平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

文字の大きさ
2 / 20

第2話:追放の門、境界の森

しおりを挟む


扉が閉まる音って、こんなに残酷なんだ。

王城の廊下を引きずられるように歩かされて、セリアはずっと、足元の石畳だけを見ていた。
見上げたら、たぶん折れる。
豪奢な装飾も、掛けられた絵画も、すれ違う侍女の視線も、全部が「ここに君はいない」って言ってくる。

「……早く歩け」

兵士の声は低くて、疲れている。怒っているわけじゃない。
その“疲れてる”が、いちばんきつい。
日常的に追放があるみたいな口ぶりだから。

「私、どこに……」
声を出すと、喉の奥が乾いた紙みたいに擦れる。

「門の外だ」
「外って……街? 宿とか……」

兵士が鼻で息を吐いた。
「森だ。境界の森」

境界、という言葉に、背中が冷える。
境界は、普通の場所じゃない。
わざわざそんな名前がつくってことは、そこに“越えちゃいけない線”がある。

「食べ物は……」

「知らん」
短い。切れる。
でも、優しさがゼロではない。
彼はセリアを見ないまま言う。

「死ぬなよ。めんどくさい」

めんどくさい。
その言葉でセリアの心が一瞬、空っぽになる。
私の命って、その程度なんだ。

廊下を抜けると、夜風が流れ込んできた。
城の中は香が濃かったのに、外は冷たくて、湿っていて、土の匂いがする。
鼻の奥が痛いほど“現実”だ。

城門へ向かう道は、松明の火が一定間隔で揺れている。
火の色はあったかいはずなのに、セリアの体温は戻らない。
指先が冷えたまま、心臓だけが熱い。

「……あの」
セリアは、背中に向かって言った。
「一つだけ、聞いてもいい?」

兵士が面倒そうに頷く。

「私、帰れないの?」
「元の世界に。戻る方法とか……」

しばらく沈黙。
兵士は止まらず歩きながら、ぽつりと言った。

「知らん。貴族様が決めることだ」
「じゃあ、王様は……」

「決めた」
それで終わり。

決めた。
その三文字が、セリアの胸に落ちて、ズンと沈む。
説明はない。相談もない。
世界が勝手にルールを決めて、私は従うしかない。

でも、泣かない。
泣いたら負ける気がする。
負けるっていうのは、あいつらの言葉を正しいと思ってしまうこと。
「余計なものだった」って、自分で自分に判子を押すこと。

