乙女ゲームに転生したら不遇ヒロインでしたが、真エンドは自分で選びます

タマ マコト

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第19話 雪の白は、檻じゃなく毛布の色だった

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冬の辺境は、音が少ない。

風が止まると、世界が息を潜める。
木の枝に積もった雪が、重さに耐えきれず落ちるときだけ、ぱさり、と小さな音がする。
その音さえ、やさしい。

王都の白は眩しくて、嘘を隠す白だった。
でもここで降る雪の白は、ただ冷たくて、ただ静かで、ただ人を包む白だった。
檻じゃない。毛布の色。

リリア=エヴァンスは薪をくべ、鍋の火を弱めた。
湯気が立ち上り、乾いた室内に湿り気が混ざる。
ハーブの匂い。土の匂い。
この家の匂いは、もう“私の生活”の匂いになっていた。

「リリアさん! 来て!」

戸を叩く音。
雪の日の足音は鈍いのに、声だけが焦っている。
エマが先に扉へ向かい、外套を掴んで戻ってきた。

「子ども。熱」
短い言葉。短いほど急ぎだと分かる。

リリアは頷き、包帯の痕が残る手を握り込んだ。
冬は痛みが戻る。
焼けた手の皮膚が薄いところが、冷気でつっぱる。
でもその痛みは、今の私にとって“生きてる痛み”だ。

外へ出ると、雪が静かに降っていた。
降る音がしないほど細かい雪。
顔に触れると、すぐ溶けて冷たい水になる。

村の小さな家へ入ると、室内の空気が熱かった。
火が強く焚かれている。
でも暖かいというより、焦りで暑い。
母親が、毛布にくるまった子どもを抱いていた。

子どもの頬は赤く、唇は乾いている。
呼吸が浅く、胸が小刻みに上下している。
熱が上がりすぎて、体が頑張りすぎている呼吸。

「お願いです……!」
母親が泣きそうな声で言う。
「朝からずっと……熱が下がらなくて……」

リリアは膝をつき、子どもの額に手の甲を当てた。
熱い。
熱が皮膚を突き破ってくる。
体の内側が燃えているみたいだ。

「水は飲めた?」
「少し……でもすぐ吐いて……」
母親の声が震える。

リリアは頷き、エマに目で合図する。
エマはすぐに水と布を用意し、鍋の湯を分けてもらう。
言葉が少ない。
でも動きに迷いがない。
この半年で、エマは“誰かに仕える人”から、“誰かと生きる人”に変わった。

リリアは鞄から乾いた薬草を取り出した。
辺境で集めた、苦い葉。
熱を散らす根。
咳を鎮める花。
図書塔の知識が、ここで生活になる。

「煎じる。少しずつ飲ませる」
リリアが言うと、母親が必死に頷いた。

次に、簡易治癒魔法。
強い癒しは逆効果になる。
ユリウスの声が脳裏をよぎる。
“安易な治癒は壊死を広げる”
あの冷たい言葉は、今も私の命綱だ。

リリアは子どもの胸に指先を当て、魔力を細く流した。
細く、細く。
熱を押さえつけるんじゃない。
呼吸を整える。
循環を落ち着かせる。
体の頑張りすぎを、手で支える。

「大丈夫。大丈夫」
リリアは小さく繰り返す。
子どもに言っているようで、自分にも言っている。

魔力が指先から流れるたび、焼けた皮膚が少し痛んだ。
でも、その痛みは優しい。
誰かのために使う痛みは、前の人生で欲しかったものだった。

しばらくすると、子どもの呼吸がゆっくりになった。
肩の上下が落ち着く。
頬の赤が少し引く。
汗が引き、額が湿ってくる。
熱が下がり始めたサイン。

母親が息を吸い込み、声を押し殺すみたいに泣いた。

「……よかった……」
泣きながら、何度も何度も子どもの髪を撫でる。
撫でる手が震えている。
怖かったのだ。
この小さな命が冷えてしまうのが、怖かったのだ。

リリアは薬草茶を少し口に含ませ、布で汗を拭いた。
子どもはうっすら目を開け、かすれた声で言った。

「……おねえ、ちゃん……?」
「うん。起きてえらい」
リリアは微笑む。
この微笑みは作り笑いじゃない。
生活の微笑みだ。

母親が、その場で膝をついた。
土間に手をつき、頭を下げる。
雪で濡れた髪から雫が落ちる。

「ありがとうございます……あなたがいてくれて」

その言葉が、胸に刺さった。

前の人生で欲しくて、手に入らなかった種類の温かさ。
会社のチャットの「助かります!」は、私を便利にする言葉だった。
でも今の「いてくれて」は、私の存在そのものに向けられている。

