王宮から逃げた私、隣国で最強魔導士に一途に愛される

タマ マコト

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第20話「帰る場所と、歩き出す未来」

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 ゼフィールの「わがまま」を聞かせてほしい――
 そう言ったのは、交渉が終わって、王宮から塔へ戻る途中の廊下だった。

 高い窓から、夕方の光が差し込んでいる。
 石畳に伸びる影が、私たちの足元を細く長く切り分けていた。

「じゃあ――」

 ゼフィールは、髪をがしがし掻いてから、
 観念したみたいに息を吐いた。

 眠たげな灰色の瞳が、真正面から私に向く。

「リリア・エルネストに、“俺からのわがまま”を提出してもいい?」

「はい」

 胸の奥が、どくどくうるさいくらいに鳴る。

 膝も、ちゃんと震えている。

 でも、逃げたいとは思わなかった。

「俺さ」

 彼は、言葉をひとつひとつ選ぶみたいに、ゆっくり話し始めた。

「仕事で、王宮の術式いじったり、国境守ったり、
 継承者の研究に首突っ込んだり――いろいろやってるけどさ」

「はい」

「それ全部抜きにして――」

 ゼフィールは、一度目をぎゅっと閉じて、すぐに開いた。

「ひとりの男として、お前の隣にいたい」

 喉の奥が、きゅっと熱くなる。

「“ルミナリアの最強魔導士”とか、“古代継承者の保護者”とか、
 そういう肩書きじゃなくて」

 灰色の瞳が、まっすぐにぶつかってくる。

「ゼフィールって男と、リリアって女として。
 お互いの“帰る場所”になれたらいいなって、本気で思ってる」

 “帰る場所”。

 その単語が、胸の奥でくっきり形を取った。

「だから――」

 ゼフィールは、息を吸い込む。

「俺と、一緒に歩いてくれ。
 この国で。
 これから先、どこまで行けるか分かんない未来まで」

 それは、どこまでも不器用で、
 でも、どうしようもなくまっすぐな告白だった。

「……それって」

 自分の声なのに、少し遠くから聞こえる気がする。

「要約すると?」

「今それ要約いる?」

「一応」

「……俺の恋人になってください。以上」

 顔を赤くしながら、それでもちゃんと言い切ってくれた。

 胸の奥で、何かがポン、と音を立てて弾けたみたいだった。

 嬉しすぎて、泣きそうで、笑いそうで。
 王宮にいた頃の私が見たら、たぶん腰を抜かして倒れる。

(ああ、本当に)

