異世界に転生したら人生再スタート、追放された令嬢は恋と復讐で輝きます

タマ マコト

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第3話 消えた聖遺物と、誰も聞かない声

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 事件は、雷みたいに鳴り響いて始まるんじゃなかった。
 息をするみたいに、当たり前の顔をして、すっと日常に混じってきた。

 朝。
 アドミラがカーテンを開けた瞬間、光が差し込む。

「お嬢様。本日は宮廷の儀式準備がございます。宝物庫の確認も——」

 彼女の言葉が途中で途切れた。
 珍しい。アドミラはいつも、文の最後まできっちり運ぶ。

「……どうしたの?」

 私はベッドの端に座ったまま聞いた。
 アドミラの目が、ほんの少しだけ揺れていた。

「王宮から使いが来ています。至急——お嬢様にお越しいただきたいと」

 至急。
 その二文字が、胸の奥に冷たい水を流し込んだ。

 嫌な予感って、当たる時だけ鋭い。



 王宮に到着すると、回廊の空気が昨日より重かった。
 いつもなら香木の匂いが漂っているのに、今日は石の冷たさが勝っている。

 使用人たちが目を合わせない。
 目を合わせないくせに、視線だけは刺さってくる。

 ――あ、これ。
 前世の職場で、誰かがやらかした時の空気だ。

 会議室に呼ばれる前の廊下。
 噂は先に回って、本人は何も知らないまま、周囲の視線で状況を察する。
 そして、入った瞬間に決まっている。

 “結論”が。

 謁見の間より小さな会議室。
 でも、その狭さが逆に息苦しい。
 窓は高い位置にあって、外は見えない。

 扉が閉まる音が、やけに大きい。

「リュミエール」

 セドリックが立ち上がった。
 顔はいつも通り整っている。
 いつも通り優しげな眉。
 でも、その優しさが、今日は薄い膜みたいに見えた。

「来てくれてありがとう。……驚いたよね」

「……何が、ですか?」

 声が震えないように気をつけた。
 気をつけても、喉の奥が冷える。

 セドリックは私に近づき、肩に手を置いた。
 熱。
 人の体温。

 でもその体温が、守るためじゃなく、“落ち着け”と押さえつけるためのものに感じた。

「宝物庫から、聖遺物が消えた」

 その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が一段冷える。

 聖遺物。
 儀式用の宝。
 国家の象徴。

 消えた。
 そんなものが。

「……消えた?」

 私は聞き返した。
 信じられないというより、信じたくない。

 セドリックは頷いた。

「明日の大祭に必要なものだ。もし見つからなければ——国は恥をかく」

 “国は”
 その主語が、すでに個人の感情より大きい。
 国の恥。
 王太子の責任。
 つまり——彼の立場。

 私は唾を飲み込んだ。

「……それで、私に何の用ですか?」

 会議卓の向こう側に座っている貴族たちが、視線を揃えた。
 揃える、という行為そのものが、罪の宣告みたいだった。

 年配の宰相が、紙束を取り出す。
 羊皮紙。
 インクの匂い。

「宝物庫の出入り記録だ」

 紙が机に置かれる音。
 硬い音。

「昨夜、宝物庫を開けた責任者の名簿に——君の署名がある」

 ……え?