それだけは、嫌だった。

門の前に着いた。
巨大な鉄の扉。金具。鎖。
城というより、牢獄の出口みたいだ。
扉の向こうは闇で、空気がひやりと厚い。

「開けろ」

兵士が命じると、門番が無言で鎖を外した。
金属が擦れる音が、夜に響く。
嫌な音。背骨が震える。

扉が軋みながら開く。
闇が流れ込む。
冷たい風が、セリアの頬を切った。

「ほら」
兵士がセリアの腕を離し、背中を軽く押す。
軽い。
軽いのに、世界が終わるみたいな圧。

「待って……」
セリアは門の境目で踏ん張った。

兵士は、少しだけ目を細めた。
それは怒りじゃなく、迷いに近い。

「……持ってけ」
彼は腰の袋から、硬い乾パンのようなものを二つ、放るようによこした。
セリアは反射で受け取る。
手のひらに当たったそれは、冷たくて、重い。

「ありがとう」
そう言った瞬間、セリアの喉が詰まった。
涙じゃない。
ありがたさが、今の自分には贅沢すぎて、胸が痛い。

兵士は顔を背けた。
「礼はいらん。死なれると書類が増える」
口は悪い。
でも、さっきより少しだけ、人間だった。

次の瞬間。

ぐん、と背中を押された。

「――行け」

セリアの身体は闇へと放り出され、足が土を踏んだ。
門の外はぬかるんでいて、靴が沈む。
湿った泥の匂いが強い。
遠くで獣が鳴く声がして、空気が張り詰める。

振り返る。
門の内側は松明の光で明るく、そこに人がいる。
門の外側は闇で、セリアひとり。

「……っ」

言葉が出ない。
出したら、泣いてしまうから。

「閉めろ」

門番の声。
鎖が引かれる音。
鉄が動く音。
そして――扉が閉じる。

ゴォン。

その衝撃音が、胸の奥にまで響いた。
心臓の真ん中を叩かれたみたいに、息が止まる。

セリアは、門に手を伸ばしかけて、やめた。
触ったら、縋ってしまう。
縋ったら、負ける。

門の上から、兵士の声が落ちてきた。
「朝までに森を抜けるな。境界だ。……変なのがいる」

変なの。
それは、獣のことじゃない。
セリアは直感で分かった。

「変なのって……なに」
聞き返しても、返事は来なかった。
城の内側は、もう日常に戻っていく音しかしない。

セリアは闇へ向き直った。
月が薄く雲に隠れていて、足元がほとんど見えない。
でも、木々の影がある。
森がそこにある。

湿った土。
草の匂い。
冷たい風。
それらが一斉に「よそ者」を嗅ぎ取っているみたいだった。

歩き出す。
一歩。二歩。
足元の泥がぐちゅ、と鳴る。
夜の森の音は大きい。
虫の羽音。枝の軋み。遠い獣の息遣い。
自分の呼吸さえ騒音に感じる。

「……帰りたい」
口の中で言って、舌が苦くなる。
帰りたい場所って、どこだろう。
元の世界?
それとも、ほんの数分前まで立っていた玉座の間?

どっちも違う。
私はもう、どこにも属してない。

ふと、空腹が胃を絞った。
乾パンを取り出して齧ると、硬すぎて歯が痛い。
でも噛むたびに少しだけ、身体が「生きてる」と主張する。
味はしない。粉っぽい。
それでも飲み込んだ。

