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第1話:巻き添え召喚、ゼロ判定
しおりを挟む光って、嫌いだ。
眩しいのに、あったかくない。
肌の上を撫でていくのに、骨の奥まで冷やす。
セリア・アルノートは、目を細めながら、床に刻まれた円環の模様を見下ろしていた。線が絡み合い、文字のような紋様が流れている。朱い線は脈みたいに脈打って、次の瞬間、世界の境目が「音」を立てて裂けた。
――ずるり、と。
足元が消えた感覚。胃が浮く。
声が遠くなる。鼓膜が水の中に沈むみたいで、叫びたくても声が出ない。
次の瞬間、石の冷たさが足裏から刺さり、セリアは膝をついた。
「……っ」
息が、苦い。
香が濃い。甘い花の匂いと、燃えた蝋の匂いと、冷え切った石の匂いが、喉の奥で混ざってねじれていく。
顔を上げると、そこは広いホールだった。天井は高く、柱は白く、壁は金で縁取られている。目が痛くなるほどきらきらしているのに、空気はひどく重い。
正面には段差の上の玉座。そこに座る男――王だろうか――の影が、遠い。
そして、周囲を囲むように並ぶ人々。
豪奢な衣装。宝石。硬い笑み。
視線が一斉にセリアへ突き刺さる。
針。針。針。
肌の上ではなく、心臓の薄い膜を刺してくる針。
「……誰だ?」
小さく、だがはっきりとした声が落ちた。
男の声。若い。上から、裁く声。
セリアの横で、誰かが息を呑む。
視線を向けると、同じ召喚陣の内側に、もう一人立っていた。
金髪。白いドレス。背筋がまっすぐで、顔のつくりが整いすぎている。
光の中で生まれたみたいな少女だった。
――ああ、主役はこの子なんだ。
セリアは一瞬で理解する。こういう世界では、空気が答えを持っている。
「聖女候補だ……」
誰かが囁く。
すぐ別の誰かが言葉を重ねる。
「召喚は成功だ、ついに……!」
「神よ……!」
金髪の少女は戸惑ったように瞬きをして、ゆっくりと周囲を見回した。
その仕草だけで、場の空気が柔らかくなる。拍手と歓声が、控えめに、しかし確信をもって広がっていく。
一方で、セリアの周りだけが寒い。
同じ召喚陣の中にいるのに、透明な壁で隔てられているような。
「あなた、お名前は?」
玉座の近くに控えていた、淡い青の法衣を纏う老いた男が、金髪の少女に優しく問う。
少女は、少し唇を震わせながら答えた。
「ミレーヌ……ミレーヌ・クローヴァ、です」
その瞬間、空気が決定的に変わった。
歓声が増し、祈る声が重なる。誰かが涙を拭い、誰かが手を組む。
「クローヴァ家だ!」という声が飛び、貴族たちの表情がいっせいにほころぶ。
……クローヴァ。
セリアの頭の奥で、知らないはずの名前が意味を持つ。名門。聖女の器。血。選ばれた側。
じゃあ、私は?
その問いは喉の奥で引っかかって、飲み込めない。
老いた男の視線が、今度はセリアに向いた。
さっきまでの柔らかさが消えたわけじゃない。
ただ、温度が違う。まるで道端の石を確認するみたいな目。
「そちらは……?」
言葉は丁寧なのに、“どうでもいい”が透けている。
セリアは立ち上がろうとして、足が少しもつれた。
この場が、怖い。
でも、怖いのは視線じゃない。
ここでは、価値が数字で決まる気がする。その予感が怖い。
「セリア・アルノート、です」
声が掠れた。
恥ずかしさで頬が熱くなる。けれど、ここで縮んだら終わる。なぜかそんな確信があった。
「アルノート……?」
貴族らしい女が眉を寄せた。
その隣の男が鼻で笑う。
「聞いたことがない」
「平民の名では?」
「召喚に混ざったのか」
“混ざった”。
その一言が、セリアの背筋を冷たくなぞった。
まるで砂埃みたいに、混じりもの。不要物。混入。
「儀式の誤差だろう」
若い男の声がした。
整った顔立ち。高い鼻梁。冷たい灰色の瞳。
まるで最初から、王城の空気で呼吸して生きてきた人間。
目が合いそうになって、男は視線を逸らした。
……あ。
セリアの胸の奥が、鈍い音を立てて沈む。
「確認を」
老いた男が、手を上げた。
侍女が小さな台を運び、台の上に透明な水晶が置かれる。
水晶の内部には、乳白色の霧がゆっくりと渦を巻いていた。息をしているみたいに。
「魔力測定だ」
王の側近らしい男が言う。声は無感情。
「聖女候補の適性を確認する」
ミレーヌが水晶に手を触れると、霧が一気に明るくなった。
光が花のように広がり、天井の装飾に反射して煌めく。
「おお……!」
誰かが息を呑み、祈る声が大きくなる。
「間違いない」
「神の加護だ」
「これは……」
ミレーヌは驚いたように自分の手を見る。怖いのに、嬉しさが滲む顔。
その表情だけで、周りの大人たちは勝手に“物語”を完成させていく。
次。
セリアの番。
台の前に立つと、足元の石がやけに冷たい。
水晶は透明なのに、覗き込むと底が見えない深さがある。
自分の未来みたいだ、と一瞬思って、すぐに打ち消した。
大丈夫。
私も、何かあるかもしれない。
ここに呼ばれたのには意味があるかもしれない。