 私は一瞬、音が聞こえなくなった。
 耳の奥がぼわっとする。

「私の……署名?」

 宰相が紙をこちらに向ける。
 そこには、確かに名前が書かれている。

 リュミエール・アヴェニス。

 筆跡が綺麗すぎて、むしろ腹が立った。
 私が書いた文字より、上品で整っている。

「……違う」

 言葉が漏れた。
 漏れた瞬間、全員の表情がほんの少しだけ変わる。

 “予想通りの反応”という顔。

「私は……書いてない。昨夜、宝物庫なんて行ってない」

 言い切る。
 自分に言い聞かせるみたいに。

 宰相は眉を動かし、ため息をついた。

「動揺しているのだろう。記憶違いもある」

 記憶違い。

 その言葉が、優しさの仮面を被った刃に見えた。

「違います。動揺してるかもしれない。でも、記憶違いじゃない」

 私は声を強くした。
 強くしないと、消される気がしたから。

 隣でアドミラが息を呑むのがわかった。
 でも止まれない。止まったら、終わる。

 セドリックが私の肩を軽く叩く。

「リュミエール、落ち着いて。君のことを責めたいわけじゃないんだ」

 責めたいわけじゃない。
 でも、責める方向に話が進んでいる。

 前世で何度も聞いた。
 「責めたいわけじゃないんだけどさ」って前置きのあとに、結局責められるやつ。

「じゃあ、私の話を聞いてください」

 私はセドリックの目を見た。

「昨夜は、部屋にいました。アドミラも知ってる。
 宝物庫に行く理由がない。行ったとしても、誰かが見てるはず」

 セドリックは微笑んだ。
 優しい微笑み。
 でも、その目が少しだけ遠い。

「君がそう言うなら、もちろん信じたい。
 ただ、状況が——」

 状況が。
 その言葉が、すべてを飲み込む。

 私の言葉より、状況が強い。
 つまり、私の言葉はもう弱い。

 私は胸の奥で嫌な汗が滲むのを感じた。
 胃がきゅっと縮む。
 あの感覚。
 前世の会議室で、私の提案が最初から“ないもの”として扱われた時の感覚。

 「でもさ」「それってさ」
 そうやって、私の言葉だけが、机の下に落とされていく。

「署名がある以上、調査は必要だ」

 宰相が淡々と言った。

「調査なら、すればいい。でも——」

 私は言いかけた。
 言いかけたところで、扉が開いた。

 ひんやりした空気が入る。
 そして、香水の甘い匂い。

「あ……皆様、こちらでよろしかったでしょうか」

 入ってきたのは、エステラ・ノクティスだった。

 紫のドレス。
 黒髪。
 そして、濡れたような瞳。

 涙を浮かべている。
 まるで今にもこぼれ落ちそうな、完璧な涙。

 その涙が、私の背中を冷たく撫でた。
 温度がない。
 冷たい水滴みたい。

「エステラ?」

 セドリックが彼女を見て眉を上げる。

「どうした。君はここに——」

「……すみません。黙っていようと思ったんです。
 でも、国の大祭が……聖遺物が……」

 エステラは唇を噛み、涙をこらえるように見せた。
 見せた、という感覚が拭えない。

 宰相が低い声で言う。

「何か知っているのか」

 エステラは私を見た。
 その視線は哀れみのようで、勝利のようで、甘い。

「……私、見てしまったの」

 ほら、来た。

 私は心の中で呟いた。
 来ると思ってた。
 嫌な予感は当たる時だけ鋭い。

「昨夜、宝物庫の近くで……リュミエール様を」

 その瞬間、室内の全員の視線が私に刺さった。
 さっきまでの“疑い”が、一気に“確信”に変わる。

 早い。
 早すぎる。
 人は、答えが欲しい時、簡単に確信する。

「嘘」

 私は短く言った。

 エステラは首を振る。
 涙が一粒、頬を伝う。
 完璧なタイミングで。

「嘘じゃないわ……。暗くて、顔がはっきり見えなかったけど……でも、ドレスの刺繍が。
 アヴェニス家特有の……金糸の——」

 息が詰まる。
 ドレス?
 昨夜、私は——

「昨夜私は部屋にいた。ドレスなんて着てない」

「でも……見たの。ほんとうに」

 彼女の声は震えている。
 震えているのに、芯がある。
 人を信じさせる震え方。

 セドリックが私を見る。
 その視線が、さっきよりも冷たい。

 “王太子としての正しさ”が、彼の頬骨を硬くしていく。
 優しい顔が、少しずつ政治の顔に変わる。

「リュミエール。……君は昨夜、外に出ていないと断言できる?」

 断言。
 その言葉が、私の喉を締めた。

 前世でも、こういう質問をされた。
 「本当にそれやってないって言い切れる?」
 言い切った瞬間、次はこう来る。
 「じゃあ証明して」

 やってないことを証明するのは、やったことを証明するより難しい。