歩く。
歩くしかない。
止まったら、怖さが追いつく。

森は徐々に深くなる。
木の幹が太くなり、葉が密になり、空が見えなくなる。
湿度が増し、空気が重い。
呼吸をすると、肺が冷たい水を吸い込んだみたいに痛む。

でも、どこか甘い匂いも混ざっていた。
花の香りに似てるけど、花じゃない。
蜂蜜のようで、砂糖のようで、でも舌に残るのは金属っぽい後味。

「……なに、これ」
声にすると、闇に溶ける。

その時、視界の端で、淡い光が走った。
星の欠片みたいな小さな光が、すっと消える。

気のせい。
そう思おうとした瞬間、また光が走る。
今度は二つ。三つ。
まるで、誰かが森の中で小さな灯りを持って歩いているみたいに。

セリアは立ち止まった。
足元の泥が静かになり、森の音が急に大きく聞こえる。

――見られてる。
肌がざわつく。
背中に冷たい指が触れたみたいに、肩が強張る。

「誰……?」

返事はない。
代わりに、遠くで獣が低く唸る声がした。
鳥が一斉に飛び立つ羽音。
何かがこちらに近づいている気配。

セリアは走ろうとして、足がもつれる。
泥が靴を引っ張る。
息が乱れる。
心臓が喉に上がってくる。

「……やだ、やだ……」

口から漏れた言葉は、小さい。
泣き声になりかけて、セリアは唇を噛む。
泣いたら負け。
でも、今は――負けとか勝ちとか言ってる場合じゃない。

空腹。
恐怖。
寒さ。
全部が一気に襲ってきて、膝が笑い始めた。

セリアは木の幹に手をつき、呼吸を整えようとする。
だけど、掌に触れた樹皮がやけに冷たい。
まるで生き物の皮膚みたいに、じっとりしている。

もう一度、視界の端に光が走る。
今度は近い。
目を向けると、そこには何もない。
……いや。何もないのに、空気だけが揺れている。

セリアは乾パンの残りを握りしめた。
武器にもならない。
でも、握っていないと指が震えて落ちそうだった。

「だれか……」
声が擦れる。
「お願い、誰か……!」

その瞬間。

足元の落ち葉が、ふわりと浮いた。

落ち葉が浮くなんて、ありえない。
風でもないのに。
誰かが手で掬ったみたいに、葉が持ち上がって、ゆっくりと揺れる。

セリアの呼吸が止まる。

葉の下、闇の中で、何かが“動いた”。
小さな影。
人の形でも獣の形でもない。
それは輪郭だけが淡く発光していて、現実の焦点が合わない。

そして――囁きがした。

耳元じゃない。
頭の内側。

「……落としもの?」

声は軽い。
子どもみたいに無邪気で、でもどこか冷たい。
言葉が音としてではなく、意味として直接滑り込んでくる。

セリアは硬直したまま、ゆっくりと視線を落とした。
落ち葉が揺れている。
その下から、淡い光が覗いている。

「……なに」
声が震える。
「あなた、誰?」

囁きは少し笑った気配がした。

「人間ってさ、ほんと落ちてくるよね。境界に」

境界。
その単語が、背筋を刺す。

セリアの膝が、ついにがくんと落ちた。
泥が冷たい。
でも冷たさより、目の前の“何か”の存在が怖い。

「私、何もしない……」
セリアは必死に言った。
「帰りたいだけ……」

囁きは、少し間を置く。
それから、まるで試すみたいに問う。

「帰りたい? じゃあさ」
淡い光が、葉の隙間からすっと上がる。
目が合う。
真っ直ぐで、嘘を嫌う目。

「生きたい?」

その言葉が、夜の森の中心で、静かに落ちた。
セリアの心臓は、怖さの中で、なぜか一度だけ強く鳴る。

生きたい。
帰りたいより先に、出てくる言葉。

けれどセリアは、まだ答えられない。
口を開いたら、泣いてしまいそうだったから。

闇の中で、淡い光が揺れる。
まるで、答えを待っているみたいに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

悪役令嬢、休職致します

碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。 しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。 作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。 作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

【完結】婚約者と仕事を失いましたが、すべて隣国でバージョンアップするようです。

鋼雅 暁
ファンタジー
聖女として働いていたアリサ。ある日突然、王子から婚約破棄を告げられる。 さらに、偽聖女と決めつけられる始末。 しかし、これ幸いと王都を出たアリサは辺境の地でのんびり暮らすことに。しかしアリサは自覚のない「魔力の塊」であったらしく、それに気付かずアリサを放り出した王国は傾き、アリサの魔力に気付いた隣国は皇太子を派遣し……捨てる国あれば拾う国あり!? 他サイトにも重複掲載中です。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

家族の肖像~父親だからって、家族になれるわけではないの!

みっちぇる。
ファンタジー
 クランベール男爵家の令嬢リコリスは、実家の経営手腕を欲した国の思惑により、名門ながら困窮するベルデ伯爵家の跡取りキールと政略結婚をする。しかし、キールは外面こそ良いものの、実家が男爵家の支援を受けていることを「恥」と断じ、リコリスを軽んじて愛人と遊び歩く不実な男だった 。  リコリスが命がけで双子のユフィーナとジストを出産した際も、キールは朝帰りをする始末。絶望的な夫婦関係の中で、リコリスは「天使」のように愛らしい我が子たちこそが自分の真の家族であると決意し、育児に没頭する 。  子どもたちが生後六か月を迎え、健やかな成長を祈る「祈健会」が開かれることになった。リコリスは、キールから「男爵家との結婚を恥じている」と聞かされていた義両親の来訪に胃を痛めるが、実際に会ったベルデ伯爵夫妻は―?

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

処理中です...