田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第28話「“リリーが犯人?”という疑惑」

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 王都の噂は、風吹けば風上から来る。

 それは鳥より速くて、馬よりしつこくて、毒草より人を弱らせる。

 そしてその日、村に届いた噂は――匂いが違った。

 ただの面白半分じゃない。
 笑って消化できない。
 胸の奥を冷たく撫でて、息を詰まらせる匂い。

「……王都で、“ミントの薬”の被害が広がってるらしい」

 昼下がり、グリーンノートの前で村人がひそひそと話しているのが聞こえた。

「最初はだるいだけだったのが、最近は意識が飛んだり、内臓がやられたりって……」

「怖……」

「そりゃ王都の貴族が騒ぐわけだ」

 ミントは、店の奥で薬包紙を折る手を止めた。

 紙の角が、指先に食い込む。
 痛みがあるのに、痛みより胸の奥の冷たさが勝つ。

(来た)

 嫌な予感は、最悪の形で現実になってしまう。

 偽薬の被害が増える。
 そしてその矛先が――“ミント”に向く。

 ミントは、唇を噛んだ。

(私の薬じゃない)

(でも、名前は私の名前)

 王都の誰かが倒れるたび、自分の胸の奥が少しずつ削れていく気がした。

     ◇

 その日の夕方。

 村の入り口に、また見慣れない人影が現れた。

 今度は、貴族の馬車じゃない。
 黒い外套に身を包んだ騎士が二人。
 その後ろに、紋章の入った箱を抱えた書記官らしき男。

 村人が一斉にざわつく。

「また王都か?」

「今度は何だよ……」

「ミント、大丈夫か?」

 心配する声が、あちこちから飛んでくる。

 ミントは店の前に出た。

 サフランも、当然のように隣に立つ。
 背中を半歩前に出し、いつでも守れる位置。

 騎士が村長に向かって一礼する。

「王都より参った。王家の命により、薬師ミント・フェンネル殿に事情聴取を行う」

 村長の眉が跳ねた。

「事情聴取……?」

 その言葉が、村に冷たい風を吹かせた。

 事情聴取。
 つまり――疑われている。

 ミントの喉が、きゅっと縮んだ。

 サフランが一歩前に出る。

「目的は」

「王都で流通している“ミント薬”による被害の拡大。
 軽症だけでなく、意識障害、肝機能障害、腎機能障害など、深刻な症状が報告されている」

 騎士の声は淡々としている。
 淡々としているからこそ、数字のない言葉が重い。

 書記官が紙を広げ、淡々と読み上げる。

「“やはり田舎娘の薬は危険だ”“王家はなぜこんな者を特認したのか”
 一部貴族より、そのような声が上がっている」

 ミントの胸が、ぐっと沈んだ。

 田舎娘。
 またその言葉。

 でも今は、その棘が痛いというより、冷たい。

(王都の人たちは、私を叩く理由を探してる)

 サフランの横顔が、硬くなる。

「ミント殿を疑うのか」

 騎士は目を伏せ、言葉を選んだ。

「疑いというより、確認だ。
 王都に流通している薬が、本当にミント殿の処方に基づくものかどうか」

 ミントは、深く息を吸った。

 ハーブの匂い。
 土の匂い。
 自分の店の匂い。

 震えそうになる膝を、心の中で押さえつける。

「……わかりました。店の中でお話しします」

 声が、思ったよりも落ち着いていた。

 それだけで少し救われる。

     ◇

 グリーンノートの店内。

 騎士二人、書記官、村長、デイジー、サフラン、ミント。

 狭い店が、普段の倍以上に狭く感じた。

 騎士の鎧の匂いが、薬草の香りに混ざって違和感を作る。
 書記官のインクの匂いが、空気を固くする。

 ミントはカウンターの内側に立ち、目の前の机に問題の偽薬の瓶を置いた。

「これが、王都で“ミントの薬”として売られているものの一つです」

 騎士が瓶を手に取る。

「見た目はそれらしいな」

「見た目だけです」

 ミントは、深く息を吐いた。

「まず、ラベルの文字が違います。
 私はこういう崩し方はしません。
 それから、匂いの層が荒い。混ぜ方が雑です」

 瓶の蓋を開け、香りを空気に放つ。

 店内の空気が、ほんの少し刺々しくなる。

「……確かに、刺激が強い」

 書記官が眉をひそめた。

 ミントは頷く。

「私は、体を無理やり動かすような配合はしません。
 この薬は、覚醒作用のある成分を混ぜて、“効いた気にさせる”方向に寄せています」

「効いた気にさせる?」

 騎士が眉を寄せる。

 ミントは、丁寧に言葉を選んだ。

「熱が下がる、痛みが引く、眠気が飛ぶ。
 そういう反応は確かに出ます。
 でも、原因が治っているわけではありません。
 体に負担をかけて、無理やり反応を起こさせている」

