ライトブルー

ジンギスカン

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7、Epilogue

Epilogue

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「改めて、私はあきちゃんが好きです結婚してください」
「え、それはできないって何回言えば分かってもらえるのかな?」
 椚田司と松山智成のトラブルが解決に向かい、一段落がついた後の保健室。
 なんの脈略もなく、涼香は白石にプロポーズをし、振られた。
「むしろこっちが疑問です、何回言えば伝わるんですかこの気持ち」
 涼香は自身の胸の前にハートの形を作り、ぴくぴくと動かす。
 白石ははぁと頭を抱えて椅子に腰かける。
「あのねぇ、涼香ちゃん、涼香ちゃんが椚田さんに渡したあの音声データ、あれ、ほんと危険だから、ちゃんと回収しておいてね?私掃除用具入れの中で冷や汗ものだったよ?涼香ちゃん、そんなに私の首を飛ばしたいの?」
「教師と生徒という関係が私たちの愛を妨げるのなら、喜んで飛ばします」
 どこか真剣な顔をする涼香を、顔を引きつらせながら白石は見る。
「あきちゃんは教師という肩書を盾にして私との間に線を引こうとしているチキン野郎です。あんな掃除用具入れの中に隠れてまで私を守ろうとするほど可愛い可愛い私のことが好きなんですよね?ならどうして素直に好きと言ってくれないんですか?私はいつでも受け入れますよ?」
 そう言って近寄って来る涼香を白石は手で制する。
「涼香ちゃんは大事な生徒!教師が生徒を守るのは当然でしょ!それ以上もそれ以下もないって、これも何回言ったら分かるのかなぁ」
「あきちゃんはそう言って何人もの女子生徒の悩みを解決しては本気にさせていますよね?モテない輩に悪戯に慈愛を振りまき、回りまわって破滅に至らせるという変態って悪名高いですよ」
「いや、男子生徒の悩みもちゃんと聞くよ、今日みたいに、てか誰が変態だよ、モテない輩って、涼香ちゃんはモテるでしょ」
「私がこれほどまでに可愛くなったのは、あきちゃんに恋するようになってからです。そういう点では私は数あるうちの被害者の一人なのかもしれませんが、生憎、あきちゃんを想う気持ちは誰にも負けないつもりです」
「私のことを想うのなら真っ当な相手を好きになってくれないかな」
「却下です」
 はぁと白石が何度目かのため息を吐く。
「最近由紀乃ちゃんが妙に疑ってくるんだよ、早瀬さんとは本当に何もないのか?って」
「良い兆候ですね、そのまま疑心暗鬼を拗らせて別れてくれれば言うことありません」
「涼香ちゃん、いい加減私のことは諦めてくれないかな?これ以上涼香ちゃんが傷つく姿を見たくないんだよ」
「生徒に夢を諦めろだなんて!それでも教師ですか⁉酷いです」
「夢って、涼香ちゃんの夢はマスコミ関係でしょ?」
「それは第二の夢へとなり下がりました。第一の夢はあきちゃんのお嫁さんです。そのためならどんな手でも使います。」
「——涼香ちゃん?由紀乃ちゃんに、何か変な音声データを渡してないよね?」
「え?な、えぇ~なんのことでしょうかね~」
 身の危険を察知した涼香は荷物をまとめだす。
「それではあきちゃん、私そろそろ帰りますね!」
「え⁉噓でしょ涼香ちゃん⁉ちょっと待って!」
 そう言う白石の言葉を背中に受け、涼香は保健室を飛び出した。

