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記憶のない少年
母と妹2
しおりを挟む午後七時。
母さんが帰宅したのでリビングへ。
亜希はソファーでスマホを弄っていた。
僕は亜希の横に立ち頭を下げた。
「さっきはごめん亜希」
亜希は僕を無視してスマホを弄り続けていた。
これは日を改めて謝ろうと思う。
母さんがいるキッチンを見る。
髪ゴムでセミロングの襟足をまとめ、白いセーター、ジーパンといういたってシンプルな服装で夕食の用意をしていた。
母さんは亜希をそっくりそのまま大人にしたような女性である。
体型は若い亜希に比べれば少し膨よかで、胸と尻は重力には逆らえなくなってきたが、抜群のプロポーションを維持していた。
決して身贔屓で思っている訳ではない。
二度目の入学式に参列した母さんがそれを証明した。
同年代の女性から羨望と嫉妬を受けたり、生徒たちは「誰の親」だと色めき立ったり、ある男性教師が一目惚れしたと噂で聞いた。
衰え知らずの母さんの妖艶さは、息子の僕から見ても異質である。
けれど僕の知る母さんとの記憶は入学式と見聞きした僅かな思い出のみ。
家族としての関係は希薄である。
だから亜希と同様に、母さんと僕は母子の関係ではなく、一人の女性として意識してしまう。
無いとは分かっていても、母さんから迫られたら断れるかどうか自信がない。
そんな情ない自分に嫌悪してしまう。
辛うじて理性を保っていられるのは、血縁関係という事実のみである。
健康な男子が魅力的な女性に囲まれた生活は不健全と言えた。
なにかの間違いが起こる前に早く記憶を取り戻したい。
そういった切迫した問題があった。
だから今夜は勇気を振り絞って過去を訊ねてみる。
不意に母さんと目と目があった。
母さんは優しく微笑み話しかけてきた。
「もう少し待っててね。今日もスーパーの惣菜になっちゃったけど、至恩の好きなハンバーグだからそれで許してね」
「母さんいつもありがとう。気を遣わなくても僕らは平気だから。母さんが僕らの学費を稼ぐ為に必死に働いている事を本当に感謝している。母さんの方こそ無理しないで欲しい」
「心配してくれてありがとう。でも私は平気だし、二人のため頑張るのは母親として当たり前よ。何より亡くなった夫の英二さんが近くで見守っているような気がするから頑張れるの。それにしても記憶を失くす前の至恩と今の至恩とはまるで別人ね。前は気遣いができるような子じゃなかったのに。死んだお父さんに似てきたのかしら。優しい子に成長してくれて母さん嬉しいわ」
「僕はできるだけ早く記憶を取り戻して母さんと亜希の負担を減らしたいと思っている。だから記憶を取り戻す為に母さんと亜希に協力して欲しい事があるんだ」
「あら、至恩からのお願い事なんて珍しいわね。ぜひ協力させて貰うわ。亜希も手伝ってくれるわよね」
亜希は返事をしなかった。
母さんは首を横に振り、小さな溜め息を吐いてから「続きを」と僕を促した。
「実は今日、神山恵さんに会ったんだ。彼女は僕の元カノと言っていた。今までどうして彼女の存在を――」
「ダンッ」
亜希は目の前のテーブルを力任せに叩いてから立ち上がって僕を睨んだ。
「お父さんの命と兄さんの記憶を奪った女の名前を聞きたくない。あの女は人殺しなの。あの嵐の日、泊まらずに家へ帰るなんて言わなければ父さんはまだ生きていた。もう人殺しとは二度と会わないで」
「落ち着いて話を聞いてくれ亜希。記憶を取り戻す為には亜希や母さん、それに神山先輩の協力が必要なんだ」
「黙れ、お前は亜希の兄さんじゃない。偽物のくせに兄さんのふりをするな」
「止しなさい亜希、それは言わない約束よ」
「何で兄さんがこんな事に……お前なんて嫌いだ」
亜希は怒ってリビングを飛び出して行った。
亜希が怒る理由がさっぱり分からない。
「もう隠しきれないわね。夕食の後に全てを話すわ。できた夕食は亜希の部屋へ持って行かなきゃね……」
「それは僕が」
「今は亜希をそっとしておいて欲しいの」
「分かったよ母さん」
「聞き分けの良い素直な子でよろしい。ソファーに座って待ってて。夕食はもうすぐよ」
「うん」
僕はドスンとソファーに腰掛け、背凭れに身を預けてから天井を見上げた。
このリビングの上は亜希の部屋がある辺り。
部屋に閉じ籠ってしまった亜希へ「ごめん」と呟いた。
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