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第15話 炎の演出と、戦わない決断
しおりを挟む火の匂いは、記憶に直結する。
薪の匂いとは違う。
生活の火じゃない。
奪う火の匂いだ。
その匂いが城に届いたのは、夕方だった。
風が冷えてきた頃、斥候が泥だらけで駆け込んできた。
「領主様! 南の倉庫が——!」
言い切る前に、息が切れて言葉が崩れる。
崩れる言葉が、現実の重さを伝える。
ヴァルクが立ち上がった。
椅子が床を擦る音が硬い。
「どれだ」
「第二倉庫です! 穀物と塩が——火が回って……!」
第二倉庫。
そこは、私たちが一番最初に整えた場所だった。
不正を潰して、数字を揃えて、ようやく“生活”に戻した場所。
そこが燃えている。
私は息を呑んだ。
胸の奥が凍る。
でも足は動いた。
「行く」
ヴァルクが私を見る。
「お前は——」
「行く」
私は言い切った。
この火は、私の現実を燃やしに来た火だ。
見ないふりはできない。
アドミラが外套を掴んで追いかける。
「お嬢様、せめて……!」
外套を羽織る。
石の廊下を走る。
心臓が暴れる。
でも、今はその暴れが生きてる証拠だ。
*
倉庫に着くと、空が赤かった。
炎が夜の縁を舐める。
黒煙が空へ伸びる。
風が吹くたび、火の舌が跳ね上がる。
人が叫ぶ。
桶の水が飛ぶ。
木が爆ぜる音が、乾いた骨みたいに鳴る。
「下がれ! 天井が落ちる!」
ヴァルクの声が、火の音を切り裂く。
彼は剣を抜いていない。
その代わり、指示が剣みたいに鋭い。
領兵たちが動く。
領民も動く。
誰も立ち尽くしていない。
この城の人間は、火に慣れている。
生活の火に。だからこそ、奪う火にも反応が早い。
私は少し離れた場所で立ち止まった。
火を見つめる。
燃えているのは木と藁と穀物だけじゃない。
私たちが積み上げた現実が燃えている。
胸が痛い。
でも、痛いだけじゃない。
——怒り。
「放火?」
私が呟くと、隣でオルフェオが答えた。
いつの間にか、彼も来ていた。
薄紫の瞳が、炎の動きを測っている。
「事故に見せる演出だ」
「演出……?」
「火は、事故にもなる。
だが、ここまで都合よく燃えるのは演出だ」
演出。
その言葉が、胃を冷やす。
王都の物語は、火まで使う。
ヴァルクが戻ってきた。
煤が頬についている。
目がいつもより冷たい。
「……火元は外だ。
見張りがいたはずの場所から出てる」
外から。
私は唇を噛んだ。
血の味がする。
鉄の味が、怒りを現実に固定する。
その時、別の斥候が駆け込んできた。
手には封蝋付きの紙。
紙が、雨に濡れている。
「領主様……! 王都から——!」
王都。
その単語で、私は背筋が反射で硬くなる。
ヴァルクが紙を奪うように受け取り、ざっと目を走らせた。
そして——表情が一段暗くなる。
「……来たか」
「何が書いてあるの?」
私が聞くと、ヴァルクは一瞬迷い、紙を私に渡した。
紙の上には、整った文字。
整った言葉。
整った正義。
そして、その中に、私の名前があった。
――リュミエール・アヴェニスが聖遺物を隠し持っている疑い。
――辺境倉庫火災は証拠隠滅の可能性。
――速やかな身柄拘束と捜索。
視界が一瞬、白くなった。
……は?
証拠隠滅?
私が?
聖遺物を?
その理屈の雑さが、逆に怖かった。
雑なのに、王都は飛びつく。
雑でも物語に合っていれば、正義になる。
私は紙を握り潰しそうになるのを堪えた。
「……捏造」
声が低くなる。
怒りが喉を焼く。
オルフェオが淡々と告げた。
「エステラだろう。
彼女は君が生きているだけで立場が揺らぐ。
だから最後の手を打つ」
最後の手。
火と、証拠の捏造。
確かに“最後”にふさわしい派手さだ。
私は息を吸おうとして、息が引っかかった。
胸が苦しい。
また、あの感覚。
誰も聞いてくれない会議室。
物語だけが先に決まっている空気。
オルフェオが観察する
「早すぎるな」
「調査が始まる前に、結論だけ届いてる」
ヴァルクが言った
「火災を見てから疑ったんじゃない」
「疑うために、火を使った」
リュミエールは理解した。
ああ、そうか。
これは“事件”じゃない。
“筋書き”だ。
そして、そこにさらに一撃が来る。
商人が、青い顔で駆け込んだ。
「殿下も……セドリック殿下も、この件を支持したと……!
