九人目のシンデレラ

たいしょう

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第2部「九人では勝ち続けられない」

第15話 損切りされた才能たち・後編

 獅子堂ルカは、打席に入る前に投手の利き腕を見た。

 右。

 それだけで、目の色が変わる。

 晴臣はその変わり方を見逃さなかった。

 怖さが消えるのではない。

 迷いが消える。

 ルカはバットを一度だけ回した。

 大きい。

 フェアリーズの誰よりも、構えが大きい。

 ひまりが三塁の近くで目を輝かせた。

「あの子、打ちそう」

「右投手ならね」

 りおが言う。

「左だと?」

「たぶん、ざぁこ」

「ざぁこって言うな」

 あやめが短く突っ込んだ。

 りおは肩をすくめる。

「事実確認」

 ルカは聞こえているはずだった。

 けれど、振り返らない。

 右投手だけを見る。

 初球。

 外角。

 ルカは動かない。

 ボール。

 二球目。

 真ん中より少し内。

 バットが出た。

 音が違った。

 ひまりの打球音は、土を跳ね上げるような明るい音がする。

 ルカの音は、もっと低い。

 芯で捕まえた球が、外野の頭を越えていく。

 すずが思わず追いかけようとして、途中で止まった。

 練習だ。

 追わなくていい。

 でも足が動いた。

 それは少しだけ良いことだった。

「すご」

 ひまりが言った。

 声に嫉妬がない。

 大きな音が好きな子の、素直な反応だった。

 こまりはベンチの端でバットを持っていた。

 自分のバットとは、全然違うものに見える。

 同じ木や金属でできているはずなのに、ルカが持つと遠くへ飛ばすための道具になる。

 自分が持つと、地面に転がすための道具になる。

 どちらが大事か。

 聞く前から、答えが怖かった。

 晴臣は左投げの大人に合図した。

 春菜が紹介してくれた近所のソフトボール経験者だった。

 左からゆるい球を投げてもらう。

 ルカの肩が、少し硬くなった。

 初球。

 空振り。

 二球目。

 ファウル。

 三球目。

 タイミングが合わず、バットが止まる。

 見逃し。

 ルカは口を結んだ。

 さっきの打球を見たあとだから、差がよく分かる。

 右投手には強い。

 左投手には脆い。

 隠せないほど、はっきりしていた。

「主軸としては不安定」

 玲華がフェンス際で小さく言った。

 言ったあと、自分で少し顔をしかめた。

 また評価の言葉が出た。

 ルカは打席から出た。

 晴臣の前に立つ。

「私、左は打てません」

「見れば分かる」

「右だけです」

「見れば分かる」

「それだと、相手に左を出されたら終わりです」

「終わりじゃない。お前を出さなければいい」

 ルカが眉を寄せた。

 意味が分からない、という顔だった。

 主軸にされてきた子ほど、出ない選択を知らない。

 出ないことが、戦術になる場合がある。

 それを教えられたことがない。

「全部打てなくていい」

 晴臣は言った。

「お前が打つべき一球だけ打て」

 ルカはバットのグリップを握り直した。

「それで、いいんですか」

「それだけでいい」

 こまりはその言葉を聞いていた。

 それだけでいい。

 自分にも言われた言葉だ。

 バントだけでいい。

 でも、ルカの「それだけ」は、遠くへ飛ばす一球だった。

 自分の「それだけ」は、誰にも見えないくらい小さく転がす一球だった。

 こまりは自分のバットを見た。

 軽い。

 少し頼りない。

 でも、試合を決めたバットだった。

 そう思おうとして、まだ少し揺れた。

 次に、三枝つぐみが呼ばれた。

 つぐみはすぐに返事をした。

 冴ほど鋭くはない。

 まりあほど静かでもない。

 ルカほど大きくもない。

 どこにでもいるような、という言葉が一番近い。

 けれど、どこに置いても、それなりに動いた。

 セカンド。

 普通に捕る。

 普通に投げる。

 ライト。

 落下点へ普通に入る。

 ショート。

 あやめほどではないが、無理なく捌く。

 ファースト。

 ふうかほど止める覚悟はないが、基本通り捕る。

 センター。

 すずほど足は速くないが、打球判断は悪くない。

「器用だね」

 みのりが言った。

 褒めたつもりだった。

 つぐみは少しだけ笑った。

 その笑いが、すぐに消えた。

「器用、なんです」

 言葉が少し重かった。

「でも、どこも一番じゃない」

 あやめが腕を組む。

「まあ、そうだね」

「あやめちゃん」

 みのりが小さく言う。

 あやめは悪びれない。

「事実でしょ。ショートなら私の方が上手い。一塁ならふうかの方が止める。外野ならすずの方が速い」

「全部言うじゃん」

 りおが笑った。

 つぐみは怒らなかった。

