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第8話 小さな奇跡と、大きな感謝
しおりを挟む外の空気を吸うのは、何日ぶりだろう。
治療院の扉を一歩出た瞬間、リディアは思わず目を細めた。
午前の光がやわらかくて、アルシェルドの城の白い光より、ずっとあたたかく感じる。
「無理すんなよ? 体力ゲージまだ赤のままなんだからな」
隣でカイルが、ゲームの残りライフみたいな例えをしながら釘を刺してくる。
「体力ゲージってなんですか、その例え」
「感覚の話だよ、感覚。半分どころか三割も回復してねーんだから、今日は“お散歩チュートリアル版”だからな」
「お散歩チュートリアル……」
言葉の選び方がいちいち新鮮で、クスッと笑ってしまう。
「でも、ありがとう。外、ずっと見たかったから」
「恩売ってるわけじゃねーけど、“治療院の中でおとなしく寝てろ”って顔してたレオンさん説得するの、わりと大変だったんだぞ?」
「え、そうなんですか」
「“まだ早い”“転んで傷が開いたらどうする”って、一回目は普通に却下された。
だから“ずっとベッドに縛りつけてたら、客人の精神が死にますよ”って言ってやった」
「よく言いましたね……」
「ま、最終的に“俺が責任持って見てます”って言ったら、“転んだら報告しろ”って条件付きで許可出たから、感謝しろよ?」
「……はい。じゃあ、絶対転びません」
自分で宣言して、自分でフラグ立てた気がして、心の中でこっそり撤回した。
◇
ノルディアの城下町は、思っていた以上に賑やかだった。
石畳の通りの両側に、色とりどりの店が並んでいる。
肉屋、八百屋、布地屋、アクセサリーを売る露店。
どの店からも、人の声と笑い声と、商品を呼ぶ元気な声が飛び交っていた。
「すごい……」
リディアは素直に感嘆の声を漏らした。
アルシェルドの城下町もそれなりに賑やかだったけれど、この街は雰囲気が違う。
どこか空気が軽い。
買い物をしている人たちの表情が、妙な緊張に縛られていない。
「そんなに珍しいか?」
「はい。なんか……みんな、楽しそうにしてるから」
「アルシェルドは、そんなに堅苦しいのか」
「堅苦しい、というか……“ていねいに気を張ってる”って感じですね。上の人を怒らせないように、みたいな」
「それ、だいぶ生きにくそうだな」
カイルが素直な感想を言う。
「まあいいや。とりあえず市場一周して、体力切れっぽかったらすぐ引き返すぞ」
「子ども扱いされてる気が……」
「“現状レベル1”なんだから仕方ねーだろ。自覚しろ」
その言い方が、なんだかおかしくて、リディアはまた笑ってしまった。
◇
市場の真ん中あたりで、ふわっと甘い匂いが鼻をくすぐった。
焼きたての小麦と、少し焦げた砂糖の匂い。
「……パンの匂い」
思わずそちらを向くと、通りの角に小さなパン屋があった。
古びた木の看板に、手書きで「ルーデンのパン」と書かれている。
店の前には、焼きたてのパンがずらりと並んでいた。
丸いの、細長いの、詰め物が入っていそうなものまで。
「腹減ってきたな」
カイルのお腹が、タイミングよくぐう、と鳴った。
「カイル、さっき治療院でパン食べてましたよね?」
「あれは“朝食”。今感じてるのは“おやつ”の腹の減り方」
「細かい……」
そんなやりとりをしている間に、店の奥から白髪の老婦人が顔を出した。
「あら、カイルじゃないかい」
「うっす、おばちゃん。今日もいい匂いだな」
「おばちゃんじゃないよ、“お姉さん”って呼びな」
冗談めかしたやり取りに、自然と頬が緩む。
老婦人の後ろから、がっしりした体格の老紳士も顔を出した。
「おう、騎士様。今日の巡回はどうだ」
「平和だよ。……あ、今日は客連れてきた」
カイルが、リディアをひょいっと前に出す。
リディアはとっさに姿勢を正した。
「は、初めまして。リディアと申します。あの、その……」
言葉に詰まっていると、老婦人がにこにこしながら近づいてきた。
「まあまあ、きれいな子だこと。旅の方かい?」
「た、旅……みたいなものです」
「みたい、ねぇ」
老紳士が腕を組んでリディアをじっと見た。