 遠くまで来たんだな、と。

「はい」

 気づいたら、もう返事は口から出ていた。

「……今の、“はい”は、どの“はい”?」

「全部込みの“はい”です」

 息を整えながら、ゆっくり言葉を選ぶ。

「ゼフィールさんの恋人になりたいっていう“はい”と」

「お、おう」

「これから先の未来を、一緒に見たいっていう“はい”と」

 胸に手を当てた。

「“ここが、私の帰る場所だ”って、やっと言える“はい”です」

 ゼフィールの目が、少し潤んだように見えた。

「……反則級にデカい“はい”返ってきたな」

「不満ですか?」

「満足以外に選択肢ないだろ、それ」

 彼は、いつもの調子で笑おうとして、
 途中で少しだけ音を詰まらせた。

「じゃあ、これからよろしくな、リリア」

「はい。よろしくお願いします、ゼフィールさん」

 短い沈黙。

 風が、廊下を抜けていく。

 気づいたら、ゼフィールの手が、そっと私の頬に触れていた。

「……キス、していい?」

 耳まで熱くなる。

「今のタイミングでそれ聞きます?」

「聞かなかったら、それはそれで怒りそうだろ?」

「……それはそう」

「つまり、どうぞ?」

「……どうぞ」

 言った瞬間、自分の勇気を思いっきり殴りたい気持ちになった。

 でも、その次の瞬間。
 唇に触れたのは、あまりにも優しくて、
 そしてちゃんと“ゼフィール”だと分かる温度だった。

 そのキスは、短くて、
 でも、永遠みたいに長かった。

 ――私は、この人の隣に立つ未来を、
 自分で選んだ。

     ◇

 オズワルド・グレイが正式に失脚したのは、その数日後のことだった。

 グランツ王宮から届いた文書には、
 彼の宰相職解任と、
 古代継承者に関する記録改ざん・不正な工作活動に対する調査開始が記されていた。

 事実上の、“政治的な死刑宣告”だ。

 グランツ国内のことだから、そこから先がどうなるのかは分からない。
 けれど、少なくとも――

「“他国の内部勢力と結託して襲撃を仕掛けた宰相”を、
 このまま据え置くほど愚かじゃない、ってことですね」

 リリアンが、そう評した。

 ルミナリアとグランツのあいだには、
 新たな条約が結ばれた。

 ――“古代継承者に関する共同調査委員会”の設立。
 ――互いの領土を侵す侵略行為の禁止。
 ――継承者に対する一方的な引き渡し要求の禁止。
 ――魔力災害発生時の相互協力。

 紙の上に並んだ文言は、堅くて味気ない。

 けれどその一つ一つが、
 “あの交渉の場で選ばれた言葉たち”の延長線上にあると思うと、
 胸がじんわり温かくなる。

「そして、最後に――」

 条約文の読み上げのあと、
 グランツ側の代表が、少しだけ声色を柔らかくした。

「“リリア・エルネスト嬢に対する処遇”について」

 会議室の空気が、ふっと変わった。

 リリアは、端の席で静かにその言葉を聞いていた。

「我が国としては、
 今回の一連の騒動の責任を、彼女個人には問わない」

 代表は、はっきりと言った。

「“古代継承者”としての立場も、
 “元王太子婚約者”としての立場も、
 ここで正式に解任とする」

 胸の奥で、何かが静かにほどけていく感覚。

「加えて――」

 彼は、リリアのほうを見た。

「もし、希望するのであれば。
 リリア・エルネスト嬢を、グランツへ“市民として”迎え入れる用意がある」

 王族の婚約者でも、
 国の資源でもなく。

 ただの、“一人の人間”として。

「新しい戸籍と身分を用意し、
 王都以外の街で静かに暮らすことができるよう取り計らうことも可能だ」

 それは、国から差し出された“もうひとつの逃げ道”だった。

 あの日、エリアスが言っていた「匿名で遠くに逃がす」という案と、
 似ているようで、どこか違う。

「もちろん、選択は彼女自身に委ねる」

 代表は、静かに締めくくった。

 視線が、自然とリリアに集まる。

 エリアスは、何も言わない。
 ただ、彼女の横顔を見守っている。

 ゼフィールの手が、テーブルの下でいつものように握ってくれていた。
 それだけで、不思議と呼吸は乱れない。

(“帰る”かどうか)

 胸の中で、その言葉を何度か転がす。

 グランツ。
 あの宮廷。
 あのバルコニー。
 あのドレス。
 あの窒息しそうな空気。

(……違う)

 今の私にとっての“帰る場所”は、そこではない。

 その答えは、
 もう、この時点でほとんど決まっていた。

     ◇

 グランツ使節団が国を発つ前日。
 レオンハルトは、静かにリリアとの二人きりの場を求めてきた。

「話がしたい」

 その声は、どこか擦り減っていた。

 場所は、王宮の中庭――
 ルミナリアのものだが、
 少しだけグランツの庭園に似た雰囲気のある場所を、リリアンが選んだ。

 大きな噴水。
 白い石のベンチ。
 花壇に植えられた、色とりどりの花。

 けれど、空気の重さはあの日のバルコニーとは違っていた。
 ここには、あの“息の詰まる王宮”の匂いはない。

「……久しぶり」

 レオンハルトが、ぎこちなく笑った。

 リリアは、静かに頭を下げる。

「殿下」

「もう、そう呼ばなくてもいいんだろうけど」

「今だけの呼び方、ってことで」

 それ以上、言葉は続かなかった。

 風が、花壇の花びらを揺らす。
 水音が、妙に大きく聞こえる。

 沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。

「謝りたかった」

 短く、はっきりと。

 彼は、自分の手を握りしめる。

「君を守れなかった」

 その一言に、胸の奥が、少し痛んだ。

「君がどれだけ苦しんでいたかも、
 どれだけ窒息しそうだったかも」

 彼は、苦笑いを浮かべる。

「知ろうともしなかった」

 王太子としての仮面ではなく、
 ただの“レオンハルト”としての声だった。

「俺は、“国のため”って言葉の後ろに隠れて、
 君の気持ちから目を逸らし続けてた」

 リリアの頭の中に、いくつもの場面がフラッシュバックする。

 緊張で震える手を、“大丈夫だよ”と笑って受け取ってくれた日のこと。
 その笑顔の後ろに、“国のため”という計算が透けていたこと。
 封印の部屋で、“君のためだ”と説明されたとき、
 隣で、何も言わなかった彼の姿。

