田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第27話「ミントの不安と、距離を置く決意」

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 リリー・バジルが村に“滞在”する。

 その事実だけで、村の空気は目に見えない泡立ちを始めた。

 朝の井戸端。
 昼の市場。
 夕方の畑道。

 どこに行っても、話題が同じ方向へ流れていく。

「ねえ聞いた? 貴族様、ほんとに泊まるんだって」

「泊まるってどこに?」

「村長の家じゃない? 一番広いし」

「村長んちの息子、緊張で胃が死ぬぞ」

「それはそれで面白い」

 面白がってるのが腹立つけど、村の人たちはこういう時、結局最後には面倒を見てしまう。

 そういう優しさが、この村の“当たり前”だった。

     ◇

 村長の家の前には、今朝から小さな人だかりができていた。

 村の女性陣が勝手に集まって、勝手に準備を始めている。

「ほら! 貴族様が泊まるなら、シーツはこれじゃ薄い!」

「そんなの知らないわよ! うちの一番いい布持ってきたんだから!」

「枕も新しいの詰める? 藁じゃ怒られる?」

「藁はさすがに……でも羽は高い」

 あれこれ言いながらも、手は止まらない。

 村長は玄関先で頭を抱えていた。

「頼むから勝手に家の中を改造するな! 俺の家だぞ!」

「村長、黙ってて」

「黙れって言うな!」

 デイジーが腰に手を当てて、村長を黙らせる勢いで睨む。

「貴族様ってのはな、面倒なんだよ。
 機嫌損ねたら、“村が失礼を働いた”ってことになる。
 ミントの店を守るためにも、ここは丁寧にやるの」

「え、ミントのため?」

「当たり前でしょ。あの令嬢、ミントを“田舎娘”って言ったのよ?
 村全体で壁になるに決まってるじゃない」

 デイジーがさらっと言い切った。

 村の人たちが、頷く。

「そうだそうだ」

「ミントはうちの子だ」

「うちの店主だ」

「うちの王家認定だ」

「最後のはよくわからんけど、まあいい!」

 妙な団結に、ミントはグリーンノートの軒下から苦笑いするしかなかった。

 店の準備をしながらも、心はどうしてもそちらへ引っ張られる。

(私を守るために、ここまでやってくれるんだ)

 嬉しい。
 ありがたい。
 でも、それでも――。

(これって、結局“貴族”が来たから、だよね)

 力の差。
 立場の差。

 そういうものが、田舎にも波のように押し寄せてくる。

 リリーは、村長の家の玄関から出てきた。

 今日の服は、昨日より少しだけ動きやすそうなワンピースにショール。
 それでも生地の艶は隠せないし、指先の美しさも隠せない。

 村の空気の中に、あまりにも“違う匂い”で立っている。

「……」

 リリーは、まず空気を吸った。

 そして、ほんの少し眉をひそめる。

 土の匂い。
 家畜の匂い。
 朝露の匂い。

 王都の香水と石畳の世界から来た彼女には、刺激が強いはずだ。

 でも。

「……悪くはありませんわね」

 小さく、そう呟いた。

 すぐ近くにいた村のおばさんが、聞き逃さなかった。

「お嬢さん、朝ごはん食べた? 今からパン焼くけど」

「パン……?」

「こっちはね、固いパンにスープ浸して食べると最高なのよ」

 リリーは一瞬たじろいだ。

(“下々の食事”に誘われている)

 脳内の貴族教育が叫んでいるのが、顔に出かける。

 でも、昨日の旅路で腹が減っていたことも、村長の家で出された素朴なスープが意外と美味しかったことも、事実だった。

「……いただけるなら」

 リリーは、負けたみたいに小さく言う。

「まあ! 素直じゃない! かわいい!」

「かわ……っ」

 リリーの頬が真っ赤になった。

 この村の人たちは、貴族相手でも躊躇がない。

 いや、躊躇がないというより、躊躇の仕方を知らない。

 それが、リリーにとっては一番の衝撃だった。

     ◇

 グリーンノートは今日も大繁盛だった。

 リリーが村にいると聞きつけて、むしろ客が増えた気さえする。

「貴族様見たさに来た」

「ついでに腰も見てもらう」

「ついでが本命じゃない?」

 そんな軽口が飛び交いながら、店は回っていく。

 ミントはいつものように、ひとりひとりの話を聞く。

「どんな時に痛みます?」

「朝が一番だな」

「じゃあ、夜の冷え込みで固まってるかも。
 寝る前にこれ、温めて塗ってください」

 口は慣れている。
 手も慣れている。

 だけど心の奥には、ずっと小さな棘が刺さったままだった。

(リリーさんがいる)

(王都の貴族が、この村にいる)

(そしてサフランさんの“婚約話”)

 昨日の言葉が、頭の中で何度も反芻される。

 ――俺の人生は俺が決める。
 ――ミントのことも、俺が決める。

 嬉しい。
 嬉しすぎる。

 でも、その嬉しさが、逆に怖い。

(本当に?)

