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第20話 真エンドは、自分で選ぶ
しおりを挟む春は、音がする。
冬の静けさが、雪みたいに溶けていく音。
凍っていた土がほどけ、芽が押し上がり、虫が目を覚まし、鳥の声が戻ってくる音。
辺境の春は派手じゃない。
でも“世界が再起動する”みたいな、小さな賑やかさがある。
リリア=エヴァンスは朝、窓を開けた。
冷たい。
でも冬の冷たさじゃない。
肺の奥に刺さる冷たさの中に、甘さが混じっている。
草の匂い。濡れた土の匂い。
そして、陽が伸びた匂い。
深呼吸すると、胸の奥が少し広がる。
「……春だ」
声に出すと、言葉が部屋の中で柔らかく弾んだ。
王城の白い回廊では、声は反響して硬くなった。
ここでは声が丸くなる。
丸い声は、生きてる声だ。
庭に目をやると、小さな花が咲いていた。
名前は知らない。
でも、名前を知らなくても“咲いてる”って分かる。
咲く、という事実があるだけで十分だ。
この半年で、私はそういうものの方が好きになった。
名前や肩書きやルート名より、触れられる事実。
台所では、エマが湯を沸かしていた。
湯気が立ち、ハーブの香りが漂う。
彼女は振り返らずに言った。
「今日、風が甘い」
「うん」
リリアは頷く。
「甘い」
その会話は、特別じゃない。
特別じゃないから、強い。
特別な言葉は劇的で、劇的な言葉はときどき人を縛る。
こういう“どうでもいい会話”ができる関係は、檻になりにくい。
玄関の外で足音がした。
まだ早い時間なのに、誰かが来る。
レオンが来たのかと思った。
最近は結界の補修を手伝いに、数日おきに顔を出す。
護衛任務の“ついで”と言いながら、彼のついでは大体ここに向かっている。
でも、今日の足音は違った。
軽い。慌ててる。
郵便屋の足音だ。
扉を開けると、若い配達人が小さな袋を差し出した。
封筒が数通。
その中に、王都の匂いが混ざっている。
「王都から?」
リリアが聞くと、配達人は肩をすくめた。
「さあ。印章がそれっぽいっすね」
辺境の若者は、権威を必要以上に恐れない。
恐れないというより、遠いから現実味がない。
封筒を受け取ると、指先に紙の冷たさが残った。
封蝋の匂いがした。
でも、王城の檻の匂いじゃない。
これは“離れた場所から届く現実”の匂いだ。
机に封筒を置き、手を洗う。
春の水はまだ冷たい。
焼けた手の皮膚が少しつっぱる。
でももう、痛みは痛みとして生活に溶けている。
封を切る前に、窓の外を一度見た。
花が揺れている。
揺れているのに折れない。
そういう揺れ方が、今の私の理想だ。
封筒を開ける。
中から出てきたのは、ミレイアの手紙だった。
彼女の文字は、前より少しだけ強くなっている。
まっすぐで、でも柔らかい線。
中心の少女が、自分の足で立つ練習をしている線。
――リリアさん。
――あなたがいない王都は、静かに割れたままです。
――でも、割れたことを“なかったこと”にできなくなりました。
――私、改革派として立つことにしました。怖いです。
――怖いのに笑って誤魔化すのは、もうやめます。
そこで一度、手紙を読む手が止まった。
ミレイアの言葉が、遠い場所から私の胸を叩く。
怖いのに笑う癖を、やめる。
それは、彼女が彼女の真エンドを選び始めた証だ。
続きを読む。
――殿下(セイル)は、王太子として妥協と戦いを繰り返しています。
――守りたいものが多すぎて、時々、顔がとても疲れています。
――でも、あなたを檻に入れようとしたあの日から、少し変わりました。
――“欲しい”じゃなく、“守りたい”の形を学ぼうとしている気がします。
――まだ不器用だけど。
リリアは、ふっと息を吐いた。
あの言葉――「君が欲しい」は、今でも苦い。
でも苦いからこそ、変化が分かる。
人は苦さを知って、やっと甘さを選べるようになる。
次の封筒。
ユリウスからだ。
彼の字は相変わらず無駄がない。
字の角が鋭い。
その鋭さは、彼の誠実さでもある。
――聖具の再設計案を公にした。
――“欠損は意図的に作られた”という前提で、構造を根本から変更する。
――反発は強い。だが、君が神殿でやったことを見た以上、黙ってはいられない。