その視線は値踏みするものではなく、“ちゃんと見ている”目だった。
「痩せてる。顔色はだいぶマシになったが、まだ本調子じゃないな」
「おじいちゃん、そういうことは女の子に面と向かって言わないの」
老婦人が肘でつつく。
「だが事実だろうが」
「事実でも言い方ってもんがあるんだよ」
夫婦漫才のようなやり取りに、リディアは思わず笑ってしまった。
「よし、決めた」
老婦人がぽんと手を打つ。
「この子には、うちの自慢の焼きたてパンひとつプレゼントだよ」
「えっ、そんな……!」
リディアは慌てて首を振った。
「お金……持ってます。少しだけですけど、ちゃんと払いますから」
「いいんだよ。顔見りゃ分かる、“しばらくまともに食べてなかった人の顔”ってやつだ」
老婦人は笑いながら言う。
「それにね、カイルが連れてきた子に悪い人はいないさ」
「信用の源泉そこかよ」
カイルが肩をすくめる。
老紳士が奥から、湯気の立つ丸いパンをひとつ持ってきた。
表面はこんがりと焼けていて、ところどころ砂糖が光っている。
「ほら、熱いうちに」
「……いただきます」
両手で受け取ったパンは、驚くほど温かかった。
指先に伝わるそのぬくもりに、胸の奥までじんわり温かさが広がる。
一口かじると、外はカリッと、中はふわっと柔らかい。
ほんのり甘くて、噛むたびに小麦の味が広がる。
「おいしい……」
思わず、素直な感想が零れた。
「だろ?」
老紳士が得意げに胸を張る。
「ちゃんと食べて、ちゃんと太りなさい。細いのがいいってもんじゃないよ」
「はい……」
アルシェルドでは、誰もこんなふうに“食べろ”“太れ”なんて言ってくれなかった。
むしろ、「聖女様はお忙しいから」「時間が惜しいから」と、食事すら削られることが多かった。
(なんだろう……こんなやりとりが、こんなに嬉しいなんて)
パンの甘さと一緒に、胸の奥がじんわり熱くなる。
◇
パン屋をあとにして、市場の中をゆっくりと歩く。
カイルは、あちこちの店主と気軽に言葉を交わしていた。
魚屋の兄ちゃん、布地屋の姉さん、果物屋の子ども店員。
「カイルさん! 新しい布、入りましたよ!」
「お、今度稽古着新調するとき見に来る!」
「騎士様、今日のリンゴは甘いよー!」
「あとで買いに戻る! 今は任務中!」
リディアは、少し後ろからそれを見ていた。
誰もカイルを“騎士様”として堅苦しく扱っていない。
けれど、ちゃんと信頼している。
そして、誰もリディアを“聖女”として見ていない。
珍しそうに見る人はいる。
よそ者だと分かるから、視線が向く。
けれど、そこに敬意と同時に貼り付いていた“期待”や“依存”はない。
ただの一人の旅人。
カイルが連れてきた、どこかの国の女の子。
その距離感が、妙にくすぐったくて、心地よかった。
「疲れてきてないか?」
カイルが、歩調を合わせるように隣に戻ってくる。
「大丈夫です。ちゃんと、“チュートリアル”の範囲内ですから」
「理解が早いな」
二人で顔を見合わせて笑った、そのとき――
「いったぁぁぁぁぁ!!」
市場の奥のほうから、甲高い泣き声が響いた。
子どもの声だ。
周囲の人々の視線が、一斉にそちらに向く。
「……行くか」
カイルが短く言う。
リディアは、小さく頷いた。
◇
声のした方へ行くと、野菜が並んだ露店の少し先で、小さな人だかりができていた。
その真ん中で、五、六歳くらいの男の子が地面に座り込んで泣いている。
膝から下が泥だらけで、片方の足首から血がにじんでいた。
「うわああああああああ!! いたいいたい、いたい~~~!!」
「こらこら、そんなに泣かないの。……あら、結構切れてるね」
近くの大人の女性が慌てて子どもの足を見ている。
どうやら木箱につまずいて転んだらしい。
「すまねえな、うちの箱に……!」
露店の主人らしき男も青ざめている。
「水で洗ったほうがいいかしら。でも、動かしたらもっと痛いわよね……」
「いたい~~!! 足とれた~~~!!」
「とれてない、とれてない。くっついてるから」
大人たちの声と、子どもの泣き声が入り混じって、場の空気がざわざわしている。
リディアの身体が、反射的に前に出た。
「あの……少し、いいですか?」