「あの時の俺は、本当に――」

 レオンハルトは、言葉を探すようにしてつぶやいた。

「どうしようもなく、弱かった」

 “王太子としては”正しかったのかもしれない。
 でも、“ひとりの男として”は、致命的なくらい。

「君が逃げた日、
 俺は“裏切られた”って思ったんだ」

 彼は、正直に言った。

「“国のために一緒に歩いてくれるはずだった婚約者が、
 責務から逃げた”って」

 胸が、少し締め付けられた。

「でも、この国に来て、
 君の話を聞いて――」

 レオンハルトは、リリアを見る。

「俺のほうが、先に君を裏切っていたんだって、
 やっと分かった」

 その瞳には、悔しさと、後悔と、
 少しの安堵が混ざっていた。

「だから、ちゃんと言わせてほしい」

 彼は、ゆっくりと頭を下げた。

「ごめん、リリア」

 王太子が、ひとりの元婚約者に頭を下げる。
 その光景は、グランツの王宮ではきっと有り得なかっただろう。

 リリアは、少しだけ空を仰いだ。

 あの頃の自分を思い出す。

 王宮に初めて来た日のこと。
 ぎこちなく笑うレオンハルトの隣で、
 “ここしかない”と信じ込んでいた自分。

 魔力が弱いと言われても。
 封印されても。
 息が苦しくても。

 全部、「でも、殿下がいるから」で誤魔化してきた。

 しがみつくしか、知らなかった。

「あの頃の私は」

 リリアは、静かに口を開いた。

「王宮にしがみつくしか知らなかったんです」

 レオンハルトが、顔を上げる。

「“ここから落ちたら終わりだ”って思ってました。
 “殿下の婚約者じゃなくなったら、私には何も残らない”って」

 あの頃の自分に、
 今ならそっと肩を抱いてあげたい。

「だから、殿下の“国のため”って言葉にも、
 “仕方ない”って無理やり納得しようとしてました」

 レオンハルトの喉が、ごくりと鳴る。

「……でも、今は違います」

 リリアは、目の前の彼を見た。

「ここじゃない場所で、息ができるって知りました」

 塔の空気。
 ルミナリアの街のざわめき。
 エリアスたちの言葉。
 ゼフィールの笑い声。

「王宮じゃなくても、
 “息をしていい場所”があるって」

 レオンハルトの表情に、複雑な色が浮かぶ。

 うらやましさ。
 安堵。
 少しの、取り返しのつかなさ。

「だから――」

 リリアは、静かに笑った。

「グランツに“帰る”選択肢をくれて、ありがとうございます。
 でも、私は――」

 胸に手を当てる。

「帰りません」

 風が、二人のあいだを抜けていく。

「私の帰る場所は、もう別のところにあります」

 ゼフィールの塔。
 ルミナリアの街。
 この国で、やっと見つけた“自分の場所”。

「殿下のことを、完全に許せたかって聞かれたら――
 正直、まだよく分かりません」

 自分に嘘はつきたくなかった。

「でも、殿下が“謝りたい”って言ってくれたことは、
 ちゃんと、嬉しいです」

 レオンハルトの目に、少し涙が滲む。

「殿下も、殿下のやり方で、
 これから新しく歩き出せるといいなって思います」

 それは、未練ではなく、
 心からの願いだった。

 レオンハルトは、しばらく何も言えなかった。

 やがて、彼は小さく笑う。

「……本当に、強くなったな、君は」

「まだ震えますけど」

「震えながらでも、前に進めるのは、
 本当に強い人だ」

 彼は、深く息を吐いた。

「分かった」

 レオンハルトは、姿勢を正す。

「グランツ王太子、レオンハルト・フォン・グランツは――
