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第18話:新制度の設計、貴族は“更新制”へ
しおりを挟む王国が揺れる音は、地震みたいに一気には来なかった。
もっと嫌らしい。
古い家の梁が、じわじわ鳴るみたいに来る。
称号剥奪の宣言と、第二契約の微光。
あれから数日。
王都の空気は、毎朝違う匂いがした。
怒りの匂い。
不安の匂い。
噂の匂い。
そして、飢えの匂い。
民はパン屋の前で列を作り、列の最後尾はいつも喧嘩寸前だった。
「次は自分だ」と言い張る声。
「子どもがいる」と泣く声。
どれも正しい。
正しいから、余計に痛い。
元貴族たちは城の周辺で馬車を停め、
大きな声で“正義”を叫ぶ。
血統を守れ。伝統を守れ。国を壊すな。
自分の椅子を守れ、と言わずに言う。
教会は鐘を鳴らし続けた。
聖女信仰の崩壊は、神の不在に直結する。
不在は恐怖になる。
恐怖は、群れを過激にする。
それら全部が、王都の石畳の上で混ざり、
昼の熱で煮詰まり、夜の冷えで固まっていく。
セリアは、その真ん中に立たなかった。
立てば、拍手が来る。
立てば、憎悪も来る。
立てば、救いを求める手が伸びる。
伸びる手は、優しいだけじゃない。
時々、鎖になる。
セリアはもう鎖を知っている。
鎖を知っているから、あえて一歩後ろに立った。
「……前に出ないんだね」
胸の奥で、ルゥシェが言った。
見えないのに、声はよく響く。
皮肉と心配が混ざった声。
セリアは小声で返す。
「出すぎたら、また道具になる」
「うん」
ルゥシェの声が少し柔らかくなる。
「学習してて偉い。……でも人間はすぐ忘れるよ」
「忘れない」
「忘れる。忘れないって言うやつほど忘れる」
「うるさい」
「釘刺してるだけ」
釘。
確かに必要だ。
釘がないと、また梁が鳴る。
制度も、心も。
セリアがいる場所は、王城の中でも玉座の間ではなく、
広間の奥にある会議室だった。
窓が大きく、外の民の声が薄く聞こえる。
ここは空気が完全には閉じていない。
だから、言葉が嘘になりにくい。
長い卓の向こうに、ハルディン王が座っていた。
隣に数名の文官。
そして――フィオラル。
フィオラルは椅子に“座っていない”。
座っているのに、座っていない。
背筋がまっすぐで、重心が軽い。
いつでも立てる。いつでも去れる。
それが“並ぶ”という姿勢だった。
「始めよう」
ハルディン王は言った。
声がかすれている。
寝ていない声。
この数日、王は眠れていない。
「国は揺れている」
王は続ける。
「元貴族が反発し、民が不安で、教会が荒れている」
「結界はまだ完全ではない」
「……時間がない」
時間がない。
その言葉が現実だった。
政治の時間じゃない。
生活の時間だ。
パンが尽きる時間。
冬が来る時間。
フィオラルが低く言った。
「均衡も揺れている」
均衡。
フィオラルの視点はいつもそこだ。
結界の歪み。
境界のほつれ。
魔獣の気配。
風の縫い目。
セリアは、その横に別の地図を置く。
均衡の地図と、生活の地図。
同じ国の地図なのに、縮尺が違う。
「生活が崩れたら、均衡も崩れる」
セリアは言った。
自分の声が、少しだけ大人になった気がした。
森で生きた声。
王都の匂いを吸った声。
フィオラルはセリアを見て、ほんの僅かに指先を動かす。
肯定の合図。
並ぶ合図。
「制度を作る」
ハルディン王は言った。
「貴族制度を――更新制へ」
その言葉を言うのに、王は喉を鳴らした。
自分の国の骨格を作り替える言葉。
痛いはずだ。
でも、痛みを飲み込まないと国が死ぬ。
文官の一人が震える声で言う。
「具体的には……」
「血統ではなく」
セリアが言葉を継いだ。
「契約更新と責任で存続する」
「更新されない家は、称号を持てない」
「持てない家は、政治から外れる」
「でも」
セリアは一拍置いた。
「外れても、生きる権利は外れない」
文官が眉をひそめる。
「……それは」
「当然」
セリアは言った。
「称号がなくても畑は耕せる。働ける。生きられる」
「ただ、上にいる理由が消えるだけ」
フィオラルが淡々と付け足す。
「上にいる理由は、力ではない」
「均衡を守る責任だ」
その一言が、会議室の空気を締める。
責任。
逃げられない言葉。
「更新の条件は?」
王が問う。
セリアは視線を落として、手元の紙を見るふりをした。
“前に出すぎない”ために。
ここでセリアが全部決めたら、セリアが制度そのものになる。
それは危ない。
人間は、人を制度化して崇めて、やがて使う。
「条件は二本柱」
セリアは言う。
「契約更新」
「そして、責任の履行」
文官が食い気味に聞く。
「責任の履行とは具体的に?」
セリアは答える。
「搾取をしない」
「領民の生活を維持する」
「飢饉の備蓄」
「税の透明化」
「違反したら、更新の審議から外れる」
