田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第22話「王都の噂:宮廷薬師、田舎娘に骨抜き事件」

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 王都の朝は、田舎のそれとはまるで違う匂いがした。

 石畳に残る夜露の上を、早馬の蹄が叩いていく。
 焼き立てパンと香辛料の匂いが、屋台の並ぶ通りから立ち上る。
 遠くの鐘の音が空気を震わせて、大きな街が「今日も回りますよ」と宣言していた。

 その中心のひとつ、王城の一角――宮廷薬師団棟。

 窓の外には整えられた薬草園。
 中庭を挟んで、白い石の建物がいくつも並ぶ。
 そのうちのひとつ、薬師団の休憩室は、朝から既に妙な熱気で満ちていた。

「聞いたか?」

「聞きましたとも」

「いやいや、お前の“聞いた”はいつも尾ひれが三枚くらいついてるから信用ならん」

「失礼な。今回はたった二枚しかつけてませんよ」

「つけてるんじゃねえか」

 長机を囲んだ数人の薬師が、書類を片付けるふりをしながら、全然片付けていない手つきで盛大に噂話をしていた。

 分厚い白衣。
 胸にはそれぞれの所属班を示す刺繍。
 顔つきは真面目そうなのに、口から出てくるのは完全に井戸端会議だ。

「で、例の話、本当なんですか?」

「“例の話”が最近多すぎてわからん。毒物管理の新規則の方か?」

「違いますよ、サフラン・ローウェルですよ」

「ああ、そっちか」

 年配の薬師が、深いため息をついた。

「“田舎娘に骨抜き事件”」

「なんで事件名ついてるんですか」

「知りませんよ、下町じゃそう呼ばれてるそうです」

「下町の命名センスどうなってんだ……」

 呆れつつも、誰も否定はしない。

「だってほら、王家特認薬師の、あの田舎娘ミント・フェンネル殿」

「“殿”をつけろ、“殿”を。お前、一応同僚だぞ」

「そのミント殿の村に、サフランが何か月も滞在してるって話ですよ。
 しかも最近、王都に顔を出す頻度も減ってる。これを“骨抜き”と言わずして何と言う」

「いやまあ……否定はできんが……」

「下町じゃ、“田舎の小さな薬草店に通い詰める宮廷薬師”って、ちょっとした恋物語みたいに語られてるらしいですよ」

「勝手にラブロマンスにすんな」

「王都の噂網、怖……」

 そんなやりとりの中、一人がニヤリと口角を上げた。

「しかもですよ。最近入ってきた情報によると――」

 期待の視線が集まる。
 みんなこういう時だけ耳がよくなる。

「“同棲寸前”らしいです」

「どこ情報だそれは」

「市場のパン屋の娘です」

「情報源の信憑性がパンの焼き加減と同じレベルなんだが」

「パン屋の情報網を侮ってはいけませんよ。あいつら、朝から晩まで客の話聞いてるんですからね。王都の噂の七割はパン屋と床屋と酒場から出てるんですよ」

「嫌な統計だなぁ……」

 半分笑いながらも、残りの半分で本気になっているのが宮廷薬師団という生き物だ。

「で、“同棲寸前”って、どこまで行ってんだ?」

「毎朝一緒に朝食だそうです」

「……ああ」

 妙に納得した声が、何人かから漏れた。

「あの男なら、やりそうだな」

「やりますね」

「やるな」

 別の意味で頷いている者もいる。

「いや、サフランはさ。あいつなりに真剣なんだろうけどさ」

 若手薬師の一人が、椅子の背にもたれながら天井を見上げた。

「宮廷薬師としての“体面”ってもんがあるだろう?」

「出た、“体面”」

「いや、でも実際問題だな。
 王家直属の宮廷薬師が、“王都を出て田舎に腰を落ち着ける”ってなったらさ。
 貴族たちは絶対に文句言うぞ。“あいつは宮廷の栄誉を捨てた”とか、“田舎娘に溺れて義務を忘れた”とか」