 怒れないのかもしれない。

「はい」

 小さく頷いた。

「私は、どこでもできるけど、どこにも必要とされない」

 グラウンドの空気が少し止まった。

 こまりが顔を上げる。

 その言葉は、形が少し違うだけで、自分の昔の言葉に似ていた。

 私なんか。

 どこにも必要とされない。

 どちらも、自分を先に小さくしておくための言葉だった。

 晴臣はつぐみの前に立った。

「違う」

 つぐみが顔を上げる。

「お前がいるから、みんなを試合に出せる」

「みんなを?」

「全員出場義務がある。代打を出す。投手を替える。守備位置を動かす。誰かをベンチに下げたら、再登板できない。誰かを残すには、誰かが穴を埋める必要がある」

 つぐみは聞いている。

 分かっているようで、まだ分かり切っていない顔。

「一番じゃなくていい。空いた場所に入れる選手がいないと、戦術は組めない」

 晴臣は短く言った。

「お前は接着剤だ」

 つぐみは瞬きをした。

「接着剤」

「そうだ」

「それ、褒めてますか」

「必要だと言ってる」

 つぐみは少しだけ視線を落とした。

 靴のつま先で土を押す。

 それから、小さく頷いた。

「必要、ですか」

「必要だ」

 あやめはその会話を横で聞いていた。

 どこでもC。

 強豪なら便利な控えで終わる。

 でも、フェアリーズでは違うのかもしれない。

 認めたくはない。

 ただ、頭の中で一つの守備変更が浮かぶ。

 投手が降りる。

 外野に回る。

 代打が入る。

 その穴を、誰が埋める。

 あやめは舌打ちしそうになって、やめた。

 必要なのが分かってしまうのは、少し腹が立つ。

 練習の最後、四人はフェアリーズの九人と並んだ。

 十三人。

 多い。

 九人しかいなかった時には感じなかった距離が生まれる。

 こはねは冴を見ている。

 こまりはルカを見ている。

 あやめはつぐみを見ている。

 りおはまりあを面白そうに見ている。

 ななせは全員を見て、何か言いかけて、まだ言わない。

 晴臣はその沈黙を壊さなかった。

 居場所がぶつかる。

 ぶつかる前に、綺麗な言葉でまとめるつもりはなかった。

 春菜がそっと近づく。

「ユニフォーム、どうする?」

「まだ早い」

「でも、練習には来るんでしょ」

「来るならな」

 四人に聞こえる声だった。

 来るかどうかは、自分で決めろ。

 そういう声だった。

 冴はこはねを見たあと、視線を落とした。

 まりあは左手を握ったり開いたりしている。

 ルカは右投手の打球が飛んだ先を見ている。

 つぐみは、誰もいない守備位置を順番に見ている。

「来ます」

 最初に言ったのは、つぐみだった。

 驚いたのは本人かもしれない。

 次にまりあが頷く。

「一人でいいなら」

 ルカがバットケースを肩に掛ける。

「右投手がいるなら」

 冴は少し遅れた。

 マウンドを見る。

 こはねの場所。

 自分が失った場所。

 まだ欲しい場所。

「私も」

 声は硬かった。

「投げたいです」

 晴臣は頷いた。

「分かった」

 それだけだった。

 歓迎の言葉はない。

 熱い握手もない。

 それでよかった。

 フェアリーズの九人も、最初から歓迎されたわけではなかった。

 ただ、グラウンドに来た。

 来て、何かを見つけた。

 これから四人も、同じことをする。

 練習が終わり、片づけが始まる。

 こまりはボールを拾いながら、ルカの打球が飛んだ方をもう一度見た。

 あんな打球は打てない。

 自分の一打と、全然違う。

「こまり」

 晴臣が呼んだ。

「はい」

「明日もバントだ」

「……はい」

「ルカはルカの打球を打つ。お前はお前の打球を転がせ」

 こまりは目を丸くした。

 何も言っていないのに、見抜かれていた。

「どっちが大事ですか」

 思わず聞いてしまった。

 晴臣は少しだけ面倒そうな顔をした。

「どっちも大事だ」

「どっちも」

「なければ試合にならない」

 こまりはバットを抱え直した。

 まだ全部は信じられない。

 でも、あの日の一塁ベースの感触は、足の裏に残っている。

 小さな一打で試合は終わった。

 大きな一打で試合が動く日もある。

 どちらも、同じグラウンドに置いていいのかもしれない。

 こまりは小さく頷いた。

 遠くで、ルカが右投手の素振りをしている。

 その隣で、ひまりがまねをして大きく振った。

 ルカが少しだけ笑った。

 まだチームではない。

 十三人が同じ場所にいるだけだ。

 けれど、野球の音は少し増えた。

 増えた音が、うるさくなるのか。

 それとも、試合になるのか。

 晴臣はスコアブックを閉じずに、しばらく見ていた。

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