平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

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第3話:ルゥシェ登場、「生きたい?」

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落ち葉の下の光は、火じゃなかった。
火って、揺れるとあったかいのに、これは揺れても冷たい。
冷たいのに、目が離せない。まるで“見られている”ことそのものが熱になって、背中から汗が滲む。

セリアは泥に膝をついたまま、息をするのが下手になっていた。
吸うと胸が痛い。吐くと、声になりそうで怖い。
目の前の光は、葉の隙間からじわりと膨らんで、輪郭を持ち始める。

「……生きたい?」

さっき、頭の内側に落ちた問い。
音じゃないのに、鼓膜に残っているみたいに消えない。
生きたい。
そんなの、当たり前じゃない? って言いたい。
でも言えない。なぜか。

“当たり前”を、あの玉座の間で剥ぎ取られたから。
生きる権利は、私のものじゃなくて、誰かから与えられるものだって顔で言われた。
だから今、問いとして差し出されると、答え方が分からない。

光は、ゆっくりと葉を押しのけて浮かび上がった。
落ち葉がふわりと舞い、湿った土に静かに落ちる。
そこに現れたのは――

小さな、ひとの形。

背丈はセリアの膝くらいしかないのに、存在感だけは刺さるほど強い。
髪の色は月光みたいに薄く、でも触れたら冷たそうではなく、柔らかい毛糸みたいな質感に見える。
服は森の影と同じ深い色で、光る糸が縫い込まれているみたいに時々きらっとする。
そして目。
目だけが、嘘を許さない硬さで、セリアの心臓をまっすぐ撃ち抜いてくる。

「……妖精?」
セリアはやっと声を絞り出した。

それは首を傾けた。
仕草が軽い。なのに、舌先は鋭い。

「そう。妖精。人間の言葉だとね」
声は中性的だった。男でも女でもない、透明な高さ。
けれど、そこに混ざる笑い方は少し意地悪だ。

「君、見えてるんだ」
妖精はセリアをまじまじと見てから、ふっと口角を上げた。
「へぇ。追放されてきた人間、だいたい視線が死んでるんだけど」

追放。
その単語を、こんなに軽く言われると、逆に胸が痛い。
セリアは唇を噛んだ。泥の味がする気がした。

「……あなた、誰」
「名前、欲しい?」

妖精は笑って、胸に手を当てた。
芝居がかった仕草なのに、嫌味がない。
いや、嫌味はある。けど、妙に素直だ。

「ルゥシェ」
短く名乗る。
「ルゥシェ。君は?」

「セリア」
言いながら、胸が少しだけ落ち着く。
名前を呼ばれるって、それだけで“人間扱い”される感覚がある。
城では、混入者って呼ばれた。余計って呼ばれた。
ここでは、セリアって言っていい。