「だろうね」

「王太子殿下がどれだけ信頼してても、“周り”がうるさいのは目に見えてる」

 別の薬師が鼻を鳴らした。

「別にいいじゃねぇか。あいつが田舎で薬作ったって、誰も損しねぇよ。むしろ得しかない。
 “宮廷薬師”って肩書きなんか、本人がどう使うかの問題だろ」

「そう思えるのはお前が庶民出だからだよ」

「うるさいな。お前だって庶民だろ」

「いやウチ一応、下級貴族だから」

「自称な」

「やかましい」

 軽く笑いが巻き起こる。

 そんなやり取りを聞きながら、部屋の隅でひとり静かに書類に目を通している男がいた。

 宮廷薬師団長、ホップ・モルツ。

 白髪混じりの髪を後ろで束ね、目の下には慢性的な疲れがうっすらとにじむ。
 それでもその瞳は、まだ好奇心と責任感の火を失っていない。

「団長、聞いてます?」

「耳は塞いでいない」

 ページをめくる手を止めずに答える。

「“田舎娘に骨抜き”ですよ。団長の右腕が」

「右腕扱いはやめろ。あいつが調子に乗る」

「じゃあ左腕?」

「どっちでもいい」

「じゃあ、内臓のどっか」

「心臓って言っとけ。どうせ本人の中ではそうなんだろう」

 さらっと言ってから、ホップはふうと長いため息をついた。

「……まあ」

 書類を閉じて、ようやく皆の方を見る。

「“あいつはああいう場所で幸せになるだろう”というのは、正直、私も思う」

 休憩室の空気が、すこしだけ静まった。

「王城の石壁より、木のカウンターの方が似合う男だ。
 毒と陰謀と書類の匂いより、土とハーブの匂いの方が多分、あいつの肺には優しい」

「団長が言うと説得力あるなぁ……」

「ただし」

 ホップは視線を鋭くする。

「宮廷薬師は、王国の医療の中枢だ。
 そこに属する者が、“どこで”“どう生きるか”は、本人だけでなく国の問題にもなる」

 言葉の端々に、長年の苦労がにじんでいた。

「殿下は理解がある。王も、ある程度は。
 だが、貴族たち、官僚たち、旧来の考えの連中は、“体面”を最優先にする」

「つまり、サフランが田舎で腰を落ち着けると、文句が出ると」

「出る。派手に」

 ホップは肩をすくめる。

「“田舎娘ごときに”“宮廷の椅子を捨てさせた”と言われるのも目に見える。
 彼女本人のせいではないのに、だ」

 休憩室に、微妙な重さが落ちた。

「……あの田舎娘、ミント殿は?」

 若い薬師の一人が、恐る恐る口を開く。

「団長、彼女のことは?」

「薬師としては、腹の底から尊敬している」

 即答だった。

「人を見て薬を作る。
 “華やかな成功”ではなく“生活できる程度の健康”を目指す。
 宮廷の内側では、忘れられかけていた考え方だ」

「ですよね……」

「ただし」

 ホップは、窓の外の空をちらりと見る。

「彼女がこれからも王国で生きていくのなら、“田舎娘”であることごと、受け止められる強さが必要になる」

「世知辛いっすね、団長」

「世はいつでも世知辛い。お前が生まれるずっと前からだ」

「生まれる前から説教されてる気分……」

 つかの間の笑いが戻りかけた、その時。

 休憩室の扉が、コンコンと控えめに叩かれた。

「失礼いたします、ホップ団長。バジル伯爵家よりお客様がお見えです」

 侍従の声に、場の空気がぴっと張り詰める。

「バジル……?」

「あのバジル伯爵家?」

「また面倒な匂いがするな……」

 ホップは椅子から立ち上がり、白衣の裾を整える。

「通せ」

「はい」

 扉が、ゆっくりと開いた。

     ◇

 入ってきたのは、一目で「貴族」とわかる少女だった。

 ひざ下まで広がる深緑色のドレス。
 細かい刺繍が施された袖口。
 腰には上品なリボン。
 髪は栗色の巻き髪をきっちりと編み上げ、真珠の飾りをいくつもあしらっている。

 背筋はまっすぐ。
 顎の角度は、他人を自然と見下ろしてしまう高さ。

 完璧な“伯爵令嬢”の姿。

 ……の、はずだった。

 が。

「きゃっ――――」

 休憩室のちょっとした段差に、見事にドレスの裾を引っかけた。

 ぐらり、と身体が前に傾く。

 薬師たちの脳内に、「貴族令嬢・転倒」という最悪の未来図が高速でよぎる。

「リ、リリーお嬢様!」

 背後にいた侍女が、慣れた手つきで彼女の腕をがしっと掴んだ。
 つんのめりかけた身体が、紙一重で持ち直される。

「……っ」

 本人は、顔を真っ赤にしながら、何事もなかったようにスカートを整えた。

「問題ありませんわ」

 声だけは完璧な貴族口調だ。

(今、盛大につまずきかけてたけどな……)

(侍女さん絶対慣れてるよねあれ)

(ということは、日常茶飯事……?)

