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第1話 「聖騎士失格の宣告」
しおりを挟む石畳に響く足音が、いつもよりやけに重く聞こえた。
王国アルストリアの大広間――白い大理石と金の装飾で飾られた、絵に描いたような「栄光の場所」。
けれど今、そこに立たされているレイアには、ただ冷たくて、やけに広くて、自分ひとりだけが異物みたいに浮いて見えた。
左右には貴族たちがずらりと並び、色とりどりのドレスと礼服が咲き乱れている。
甘い香水と、古いワインと、冷えた鉄の匂い。
そのすべてが混ざり合って、レイアの吐き気をじわじわと煽っていた。
玉座の前、赤い絨毯の一番先で、彼女は膝をつかされている。
金髪を撫でつけ、宝石だらけのマントを羽織った青年――王太子セルジオが、見下ろすように椅子に腰掛けていた。
そのすぐ横には、ゆるく巻いた栗色の髪を揺らす令嬢、アリシア。
彼女の足には今も包帯が巻かれていて、さも「被害者です」と言わんばかりに露骨に見えるよう、ドレスの裾が調整されている。
レイアは拳を握りしめ、自分の呼吸を数えた。
(落ち着け。いつも通り。
状況を見て、事実を整理して、言うべきことだけを言う。
今までもずっとそうしてきたじゃない)
胸の奥で、騎士として身につけた冷静さが必死に叫ぶ。
でも、その冷静さすら掻き消すように、セルジオの声が大広間に響いた。
「レイア・グレイ」
名を呼ばれた瞬間、空気が一段と冷たくなる。
「お前に対する処分は、すでに決定した」
ざわ、と周囲の貴族がざわめいた。
既に噂は広まっている。誰もが、今日ここで「何か」が終わると知っていた。
レイアは顔を上げる。
視線の先で、セルジオの青い瞳は、まるでつまらない玩具を捨てるように冷え切っていた。
「王太子妃候補アリシア・ルーベンスの護衛任務中、お前は任務を放棄し、命令を無視した。
その結果、アリシアは魔物に襲われ負傷。王家に対する重大な不敬であり、職務怠慢だ」
言葉は滑らかで、よどみがない。
その完璧さが、逆に「全部用意された筋書きだ」と告げていた。
レイアは唇を噛んだ。
「……任務の放棄、ではありません」
声は震えないように、ぎりぎりで保った。
彼女は真正面からセルジオを見返す。
「報告にも記した通り、危険地帯に進むことをアリシア様に進言し、何度も制止しました。
『これ以上は危険です、戻りましょう』と。ですが――」
「黙れ」
その一言が、レイアの言葉を断ち切る。
セルジオは苛立たしげに眉をひそめ、椅子から身を乗り出した。
「王太子妃に対して、その口の利き方はなんだ? 庶民が。
お前は命令に従えばよかった。ただそれだけの話だ」
「ですが、セルジオ殿下。あの状況で引き返す判断をしたのは――」
「不敬だと言っている!」
大広間の空気が、びりっと震えた。
アリシアが「まあ」と大げさに口元へ手を当てる。
「殿下、そんなにお怒りになられては……。
でも、そうですわね。あのときのレイアの態度は、本当に……怖かったですもの」
わざとらしい震えた声。
その裏にある冷たい愉悦を、レイアはもう知ってしまっている。
あの任務の日。
あらかじめ危険度の高い狩場だと報告されていた森へ、アリシアはわざと足を踏み入れた。
「王太子妃の勇敢さを示すのにぴったりよね?」と笑いながら。
(そんな、軽い気持ちで……)
何度も制止した。
「殿下の婚約者としての立場を考えてください」と、できる限り丁寧な言葉で。
けれどアリシアはレイアを睨みつけ、ひと言。
『あなた、自分が一番偉いと勘違いしてない?
聖騎士だからって、庶民のくせに』
そのあと、群れからはぐれた魔物が現れた。
レイアはアリシアをかばいながら剣を振るい、攻撃のほとんどを防いだ。
それでも、最後に一撃だけ――アリシアの足に傷が残った。
血の匂い。
土の上に崩れ落ちるアリシアの白いドレス。
震える手で回復魔法をかけた自分に向けられたのは、感謝ではなく、吐き捨てるような言葉だった。
『やっぱり、庶民の騎士なんて信用できないわ』
思い出すだけで、胸がざわざわと掻き乱される。
「殿下」
静かな声が、レイアの背後から落ちた。
騎士団長ロイク。
銀髪をひとつに結び、鋭い目元にかすかな疲れを滲ませた男。
レイアが騎士を志したあの日から、ずっと背中を追いかけてきた人。
「レイアの報告書は、俺も確認しました。
現場の地形、魔物の数、アリシア様の指示……すべて考慮すれば、単純にレイアの責任だけとは――」
「ロイク団長」
セルジオが、冷たく名を遮る。
「これは王家の決定だ。騎士団の意見など、必要ない」
ロイクの拳が、ぐっと握られるのが背中越しに伝わる。
レイアは振り返りたくて仕方がなかった。でも、それをしたら、彼まで巻き込んでしまう気がして――視線を前から動かせない。
ざらついた貴族たちの視線が、肌を刺した。
「やっぱりね、あの娘どこかでやらかすと思ってたのよ」
「庶民風情が聖騎士なんて、おこがましいにも程がある」
「王太子妃を傷物にしたんだ。処刑にならないだけマシでは?」
耳障りな囁き。
笑いを押し殺す気配。
それら全部が、目に見えない泥となってじわじわとレイアの足元を汚していく。
セルジオが、ゆっくりと立ち上がった。