 リリア・エルネストの“帰らないという選択”を、尊重する」

 その宣言は、少し冗談めいて聞こえるように言われたのに、
 なぜか胸がじんわり熱くなった。

「どうか、幸せに」

「殿下も」

 私たちの関係は、
 ここで静かに幕を閉じる。

 王太子と婚約者としてではなく。
 ひとりの男と、ひとりの女として。

 それぞれの道を、歩き始めるために。

     ◇

 塔に戻ると、ゼフィールは椅子に座ったまま、
 書類に埋もれていた。

「起きてたんですね」

「おう。起きてるどころか働かされてる」

 机の上には、山積みの報告書。

 ルミナリアとグランツの新しい条約に基づく、
 魔力管理の協定案。

 古代継承者の活動範囲についての技術的な補足。

「“最強魔導士枠”、フル活用ですね」

「その単語、そろそろ公式に採用されない?」

「絶対されないと思います」

 くだらないやり取りをしながら、
 ゼフィールはちらりとこちらを見る。

「で――」

 彼は、ペンを机に置いた。

「グランツからの“帰還オファー”、どうするか決めた?」

「もう、お察しの通りです」

 リリアは、ゼフィールの正面に座った。

 ちゃんと、まっすぐ顔を見て言いたかった。

「グランツには帰りません」

 ゼフィールの表情に、安堵と、少しの不安がよぎる。

「……本当にいいのか?」

 彼は、真剣な声で訊いた。

「お前がそう決めた以上、俺がどうこう言う話じゃないけどさ」

 灰色の瞳が、揺れずにこちらを見る。

「もう、戻れないかもしれないぞ」

 その言葉に、胸の奥が、ふっと軽くなる。

 たぶん、前の私なら、
 その一文だけで足がすくんでいた。

 “戻れない”って、
 とても怖い言葉だったから。

 でも、今は――

「戻りたいと思わないから大丈夫です」

 自然と、笑いがこぼれた。

「“戻れない”って言われても、
 “じゃあこのまま進めばいいや”って、今の私は思えるから」

 ゼフィールは、一瞬きょとんとして、
 それからふっと笑った。

「……だいぶ遠くまで来たな、お前」

「連れてきたの、ゼフィールさんですよ?」

「いや、歩いたのはお前だ」

 彼は、照れくさそうに目を逸らした。

「じゃあ――」

 少しだけ間があって。

「これからも、面倒見させてもらうわ」

 不器用で、
 でも、ちゃんとした約束の言葉。

「魔力の制御も、
 古代継承者としての役割も、
 人としての“生活”も」

 ゼフィールは、少しだけ目を細める。

「全部まとめて、俺に面倒かけ続けていい」

 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 今度は、苦しくてじゃなくて。

 あまりにも嬉しくて。

「……じゃあ、遠慮なく」

 リリアは、笑いながら言った。

「これからも、面倒かけます」

 ゼフィールが、わざとらしく肩をすくめる。

「はあ。
 最強魔導士の仕事、増えたなあ」

「嫌ですか?」

「嫌じゃない」

 彼は、即答した。

「“お前に面倒かけられない未来”のほうが、
 たぶん嫌だ」

 その言葉に、目の奥が熱くなる。

 昔は、
 誰かに迷惑をかけることが怖くてたまらなかった。

 “婚約者なのに”“王太子妃になるのに”
 “役に立たない自分”が、何より怖かった。

 でも、今は――

(面倒をかけるのは、もう怖くない)

 胸の中で、静かに思う。

(だって、私はもう、“誰かの荷物”じゃなくて)

(“誰かと一緒に歩く相手”になっていいって、
 ちゃんと許されたから)