人垣の隙間から声をかけると、近くの女性がこちらを振り向いた。
「ん? あら、あなた……見ない顔ね」
「怪我、見てもいいですか。……少しだけ、癒しの魔法が使えます」
その言葉に、周りの視線が一斉にリディアに集中する。
“聖女”ではなく、“魔法が使える誰か”として。
「魔法?」
「あんた、治癒師なのかい?」
「正式なものでは、ないんですけど……
これくらいの傷なら、多分、大丈夫だと」
言いながら、自分の手のひらがじんわり熱くなるのを感じていた。
魔力の器が、久しぶりに外へ向かって開きたがっている。
「カイル、いいですか?」
一応、隣の騎士を見る。
「“無理するな”ってレオンさんに言われてるの、忘れてないよな?」
「忘れてません。……これくらいなら、本当に」
膝をついて、子どもと視線の高さを合わせる。
男の子は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、こちらを見上げた。
「やだ~~~!! いたい~~~!! 足、なくなる~~~!!」
「なくならないよ」
リディアは、思わずくすっと笑った。
「ちゃんと二本ついてる。ほら、確認してみて?」
「……ほんとだ」
子どもが自分の足を見て、きょとんとする。
「ね? だから、ちょっとだけ、がまんできる?」
「やだ……でも、いたい……」
「じゃあ、わたしが“いたいのいたいの飛んでけ”するから、その間だけ目つぶってみる?」
「……それ、ほんとに飛ぶ?」
「本気でやったら、飛ぶよ」
子どもの世界の言葉に合わせるみたいに、少し大げさに言ってみる。
男の子は、迷った末にぎゅっと目をつぶった。
「じゃあ、お願いしても?」
リディアは近くにいた女性と露店主に目で確認を取った。
「す、すまないが……頼めるなら、頼みたい」
「うちの子じゃなくてよかった……いや、よかったは変ね。ごめんなさい。でも、助かるわ」
大人たちが慌てて頭を下げる。
リディアは、そっと男の子の足首に手をかざした。
ごく小さな傷。
でも、今の子どもにとっては世界の終わりみたいな痛み。
(……大丈夫)
深呼吸を一つ。
胸の奥から、ごく少量だけ魔力を引き上げる。
あの頃みたいに、全身全霊を投げ出す必要はない。
今は、“自分を削らない範囲で”魔法を使う練習をしているのだから。
手のひらに、じんわりと光が宿る。
真昼だから、周囲の人にはかすかな輝きにしか見えないかもしれない。
でも、触れている自分には分かる。
魔力の流れが、傷口に沿ってやさしく染み込んでいく。
「……あったかい」
男の子が、目をつぶったままぽつりと呟いた。
「こそばゆい?」
「んー……ちょっと。くすぐったい」
「じゃあ、ちゃんと飛んでってる証拠だ」
細く深く、魔力を通す。
肉が寄り合い、血が止まり、皮膚が薄く編み直されていく映像が、手のひらの感覚として伝わる。
膝の上にかかっているのは、以前に比べたら、本当にちいさな負荷だった。
それでも、魔法を使うという行為自体が、まだ身体に新鮮な緊張を呼び起こす。
「……よし」
光がふっと消えていく。
手を離すと、さっきまで血がにじんでいた足首には、ほんのり赤みが残る程度の皮膚があるだけだった。
「もう、いたくないよ」
「え……?」
男の子が、おそるおそる目を開ける。
自分の足を見て、きょろきょろとまばたきを繰り返した。
「さっき、血出てたのに……」
「もう止まったからね」
「さわっても、いい?」
「いいよ」
恐る恐る指で押してみる。
さっきまで泣き叫んでいた子どもの顔が、ぱあっと明るくなった。
「いたくない!!」
その一言に、周囲の空気が一気に変わる。
「おお……!」
「傷が消えてる……」
「今の……本当に魔法?」
大人たちがざわめき始める。
男の子は、リディアを見上げて、目をキラキラさせた。
「すごい! お姉ちゃん、神様なの!?」
胸の奥が、ぎゅっと掴まれた。
アルシェルドでは、この程度の癒しは“当たり前”だった。
むしろ、「そんな小さな傷に聖女様を使うな」と叱られるレベルだ。
“ありがたがられること”より、“効率よく使われること”の方が圧倒的に多かった。
でも、ここでは違う。
