聖女を追放した国が滅びかけ、今さら戻ってこいは遅い

タマ マコト

文字の大きさ
15 / 20

第15話 “遅い”という答えに辿り着く

しおりを挟む


 沈黙は、音よりも残酷だ。

 リディアの問い――「どうして、その言葉を、“あのとき”くれなかったんですか」に、謁見の間の空気が固まる。

 誰も、息をすることすらためらっているみたいだった。

 ユリウスだけが、荒く浅い呼吸を繰り返している。

「……俺は」

 しばらくして、彼はかすれた声で口を開いた。

「俺は、あの当時――誤解していた」

 言葉を探しながら、必死に並べていく。

「周囲の声に惑わされていた。
 神官たちが“加護は弱まっている”と言い、大臣たちが“聖女の交代が必要だ”と囁いた。
 数字だけを見て、“それが真実だ”と信じてしまった」

 “誤解”。
 “惑わされた”。

 その一つ一つの言葉が、リディアの胸に、ぬるい水のように落ちていく。

 熱くも、冷たくもない。
 ただじわじわと、なにかを薄めていく。

「俺は、君の真価を理解できていなかった」

 ユリウスは、唇をかみしめた。

「君がどれだけ祈っていたのか。
 どれだけ無茶をして、自分を削っていたのか。
 “聖女の奇跡”を、“当然あるべきもの”だと、どこかで思い込んでいた」

 それは――彼なりの「反省」の言葉だ。

 責任逃れをしようとしているわけでは、きっとない。
 自分の愚かさを認めているのだろう。

 頭では分かる。

 でも、胸の奥で何かがひどく静かになっていく。

(理解できてなかった、か)

 彼が「理解していなかった」時期は、十年以上に及ぶ。

 リディアが、祈り続けていた年月。
 膝が笑うくらい長く立ち続けた夜。
 骨の髄まで魔力を絞り出した儀式。
 帰り道でふらつきながらも、「大丈夫です」と笑って見せた日々。

 全部、その「理解できていなかった」の一言で括られる。

(“理解できていなかった”からって)

 だから仕方なかった、と言われている気がした。

 誤解していたから。
 惑わされていたから。
 真価を知らなかったから――。

 その結果、壊れたのは誰の人生だった?

 立ち尽くすユリウスの姿を見ながら、リディアの心のどこかが、カチリ、と音を立てて冷めていく。

 怒りでもない。
 憎しみとも違う。

 もっと、乾いた感覚。

 「ああ、この人は、こういう理由でしか自分を説明できないんだな」という、諦めにも似た理解。

「……そう、なんですね」

 自分でも驚くほど、淡々とした声が出た。

 ユリウスの肩が、びくりと揺れる。

「誤解していた。
 周囲に惑わされていた。
 わたしの真価を理解できていなかった」

 一つ一つ、リディアは彼の言葉をなぞる。

「それで、わたしの人生が傷ついて、壊れてしまったのは……」

 指先が、ぎゅっとドレスの裾を掴む。

「“仕方がなかったこと”なんですか?」

 大広間に、ひゅうっと冷たい風が吹き抜けた気がした。

 ユリウスの顔が、苦痛に歪む。

「違う。仕方がなかったなんて、思っていない」

「じゃあ、“どうしようもなかったこと”ですか?」

「それも違う!」

 彼は、声を荒げた。

「どうにかできた。今思えば、いくらでもやりようはあった。
 君の話を直接聞くことも、数字以外のものを見ることも……全部」

「でも、しなかった」

 リディアは、静かに言った。

「その時点で、“しない”って、選んだんですよね」

 “できたのに、しなかった”。

 それは、何よりもはっきりした事実だ。

 ユリウスは、一瞬言葉を失う。

 かすかに開かれた口から、かろうじて声が漏れた。

「……ああ」

 絞り出すような肯定。

「俺は、何も見ようとしなかった。
 君が、どれだけ疲れているか。
 どれだけ無理をしているか。
 それを直視するのが、怖かったからだ」

 怖かった。

 その言葉に、リディアは小さく目を瞬かせる。

「怖かった、ですか」

「君が、あまりにも“当たり前”にそこにいたからだ」

 ユリウスは、床を見つめるようにして、言葉を吐き出した。

「毎日祈って、毎日誰かを癒やして、毎日笑っていた君が――
 ある日、限界を迎えるかもしれない、と考えるのが怖かった」

 だから、見なかった。

 限界の兆しも、ひび割れも。

「君が壊れてしまったら、“国の支え”がなくなると分かっていた。
 だから、無意識に、“君は壊れない”と思い込もうとした。
 “無限に祈れる”と、どこかで期待していた」