 薬師たちの心の声が、沈黙の中で飛び交う。

 そんな視線を、当の本人は気づいていないのか、気づいているけれど認めたくないのか――
 どちらにせよ、表面上は一切崩さずにホップの前まで歩み出た。

「初めまして。バジル伯爵家令嬢、リリー・バジルと申します」

 完璧なお辞儀。
 言葉の端々に、教育の良さとプライドの高さが滲んでいる。

「宮廷薬師団長、ホップ・モルツだ」

 ホップも丁寧に会釈を返す。

「本日は、どのような御用件で?」

「少々、お時間をいただきたく参りましたの」

 リリーは、ちらりと周囲を見回した。

 休憩室の壁。
 書棚に乱雑に並んだ書類。
 机の上の空になったマグカップ。
 薬草の匂いが染み付いた空気。

 ほんの一瞬だけ、露骨に眉が動いた。

(あ、苦手な匂いだって思ったな)

 薬師たちの何人かが、その微細な動きを見逃さない。

「ここで話すには、少々内容が……」

 リリーは、意味ありげに言葉を濁した。

 ホップは一瞬だけ考え、頷く。

「では場所を移そう。応接室を使う」

「ありがとうございますわ」

 リリーがくるりと向きを変え――また段差に足を引っかけそうになり、侍女がさっと支える。

 見てはいけないと思いながら、薬師たちは全員見ていた。

 扉が閉まった瞬間、休憩室は一気にざわつきに満ちる。

「今の見たか」

「見た」

「令嬢の高貴さと運動能力の反比例具合がすごかったな」

「なんか……嫌いになれないタイプかもしれん」

「おまえの“嫌いになれない”基準がよくわからん」

「でも、わかったな」

 若い薬師の一人が、ニヤリと笑った。

「“誰がサフランにお見合い話持ってきたか”」

「あー……」

 周囲が一斉に「あー」と頷く。

「バジル伯爵家か」

「ガチガチの貴族家だな……」

「つまり、“宮廷薬師としてふさわしい妻”を用意したつもりってことか」

 その言葉に、部屋の温度が少し下がった。

「ミント殿、どうなるんですかねぇ」

「どうなるかって言われてもな……」

 誰も、すぐには答えられなかった。

     ◇

 応接室。

 窓から差し込む光が、重厚な机とソファを柔らかく照らしている。

 リリーは、姿勢を崩さないまま椅子に腰掛け、前に置かれたティーカップに手を伸ばした。

 一口飲んで、目を細める。

「さすがは王城の紅茶ですわ。香りが違いますわね」

「それは何より」

 ホップは向かいの椅子に座り、彼女をじっと見た。

 完璧な見た目。
 少しばかり危うい足元。
 目の奥にある、硬いプライド。

 「ああ、貴族だな」と、わかりやすいくらいの貴族令嬢。

「さて」

 リリーはカップをそっとソーサーに戻した。

「単刀直入に申し上げますわ」

 その瞳に、炎のような光が宿る。

「サフラン・ローウェル殿との――婚約の件です」

 ホップは、予想通りといった顔で眉を上げる。

「やはり、その件か」

「“やはり”?」

「お前の家と、ローウェル家の動きくらいは耳に入っている」

 ホップは椅子にもたれかかり、指を組んだ。

「両家が勝手に話を進めた。“宮廷薬師サフランにふさわしい妻”として、バジル家の令嬢を充てがう。
 ――そういう認識でいいか?」

「言い方はもう少し柔らかくしていただきたいですわね」

 リリーは口を尖らせたが、否定はしない。

「ですが、概ねその通りですわ。
 サフラン・ローウェル殿は、我がバジル家にとっても、王国にとっても価値ある人材。
 その伴侶には、相応の家柄と教育を受けた者がふさわしい。
 そう判断されて、私に話が来ましたの」

「お前自身は、どう思っている?」

「打算的には、悪くない話だと」

 リリーはあっさりと言った。

「私は“家”に生まれました。
 自分の人生が、自分だけのものではないことは重々承知しています。
 なので、“宮廷薬師と結婚してバジル家の立場をより盤石にする”というこの話は、合理的だと思いましたわ」

