこだけは分かる気がする。

 今しかない、この大事な時間と人生。
 精一杯リュラを大切にして、幸せにしたい。悔いのない人生を送って、いつか魂が離ればなれになってしまっても、その記憶を持って在り続けたい。



――この頃の僕は、自分がリュラを大切にさえしていれば、この願いはきっと叶うと信じて疑っていなかった。
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