「地味で役立たず」と言われたので村を出たら、隣国で神扱いされました ──ヒトとして愛を掴みます──

タマ マコト

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第10話「故郷からの願い」

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 医務室の扉が内側へ吸い込まれ、担ぎ込まれた若者は寝台の上で荒く息を吐いた。
 ロウエン村の古い刺繍が胸元でよれている。指先は冷え、唇は灰を塗ったみたいに色がない。

「水、少し。——脈は細いが出てる」

 メルダが手早く判断し、温い水を口角へ落とす。
 リセルは額に触れ、視線の高さを合わせた。

「ここにいるよ。落ち着いて。三で吸って、六で吐く」

「す……すみ……ません……リセル、さん……」

「いいから、息」

 数呼吸ののち、若者の焦点が戻り、途切れ途切れに言葉がほどける。

「村が……“灰の眠り”に……最初は一人……今は、十人以上……領主のユリウス、さまも……朝、起きなくて……」

 灰の眠り。
 その響きに、部屋の空気がひとつ冷えた。レオンが壁際で身じろぎする。イグナートは眉をほんの少しだけ寄せ、メルダは記録の紙を引き寄せた。

「症状は——呼吸浅く、刺激に反応薄い。熱は?」

「ない……冷たい……時々、うなされる声……でも起きない……」

 王子アウルの眠りと同じ配列だ、とリセルは直感する。肉体ではなく、心の深部で手綱を失くした眠り。
 若者は身を起こそうとして、痛みに顔を歪めた。長旅の疲労と恐怖が骨に染みついている。

「よく来たね。怖かったでしょう」

「俺は……追い出した……側の人間です……それでも……来るしか、なかった……」

 声が震える。言葉に混じる灰の粒は、後悔の色をしていた。
 リセルは否定しない。肯定もしない。ただ、短く頷く。

「行きます」

 イグナートが目を瞬いた。「早いな」

「遅いと、眠りは根を張る。——それに、あの夜の私も、ここに座っています。否定はしません。だから、行きます」

 言い切ると、胸の奥の椅子がかすかに音を立てて定位置へ収まった。
 レオンが一歩前に出る。

「護衛に就く。正式に申請する」

「許可しよう」

 イグナートの返事は速い。だが次の語尾は冷えていた。「ただし条件がある」

「条件?」

「儀礼隊を同行させる。旗と記章、護送の馬車、関係村との連絡役。——君の動きは“神殿の保護下”にあると示す。さらに、毎日二度の報告義務。時刻と内容は書面で提出。勝手な接触や“公開の治療”は禁ずる」

「公開の、治療?」

「人が集まる場所で見世物にするな、ということだ」

 イグナートの視線の端に、金糸の影が揺れた。貴族派の嗅覚は早い。“灰の眠り”の物語が政治の武器にされる前に、線を引きたいのだ。

 メルダが乾いた咳払いをひとつ。「医の条件もある。——総量の制限。接触は一日三件まで。間に休息を必ず挟む。仲介者を増やす。村の者に“手順”を教える時間を設けること」

「承知」

 リセルは迷いなく返事をし、若者に向き直った。

「あなたの名前、教えて」

「ラーク……ラーク・エルン」

「ラーク、案内をお願い。走らない。歩く。呼吸は一緒に数える」

 ラークが頷き、力の抜けた笑顔を見せた。
 イグナートは黒衣の裾を整え、低く続ける。

「——最後に。王都の政情は今、脆い。“奇跡”が思惑に使われるのを避けるためにも、君は線を越えるな」

「その線は、“誰を護る線”ですか」

 リセルの問いに、イグナートは一瞬だけ言葉を止め、やがて短く答えた。

「——皆、だ」

 その“皆”の中に、彼自身と神殿と、遠い村の子どもたちが同列でいるかは、今は問わない。
 リセルは礼をし、部屋を辞した。背にレオンの足音、前にメルダの手短な段取りが並ぶ。



 出立の支度は速かった。
 儀礼隊の旗は最小限、馬車は覆い布を地味な色に替える。神殿の紋は控えめに隅へ。動線を邪魔しない荷の組み方をレオンが指示し、メルダが薬箱の中身を詰め直す。