(本当に、私でいいの?)

 そんな問いが、胸の奥から勝手に湧いてくる。

「ミント姉ちゃん!」

 カウンターの外から、子どもが顔を覗かせた。

「どうしたの、クローバ」

「ねえねえ、サフラン兄ちゃんと結婚するの?」

「ぶっ……!」

 ミントは盛大にむせた。

「ちょ、ちょっと待って、それ何回目!?」

「村長が言ってた!」

「村長ーーーー!!」

 店内に笑いが起こる。

 デイジーが会計しながら、口元だけで笑う。

「村長、絶対それ言うと思った」

「でもみんな思ってるよね」

「思ってる思ってる」

 無責任な賛同の嵐。

 ミントは顔を真っ赤にして、手元の薬包紙をぎゅっと握った。

「まだ、そういう話じゃないから!」

「でもさ、サフラン兄ちゃん、ミント姉ちゃんのこと好きだよ」

「……っ」

 子どもって、残酷なほど真っ直ぐだ。

 好きだよ、なんて言葉を、刃みたいに投げてくる。

「……そういうのはね、軽々しく言わないの」

 ミントは、できるだけ大人の顔で言った。

 クローバはきょとんとして、でもすぐ笑う。

「じゃあ、重々しく言う! サフラン兄ちゃん、ミント姉ちゃんのこと好きだよ!」

「重くなってない!!」

 店内がまた笑いに包まれる。

 その笑いの中で、ミントの胸の奥だけが、別の音を立てていた。

 ドクン、ドクン。

(結婚)

(私が、サフランさんと)

(いいのかな)

 問いが、また湧く。

 そして、答えは簡単に出ない。

 だって、現実が目の前にいる。

 王都の貴族令嬢、リリー・バジル。

 完璧な見た目。
 家柄。
 教育。
 “サフランにふさわしい”と周囲が決めた存在。

 比べたくなくても、比べてしまう。

(サフランさんの家柄)

(宮廷薬師としての立場)

(王都での役割)

(私の……田舎娘という出自)

 言葉にならない不安が、じわじわと心の底に沈殿していく。

     ◇

 昼過ぎ、客が切れた一瞬の隙。

 ミントは裏の調合台で、薬草を刻んでいた。

 手は動いているのに、頭の中は別の場所にいる。

 そこへ、サフランが水差しを持って入ってくる。

「休憩しろ。顔が疲れてる」

「大丈夫。まだいける」

 ミントは、笑う。

 笑顔のつもりだった。

 でも、サフランの目がわずかに細くなる。

「……最近、無理してる」

「してないよ」

 即答。

 その瞬間、ミントは自分が“逃げた”とわかった。

 サフランは何も言わず、コップに水を注いで差し出す。

 ミントは受け取り、喉を潤す。

 水が冷たくて、胸の熱を少しだけ落ち着かせた。

「リリーが来てから、空気が変わった」

 サフランがぽつりと言う。

「……うん」

「お前も」

 ミントの手が止まりそうになる。

「……変わった?」

「少し」

 サフランは、淡々と続ける。

「距離がある」

 その言葉に、胸の奥がきゅっと縮んだ。

(バレてる)

(そりゃそうだよね、サフランさんはこういうの、鋭い)

 ミントは、無理に笑った。

「気のせいだよ。忙しいだけ」

「忙しいのはいつもだ」

 サフランの返しが、やけに優しくて、やけに厳しい。

 ミントは、指先で薬草をつまんだまま、視線を落とした。

「……何かあったか?」

 サフランの声が、少しだけ低くなる。
 怒っているわけじゃない。
 心配している声。

 その心配に、胸が痛む。

 言いたい。
 全部言いたい。

 怖い。
 不安。
 嬉しい。
 でもその嬉しさが怖い。
 私がサフランさんを縛ってしまうんじゃないか。
 あなたにはもっとふさわしい世界があるんじゃないか。

 でも、言えない。

 言ったら、自分の弱さが露骨に見えてしまう気がした。
 “田舎娘の自信のなさ”を、そのまま差し出してしまう気がした。

「……何もないよ」

 結局、ミントはそう言ってしまった。

 笑顔で。

 サフランは、数秒黙った。

 そして、何も追及せずに、ただ頷いた。

「そうか」

 その“そうか”が、逆に胸に刺さる。

 信じてくれている。
 でも、信じられるほど、ミントは自分を信じきれていない。

(ごめん)

 口に出せない謝罪が、喉の奥で詰まる。

 サフランが背を向け、店の表へ戻っていく。

 ミントは、ひとりになった調合台の前で、手をぎゅっと握った。

(距離を置こう)

 突然、そう思った。

 自分でも驚くほど、はっきりした言葉が頭に浮かんだ。

(リリーさんがいる間だけでも)

(私が変に期待して、変に傷つかないように)

(サフランさんが、私のせいで困らないように)