 下駄箱で靴を履き替えて、涼香は溜息を一つ吐いた。
 ズキズキと痛む胸に手を当てて、下駄箱を見つめる。
 再度溜息を洩らした後、涼香は顔を横に振ってから、視線を上げる。
 玄関を出ると、空が夕焼けに染まっていることに気付く。
 少し冷えた空気を肺に送り込んで、歩き出す。
 2メートルほど先に視線を向けて歩いていると、正門に一人の男子生徒が立っていることに気付く。
「おや、椚田先輩、どうしたんですか?可愛い可愛い私を出待ちしていたんですか?」
 椚田は少し躊躇ってから、そうだと答えた。
 涼香は少し苦い笑顔を浮かべた。
「あはは、冗談ですよ、あれですよね?私が書く、記事についてですよね?」
 椚田は、何も答えない。
「もちろん書きますよ。松山先輩のちっぽけな名誉を回復させてあげなければなりませんし、その方が先輩もすっきりしていいでしょう?安心してください、実名を出すつもりはありませんし、先輩が犯人だと結びつくような書き方もしません、マスゴミは情報を捻じ曲げるのが得意なんです」
 えっへんと、涼香は鼻を鳴らす。
「どうしたんです先輩?不服ですか?まさかまた強引に私を黙らせようだなんて考えてますか?」
 涼香はファイティングポーズをとる。その様子を見て、椚田が少し口を綻ばせる。
「ありがとう、早瀬さん、最初から、そうするつもりで、僕に近づいて来たの?」
「そうですよ、穏便に済ませる予定だったんです。今回は先輩にも同情の余地がありましたからね。私だって鬼じゃないんです。ですが先輩があまりにも自身の非を認めず、あろうことか東雲先生の弱みを握ったというものですから、これは少々懲らしめる必要があると思いましたので、あのような演出をしました。まさか般若心経にしてやられるとは思いもしませんでしたが、先輩?東雲先生との会話データ、ちゃんと消去してくださいね?それが実名を伏せる条件です」
 涼香は胸の前で腕を組む。
「もう消したよ」
「ふぇ?」
「あの会話データは、東雲先生の弱みであったけれど、僕の弱みでもあったからね、弱みを握ったと伝えるだけで牽制にはなるから、それで十分だった」
「そ、そうなんですね、意外と情報の悪用方法を心得ていて油断ならないですね、先輩」
 椚田はその言葉をどう受け取ったのか、苦い笑顔を浮かべる。
「それでは、用件はおしまいですか?」
「待って!まだ、あるんだ」颯爽と帰ろうとする涼香を、椚田が呼び止める。
「なんでしょう?」
 椚田はしばし視線を泳がせていたが、不意に涼香の手を取って、言った。
「好きだ」と。
 涼香はぽかんと口を開けた。
「え?本気ですか?」
「うん、本気だよ」
 椚田は震えながらも真剣な眼差しを涼香に向ける。
「それは、私の性格を知って、言ってます?」
「早瀬さんの性格は正直、今でもよく分からない。いろんな仮面を被るから、どれが本当の早瀬さんなのか、自信がない。でもどんな早瀬さんも好きだ。僕のハッピースクールライフに、早瀬さんは欠かせない」
 涼香は熱心な椚田の視線を受け止める。
 涼香も真剣な色を、その瞳に宿す。
「先輩、私はあきちゃん、白石先生が好きです。」
 椚田の目が大きく見開く。
「結婚したいレベルで好きです。超好きです。今の先輩への好感度を5としましょう、あきちゃんに対する好感度は5億を超えます」
 涼香の手を握る椚田の手が汗で湿る。
「だから——」
 涼香は続く言葉を吐こうとした。
 しかし、その言葉は音になることがなかった。
 涼香は自分の口から、その言葉を告げることができなかった。
 胸の痛みが、その言葉を発することを許そうとしなかった。
 涼香は一度言葉を呑み込み、代わりとなる言葉を発する。
「それでも私と一緒にいたいと言うのなら、情報を私に提供する駒として、雇ってあげなくもありません」
 椚田もしばらく言葉に詰まっていたが、涼香の言葉を聞いて、涼香の手を握る手に力を込める。
「それでもいい!ただ一緒にいられるのなら、なんだっていい!」
 必死に涼香の手を握る椚田の手は汗ばんでいて、しかし涼香はそれを気持ち悪いとは思わなかった。その汗の意味を、涼香も知っていたから。
「それじゃ、今度の土曜日、先輩のおうちにお邪魔させてください。どこまでが私のせいかは分からないですが、先輩の部屋の床に穴が空くことになってしまいましたから、ご迷惑おかけしたことを謝罪させてください」
 椚田はその顔に笑顔を浮かべ、「うん、よろしく」と答えた。
 そんな椚田の笑顔を見て涼香も「今度はちゃんと守ってくださいね」と笑った。
                                                              
                                  完
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