「呼吸を合わせる札、二十枚。教室の手順、十部。安定波の図、五部。——現地で増やす」

「甘いものは?」

「蜂蜜菓子、少量。糖は武器」

「合図は?」

「鈴。——これは君のだ」

 メルダが小さな鈴を差し出した。母の形見とよく似た、でも音の高さが少し違う鈴。
 リセルは受け取り、掌で一度だけ鳴らす。澄んだ音が布の中で丸くなり、心の真ん中に収まった。

「ありがとう」

「条件をもう一度繰り返す。“遠見”優先。接触は限定。——君が倒れたら、全てが止まる」

「倒れない」

「倒れそうになったら?」

「——止まる」

「よし」

 メルダは満足げに頷き、「戻ったら、屋台のスープ」と小さく付け加えた。
 レオンが笑う。「二杯だな」

「三杯でもいい」

「太る」

「生きる」

 三人の短い会話が緊張の糸を少し緩め、馬の鼻息が白く揺れた。
 儀礼隊の隊長が前へ出る。

「出立は刻限通り。道中の分岐は三つ。最短は沼地を抜けるが、滑る。——安全策で丘道を行く」

「丘道」

 レオンが地図を覗き込み、頷く。「夜明け前に村に入れる」

「頼む」

 イグナートが最後に現れた。黒衣は夕光を吸って重く、目は相変わらず石の色だ。

「これは命令だ、リセル=フィーネ。
 感謝を乞うな。赦しを与えるな。——救え。救ったら、戻れ」

 彼なりの祈りの言い方だった。
 リセルは真っ直ぐに頷き、手綱を握る。馬車が軋み、石畳が車輪の下で低く唸る。



 城門を出ると、空気の匂いが変わる。
 王都の甘い焦げは薄まり、草と土と水の匂いが肺へ入る。雲は低く、風は北。
 丘道は雪解けの泥でぬかるんでいたが、レオンが先導し、儀礼隊が隊列を整え、揺れは最小に抑えられた。

「息、続いてる?」

 御者台の横に腰かけたリセルが問い、ラークはこくりと頷く。

「数えてます……リセルさんの声で、道がまっすぐなる」

「曲がっても、戻れるよ」

「……はい」

 丘を越えるたびに、ロウエンの影が大きくなる。
 リセルは視界の端で旗の影を確かめ、胸の内の灯に手をかざした。
 王子の眠り。灰の眠り。似た旋律。鍵は、きっと同じ三つ——声、触覚、記憶。
 ただ、今回は村全体だ。個ではなく群れ。灯は輪にならなければ保てない。

「仲介者を増やす。——ミレがいたらな」

 ぽつりと言うと、レオンが横目で笑った。

「似た子はどこにでもいる。君が椅子を置けば、座る」

「座り方を教える」

「手順書は十分か」

「足りなければ、土に書く」

「雨なら」

「声で書く」

 短い問答が、進軍の鼓動に乗る。
 やがて、茜の端が空の縁に滲み、林の向こうに小さな灯が見え始めた。ロウエンの灯。
 その灯を見た瞬間、胸の奥で何かが動く。懐かしさと痛みが同時に伸びをし、骨の中で背比べをする。

「怖い?」

 レオンの声は、問うだけで答えを急がない。

「怖い。——でも、迷いはない」

 言葉にしてみると、体の重さが均等になった。
 リセルは胸元のノートを取り出す。表紙の角は少し丸くなり、紙には蜂蜜の染みが薄く残っている。

「書く」

「今?」

「今」

 揺れる馬上で、ペンは意外なほど素直に走った。
 ランタンの灯が文字の上で揺れ、夜のはじまりが紙の端に滲む。

〈きょうの心の温度:広場の熱は遠く、丘の風で冷える。怖さはいる。椅子は四脚。隣にはレオン。後ろにはメルダの声。前にはロウエンの灯。
 ——恐れはある、でも迷いはない〉

 書き終えて顔を上げると、村の外れの畑が闇に沈み、見慣れた圧搾機小屋の輪郭が夜の線で描き直されていた。
 馬車は速度を落とし、儀礼隊が左右に散って警戒の位置へ。
 リセルはノートを胸に戻し、深く息を吸った。

 灯は、持ってきた。
 あとは、置く場所を探すだけだ。
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