「……」

「それに、サフラン殿の評判はよく耳にしておりました。
 若くして宮廷薬師。
 王太子殿下の側近。
 冷静で、頭の回転が速く、毒物にも強い」

「最後の一つだけ物騒だな」

「職業柄でしょう?」

 肩をすくめるジェスチャーだけは妙に慣れている。

「ですから、私はこの話を前向きに捉えていましたわ。
 “宮廷薬師と結婚した伯爵令嬢”という肩書きが、どれだけ有利に働くかも計算しましたし」

「正直でよろしい」

「ですが」

 リリーは表情を引き締めた。

「王都には、妙な噂が流れておりますわね」

 ホップは黙って促す。

「“サフラン・ローウェルは、田舎娘に骨抜きにされている”」

 ぴしゃりと言い放つ。

「“王家特認薬師の田舎娘と、田舎で同棲寸前”」

「……尾ひれが二枚どころではないな」

「下町ではそう呼ばれておりますわよ。“骨抜き事件”」

「事件名ついたのか」

「ついてますわ。勝手に」

 リリーは目を細める。

「私、そういう噂が大嫌いですの。
 “身分違いの恋”だとか、“身の程知らずの田舎娘”だとか、“堕落した宮廷薬師”だとか。
 美談にしても悪談にしても、全部、私のプライドを逆撫でしますわ」

「……つまり」

「田舎娘ごときに、負けてたまるものですか」

 その一言に、ホップは苦笑した。

「……正直であることは、やはり良いことだな」

「褒めても何も出ませんわよ」

「褒めてない」

「ひどいですわね!」

 ほんの少しだけ、空気が軽くなった。

 リリーは、ふぅと息をついて、背筋を伸ばし直す。

「ですが、私はまだ、サフラン殿の人柄をちゃんとは知りません。
 噂と、家の中で聞かされた情報だけ。
 “彼にふさわしい私”しか見てこなかった自覚もありますわ」

「自覚はあるのか」

「ありますとも。自分で自分を冷静に観察する癖はありますの」

「それは薬師向きだな」

「向いてなくて結構ですわ」

 即答だった。

「配合? 調合? そういうのは、しもべたちの仕事でしょう」

 ホップの眉が、ぴくりと動いた。

「……しもべ」

「ええ。ハーブを刻んで混ぜているのは、いつも下の者たちです。
 私は、薬の匂いで頭が痛くなりますもの」

「そうか」

 ホップは、心の中で(これはミント殿と真逆だな)と呟いた。

「ですが、今回ばかりは」

 リリーは拳を膝の上でぎゅっと握りしめた。

「この噂を放置するわけにはいきません。
 サフラン殿の名誉のためにも、我がバジル家のためにも。
 それに――」

 一瞬だけ、彼女の頬がうっすらと赤くなった。

「それに、“婚約相手候補”として、負けっぱなしなのは、さすがに癪ですわ」

「つまり?」

「つまり――」

 リリーは、まっすぐホップを見た。

「私は、田舎娘とやらに会いに行きます」

 王都の空に、薄い雲が流れていく。

「彼にふさわしいのは誰か。
 宮廷薬師としての未来を共に歩めるのは誰か。
 見極めて差し上げますわ」

(ああ)

 ホップは、心の中で静かにため息をついた。

(これが、バジル伯爵家の娘か)

 プライドは高く、価値観は偏っていて、世界は狭い。
 でも、自分の足でその狭さを壊そうとしている。

 不器用で、少し危なっかしい火種。

「勝手にしろ、と言いたいところだが」

 ホップは肩をすくめた。

「田舎には田舎の流儀がある。
 ミント殿は、“貴族令嬢だから”という理由だけでは、何も譲らないだろう」

「上等ですわ」

 リリーは、唇の端を引き上げた。

「私も、バジル伯爵家の娘ですもの。
 “田舎娘ごとき”に、ただやられっぱなしで帰ってくるつもりはありませんわ」

 その目は、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも頑固だった。

 ――このとき、リリーはまだ知らない。

 自分が“田舎娘”から教わることの方が、きっとずっと多いのだということを。

 王都の噂は、今日も勝手に走り回る。

 「宮廷薬師、田舎娘に骨抜き事件」

 その見出しの向こうで、少しずつ、誰かの人生が変わり始めていた。
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