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第3話 消えた聖遺物と、誰も聞かない声
しおりを挟む事件は、雷みたいに鳴り響いて始まるんじゃなかった。
息をするみたいに、当たり前の顔をして、すっと日常に混じってきた。
朝。
アドミラがカーテンを開けた瞬間、光が差し込む。
「お嬢様。本日は宮廷の儀式準備がございます。宝物庫の確認も——」
彼女の言葉が途中で途切れた。
珍しい。アドミラはいつも、文の最後まできっちり運ぶ。
「……どうしたの?」
私はベッドの端に座ったまま聞いた。
アドミラの目が、ほんの少しだけ揺れていた。
「王宮から使いが来ています。至急——お嬢様にお越しいただきたいと」
至急。
その二文字が、胸の奥に冷たい水を流し込んだ。
嫌な予感って、当たる時だけ鋭い。
*
王宮に到着すると、回廊の空気が昨日より重かった。
いつもなら香木の匂いが漂っているのに、今日は石の冷たさが勝っている。
使用人たちが目を合わせない。
目を合わせないくせに、視線だけは刺さってくる。
――あ、これ。
前世の職場で、誰かがやらかした時の空気だ。
会議室に呼ばれる前の廊下。
噂は先に回って、本人は何も知らないまま、周囲の視線で状況を察する。
そして、入った瞬間に決まっている。
“結論”が。
謁見の間より小さな会議室。
でも、その狭さが逆に息苦しい。
窓は高い位置にあって、外は見えない。
扉が閉まる音が、やけに大きい。
「リュミエール」
セドリックが立ち上がった。
顔はいつも通り整っている。
いつも通り優しげな眉。
でも、その優しさが、今日は薄い膜みたいに見えた。
「来てくれてありがとう。……驚いたよね」
「……何が、ですか?」
声が震えないように気をつけた。
気をつけても、喉の奥が冷える。
セドリックは私に近づき、肩に手を置いた。
熱。
人の体温。
でもその体温が、守るためじゃなく、“落ち着け”と押さえつけるためのものに感じた。
「宝物庫から、聖遺物が消えた」
その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が一段冷える。
聖遺物。
儀式用の宝。
国家の象徴。
消えた。
そんなものが。
「……消えた?」
私は聞き返した。
信じられないというより、信じたくない。
セドリックは頷いた。
「明日の大祭に必要なものだ。もし見つからなければ——国は恥をかく」
“国は”
その主語が、すでに個人の感情より大きい。
国の恥。
王太子の責任。
つまり——彼の立場。
私は唾を飲み込んだ。
「……それで、私に何の用ですか?」
会議卓の向こう側に座っている貴族たちが、視線を揃えた。
揃える、という行為そのものが、罪の宣告みたいだった。
年配の宰相が、紙束を取り出す。
羊皮紙。
インクの匂い。
「宝物庫の出入り記録だ」
紙が机に置かれる音。
硬い音。
「昨夜、宝物庫を開けた責任者の名簿に——君の署名がある」
……え?