便利だから、じゃない。
役に立つから、だけでもない。
ただ、存在していてよかった、という言葉。

喉の奥が熱くなる。
でも涙は出ない。
泣くより先に、胸の奥がじんわり温まる。

「……大げさ」
リリアは照れ隠しみたいに言い、母親の肩に手を置いた。
「頭下げなくていい。雪、冷たいでしょ」

母親が顔を上げ、涙でぐしゃぐしゃのまま笑った。
笑いながら泣いている。
その表情は、王城の誰よりも人間だった。

家へ戻る途中、雪が強くなった。
空が白い。
道が白い。
でも白は怖くない。
白が冷たいだけの世界なら、人は火を灯せる。

玄関を開けると、エマが先に薪を足し、湯を沸かしていた。
湯気が立ち上り、部屋がふっと生き返る。

「手、冷えた」
エマが言う。
その言葉は心配じゃなく、事実の共有だ。

「うん。冷えた」
リリアは頷き、湯に手をかざした。
焼けた皮膚が、温かさで少しゆるむ。
痛みが和らぐ。

そのとき、外から馬の蹄の音がした。
雪を踏む音。
リズムが一定で、重い。

窓から覗くと、数人の騎士が街道に立っていた。
外套に雪が積もっている。
その中に、見覚えのある背がある。

レオン=グレイヴ。

鎧は簡略化され、長旅仕様の外套。
でも立ち方は変わらない。
真っ直ぐで、不器用で、正義の形をしている。

リリアが扉を開けると、冷気が一気に流れ込む。
レオンの吐息が白く、睫毛に雪がついている。

「……来た」
リリアが言うと、レオンは軽く咳払いした。

「護衛任務のついでだ」
言い訳みたいに。
でも目は真剣だ。
言い訳と本音が同居している目。

「ついでにしては、真っ直ぐ来すぎ」
リリアが言うと、レオンの耳が少し赤くなる。

「……会いたかった」
言いかけて、飲み込む。
彼は“言うべきこと”を言うのが得意なはずなのに、こういう時だけ不器用だ。

エマが察して、黙って隣の部屋へ引っ込んだ。
音も立てない。
気配だけが消える。
それがエマの優しさの形だ。

レオンは室内に入り、火の前で外套の雪を払った。
その仕草が、妙に現実的で、少し可笑しい。
王城で見る騎士候補はいつも“絵”だった。
ここではただの“濡れた人”だ。

レオンがゆっくり言った。

「……君は、ここで幸せか」

幸せ。
その単語が、雪より柔らかく落ちた。

リリアは窓の外を見る。
雪が静かに降り、遠くの森が白く霞んでいる。
王都の光が嘘みたいに遠い。
ここでは、派手な音も、眩しい称賛もない。
代わりに、生活がある。

リリアは答えた。

「幸せって、派手じゃない」

レオンが黙って聞く。
その黙りは、急かさない黙りだ。
待てる黙り。
それが彼の良さだ。

リリアは続けた。

「今日を無事に終えられること」
「嫌なことにNOって言えること」
「眠る前に、自分を責めないこと」

言い終えると、胸が少しだけ楽になった。
言葉にすると、幸せが形になる。
形になれば、奪われにくい。

レオンは静かに頷いた。
頷きが雪みたいに柔らかい。
怒りを噛み殺していた王城の頃とは違う顔。

「……そうか」
彼は息を吐き、火を見つめた。
「俺は、君が追放された日からずっと、腹が立ってた」

「うん」
「間違ってるって」
「うん」
リリアは短く返す。
そのうんは、彼の怒りを否定しないうんだ。

レオンは拳を握り、ほどいて、また握った。
迷いが手に出ている。

「俺は……君の隣にいていいか」

その言葉は、告白よりもずっと慎重だった。
欲しい、と言わない。
守る、とも言わない。
ただ、隣にいていいか、と聞く。
それは所有じゃなく、許可を求める言葉だ。

リリアは首を傾げ、笑った。
この笑いは、少しだけ悪戯っぽい。

「“攻略対象”としてならいらない」

レオンの息が、一瞬止まる。
止まったのが分かる。
氷点下の空気が、彼の喉で詰まったみたいに。

リリアは続ける。

「“人”としてなら、考える」

レオンの目が大きくなる。
次の瞬間、視線を逸らす。
耳が赤い。
正義の騎士候補が、恋の入口でだけ弱くなるのが可笑しい。

「考えるって……」
「考える」
リリアは繰り返す。
「私はもう、選ばれる側じゃない。選ぶ側。だから、簡単には言わない」

レオンは唇を噛み、やっと頷いた。

「……分かった」
その頷きは、受け入れる頷き。
焦って奪わない頷き。
それができるなら、彼は“攻略対象”じゃなく“人”になれる。

窓の外で雪が降り続ける。
白い世界は冷たい。
でも家の中は火がある。
火のそばで、人は話せる。

レオンが小さく言った。

「俺は、すぐには帰らない。任務で数日、このあたりにいる」
言い訳みたいに。
でも、目は本音だ。

リリアは頷いた。

「じゃあ、その間は働いて」
「働く?」
「結界の修理。見張り小屋の補修。体力がいる」
「……それは任務にない」
「任務にないなら、私の仕事として雇う」
リリアは淡々と言う。
「給料は温かいスープ」

レオンが一瞬呆けて、次に笑った。
笑うと、彼の顔がやっと年相応になる。
王城の鎧が少し剥がれる。

「……了解」
そして少し真面目に言う。
「君の仕事なら、手伝う」

雪の日の夜は長い。
でも長さは怖くない。
長いから、火を大事にできる。
火を大事にすることが、幸せに似ている。

リリアは手帳を開き、今日の出来事を一行だけ書いた。

『雪の日に、命が助かった。私がここにいてよかったと言われた。』

その一行を書き終えた瞬間、胸の奥が静かに温まった。
前の人生で欲しかった温かさが、今はここにある。
派手じゃない。
でも確かに、私のものだ。

そして、ふと気づく。

幸せは誰かに与えられるものじゃない。
自分の生活の中で、静かに積み上がっていくものだ。

雪が降る。
火が揺れる。
隣に、問いを選ぶ人がいる。
その全部が、恋の入口みたいで、少しだけ可笑しい。
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