今、目の前の子どもは、心の底からの敬意と驚きと憧れをまるごと向けてきている。
「神様では、ないよ」
リディアは、そっと首を振った。
「ちょっとだけ、特別なことができる、ただのお姉ちゃん」
「でも、すごい!!」
男の子が笑いながら立ち上がる。
さっきまで泣いていたのが嘘みたいに元気だ。
「ありがとう、お姉ちゃん!!」
その一言が、じわっと心に染み込む。
単純で、真っ直ぐで、濁りのない感謝。
「……どういたしまして」
思わず顔がほころぶ。
ふと、周囲の大人たちが揃って頭を下げていることに気づいた。
「本当に、助かったよ」
「ありがとな。うちの子じゃないけど、見てるこっちまでヒヤヒヤしてた」
「魔術師様か何かかい? お礼したいくらいだ」
「いえ、本当に大丈夫です。わたし、通りすがりなので」
「通りすがりの“そんなすごい人”がいるかい」
女性が苦笑する。
リディアは、「すごい人」なんて言葉、久しく向けられていなかったことに気づいた。
アルシェルドでは、“無能”“足りない”“交代”。
良くて、“当然の役目”。
感謝の言葉はあった。
兵士たちが頭を下げてくれることもあった。
でも、あれはいつも、「聖女様」という看板に対して向けられているように感じていた。
今ここで向けられているのは、明らかに“リディア”という一人の人間に対する礼だ。
名前も、肩書きも、何もない。
“通りすがりの誰か”に対する、純粋な「ありがとう」。
「お姉ちゃん、お礼!」
男の子が、何かを決意したような顔で、ぎゅっと握りこぶしを作った。
「なにか、くれるの?」
「うん!」
ちょこちょこと走り出して、近くの花屋の軒先から、小さな白い花を一輪摘んで戻ってきた。
「こら、勝手に摘むな!」
花屋のおばさんが慌てて叫ぶ。
「ごめんなさい! この子の分は、わたしが払います!」
女性が、慌てて財布を取り出した。
男の子はそんなやり取りなど気にせず、得意げに花を差し出してくる。
「はい! ありがとうの花!」
「……え」
ちいさな花。
儚げな白い花弁。
でも、その真ん中には、はっきりとした黄色い芯がある。
「これもらったから、もう大丈夫。足も、もう泣かない!」
「そうなんだ」
胸の奥が、またぎゅっと鳴る。
アルシェルドでは、感謝はほとんど“言葉”か“儀礼”だった。
膝をついて祈るとか、形式的な礼とか。
こういう、温度のある、小さな“贈り物”をもらった記憶が、ほとんどない。
「ありがとう。大事に、するね」
花を受け取り、優しく握りしめる。
男の子は満足そうに頷いて、母親と一緒に去っていった。
周囲の大人たちも、それぞれ仕事に戻りながら、何度も振り返って頭を下げたり、手を振ったりしてくる。
「いやー……」
静かになったところで、カイルがぽりぽり頭をかいた。
「お前、やること結構えげつないな」
「えげつないって、ひどくないですか」
「褒めてんだよ。あの子の“いたい”とか“不安”とか、まるっと持ってったろ。
こっちまで気持ちよくなる奇跡の使い方、久しぶりに見た」
カイルは、ちょっと感心したように言う。
「……でも、本当に大丈夫だったか? 魔力のほう」
「はい。これくらいなら、本当に少しだけなので」
リディアは、胸に手を当てる。
魔力の器は、さっきまでよりも、むしろ整った感じがした。
無理に大きな奇跡を起こすんじゃなく、今の自分にできる範囲で、誰かの痛みをちょっとだけ軽くする。
それだけでも、魔法の流れは十分に満たされるのだと、身体が教えてくれる。
「そういう顔するんだな」
「どんな顔ですか」
「“あ、わたし、まだこういうの好きなんだな”って顔」
図星を突かれて、リディアは一瞬言葉に詰まった。
――好きだった。
誰かの痛みを軽くして、笑顔に変わる瞬間。
それは、聖女としての重圧と引き換えに、ずっと支えにしてきた感覚だった。
アルシェルドにいた最後のほうは、疲れすぎてその感覚すら鈍くなっていたけれど。
「……そう、ですね」
認めるように、小さく頷く。
「魔法を使うのは、怖くもあるけど……
誰かが“痛くない”って笑ってくれるのは、やっぱり、嬉しいです」
「だろ」
カイルは、何も難しいことを言わずに頷いた。