 サフランが補足する。

「長期で使えば、内臓に負担がかかる。
 依存の芽もある」

 騎士の表情が、少しだけ厳しくなる。

「……その話は、王都でも同様の所見が出ている」

 ミントは続けた。

「私が作る薬は、“明日も動ける体にする”ためのものです。
 今日だけ元気に見せるための薬ではありません」

 言葉が、店の空気を少しだけ柔らかくした。

 少なくとも、ここにいる人たちは“話を聞いている”。

 書記官がペンを走らせる。
 騎士が静かに頷く。

 村長が腕を組んで、鼻を鳴らした。

「ほら見ろ。ミントがそんな悪さするわけねぇだろ」

「村長、声が大きい」

 デイジーが小声で突っ込む。

 その軽口が、ミントの肺に少しだけ空気を戻してくれる。

 騎士は紙束をめくり、別の質問を投げた。

「ミント殿。この偽薬に、あなたの処方の“元”となる記録が必要だ。
 あなたの処方ノートの一部を、提出できるか」

 ミントは、一瞬迷った。

 処方は、店の命。
 簡単に外へ渡せば真似される。

 でも、ここで出さなければ、誰かが倒れ続ける。

 サフランが、ミントの横で小さく頷いた。

 “俺が守る”という無言の合図。

 ミントは、祖母タイムのノートと、自分の処方ノートを取り出した。

「全ては出せません。
 でも、偽薬との差異が判別できる部分だけ、提出します。
 そして、偽薬の判別法も簡単にまとめます」

 書記官が目を丸くする。

「……協力的だな」

「人が苦しむのは、嫌です」

 ミントは、震えないように指を組んだ。

「私の名前が使われているなら、なおさら」

 騎士が一礼する。

「感謝する。王都にも伝える」

 その言葉に、少しだけ救われた。

 ――しかし。

 次に落ちた言葉が、店の空気をまた冷やした。

「ただ」

 騎士が、わずかに言いにくそうに続ける。

「一つ、厄介な噂がある」

 村長が眉を寄せる。

「噂?」

「偽薬を広めている商会の背後に――“バジル伯爵家”の名がちらついている」

 その瞬間。

 店内の空気が、凍った。

 村長の目が、ぎょろりと動く。
 デイジーが息を呑む。
 サフランの表情が、一段と硬くなる。

 そして――自然と、皆の視線が同じ方向へ流れた。

 店の奥、仕切りの向こう。

 ちょうどその時、扉の鈴がカラン、と鳴った。

「……皆さま、何をそんな顔で固まっていらっしゃるの?」

 凛とした声。

 リリー・バジルが、店に入ってきた。

 今日は少しだけ素朴な服装。
 それでも生地の艶も所作の美しさも隠れない。

 そして――視線の集中に気づいた瞬間、リリーの眉がぴくりと動く。

「……何ですの」

 沈黙が一拍。

 村長が口を開きかけた。
 デイジーが止めるように袖を掴む。
 ミントは喉の奥で息を詰める。

 騎士が、淡々と告げた。

「バジル伯爵家の名が、偽薬流通の噂に上がっている。
 確認のため、令嬢にも話を伺いたい」

 リリーの顔が、真っ赤になった。

 怒りで。

「……は?」

 低い声が出たのが、自分でも意外だったのか、すぐに咳払いをする。

「失礼。
 ――ありえませんわ」

 リリーは顎を上げた。

「そんな下品な真似、するはずがないでしょう」

 言い切った。
 言い切ったのに、空気は晴れない。

 なぜなら。

 “ありえない”と言うだけでは、証明にならないから。

 リリーは気づいている。
 気づいているのに、貴族としてのプライドが邪魔をする。

 下町の商会。
 偽薬。
 そんな話題に、自分が関わっていると想定されること自体が屈辱。

 だからこそ、言葉が荒くなる。

「第一、私がそんなことをして、何の得があると?」

 リリーの瞳が、ミントを掠める。

 ほんの一瞬。
 でも、見逃せない。

(得があるとしたら――私を潰すこと)