『正義の執行』だと……!」
支持。
保身。
彼は流れに乗った。
流れに逆らえば、自分の正義が揺らぐから。
正義の王太子という物語が、彼自身の命綱だから。
胸の奥が、冷たく沈む。
でも、沈むだけじゃ終わらない。
怒りが、芯になる。
ヴァルクが低く言う。
「追討命令が準備されてる。
……戦になる」
戦。
その単語が、空気に鉄の匂いを混ぜる。
火の匂いに、鉄が重なる。
領兵たちがざわつく。
剣を握る音がする。
鎧の金具が鳴る。
辺境が、戦の匂いを帯びる。
私はその匂いに、喉がきゅっと縮むのを感じた。
剣を抜く戦いは、わかりやすい。
強い。
でも——
オルフェオが淡々と切り込んだ。
「ここで戦えば、君は象徴として“悪”になる」
私は視線をオルフェオに向けた。
薄紫の瞳は炎の光を映しているのに、冷静だ。
「勝っても負けても、彼らの物語に回収される」
回収。
その言葉が、胸に刺さる。
王都は何でも物語に回収する。
勝てば「悪が力で抵抗した」。
負ければ「正義が悪を討った」。
どちらでも、私は悪役で終わる。
私は唇を噛んだ。
血の味がまた濃くなる。
戦いたい。
守りたい。
燃えた倉庫の分だけ、私は怒りで剣を抜きたい。
でも——それは、相手が望む。
相手が望む舞台に乗った瞬間、私は負ける。
私は深く息を吸った。
肩が上がりそうで、押さえる。
呼吸を整える。
前世の自分が、頭の中で囁く。
——黙って耐えると、物語が固定される。
——言わなければ、ないことになる。
——反論しない人は、罪を認めた人になる。
黙って耐えるのは、もうやらない。
でも、剣を抜くのも違う。
私は決断した。
胸の中の黒い芽が、芯になって硬くなる。
「なら、戦わない」
ヴァルクの目がわずかに揺れる。
「……お前」
「戦って勝っても、彼らの物語に回収されるなら、勝ちじゃない」
私は言い切った。
怖い。
でも、怖さを抱えたまま言えるのが、今の私だ。
「真実だけを運ぶ」
その言葉は、剣じゃない。
でも剣より鋭いと私は知っている。
真実は、時間がかかる。
でも、最後に物語を腐らせるのは真実だ。
ヴァルクの顎が固くなる。
守りたい男の顔。
戦う準備をしてきた男の顔。
「追討が来る。
守らなければ、お前は——」
「守って」
私は短く言った。
命令じゃない。
お願いでもない。
役割を渡す言葉。
「でも、剣で守るんじゃなくて、時間を作って」
ヴァルクが眉をひそめる。
「時間?」
「証拠を作る。
証拠の連鎖を作る。
捏造を捏造として崩す連鎖」
私は指を折った。
前世の根回しが、今度は“耐えるため”じゃなく“叩き返すため”に動く。
「倉庫火災の目撃証言。
火元の痕跡。
見張りの交代記録。
誰が近づいたかの足跡。
そして——王都からの指示があったかどうか」
オルフェオが淡々と補足する。
「火は演出だ。
演出には裏方がいる。
裏方を辿れ」
「うん。辿る」
私は続ける。
「聖遺物の件も。
私が持っている“証拠”を捏造したなら、
捏造の材料がどこから来たかを掴む」
アドミラが震える声で言った。
「……お嬢様、それは……王都に喧嘩を売ることになります」
「喧嘩じゃない」
私は首を振る。
涙は出ない。
でも、目は熱い。
「これは、現実を置くこと。
王都が見たくない現実を、紙の上じゃなく——
繋がった事実として、叩きつけること」
叩きつける。
また言ってしまった。
でも今は、叩きつけたい。
火で燃やされた分だけ。
ヴァルクが低く言う。
「王都に届ける前に、潰される」
「潰されない形にする」
私は即答した。
前世の私は、潰された。
だから今度は、潰されない形で出す。
「証拠を一箇所に集めない。
写しを作って、別々の場所に置く。
商人に持たせる。
教会に預ける。
村長に預ける。
——一つ潰れても、全部は潰れない」
オルフェオが頷く。
「連鎖だ。
一点突破ではなく、連鎖。
王都は点に強いが、連鎖に弱い」
「だから、連鎖を作る」
私は言い切った。
黙って耐えると物語が固定される。
なら、耐える代わりに——動く。
静かに。確実に。
物語の外側で。
ヴァルクはしばらく黙っていた。
炎の音が、遠くでまだ鳴っている。
倉庫の火は完全には消えていない。
黒煙が空に伸びる。
その煙を見ながら、ヴァルクがようやく言った。
「……時間は作る」
短い。
でも、それは剣を抜くより重い決断だ。
「追討が来るなら、迎え撃つ準備をする。
——だが、殺さない」
殺さない。
その縛りは、戦う男には辛いはずだ。
なのに彼は受けた。
私の戦わない決断を、受けた。
私は息を吐いた。
胸の奥が少しだけほどける。
「ありがとう」
ヴァルクは答えない。
でも、その沈黙が肯定だとわかる。
私は振り返り、燃える倉庫を見た。
火の光が、夜を赤く染める。
その赤は、怒りの色。
でも、私は剣を抜かない。
私は羽ペンを抜く。
証拠を集めるために。
真実を運ぶために。
この戦いは、剣の戦争じゃない。
紙と現実の戦争だ。
そして私はもう、黙って耐えない。
物語が固定される前に、
真実の連鎖を作って、王都の喉元に叩きつける。
火の匂いの中で、私は決めた。
——戦わない。
——でも、負けない。
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