「レイア・グレイ」
もう一度名前を呼ばれ、レイアはぎゅっと歯を食いしばる。
「アルストリア王国はここに、お前から聖騎士の称号を剥奪する。
聖騎士団からの除名、王都からの追放。これが、お前に下される処分だ」
一瞬、耳鳴りがした。
言葉は確かに聞こえたはずなのに、理解が追いつかない。
「聖騎士の称号剥奪」という音だけが、遠くで鐘を鳴らしているみたいに反響する。
背中から、ロイクの息を飲む気配が伝わった。
「殿下、それはあまりにも――!」
「騎士団長」
セルジオの声が、氷のように冷たく落ちる。
「さきほども言ったはずだ。これは王家の決定だと。
……それとも、お前も庶民上がりの女騎士をかばって、自分の立場を危うくしたいのか?」
その言葉に、ロイクは歯を食いしばったまま、沈黙した。
大広間の空気が重く沈み込んでいく。
レイアは、自分の心臓がどくん、と痛いくらいに脈打つのを感じていた。
(ああ、これが……本気なんだ)
どこかでまだ、信じたかった。
事情を説明すれば、調査を求めれば、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれないと。
騎士団長が、殿下が、せめて真実を知ろうとしてくれるかもしれないと。
そんな淡い期待は、セルジオが次の瞬間に放った言葉で、完全に砕かれる。
「庶民がここまで上り詰めただけで、十分褒めてやるよ」
彼は嘲笑を浮かべ、椅子の肘掛けに置いていたものをつかんだ。
それは、銀色に輝く小さな紋章――聖騎士の証。
セルジオはそれを、興味を無くしたおもちゃみたいに、レイアの足元へ放り投げた。
カラン、と乾いた音を立てて、紋章が床を転がる。
「身の程を知れ、レイア。
お前は最初から、ここにいるべき人間じゃなかった」
胸の奥で、何かが音を立ててひび割れた。
レイアはゆっくりと視線を落とす。
床に転がった紋章が、ぼやけて見えた。
焦点が合わない。
瞼の裏に熱がこもる。
(ああ……私、期待してたんだ)
ずっと。
泥だらけになっても、血を流しても、誰かを守れば認めてもらえると信じていた。
「庶民出身」なんて関係なく、剣一本で道を切り開けると。
それが全部、勘違いだったんだと突きつけられる。
アリシアが、ふうっとため息をついた。
「殿下、もういいではありませんか。
これ以上あの子の話をするのも、時間の無駄ですわ」
“あの子”。
それは、これまで何度も耳にしてきた呼び方だった。
でも今、妙に遠く聞こえる。
「そうだな。……誰か、こいつを連れ出せ」
セルジオが片手を振ると、両脇から騎士が近づいてくる。
その中には、見知った顔もいた。
同じ訓練場で汗を流した仲間。
任務のたびに背中を預け合ってきた同僚。
――その視線は、皆そろって、レイアから逃げていた。
「……了解しました」
硬い声でそう答えた騎士に腕をとられた瞬間、レイアの身体がわずかに揺らぐ。
立ち上がりながら、反射的にロイクの方へ振り返った。
ロイクは、強く握った拳をそのままに、レイアを見ていた。
言葉はない。
ただ、悔しさと無念と、どうしようもない無力感が混ざった目。
その目を見た瞬間、レイアは気づいた。
(隊長も、縛られてるんだ)
王族の言葉、貴族の権力、この大広間の空気。
全部が鎖になって、この人の足をも縛っている。
なら――せめて。
レイアは、ぎりぎりで笑おうとした。
全然上手くいかなかったけれど、それでも、縋るような表情だけは見せたくなかった。
「ご心配を、おかけしました。
……今まで、ありがとうございました、団長」
その一言に、ロイクの肩がびくりと揺れた。
言葉は返ってこない。
ただ、僅かに顔をそむけた横顔から、奥歯を噛みしめる音が聞こえた気がした。
大広間の扉が、ゆっくりと開く。
長い赤い絨毯が、外の廊下までまっすぐ伸びている。
その先には、見慣れた王宮の光景。
訓練場、庭園、寮、食堂……
今までの生活の全部が、この扉の向こうにある。
(ここが、私の世界の全部だった)
なのに今、その世界が、無造作に「いらない」と言われた。
騎士たちに腕を押さえられ、レイアは一歩、また一歩と歩き出す。
背後からアリシアのくすりと笑う声が聞こえた。
「やっと静かになりますわね。
あんな庶民の聖騎士なんて、最初から似合っていなかったのよ」
その言葉に、誰も反論しない。
それが答えだった。
扉をくぐる直前、レイアは一度だけ振り返った。
高くそびえる柱。
煌びやかなシャンデリア。
玉座。
その前に立つセルジオとアリシア。
何度も、何度も「守ろう」と思って剣を振るってきた場所。
命を賭ける価値があると信じてきた、人々。
――それらが、今はただ、ひどく安っぽい舞台装置みたいに見えた。
(ああ、本当に)
胸の奥で、何かがぽきりと折れる。
(私、捨てられたんだ)
バタン。
重い扉が背後で閉まる音が、大広間との最後の繋がりを、容赦なく断ち切った。
それはまるで、レイアという一人の聖騎士の「終わり」を告げる鐘の音だった。
そして同時に、この先どこへ向かえばいいのかもわからない、「真っ暗な夜」の始まりの音でもあった。
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