――……君の方が正しいことが多いのが腹立つ。
――だが、その腹立ちを、今は仕事に変える。
最後の一文で、思わず口元が緩んだ。
ユリウスはきっと、笑わせようとして書いてない。
だから余計に可笑しい。
不器用な人間が不器用なまま、戦っている。
そして、薄い封筒が一通。
封蝋がない。
代わりに小さな黒い印。
エリオットだ。
彼の手紙は、いつも短い。
――王都の裏はまだ湿ってる。
――改革派と保守派、割れた。
――割れた亀裂は、君が最初に入れたやつ。
――俺は表に出ない。出ると全部台無しになる。
――君は戻るな。戻れば“役”にされる。
――ここからは“生活”で勝て。
紙を閉じると、エリオットの声が耳の奥で鳴った気がした。
軽くて、冷たくて、でも確かにこちら側にいる声。
世界はゆっくり変わっていく。
ミレイアが改革派として立つ。
セイルは王太子として妥協と戦いを繰り返す。
ユリウスは聖具の再設計を公にする。
エリオットは表に出ないまま支える。
そしてそれらは全部、私が壊した“前提”の上で起きている。
私はそのことに、少しだけ怖さを感じた。
自分が入れた亀裂が、波になっている。
波は美しいけど、ときどき人を溺れさせる。
でも――戻らない。
戻ればまた、英雄になる。
危険物になる。
正義の象徴にされて、檻に入れられる。
私はもう、物語の道具にならない。
リリアは手紙を閉じ、机に置いた。
そして、窓を開けたまま、外の風をもう一度吸う。
冷たくて、甘い。
「……みんな、戦ってるんだね」
エマが湯を注ぎながら言った。
声は穏やかだ。
穏やかだから、現実が入る。
「うん」
リリアは頷く。
「戦ってる。……でも私は、ここで生きる」
エマは小さく微笑んだ。
その笑みは、王都の作り笑いじゃない。
土の匂いがする笑み。
昼はいつも通りに働いた。
結界の補修。
井戸の浄化。
畑の魔力調整。
小さな困りごとは、世界の腐敗よりずっと素直で、ずっと解決しやすい。
解決できることを積み上げるのは、心の修理でもある。
夕方、レオンが顔を出した。
木箱を抱えている。
食料の差し入れ。
でも本人は相変わらず言い訳をする。
「護衛任務のついでだ」
「そのついで、便利すぎ」
リリアが言うと、レオンが咳払いして視線を逸らした。
「……今日はどうだった」
「普通」
「普通が、いいのか」
「普通が、すごいんだよ」
リリアは笑った。
「普通って、私にとってはずっと贅沢だったから」
レオンは黙って頷いた。
頷きが、もう“守る”じゃない。
“見届ける”の頷きに近い。
夜。
ランプの灯りの下で、リリアは手帳を開いた。
今日のページはもう半分埋まっている。
仕事の記録。
薬草の配合。
誰がどこで困っていたか。
生活のログ。
最後に一行、書く。
『今日も、ちゃんと生きた』
書き終えると、胸の奥が静かに温まった。
大きな勝利はない。
拍手もない。
でも、ちゃんと生きた。
それが一番強い。
リリアは自分に言う。
心の中で、でも声にしてもいいくらい確かな言葉。
「今日も、ちゃんと生きた」
誰かに選ばれなくてもいい。
誰かを選ばなくてもいい。
選ぶなら、恐怖じゃなくて、自分の意志で。
窓の外には星がある。
冬の濃さとは違う、春の透明な星。
スタッフロールは流れない。
画面も暗転しない。
私の物語は、観客のために終わるものじゃない。
真エンドは、終わりじゃなく続きだ。
リリアは立ち上がり、窓辺に行った。
夜風が髪を揺らす。
遠くで犬が吠え、どこかで誰かが笑う。
生活の音が、世界を繋いでいる。
ふと、自分の口元が緩むのを感じた。
笑うつもりはなかったのに。
でも笑ってしまう。
ほんの少し、照れくさそうに。
「私の物語、ここからが本編じゃん」
言った瞬間、胸がくすぐったくなる。
照れくさい。
でも、こういう照れくささは嫌いじゃない。
エマが後ろで小さく笑った。
「やっと言った」
「うるさい」
リリアは肩をすくめる。
でも声は柔らかい。
星が瞬く。
花が眠る。
明日の仕事が、静かに待っている。
そして私は、明日も窓を開ける。
冷たくて甘い空気を吸って、今日を生きる。
真エンドは、自分で選ぶ。
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