“透明化”。
それはこの国にとって、刃物みたいな言葉だ。
裏帳簿で回っていた国だから。
ルゥシェの声が、胸の奥でくすっと笑う。
「それ、また人間が都合よく解釈しそう」
セリアは小さく息を吐く。
「だから文にする」
「文?」
ルゥシェが意地悪に言う。
「紙で縛るの、好きだよね人間」
「縛るんじゃない」
セリアは言った。
「守るために書く」
フィオラルが言った。
「拒否権を明文化せよ」
文官が戸惑う。
「拒否権……」
フィオラルは淡々と続ける。
「妖精側の拒否」
「人間側の拒否」
「どちらも同等に」
「拒否があるなら、契約は成立しない」
対等。
その言葉が、やっと制度の骨になる。
セリアは頷く。
「契約は命令じゃない」
「だから、双方が断れる」
「断ったことで報復しない」
「報復したら、その家は更新対象から外す」
文官が青ざめる。
「貴族の報復は……」
「起きる」
セリアは即答した。
嘘をつかない。
起きるものは起きる。
だから予防する。
「だから、監査機構を作る」
セリアは言う。
「貴族の外に」
「王直属の監査官」
「そして、妖精交渉役の新官僚を育成する」
「妖精交渉役……」
王が呟く。
それは今まで、貴族が独占してきた領域だ。
だからこそ腐った。
「血統ではなく能力で選ぶ」
セリアは言った。
「言葉を扱える人」
「嘘をつかない訓練を積む人」
「そして、生活を知っている人」
フィオラルが補足する。
「均衡を学ぶ者も入れろ」
「風の縫い目を知れ」
「境界の音を聞け」
文官が固まる。
そんな教育は存在しない。
セリアは言った。
「作る」
短い言葉。
でも、その短さに覚悟がある。
作るしかない。
もう戻れないから。
王は頭を抱えそうな顔をしながらも、言った。
「新官僚の名は?」
セリアは一瞬迷い、そして言う。
「……境界局」
言葉が、すっと落ちる。
人間と妖精の間に立つ部署。
境界を縫う糸になる部署。
ルゥシェが鼻で笑った。
「ネーミング、人間にしてはマシ」
「褒めてる?」
「半分」
「また半分」
「僕は半分しか褒めない」
会議室の外から、遠くで叫び声が聞こえた。
元貴族たちの抗議だ。
「王は暴君だ!」
「伝統を壊すな!」
「妖精に国を売る気か!」
その声に、民の不安の声が重なる。
「これからどうなる」
「パンは」
「税は」
「子どもは」
セリアの胸がざわつく。
前に出たい衝動が湧く。
外へ行って、言葉を投げて、落ち着かせたい。
でも、前に出すぎたら道具になる。
それを知っている。
セリアは椅子の背に指を置いて、呼吸を整えた。
森の呼吸。
そして、フィオラルの整った空気。
二つが重なると、焦りが少し落ち着く。
「制度は、正義のためじゃない」
セリアは言った。
「生活のため」
「パンのため」
「冬を越すため」
「そのために、貴族に“更新制”を課す」
フィオラルが静かに言った。
「均衡のためでもある」
「生活が守られれば、境界は安定する」
「境界が安定すれば、生活は守られる」
二つの視点が、輪になる。
片方だけでは歪む輪。
王は目を閉じ、ゆっくり頷いた。
「……よし」
声は疲れている。
でも、今度は逃げていない声。
「血統は看板にすぎない」
王は言った。
「貴族の正当性は、更新と責任で示す」
「拒否権を明文化し、搾取を禁じ」
「境界局を作る」
文官が震えながらも、筆を走らせる。
紙は鎖にもなる。
でも、守りにもなる。
その両刃を、今度は意識して使う。
セリアは、ふっと息を吐いた。
喉の奥に覚悟の塩味が残っている。
でも、さっきより少し薄い。
塩味の中に、風が通る。
ルゥシェが小さく言った。
「ねえ」
「なに」
「人間って、制度作るの好きだよね」
「好きじゃない」
セリアは答えた。
「必要なだけ」
「必要って言えば何でも許されるのが人間」
「……だから、釘刺して」
セリアが言うと、ルゥシェは満足そうに笑った気配を残した。
「任せて。僕、釘刺すの得意」
フィオラルは窓の外を見た。
王都の空。
薄い。
でも、どこか縫い目が戻り始めている気がする。
まだ小さい。
でも、始まった。
セリアも窓の外を見た。
パン屋の列。
泣く子ども。
怒鳴る男。
不安な女。
全部が現実で、全部が重い。
でも、その重さの上に、制度という板を敷き始めた。
踏み抜かないために。
落ちないために。
前に出すぎない。
でも、逃げない。
並ぶ。
支える。
拒否できる。
選び合う。
王国は揺れている。
でも揺れは、崩壊の前兆だけじゃない。
再編の前兆でもある。
そしてセリアは知っている。
この制度も、いつか歪む。
人間は必ず都合よく解釈する。
だからこそ、釘を打ち続ける。
更新し続ける。
貴族も、国も、契約も。
“更新制”で生きる世界が、今、形になり始めていた。
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