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第10話 噂と、王都から伸びる黒い影
しおりを挟む噂は、いつだって足が早い。
特に、退屈な辺境と、そこを行き来する旅人たちにとっては──
おしゃべりは、退屈と孤独を紛らわせる一番安上がりな娯楽だった。
***
「聞いたか? 森の魔獣が消えたって話」
「聞いた聞いた。なんでもな、“世界樹の根元を巣にした化け物”だったらしいぞ」
「世界樹、ここから何日離れてると思ってんだよ」
「いや、俺も最初はそう言ったんだがな、商隊の連中が言うんだよ。“王都から追放された魔導士と騎士が、一晩で森ごと浄化した”って」
「森ごと!? 村ごと消えてねえだろうな!?」
「違う違う、そういう意味じゃねえよ……多分」
そんな与太話じみた会話が、最初は隣の宿場町で、次に別の街道筋で、さらに別の商人の口から、少しずつ形を変えながら世界に滲み出していく。
「辺境の小村が、突如静かになった」
「魔獣が、ぱたりと出なくなった」
「その村には、“光の歯車を操る娘”と、“未来を断ち切る騎士”がいるらしい」
聞いた人間は笑い飛ばす。
そんなバカな。
そんなのは物語の中だけだ。
――けれど、王都に届いた報告書には、笑えない単語が並んでいた。
***
王都・王城。
高い塔と白い城壁が連なるその中心に、魔導省の塔と王族の会議室が繋がる、閉じた世界がある。
分厚い扉の向こうに広がる円卓。
重ねられた赤い絨毯。
壁にかけられた王家の紋章と、魔導省の紋章。
そこに集められた何人かの男たちは、辺境の埃っぽい空気など、一度も吸ったことがないような顔をしていた。
「──以上が、辺境第三観測拠点からの報告になります」
淡々と読み上げる文官の声だけが、部屋に響く。
「森の魔獣が突如消えた」
「周辺一帯で魔力乱流が観測された」
「光属性と思われる、大規模な現象」
そこまでは、まだ“異常な自然現象”で済ませられたかもしれない。
問題は、そのすぐあとに続いた一文だった。
「……また、その現場付近にて、王都から追放処分となった“元魔導省所属エリア・フォン・リーデル”および、“元護衛騎士ライアン・ハウエル”と思しき人物の存在が確認されたとのことです」
部屋の空気が、わずかに冷たくなる。
円卓の一端で、魔導省の上級官僚が眉をひそめた。
「……あの女か」
“魔力ゼロ”の烙印を押し、自分たちの手で追い出した元部下。
その名前が、辺境の異常現象と一緒に上がってきた。
「確認は取れているのか」
低く問うたのは、王太子だ。
金色の髪をきっちり撫でつけ、宝石を散りばめた衣装に身を包んだ若い男。
以前、謁見の間でエリアに追放宣告を下した本人。
文官は、少し緊張したように答えた。
「容姿と特徴、年齢、同行者の情報から、同一人物である可能性が高いとのことです。
正式な身分証までは確認されておりませんが……」
「ふん。追放された者が、しれっと生き延びているとはな」
王太子の口元に、薄く嘲笑が浮かぶ。
魔導省の官僚が、すかさず口を挟んだ。
「辺境の村で、偶然小さな魔獣がいなくなった程度の話でしょう。
“英雄譚”として話が膨らんでいるだけかと」
「だが、魔力乱流が観測されたというのは事実だ」
別の老臣が、指先で机をトントンと叩く。
「もし、あの女が何らかの“未知の類型の能力”を発現させているとしたら──
追放した我々の面目に関わる」
その言葉に、王太子の目が細くなった。
「面目、か」
しばし考え込むように顎に手を当てると、彼はすぐに結論を口にした。
「よかろう。
辺境で何が起こっていようと、“王国の秩序”に属するものである限り、それはこの王家と魔導省の功績だ」
その言い回しは、甘い蜜のように聞こえるが、実際には冷たい毒を含んでいた。
「追放したはずの女と騎士が、勝手に力を振るい、勝手に英雄扱いされるなど、許しがたい。
あの者たちの行いが真実ならば──その功績は、王国の名のもとに回収する」
“回収する”という言葉の裏に、静かな圧が滲む。
「そして、もし制御不能な存在であると判断されれば」
王太子は、ごく自然な仕草で指をひらひらと振った。
「排除も、やむなし」
部屋の中にいた誰も、その言葉に異を唱えなかった。
魔導省の官僚は、ただ深く頷き、メモを取るふりをしながら心の中で計算していた。
──未知の能力。
──王都の秩序。
──功績の独占。
エリア・フォン・リーデル。
あの“魔力ゼロ”と断じた娘が、もし本当に「別系統の能力」を開花させていたとしたら。
それは、今さら「間違いでした」と認めるか、