 その決意は、守りの形をしていた。

 でも、その守りは同時に、刃でもある。

 自分を守りながら、相手も切ってしまう刃。

     ◇

 夕方。

 村長の家の前では、リリーが素朴な夕食を前に、じっとスプーンを見つめていた。

 今日のメニューは、根菜の煮込みと、焼きパンと、ハーブ入りのスープ。

 飾り気はない。
 でも、湯気の匂いは優しい。

「……」

 リリーは、慎重に一口すくって口に運ぶ。

 咀嚼。

 目が、ほんの少しだけ見開かれる。

「……おいしい」

 ぽつり。

 侍女が目を丸くする。

「お嬢様?」

「ち、違いますわ! おいしいと言っただけですわ!」

「それが驚きです」

「失礼ですわね!」

 村長の奥さんが笑う。

「お嬢さん、味付け薄いかと思ったけど、いける?」

「……悪くなくてよ」

 その言い方が、いちいち素直じゃない。

 でも、村の人たちはその素直じゃなさを「かわいい」に変換してしまう。

「ほら、もっと食べな。旅で疲れてるんだから」

「そんなに食べたら太りますわ」

「太ったっていいじゃない。田舎じゃ“よく食べるのは元気の証拠”よ」

「価値観が乱暴ですわ……!」

 リリーは文句を言いながらも、結局二口目を食べた。

 少しずつ、ほだされていく。

 その様子を、ミントは遠くから見てしまっていた。

 店を閉めた帰り道、村長の家の明かりが見えた時、つい足が止まった。

(リリーさんも、ここで息をしてる)

(この村に、少しずつ馴染んでいく)

 その現実が、ミントの不安をさらに刺激する。

(彼女は“貴族”で)

(でも、ここでもちゃんと生きられる)

(私は……王都で生きられる?)

 胸がきゅっとなる。

 “ふさわしさ”という言葉が、頭の中で鳴り続ける。

 ふさわしい。
 ふさわしくない。

 そんな尺度、本当は嫌いなのに。

 嫌いなのに、心が勝手に当てはめてしまう。

     ◇

 夜。

 グリーンノートの灯りは消え、店は静かになった。

 虫の声が外から聞こえる。
 風が窓を撫でる音がする。

 ミントは一人、奥の棚の前に座っていた。

 棚の奥から、小さな瓶を取り出す。

 乾燥したハーブが入っている。
 淡く、星屑みたいに細かな光を含んだ――星眠り草。

 祖母タイムが“ここぞという時”のために残したもの。
 王太子セージを救った、あの夜の鍵。

 瓶を両手で包むと、冷たさが掌に染みた。

「……おばあちゃん」

 小さく呼ぶ。

 返事はない。
 当然だ。

 でも、タイムのノートの文字はいつも耳元にある。

 薬は人に合わせるもの。
 人を見て作るもの。

 それはできている。

 でも。

(恋は?)

 恋は、誰に合わせればいい?

 自分に?
 相手に?
 世界に?

 ミントは、瓶の中の星眠り草を見つめた。

 あの夜、これが“命”を救った。
 自分の手が、誰かの未来を繋いだ。

 だから、思ってしまう。

(私は、どこまで欲張っていいんだろう)

 ぽつりと、言葉が零れた。

 欲張り。

 それは、ずっと自分に禁じてきた言葉だった。

 王都では、欲張ったら叩かれた。
 声を上げたら潰された。
 頑張ったら“田舎娘のくせに”と笑われた。

 だから、欲張らない。

 そうやって身を守ってきた。

 でも今は。

 サフランがいる。
 村がある。
 店がある。

 守ってくれるものが、確かにある。

 それでも、心の奥の自分が囁く。

(欲張ったら、また失うよ)

(手に入れたものが大きいほど、失った時の痛みも大きいよ)

 ミントは、瓶を胸に抱えた。

 冷たいはずなのに、胸の中では熱が広がっていく。

 涙が出そうになるのを、必死で堪えた。

 泣いたら、決意が溶けてしまう気がしたから。

(距離を置こう)

(少しだけでいい)

(私が壊れないために)

(彼を縛らないために)

 そう思いながらも、胸の奥の別の自分が叫んでいる。

(本当は、近づきたい)

(手を繋ぎたい)

(“田舎娘でも幸せになっていい”って、もう知ってるはずなのに)

 矛盾が、胸の中で絡まって、ほどけない。

 星眠り草の瓶が、微かに光る。

 まるで、“眠らせる”のではなく、“目を覚ませ”と言っているみたいに。

 ミントは、喉の奥で息を詰めた。

 夜の静けさが、今だけは残酷だった。

 静かだからこそ、自分の心臓の音がよく聞こえる。

 ドクン、ドクン。

 恋と自己評価の問題が、ゆっくりと絡まり始める。

 そしてその絡まりは、次の嵐の前兆みたいに、胸の奥でじっと息を潜めていた。
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