「セリア」
ルゥシェがその名を口の中で転がすように言った。
「ふぅん。悪くない。薄いけど」

薄い?
セリアは眉をひそめた。

「薄いってなに」
「味」
ルゥシェは当然みたいに言う。
「人間ってみんな味があるんだよ。欲とか、虚勢とか、嘘とか。君は……薄い。変」

変。
また変って言われた。
でも、今度は嫌じゃない。
少なくとも“余計”よりはマシだ。

セリアは立ち上がろうとした。けれど足が震えて、すぐに身体がぐらつく。
空腹と寒さと恐怖が一緒くたになって、体の芯が折れそうだった。

ルゥシェは、その様子をじっと見ている。
助けない。
だけど放っておかない目。

「立てる?」
「……立てる」
セリアは強がって言った。
強がらないと、崩れる。
崩れたら、泣く。
泣いたら――負ける。

ルゥシェは小さく笑った。
「人間って、捨てられるとすぐ泣くのに。君は泣かないんだね」

その言葉に、セリアの胸がきゅっと縮んだ。
泣きたくないわけじゃない。
泣けないだけ。泣いたら何かが終わる気がするだけ。

「泣いてもいいよ」
ルゥシェは言う。軽い声で。
でも目は軽くない。
「泣いたら負け、みたいな顔してる。誰が決めたのそれ」

セリアは息を飲む。
誰が決めた?
あの玉座の間だ。
あの視線だ。
あの“ゼロ”だ。

でも、そんなの言葉にしたら、自分が惨めになる。
惨めさを口にしたら、ほんとうに自分が惨めな存在になるみたいで怖い。

セリアは口を開いて、閉じた。
喉が熱い。
目が痛い。
涙が出そうで出ない境界に、ずっと立たされているみたいだ。

ルゥシェは、その沈黙を急かさない。
森の音だけが間を埋める。
遠くで獣が動く音。
風が葉を揺らす音。
湿った土が呼吸しているみたいな、重い静けさ。

「ここ、危ないよ」
ルゥシェが言った。
「君、人間の領域から来たんでしょ。境界って、ちゃんと線が引かれてるわけじゃないからさ。踏み外すと――」

言いかけて、ルゥシェは口をつぐんだ。
踏み外すと、どうなる?
聞きたい。
でも、聞いたら怖さが形になりそうで、セリアは首をすくめた。

「……私、帰りたい」
絞り出すように言うと、声が幼くなる。
「元の世界に戻りたい。ここに来たくて来たわけじゃない」

ルゥシェは瞬きした。
「戻りたいんだ」
「うん」

「じゃあ、戻れるといいね」
ルゥシェの声は淡々としていて、同情がない。
それが逆に優しい。
同情されたら、セリアは惨めになる。
淡々としているから、“ただの事実”として受け止められる。

「でもさ」
ルゥシェが続ける。
「戻る前に死んだら、戻れないよね」

セリアの背筋が凍った。
死。
その単語が、この森では現実の重さを持っている。
城の中で「追放」と言われた時は、まだどこか現実感が薄かった。
でも今は違う。冷たい泥が膝につき、獣の声が遠くで鳴いていて、夜は深い。

セリアは乾パンの残りを握りしめた。
指が震えて、粉が落ちる。

「……怖い」
ぽつりと漏れた。
言うつもりじゃなかったのに。

ルゥシェは笑わない。
「そりゃ怖いよ。怖くない人間なんて、もう死んでる」
さらっと言って、セリアの目を見た。
「だから聞いたんだ」

「……なにを」
「生きたい?」

またその問い。
さっきより近い。
さっきより重い。
まるで扉の取っ手みたいに、握ったら先が変わる問い。

セリアは答えを探して、喉の奥が痛くなる。
生きたい。
それは本能。
でも、今は本能だけじゃ足りない気がした。
ここでは、言葉で“意思”にしないといけない。
誰も救ってくれないから。

セリアの脳裏に、玉座の間が浮かぶ。
あの水晶。
光らなかった霧。
失笑。
若い男の「誤差だろう」。
王の「余計なもの」。

あれが“正しい世界”なら、私は生きていたくない。
でも、ここで死んだら、あれが正しくなってしまう。
私が「余計」だったという結論で終わってしまう。

それが、死ぬより嫌だった。

セリアは唇を噛んで、息を吐いて、やっと言った。

「……生きたい」

声は小さい。
でも、嘘じゃない。
泣きそうな声なのに、泣かない声。

その瞬間。

空気が、薄く震えた。

風が吹いたわけじゃない。
葉が揺れたわけでもない。
ただ、“世界の膜”が一枚だけ震えたみたいに、空気がふわりと波打つ。

胸の奥が熱い。
心臓の真ん中に、火種みたいなものが落ちた感覚。
熱いのに痛くない。
痛くないのに、涙が出そうになる。

「……あ」
セリアは思わず自分の胸に手を当てた。
そこに何かがある。
言葉にならない“何か”が、確かに芽を出した。

ルゥシェの瞳の光が、少しだけ変わる。
観察の目から、確信の目に。

「うん」
ルゥシェは頷いた。
「じゃあ、契約」

「け、いやく……?」
セリアは聞き返す。
紙? 署名? 血?
そういう怖い儀式が頭をよぎる。

ルゥシェは肩をすくめた。
「紙なんかいらないよ。人間ってすぐ紙に縛られたがるけどさ。こっちはもっと――直接」

直接。
その言葉の意味を理解する前に、ルゥシェが一歩、近づいた。
小さな手が、セリアの胸元のあたりへ伸びる。
触れられる、と思った瞬間、セリアの肌が粟立つ。
でも怖さじゃない。静電気みたいな、鳥肌。

ルゥシェの指先が、セリアの心臓の近くを軽く叩く。
コン、と音がした気がした。
実際の音じゃない。感覚の音。

そして――

セリアの中に、別の感情が流れ込んできた。

孤独。

それは冷たい水じゃない。
むしろ乾いた砂みたいだった。
喉が渇くのに、水がどこにもない。
誰かに触れたいのに、触れたら消えてしまう。
そんな、長い長い孤独。

「……これ」
セリアは息を呑む。
「ルゥシェの……?」

ルゥシェは笑わない。
目が真剣だ。
「うん。僕の」

次に、セリアの中の感情が、逆向きに流れ出す。
拒絶。

追放された時の、あの感覚。
「ここにいないで」
「あなたは不要」
言葉じゃなくて、空気で押し返される感覚。
自分が透明になっていく怖さ。
それがルゥシェに触れた瞬間、ルゥシェの顔が一瞬だけ歪む。