「ゼフィールさん」

「ん?」

「好きです」

「急に再確認入れてくるのやめてくれない?」

「大事なことなので、定期的に」

「……俺も」

 彼は、ぼそっと呟いた。

「大事なことだから、ちゃんと言っとく」

 灰色の瞳が、照れくさそうに揺れる。

「俺も、お前が好きだよ」

 それだけで、世界が少しだけ鮮やかになる。

     ◇

 その夜。
 ルミナリアの街は、いつもより静かにきらめいていた。

 塔の上から見下ろすと、
 石畳の道に沿って並ぶ魔力灯が、
 細い川みたいに流れている。

 屋台の灯り。
 店の看板に埋め込まれた魔光石。
 浮遊する小さなランタン。

 王宮で見下ろした庭園の光とは違う。

 あの頃の光は、
 誰かに“見せるためだけ”の、冷たい飾り物だった。

 今、目の前に広がっているのは――
 生きている人たちの、“暮らしの灯り”。

「やっぱり、ここからの景色が一番好きかも」

 高台の手すりに寄りかかりながら、
 リリアはぽつりと言った。

 ゼフィールが、その隣に立っている。

 いつものローブ。
 乱雑に束ねた黒髪。
 夜風に少し揺れる前髪。

「王宮のバルコニーと、どっちが?」

「こっち」

 即答だった。

「迷わないな」

「迷う必要がないので」

 夜風が、頬を撫でる。

 魔力の匂い。
 遠くから聞こえる人々の笑い声。
 屋台で焼かれている何かのいい匂い。

 全部混ざって、
 “ここにいる”って感覚を強くしてくれる。

「落ち着いた?」

 横から、ゼフィールの声。

「グランツと完全に手を切ったって実感、
 今くらいになって湧いてきたんじゃない?」

「……そうですね」

 リリアは、少しだけ目を閉じた。

 グランツ王宮の石の冷たさ。
 長い深紅の絨毯。
 窓の外の整いすぎた庭。

 それらが、
 “過去の景色”として胸の奥にしまわれていく。

「寂しい?」

「不思議と、あんまり」

 リリアは、素直に答えた。

「“帰っていいよ”って言われたら、
 前の私なら飛びついてたと思うけど」

 王太子妃の座。
 王宮での生活。
 “価値”と“役割”。

 全部、喉から手が出るほど欲しかった。

「今はもう、“私の居場所”はここだって思えるから」

 塔。
 街。
 エリアスたち。
 ゼフィール。

「だから、“戻れない”って言葉が、
 前みたいに呪いみたいに響かないんです」

 むしろ、“ここから進める”って合図みたいに感じる。

「……ほんと」

 ゼフィールは、夜景を見下ろしながら呟いた。

「最初に境界の森で拾ったとき、
 お前、今にも消えそうな顔してたのにな」

「覚えてるんですか」

「そりゃ覚えてる。
 “こんな場所で女二人きりって、正気?”って言ったの、俺だし」

「それは一生忘れません」

「良かったね、拾った側も一生忘れないから」

 くだらない会話。
 でも、そのどれもが愛おしい。

 ゼフィールが、そっと私の手を握った。

 指先が絡む。
 体温が繋がる。

 その感覚が、“ここが帰る場所だ”って、
 何度でも教えてくれる。

(私は、今)

 胸の中で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 王宮から逃げた。
 逃げることしかできなかった。
 息をするために、必死で走って。

 でも今は――

(やっと自分で選んだ場所に立っている)

 逃げ場としてじゃなく。
 隠れ家としてでもなく。

 “ここにいたい”と思って、
 自分の足で選んだ場所。

 隣には、
 “守りたいと思うのは俺の勝手だ”って言ってくれた人がいる。

 その人のことを、
 ちゃんと好きだって胸を張って言える自分がいる。

 魔力の光が、夜空の星と混ざり合う。

 王宮の冷たい灯りとは違って、
 ひとつひとつが、誰かの未来を照らしているみたいだ。

(私は、もう“逃げるだけ”の人じゃない)

 古代継承者として。
 ルミナリアの住人として。
 ひとりの女として。

 愛と、未来を、
 自分の意志で選んだ。

 物語は、ひとつの区切りを迎えたのかもしれない。

 でも――
 ここで終わりじゃない。

 この先も、きっと色々ある。

 新しい魔力災害。
 国と国の新しい摩擦。
 古代の記録の中から、まだ知らない真実が見つかるかもしれない。

 そのたびに、きっと迷って、傷ついて。
 それでも、また選んでいくんだろう。

 何度でも。

 逃げるためじゃなく。
 誰かの都合のためでもなく。

 自分の足で、未来を。

「ゼフィールさん」

「ん?」

「これからも、よろしくお願いします」

「こっちの台詞だろ、それ」

 彼は、少しだけ笑って、夜空を見上げた。

「ま、いいや。
 まとめて全部、引き受けてやるよ」

 その横顔を見ながら、
 私は、静かに息を吸い込んだ。

 冷たくて気持ちいい夜の空気が、
 肺の中いっぱいに広がっていく。

 あの日、王宮のバルコニーで願った「息をしたい」という願いは――
 今、ここで叶っている。

 逃げて、迷って、泣いて。
 それでも、ここまで来た。

 “王宮から逃げた私”は、
 もうただの逃亡者じゃない。

 自分の意志で、
 愛と未来を選ぶ“ひとりの人間”として――

 これから、何度でも物語を続けていく。
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