私は一瞬、音が聞こえなくなった。
耳の奥がぼわっとする。
「私の……署名?」
宰相が紙をこちらに向ける。
そこには、確かに名前が書かれている。
リュミエール・アヴェニス。
筆跡が綺麗すぎて、むしろ腹が立った。
私が書いた文字より、上品で整っている。
「……違う」
言葉が漏れた。
漏れた瞬間、全員の表情がほんの少しだけ変わる。
“予想通りの反応”という顔。
「私は……書いてない。昨夜、宝物庫なんて行ってない」
言い切る。
自分に言い聞かせるみたいに。
宰相は眉を動かし、ため息をついた。
「動揺しているのだろう。記憶違いもある」
記憶違い。
その言葉が、優しさの仮面を被った刃に見えた。
「違います。動揺してるかもしれない。でも、記憶違いじゃない」
私は声を強くした。
強くしないと、消される気がしたから。
隣でアドミラが息を呑むのがわかった。
でも止まれない。止まったら、終わる。
セドリックが私の肩を軽く叩く。
「リュミエール、落ち着いて。君のことを責めたいわけじゃないんだ」
責めたいわけじゃない。
でも、責める方向に話が進んでいる。
前世で何度も聞いた。
「責めたいわけじゃないんだけどさ」って前置きのあとに、結局責められるやつ。
「じゃあ、私の話を聞いてください」
私はセドリックの目を見た。
「昨夜は、部屋にいました。アドミラも知ってる。
宝物庫に行く理由がない。行ったとしても、誰かが見てるはず」
セドリックは微笑んだ。
優しい微笑み。
でも、その目が少しだけ遠い。
「君がそう言うなら、もちろん信じたい。
ただ、状況が——」
状況が。
その言葉が、すべてを飲み込む。
私の言葉より、状況が強い。
つまり、私の言葉はもう弱い。
私は胸の奥で嫌な汗が滲むのを感じた。
胃がきゅっと縮む。
あの感覚。
前世の会議室で、私の提案が最初から“ないもの”として扱われた時の感覚。
「でもさ」「それってさ」
そうやって、私の言葉だけが、机の下に落とされていく。
「署名がある以上、調査は必要だ」
宰相が淡々と言った。
「調査なら、すればいい。でも——」
私は言いかけた。
言いかけたところで、扉が開いた。
ひんやりした空気が入る。
そして、香水の甘い匂い。
「あ……皆様、こちらでよろしかったでしょうか」
入ってきたのは、エステラ・ノクティスだった。
紫のドレス。
黒髪。
そして、濡れたような瞳。
涙を浮かべている。
まるで今にもこぼれ落ちそうな、完璧な涙。
その涙が、私の背中を冷たく撫でた。
温度がない。
冷たい水滴みたい。
「エステラ?」
セドリックが彼女を見て眉を上げる。
「どうした。君はここに——」
「……すみません。黙っていようと思ったんです。
でも、国の大祭が……聖遺物が……」
エステラは唇を噛み、涙をこらえるように見せた。
見せた、という感覚が拭えない。
宰相が低い声で言う。
「何か知っているのか」
エステラは私を見た。
その視線は哀れみのようで、勝利のようで、甘い。
「……私、見てしまったの」
ほら、来た。
私は心の中で呟いた。
来ると思ってた。
嫌な予感は当たる時だけ鋭い。
「昨夜、宝物庫の近くで……リュミエール様を」
その瞬間、室内の全員の視線が私に刺さった。
さっきまでの“疑い”が、一気に“確信”に変わる。
早い。
早すぎる。
人は、答えが欲しい時、簡単に確信する。
「嘘」
私は短く言った。
エステラは首を振る。
涙が一粒、頬を伝う。
完璧なタイミングで。
「嘘じゃないわ……。暗くて、顔がはっきり見えなかったけど……でも、ドレスの刺繍が。
アヴェニス家特有の……金糸の——」
息が詰まる。
ドレス?
昨夜、私は——
「昨夜私は部屋にいた。ドレスなんて着てない」
「でも……見たの。ほんとうに」
彼女の声は震えている。
震えているのに、芯がある。
人を信じさせる震え方。
セドリックが私を見る。
その視線が、さっきよりも冷たい。
“王太子としての正しさ”が、彼の頬骨を硬くしていく。
優しい顔が、少しずつ政治の顔に変わる。
「リュミエール。……君は昨夜、外に出ていないと断言できる?」
断言。
その言葉が、私の喉を締めた。
前世でも、こういう質問をされた。
「本当にそれやってないって言い切れる?」
言い切った瞬間、次はこう来る。
「じゃあ証明して」
やってないことを証明するのは、やったことを証明するより難しい。