「だったら、今みたいに“これくらいなら”って範囲でさ、ちょっとずつ思い出していけばいいんじゃね?」
「思い出す……」
「お前の魔法、“国のため”とか“でかい儀式のため”とかじゃなくてさ。
“この通りで今日泣いてた子が、明日には普通に走れるようになるため”に使えるなら、そのほうが絶対いいだろ」
その言葉は、目から鱗が落ちる音がした。
(……そうか)
聖女としての祈りは、常に“国単位”だった。
「この大地を」「この王国を」「この民を」。
けれど今、ここノルディアでなら――
“目の前の誰か一人”のためだけに、魔法を使っていいのかもしれない。
「なんか、ノルディアってずるいですね」
「いきなり何だよ」
「こんなふうに、“ささやかな奇跡”をちゃんと喜んでくれるから」
胸の奥のどこかが、きゅう、と切なくなった。
「アルシェルドでは、“これくらい普通だろ”って顔されてましたから。
聖女の奇跡は、あって当たり前みたいに」
「普通に考えて、“あって当たり前の奇跡”なんかねーよ」
カイルのツッコミは、どこまでもまっすぐだ。
「それを当たり前にしちまったやつらが、おかしいだけだ」
「……ありがとう」
それは、本来、アルシェルドの誰かに言ってほしかった言葉だったのかもしれない。
でも今、その役目をカイルが引き受けてくれたことが、素直に嬉しい。
「なあ、リディア」
「はい」
「さっきのあれ、レオンさんに絶対言うなよ」
「え、どうしてですか?」
「“魔法使った”って聞いた瞬間、“どの程度”“どんな感覚”“疲労度”って質問ラッシュが飛んでくるから」
「ああ……」
容易に想像できてしまって、苦笑する。
たしかにレオンなら、魔力の流れと回復度合いを細かく知りたがるだろう。
「ちゃんと報告したほうがいいんじゃないですか?」
「ほどほどにな。全部正直に言ってたら、“しばらく外出禁止”とか平気で言い出すタイプだからな、あの人」
「それは困ります」
心から出た本音に、二人で笑いあう。
ふと、手の中の小さな白い花を見つめた。
あれからずっと握りしめていたせいで、少しだけ花弁がしおれている。
でも、まだちゃんと形を保っていた。
(……大きな奇跡じゃないのに)
ただ、ちいさな子どもの膝を治しただけ。
それでも、あれだけの笑顔と“ありがとう”をもらえた。
アルシェルドでどれだけ大きな儀式をして、どれだけ国を守る祈りを捧げても、“当然”としか扱われなかった日々を思い出す。
(わたし、ずっと、これが欲しかったんだ)
“ちゃんと向けられた感謝”。
名前も役職も抜きにした、“あなたがいてくれてよかった”という気持ち。
今さら気づくなんて、遅すぎるかもしれない。
でも、遅れてもいい。
気づけたこと自体が、すでに奇跡みたいなものなのだから。
「……カイル」
「ん?」
「ノルディアに来られて、よかったです」
ぽろっと、本音が溢れた。
カイルは一瞬、目を丸くして、それから照れくさそうに頭をかいた。
「そう言ってもらえるなら、俺らがあんた拾ったのも無駄じゃなかったってことだな」
「無駄なんて思ってたんですか?」
「いやいやいや。“瀕死の謎の女”拾ってくるのって、冷静に考えたらなかなかリスキーだからな?」
「……たしかに」
そのリスクを背負ってくれたことにも、改めて感謝したくなった。
手のひらの花を、胸元にそっと飾る。
「似合うな」
「本当ですか?」
「おう。なんか、“神様”ってより、“街に降りてきたちょっとすごいお姉ちゃん”って感じ」
「それ、褒めてます?」
「全力で褒めてる」
リディアは、自分の胸元に咲いた小さな白い花を見下ろしながら、静かに思う。
――奇跡の大きさって、結果の派手さじゃないんだ。
泣いていた子どもが笑うこと。
不安だった大人が「よかった」と肩の力を抜くこと。
自分自身の心が、「ここにいてもいい」と少しだけ安らぐこと。
そんな、小さな変化が積み重なっていくことこそが、きっと、本当の意味での“奇跡”なのだろう。
ノルディアの空の下で、リディアはやっと、それに気づき始めていた。
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