「王都の管理下に置くべき危険物」として封じ込めるか、
どちらかしかない。
後者の方が、よほど楽だった。
王太子の視線が、部屋の隅に控えていた黒衣の男たちをかすめる。
「辺境第七小村へ向かう“使者”を編成しろ。
名目は、『功績を認めたうえで、王都への帰還と正式な保護を申し出る』だ」
文官が「はっ」と答える。
黒衣の男たちは、静かに一礼した。
「ただし」
王太子は、さらりと言葉を継いだ。
「状況次第では、王都に戻す必要はない。
“辺境にて消息を絶った”という報告も、また一つの選択肢だ」
言外に、“始末せよ”という命令が含まれているのは、ここにいる全員が理解していた。
魔導省の官僚のひとりが、猫のように口角を上げる。
「適任者がおります。
元より辺境への視察任務を希望していた若い魔導士たちが」
「そうか。ならば任せる」
王太子は特段興味もなさそうに、決裁のサインを入れた。
辺境で起きていることも、
そこに暮らす人々の生活も、
追放した二人の心情も、
この部屋の中にいる誰一人として、本当の意味では想像していない。
ただ、「王都の顔」と「王族の面子」と「魔導省の正当性」を守ることだけが、彼らの世界だった。
***
王都から辺境へと続く街道。
夜の帳が降り始めた空の下、黒塗りの馬車が静かに走り出していた。
御者台には、王都の紋章をつけた制服の男。
馬車の中には、数人の魔導士と護衛騎士。
その後ろを、少し距離を置いて追う影がある。
黒いフードを被った男。
王都直属の“影”と呼ばれる暗部。
彼の手には、封蝋で固められた小さな筒。
その中には、こう記されている。
──対象が王都への帰還命令に従わない場合。
──対象が制御不能と判断された場合。
──対象が王国の脅威となる可能性を示した場合。
いずれの場合にも、
「速やかに、痕跡を残さぬ形で処理せよ」。
暗殺指令は、簡潔だった。
黒い馬車と黒い影は、王都の明かりを背に受けながら、静かに辺境へ向かう。
その行き先に、自分たちの存在を迎える笑顔が待っているとは、誰も思っていない。
***
その頃。
辺境の小さな村では、賑やかな笑い声が夜空に溶けていた。
「かんぱーい!!」
村の広場に並べられた簡素な木の机。
その上には、焼いた肉、煮込み、パン、畑で採れた野菜をふんだんに使った料理が所狭しと並んでいる。
木製のカップを高く掲げているのは、村長のバルドだ。
「森の魔獣がいなくなった祝いと、小さな魔獣退治の成功と──」
視線が、私とライアンに向く。
「“追放された”くせに、しれっと村を救ってくれた二人に、感謝して!」
「かんぱーい!!」
どっと笑い声が上がる。
炭火の匂い、焼きたてのパンの香り、スープの湯気。
夜風と一緒に、幸せな匂いが鼻をくすぐる。
「こんな盛大にしなくてよかったのに……」
私はカップを両手で抱えながら、小さく呟いた。
ライアンは隣で、淡々と肉をかじっている。
「村の人間にとっては、一大事だったんだろ」
「そうだけどさ……
“追放されました”って顔してる人に、こんなにごちそう食べさせていいのかなって」
「いいんだろ。村長がいいって言ってる」
その理屈のシンプルさが、ちょっと羨ましい。
子どもたちが、あちこちで走り回っている。
「おねーちゃん、さっきの防御のやつもう一回やってー!」
「鎖カチャカチャのやつー!」
「名前適当すぎない!?」
私が困った顔をすると、村長が笑って肩を叩いた。
「今は休ませてやれ。
明日から、いくらでも見せてもらえるだろうさ」
「えっ、明日からもやる前提?」
「もちろんじゃ」
村長の目は、本気だった。
村の周囲の森は、まだ完全に安全とは言えない。
小さな魔獣は残っている。
それを抑え込む役として、私たちはこれからも必要とされるのだろう。
その事実に、胸が少しだけざわつく。
「……エリア、大丈夫か」
ライアンが小声で聞いてくる。
「うん」
答えながら、自分の胸に手を当てた。
歯車が、静かに回っている。
怖くないと言えば嘘になる。
自分の力を使うたびに、「またあの暴走しそうな感覚に飲み込まれるんじゃないか」って不安になる。
でも──
「今はちょっと、“頑張ってみたい”って思ってる」
正直に言うと、ライアンは少し目を見開いた。
「そうか」
それだけ。
評価も、説教も、慰めもない。
ただ、“そうか”と受け止めてくれる声。
それが一番楽だった。
村長の奥さんが、大皿を持ってやってくる。
「ほら、おかわりおかわり。今日は特別だよ」
「ありがとうございます! って、そんなに盛ったらお腹はち切れます!」
山盛りにされた芋と肉と野菜。
両手で皿を支えながら、ふと、王都の食堂を思い出す。