卑怯なゲーム。
「断言できる。私は——」
私は言いかけた。
言いかけた瞬間、宰相が被せる。
「ならば、証言が必要だ。侍女が一晩中、君の部屋にいたのか?」
視線がアドミラに向く。
アドミラが息を呑む。
私は振り返った。
アドミラの顔は青い。
彼女が何を言えばいいのか、何を言えるのか、わかっている顔。
侍女は侍女だ。
主人を守るべき存在。
でも同時に、王宮の秩序の中の歯車。
歯車が、歯車として正しい動きをしなかったら、歯車ごと潰される。
「……アドミラ?」
私の声が小さくなる。
こんな時に、彼女に頼っていいのか。
頼ったら、彼女も沈む。
アドミラは唇を強く結び、やっと言った。
「昨夜……お嬢様は、夜更けまでお部屋におられました。
ですが——わたくしが席を外した時間がございます」
席を外した。
その言葉で、私の足元が崩れた。
崩れる音がしたのに、誰も気づかない。
私だけが落ちていく。
「……どれくらい?」
宰相が淡々と聞く。
アドミラは目を伏せた。
「……ほんの短い時間でございます。
ですが、その間——お嬢様が外へ出られたかどうか、断言は……」
断言はできない。
つまり、疑いは残る。
残る、じゃない。
それで十分。
人は疑いを好む。疑いは物語になる。
私の胃がぎゅっと縮んだ。
吐き気がする。
でも吐けない。
セドリックが一歩近づいた。
私の肩から手を離し、代わりに距離を取る。
その距離が、宣告みたいだった。
「リュミエール……君を信じたい。
だからこそ、正しく調べなければならない」
正しく。
またその言葉だ。
正しさが、私を守るんじゃなく、私を切る。
「……私はやってない」
私は言った。
声が震える。
震えてしまう。
震えた瞬間、周囲が“動揺している証拠”として受け取るのがわかった。
エステラが、私に近づいた。
涙を拭うふりをして。
「リュミエール様……お願い。
もし、何か事情があるなら、今ここで言って。
私、あなたを助けたいの」
助けたい。
その言葉が、最悪に響いた。
助けたいという顔で、助けを奪う。
彼女の涙は冷たい。
なのに周囲には、温かく見えている。
私はふいに理解した。
ここから先、誰も私の言葉を取り上げない。
取り上げない理由を、みんなすでに持っている。
署名。証言。空白の時間。
そして“正しさ”。
私は前世の会議室にいた。
空調の音。
資料の紙の擦れる音。
「君のためだよ」という言葉。
「状況が悪いから」という言葉。
そして、私の発言だけが無かったことになる感覚。
胃が、きゅっと縮む。
心臓が早くなる。
呼吸が浅くなる。
……またこれ?
私は椅子の背に指をかけ、倒れないように支えた。
倒れたら終わる。
泣いても終わる。
叫んでも終わる。
私は、静かに言う。
「わかりました。調べてください」
宰相が頷く。
「よろしい。では——身柄は一時、王宮の監督下に置く」
監督下。
それは丁寧な言葉で包んだ拘束だ。
セドリックが目を閉じる。
一瞬だけ、彼が苦しそうに見えた。
でもすぐに目を開き、王太子の顔になる。
「君の名誉のためだ。……耐えて」
耐えて。
前世で何度も言われた。
耐えた結果、私は壊れた。
私は彼の目を見返した。
泣かない。笑わない。
ただ、息をする。
「……はい」
返事をした私の声は、驚くほど平坦だった。
心の中で何かが冷えて固まっていく。
エステラが、ほっとしたように微笑んだ。
その微笑みが、私の背中に冷たい刃を当てる。
この人は、私を助けたいんじゃない。
私を“正しく”したいんだ。
私を“正しい悪役”にしたいんだ。
その瞬間、私ははっきり思った。
――この世界の正しさは、私を殺す。
会議室の扉が開き、私は外へ連れ出される。
回廊の大理石が、コツ、コツ、と冷たい音を返す。
だけど、もうさっきまでとは違う。
足音の冷たさが、私の中の何かと同じ温度になっていく。
笑顔の癖も、優しさの仮面も、役に立たない。
代わりに、胸の奥で別のものが生まれる。
黒くて、静かで、でも折れないもの。
まだ名前はない。
怒りとも、決意とも言い切れない。
ただ——
もう二度と、
“誰も聞かない声”のまま、終わらせない。
私は、唇を噛んだ。
血の味がした。
その鉄の味が、なぜだか少しだけ生きている感じがした。
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