「……っ」
ルゥシェが小さく息を吸った。
痛いのか、苦いのか。
セリアの胸がきゅっと締まる。
自分の痛みが誰かを刺したのが、妙に怖い。

「ごめ……」
謝ろうとした。

ルゥシェは首を振った。
「謝らなくていい。これは共有だから」
淡々と言う。
でもその声の奥に、ほんの少しだけ、人間みたいな温度が混ざっている。

孤独と拒絶が、重なる。
二つの痛みがぶつかって、輪郭を持つ。
ぼんやりしていた苦しさが、「これ」と指差せる形になる。
形になると、少しだけ扱える。
少しだけ、抱えられる。

セリアは涙が出そうになって、喉を鳴らした。
ルゥシェの孤独は、セリアの拒絶と同じ匂いがした。
誰にも選ばれない匂い。
どこにも属さない匂い。

「……なんで」
セリアは震える声で言った。
「なんで、私に」

ルゥシェは少しだけ目を細めた。
その表情は子どもっぽくて、でも古い。

「君が、嘘ついてないから」
「嘘……?」

「生きたいって言った時」
ルゥシェが言う。
「人間はさ、だいたい『助けて』って言う。泣いて、縋って、誰かに投げる。君は違った。生きたいって言った。自分で持った」

セリアは言葉が出ない。
自分では必死だっただけだ。
でも、ルゥシェにはそれが“選べる人間”に見えたらしい。

「それに」
ルゥシェは少し間を置いて、視線を逸らした。
「僕も、退屈してた」

退屈。
そんな軽い言葉で言うのに、胸の奥の孤独は重い。
セリアはその矛盾が、ルゥシェの真実だと感じた。

契約の熱は、まだ胸の奥で燃えている。
あったかい。
あったかいのに、世界はまだ夜で、森は危険で、何も変わっていない。

それでも、たった一つ、変わったことがある。

私は今、ひとりじゃない。

「……ルゥシェ」
セリアは、名前を呼ぶ。
呼んでいいんだ、と思う。

ルゥシェは軽く笑った。
「なに」

「私……どうしたらいい?」
頼りたくないのに、頼りたかった。
矛盾が胸で跳ねる。

ルゥシェは肩をすくめて言った。
「まず、死なない。次に、歩く。君の足で」
それから、少しだけ声を落とした。
「……僕は、隣にいる。命令はしない。助けるけど、導かない。それが契約」

導かない。
その言葉が、セリアには不思議と救いだった。
誰かに道を決められるのは、もう嫌だ。
だから“隣にいる”がいい。

セリアはゆっくり頷いた。
胸の熱が、心臓の鼓動と同じリズムで脈打つ。
まるで新しい心臓が一つ増えたみたいに。

遠くで獣がまた鳴いた。
森はまだ怖い。
境界はまだ危うい。

でも、さっきより少しだけ、闇の色が薄い気がした。

ルゥシェがふっと指を鳴らすと、周囲に小さな光がいくつも浮かび上がる。
それは炎じゃない。
星の欠片みたいな光が、道を照らす。

「行こ」
ルゥシェが言う。
「ここは境界のど真ん中。人間の匂い、目立つよ」

「人間の匂い……」
セリアは苦笑した。
「私、臭いの?」

「臭い」
ルゥシェは即答した。
「弱さと、恐怖と、あと……ちょっと意地。全部混ざってる」

意地。
セリアはその言葉に、少しだけ笑ってしまった。
笑うのは負けじゃない。
生きたいって言った。
今は、それだけでいい。

「じゃあ、消臭できる?」
セリアが冗談っぽく言うと、ルゥシェは目を丸くしてから、口角を上げた。

「できるけど」
「けど?」

「今の君の匂い、嫌いじゃない」
さらっと言って、ルゥシェは先に歩き出す。
その背中は小さいのに、妙に頼もしい。

セリアは立ち上がる。
膝の泥を払う。
足はまだ震えている。
でも、踏み出せる。

胸の奥で熱が言う。
生きたいって言ったんだろ。
じゃあ、生きろ。今ここで。

セリアはルゥシェの後ろを追って、境界の森の闇へ踏み込んだ。
契約の熱を胸に抱いたまま。
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