そう思わないと、立っていられない。
セリアは水晶に手を置いた。
ひやり、と冷たさが掌に吸い付く。
霧が、少しだけ揺れた。
……揺れた、気がした。
けれど、光は広がらない。
霧は濁ったまま。
呼吸のような動きも止まる。
静寂が落ちた。
さっきの歓声が嘘みたいに、音が消える。
一秒。二秒。三秒。
長い。長すぎる。
自分の心臓の音だけが、耳の内側で暴れる。
「……光らない?」
誰かの声。
「え?」
「まさか……」
失笑が、転がるように響いた。
小さく。上品に。残酷に。
セリアは手を離した。
掌が冷えたまま。
その冷えが、腕を伝って心臓まで届きそうだった。
「ゼロだな」
灰色の瞳の男の声がした。
さっきの「誤差だろう」と同じ、切り捨てる声。
セリアは彼を見る。
彼は、セリアを見ない。
正確には、見ないようにしている。
その態度が、言葉より痛い。
「平民が混ざっただけか」
「儀式の穢れだ」
「時間の無駄だ」
言葉が、針になって肌を刺す。
いや、針じゃない。
これは刃だ。薄い刃で、笑いながら削ってくる。
ミレーヌが不安げに口を開いた。
「えっと……その、彼女は……」
助けようとしたのか、確認したかったのか。
どちらにせよ、その声は空気に飲まれて消えた。
側近の男が前に出る。
「王命により、聖女候補ミレーヌ・クローヴァを保護する。以後、王城にて教育・監督を行う」
淡々とした宣言。
そして、視線がセリアに向く。
「混入者セリア・アルノートは――」
“混入者”。
その呼び名で、セリアの中の何かがパキ、と音を立てた。
「――追放とする」
追放。
その単語が、床に落ちて割れる音が聞こえた気がした。
「待って」
セリアは思わず声を出した。
声が震えるのが悔しい。でも、黙ったら終わる。
「私は……何もしてない。ここに来たくて来たわけじゃない」
喉が乾く。言葉が引っかかる。
それでも吐き出す。
「帰り方も分からないのに、追放って……どこに行けって……」
側近の男は瞬きもしない。
「森がある」
たったそれだけ。
「森って……」
セリアの声が掠れた。
森の怖さは、知らない。
でも、知らないから怖い。
しかもこの世界の森は、きっと普通じゃない。
王がゆっくりと口を開いた。
その声は低く、重く、だがどこか疲れていた。
「聖女召喚は王国の存亡に関わる。余計なものに割く余裕はない」
余計なもの。
セリアの胸の奥が、ぎゅっと縮む。
「……余計、じゃない」
口の中で小さく言ったつもりだった。
でも、誰にも届かない。
届かないから、世界はそのまま進む。
「エドガー・ヴェルディス」
王が名を呼ぶ。
エドガー、灰色の瞳の男が一歩前に出る。背筋が伸び、完璧な礼。
「この件、お前の家に影響が出ぬよう処理せよ」
「承りました」
その返事の軽さが、セリアの胸を殴った。
影響。処理。
人間を、汚れみたいに扱う言葉。
セリアはエドガーを見る。
目が合う。
合ってしまった。
灰色の瞳は、揺れていなかった。
あるのは、躊躇ではなく計算。
そして、ほんの少しの――面倒くささ。
「じゃあ、私は……」
セリアの喉が詰まる。
“私は何?”
その続きを、言えなかった。言ったら泣いてしまいそうだったから。
エドガーは視線を逸らし、最後に追い打ちのように言う。
「早く連れて行け。聖女候補を不安にさせるな」
ミレーヌが小さく息を呑む。
セリアはその息遣いが聞こえるほど近くにいるのに、世界は遠かった。
兵が二人、無言でセリアの腕を取った。
掴む力は強くない。
強くないのが、余計に怖い。
“慣れている”感じがするから。
「やめて……!」
セリアは抵抗しようとするが、足が石に縫い付けられたみたいに動かない。
怖さで、身体が言うことを聞かない。
「お願い、話を……」
言葉が滑っていく。
誰も拾わない。
玉座の間は、香の甘さがさらに濃くなった気がした。
それが吐き気を呼ぶ。
“ここにいる人たちの正しさ”が香の形をして漂っているみたいで、息ができない。
運ばれるように連れて行かれながら、セリアは最後に振り返った。
ミレーヌは唇を噛んで、何か言いたそうにしている。
でも、言わない。言えない。
彼女もまた、この空気に縛られている。
エドガーはもうセリアを見ていなかった。
彼の隣で、貴族たちが“成功”を祝う言葉を交わし始める。
セリアの存在は、もう過去扱いだった。
扉が閉まる。
重い音。
それが、セリアの心臓をもう一度叩いた。
……私、何だったんだろう。
混ざっただけ?
余計なもの?
処理されるもの?
問いが胸の奥で暴れる。
でも、答えはどこにもない。
ただ、確かなのはひとつ。
あの水晶は光らなかった。
そして、私の世界は、今この瞬間に――追放へ向かって動き出した。
セリアは拳を握る。
爪が掌に食い込む痛みで、なんとか自分をここに留める。
泣かない。
まだ泣かない。
泣いたら、私が本当に“余計なもの”になってしまう気がしたから。
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