 卑怯なゲーム。

「断言できる。私は——」

 私は言いかけた。
 言いかけた瞬間、宰相が被せる。

「ならば、証言が必要だ。侍女が一晩中、君の部屋にいたのか?」

 視線がアドミラに向く。
 アドミラが息を呑む。

 私は振り返った。
 アドミラの顔は青い。
 彼女が何を言えばいいのか、何を言えるのか、わかっている顔。

 侍女は侍女だ。
 主人を守るべき存在。
 でも同時に、王宮の秩序の中の歯車。

 歯車が、歯車として正しい動きをしなかったら、歯車ごと潰される。

「……アドミラ?」

 私の声が小さくなる。
 こんな時に、彼女に頼っていいのか。
 頼ったら、彼女も沈む。

 アドミラは唇を強く結び、やっと言った。

「昨夜……お嬢様は、夜更けまでお部屋におられました。
 ですが——わたくしが席を外した時間がございます」

 席を外した。

 その言葉で、私の足元が崩れた。
 崩れる音がしたのに、誰も気づかない。
 私だけが落ちていく。

「……どれくらい?」

 宰相が淡々と聞く。
 アドミラは目を伏せた。

「……ほんの短い時間でございます。
 ですが、その間——お嬢様が外へ出られたかどうか、断言は……」

 断言はできない。
 つまり、疑いは残る。

 残る、じゃない。
 それで十分。
 人は疑いを好む。疑いは物語になる。

 私の胃がぎゅっと縮んだ。
 吐き気がする。
 でも吐けない。

 セドリックが一歩近づいた。
 私の肩から手を離し、代わりに距離を取る。
 その距離が、宣告みたいだった。

「リュミエール……君を信じたい。
 だからこそ、正しく調べなければならない」

 正しく。
 またその言葉だ。

 正しさが、私を守るんじゃなく、私を切る。

「……私はやってない」

 私は言った。
 声が震える。
 震えてしまう。
 震えた瞬間、周囲が“動揺している証拠”として受け取るのがわかった。

 エステラが、私に近づいた。
 涙を拭うふりをして。

「リュミエール様……お願い。
 もし、何か事情があるなら、今ここで言って。
 私、あなたを助けたいの」

 助けたい。
 その言葉が、最悪に響いた。
 助けたいという顔で、助けを奪う。

 彼女の涙は冷たい。
 なのに周囲には、温かく見えている。

 私はふいに理解した。
 ここから先、誰も私の言葉を取り上げない。

 取り上げない理由を、みんなすでに持っている。
 署名。証言。空白の時間。
 そして“正しさ”。

 私は前世の会議室にいた。
 空調の音。
 資料の紙の擦れる音。
 「君のためだよ」という言葉。
 「状況が悪いから」という言葉。
 そして、私の発言だけが無かったことになる感覚。

 胃が、きゅっと縮む。
 心臓が早くなる。
 呼吸が浅くなる。

 ……またこれ?

 私は椅子の背に指をかけ、倒れないように支えた。
 倒れたら終わる。
 泣いても終わる。
 叫んでも終わる。

 私は、静かに言う。

「わかりました。調べてください」

 宰相が頷く。

「よろしい。では——身柄は一時、王宮の監督下に置く」

 監督下。
 それは丁寧な言葉で包んだ拘束だ。

 セドリックが目を閉じる。
 一瞬だけ、彼が苦しそうに見えた。
 でもすぐに目を開き、王太子の顔になる。

「君の名誉のためだ。……耐えて」

 耐えて。
 前世で何度も言われた。
 耐えた結果、私は壊れた。

 私は彼の目を見返した。
 泣かない。笑わない。
 ただ、息をする。

「……はい」

 返事をした私の声は、驚くほど平坦だった。
 心の中で何かが冷えて固まっていく。

 エステラが、ほっとしたように微笑んだ。
 その微笑みが、私の背中に冷たい刃を当てる。

 この人は、私を助けたいんじゃない。
 私を“正しく”したいんだ。
 私を“正しい悪役”にしたいんだ。

 その瞬間、私ははっきり思った。

 ――この世界の正しさは、私を殺す。

 会議室の扉が開き、私は外へ連れ出される。
 回廊の大理石が、コツ、コツ、と冷たい音を返す。

 だけど、もうさっきまでとは違う。

 足音の冷たさが、私の中の何かと同じ温度になっていく。
 笑顔の癖も、優しさの仮面も、役に立たない。

 代わりに、胸の奥で別のものが生まれる。

 黒くて、静かで、でも折れないもの。

 まだ名前はない。
 怒りとも、決意とも言い切れない。

 ただ——

 もう二度と、
 “誰も聞かない声”のまま、終わらせない。

 私は、唇を噛んだ。
 血の味がした。
 その鉄の味が、なぜだか少しだけ生きている感じがした。
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