白いテーブルクロス。
端に追いやられた自分の席。
誰とも目を合わせないようにして食べた、味のよくわからない料理。
今、目の前にあるのは、それとはまったく違う。
「……なんか、夢みたいだね」
ぽつりと呟いた言葉に、ライアンが首を傾げた。
「夢?」
「うん。こういうの。
誰かと一緒にご飯食べて、笑って、ありがとうって言われて。
昔、本でしか読まなかった“当たり前の幸せ”ってやつ」
言いながら、ちょっと自分で恥ずかしくなる。
ライアンは、少しだけ真顔になった。
「本でしか読んだことがないなら、これから実地で覚えればいい」
「実地……?」
「うまく笑えなかったら、何回か試せばいい。
失敗しても、俺が隣でフォローする」
さらっと言われて、心臓が変な跳ね方をした。
「ちょっと、そういうことを真顔で言うのやめて」
「どのへんが問題だった」
「全部!」
顔が熱い。
料理の湯気のせいにするには、ちょっと無理がある温度だった。
村のささやかな宴は、夜が更けるまで続いた。
何度も「ありがとう」が飛び交って、
何度も笑い声が弾けて、
そして、何度も私の胸がぎゅっと締めつけられた。
こんな時間が、このまま続けばいいのに。
そう思った。
その願いが、どれくらい脆いものかも知らずに。
***
宴がひと段落した頃。
私は、村の家々から少し離れた丘の上にいた。
夜空は、今日も星でいっぱいだった。
村の灯りが遠くに瞬いている。
草むらに座り込んで、空を見上げる。
「……前にもこんなことしてたね、私」
ぽつりとつぶやくと、背後から足音がした。
「アロイスの話を聞いた夜か」
振り返らなくても、誰かはわかる。
ライアンが、わざと少し離れた場所に腰を下ろした。
前よりは、距離が近い。
「また一人で来るなって言われそうだったから、今日は先に来て待ってた」
「それを“一人で来てる”っていうんじゃない?」
「厳密にはそうだな」
どうでもいいやり取りが、妙に心地いい。
しばらく、二人で黙って星を眺める。
風が髪を揺らし、草の匂いを運んでくる。
村のざわめきが遠くで続いている。
「ねえ、ライアンさん」
「ん」
「今さ、ちょっとだけ“何でもできる気がする”って思ってる」
自分で言って、自分で「あ、これフラグかな」と思った。
でも、そのくらい浮かれてしまうくらいには、今日の成功は私にとって大きかった。
「王都で、“魔力ゼロの無能”って言われてた私がさ。
森で魔獣倒して、村の人たちにありがとうって言われて。
小さな魔獣退治でもちゃんと役に立って。
……なんか、本当に“変われるんじゃないかな”って」
胸の奥の歯車が、カチカチと心地よく回る。
ライアンは、少し間を置いてから答えた。
「いいじゃないか」
「え」
「“何でもできる気がする”って思えるときぐらい、素直に浮かれてていい」
彼の横顔は、相変わらず淡々としている。
でも、その声はどこか優しかった。
「どうせ世の中、できないことの方が多いんだから。
できるかもしれないって思える瞬間くらい、大事にしろ」
「……なんか、名言っぽい」
「適当に言った」
「台無し!!」
思わず笑ってしまう。
本当に、なんでもない会話。
でも、その“なんでもなさ”が、何より尊くて。
目に見えない未来の線が、今この瞬間だけ、とても綺麗に見える気がした。
(このまま、この村で、ライアンさんと一緒に──)
そこから先のイメージを描こうとしたとき。
胸の奥に、微かな違和感が走った。
歯車が、ほんのわずかに軋んだような感覚。
何かが、遠くから近づいてきている。
まだ形にはならない。
でも、空気の“流れ”が、ほんの少しだけ変わった気がした。
「……気のせい?」
思わず首を傾げる。
「どうした」
「ううん、なんか、変な感じしただけ」
ライアンはしばらく空を見上げて、それから小さく首を振った。
「少なくとも、今この村へ“すぐに”降ってくる最悪の線は見えない」
「そっちはそっちで頼もしいけど怖い能力だよね」
「お互い様だろ」
冗談みたいな会話をしながら、二人で笑う。
星は、綺麗だった。
願い事をしたくなるくらいに。
──ただし。
星空の下を走っているのは、願いを叶える流れ星だけじゃない。
王都から伸びる黒い影。
黒塗りの馬車の車輪が、夜の街道を黙々と進んでいく。
その中にいる者たちの胸には、「王命」という名の冷たい刃が突き刺さっていた。
辺境の小さな村で、
“今なら何でもできる気がする”と笑い合っている二人に向かって。
静かに、確実に。
黒い影は、近づいていた。
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