 ミントの胸が、きゅっと縮む。

 村人たちの目が、さらにリリーに集まる。

 “あんたが犯人なのか?”と直接言わない代わりに、視線がそれを言っている。

 リリーは、息を詰めた。

 言い返したい。
 弁明したい。
 でも、うまく言えない。

 だって、村の人たちの世界の言葉で話すのが、彼女は不得手だ。

「……っ」

 リリーの拳が、スカートの上でぎゅっと握られる。

「私は、家の名を汚すような真似はしませんわ」

 やっと出た言葉は、“家”の言葉だった。

 それが、余計に距離を作る。

 村人にとっては、“家の名”より“目の前の人”の方が大事だから。

 デイジーが口を開く。

「じゃあ、なんでバジル伯爵家の名前が出るわけ?」

 直球。

 リリーの肩が、びくりと跳ねた。

「知りませんわよ! そんなの!」

「知らないで済む話じゃないでしょ。今、人が倒れてるんだから」

 デイジーの声には、怒りがある。
 ミントを守る怒り。
 村を守る怒り。

 リリーは反射的に言い返す。

「だから! 私は関係ないと――」

「関係ないって言うなら、証明してよ」

 デイジーが畳みかける。

 リリーの喉が詰まる。

 証明。

 貴族の世界でも、そういう言葉はある。
 でもそれは、証拠を持つ者が握っている。
 一般に“令嬢”が自分で証明を集めることなんて、想定されていない。

 リリーの世界では、侍女が整えて、父が決めて、家が動く。

 リリー個人が“路地裏の偽薬”を追うなんて、ありえない。

(……だから、私は今、何も出せない)

 その事実が、リリーの頬をさらに赤く染めた。

 怒りと羞恥が混ざった色。

 ミントは、その横顔を見てしまった。

(……犯人じゃない)

 直感が言う。

 リリーは確かに意地悪だし、言葉も刺々しい。
 でも、“人を毒で傷つける”方向の悪意ではない。

 彼女の悪意は、もっと分かりやすい。

 正面から刺してくる。
 陰で毒を盛るような手つきじゃない。

(……でも)

 同時に、胸の奥が冷える。

(貴族の事情は、見えない)

 リリー本人が関わっていなくても、バジル家の誰かが関わっている可能性はある。
 伯爵の命令なのか、家臣の暴走なのか、商会との繋がりなのか。

 “家”は大きすぎて、個人の手を離れて動く。

 その現実が、ミントには怖かった。

 サフランが、静かに口を開く。

「リリー」

 リリーがはっと顔を上げる。

 その一瞬、助けを求めるみたいな顔が見えた気がした。
 すぐに引っ込めたけど。

「ここで感情的になっても、何も解決しない」

「感情的ですって?」

「今のお前は、そうだ」

 サフランの言葉は容赦がない。

「……っ」

「俺はお前を犯人だとは思っていない」

 その一言で、リリーの喉が鳴った。

「でも、バジル伯爵家の名前が出ている以上、調べる必要はある」

 リリーの目が揺れる。

 誇りが痛む。
 でも、否定できない。

「……私の家が、関わっていると?」

「可能性としては、ゼロではない」

「……っ!」

 リリーが唇を噛んだ。

 その表情を見て、ミントはまた胸が締め付けられる。

(ほら、私には見えない)

(この人が今、何を背負ってるのか)

 “令嬢”という肩書きの重さ。
 “家”という檻。
 それを、ミントは想像するしかない。

 騎士が、淡々と書記官に目配せする。

「本件は王都に持ち帰り、バジル伯爵家にも照会する。
 令嬢の発言も記録する」

「勝手にしなさい」

 リリーは冷たく言った。

 冷たく言うしか、自分を保てないみたいに。

 村の空気は、完全にざらついていた。

 “疑惑”という粉が舞って、誰の肺にも入り込む。

 ミントは、息が苦しかった。

 リリーを信じたい。
 でも、貴族の事情が見えない。

 信じたいのに、信じ切れない自分が嫌になる。

 そして。

 読者の頭の中には、きっと強く焼き付く。

 ――リリーが犯人なのでは?

 そんな疑いが、村の空気と同じように、心に張り付く。

     ◇

 騎士たちが帰った後も、店の空気は戻らなかった。

 村人たちは口には出さない。
 でも視線が、リリーの周りだけ温度を変える。

 リリーはそれに気づいている。
 気づいているからこそ、さらに背筋を伸ばす。

 “私は揺らがない”という鎧。

 ミントは、カウンターの奥で指先を握りしめた。

(リリーさんは黒幕じゃない)

 直感が、何度もそう言う。

 でも。

(貴族の“背後”は見えない)

 現実が、それを否定する。

 ミントは、自分がどこに立っているのか、急にわからなくなった。

 田舎の店主でいればよかったのに。
 そう思う自分が、また嫌だった。

 店の外では夕暮れが深まり、空に星が滲み始めている。

 偽薬の影。
 貴族の疑惑。
 そして、揺れる恋。

 全部が一度に重なって、ミントの胸の奥で鈍い音を立てた。

 嵐は、もう始まっている。
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