「……」

 その告白は、残酷なほど正直だった。

 自分にとって都合の悪い未来を、最初から存在しないものとして扱っていた。
 それが、アルシェルドの王太子の「本音」。

(やっぱり、わたしは)

 道具だったんだな、とリディアは思う。

 彼の中で、祈る器。
 国の支え。
 “無限に使える”と信じたい存在。

「リディア」

 隣で、レオンの指先がそっと動く。

 何も言わないけれど、肩のすぐ近くに彼の気配がある。
 それだけで、地面に足がつながれたような安心感があった。

 ノルディアの王は、口を挟まない。
 彼女の言葉を、彼女自身に委ねている。

 でも、“ひとりで立たせてはいない”。

 その距離感が、たまらなく心強かった。

(……わたしが、決めるんだ)

 逃げることもできる。
 怒鳴り返すこともできる。
 黙って俯くことだってできる。

 でも、どれも、「あの頃のわたし」の続きみたいで嫌だった。

 今のわたしは、ノルディアでパンを食べて笑って、子どもを癒して泣かれて、
 レオンやカイルとくだらない会話をして、ようやく「自分」という輪郭を持ち始めたところだ。

 その“今のわたし”として、答えを出したかった。

 リディアは、ゆっくりと息を吸った。

 肺の隅々に、ノルディアの冷たい空気が満ちていく。

 それから、はっきりと言う。

「……わたしを追放したのは、アルシェルドの選択です」

 ユリウスの肩が、びくりと揺れた。

「陛下が、殿下が、神官たちが、貴族たちが――
 “聖女リディアは国を守るには不十分だ”と決めて。
 “聖女の称号を剥奪し、婚約も破棄し、追放する”と、決めた」

 あの日の言葉を、一つ一つ並べていく。

「“国のため”だと言いながら、わたしを切り捨てたのは、そちらです」

 声は震えていない。

 震えが全部、胸の奥に引きこもっているせいだ。

「その瞬間に――」

 リディアは、指先に力を込める。

「わたしと、あなたたちの未来は、別々の道になりました」

 “その瞬間に”。

 そこに線が引かれた。

 アルシェルドで祈り続けていたリディアと、
 ノルディアで新しく生き始めたリディアの間に、はっきりとした境界線。

「追放された夜、森で倒れて。
 アルシェルドの兵士に剣を向けられて。
 このまま死ぬんだなって、思ったときに」

 視界の端で、ノルディアの騎士たちが小さく息を呑む。

「わたしは、自分の人生がそこで終わるんだって、本気で覚悟しました」

 雨の冷たさも、泥の匂いも、まだ鮮明に蘇る。

「だから――」

 リディアは、ゆっくりとユリウスを見据えた。

「アルシェルドにとっては、わたしは“行方不明”だったかもしれないけど」

 一文字ずつ、かみしめるように続ける。

「わたしにとっては、あの夜――もう、一度死んだんです」

 大広間に、目に見えない衝撃が走った気がした。

 ユリウスの顔が、蒼白になる。

「……死んだ?」

「アルシェルドの聖女リディアとしてのわたしは、あの夜、死んだんです」

 言いながら、自分の中でも何かが腑に落ちていくのを感じた。

 あの夜を境に、世界は変わった。
 自分の立場も、名前も、生き方も。

 ノルディアで目を覚ましたとき、リディアは、「生き延びた」と思った。
 でもそれは同時に、「別の人生が始まった」ということでもあったのだ。

「だから今、“戻ってこい”と言われても」

 声が少しだけ強くなる。

「もう、わたしは――」

 言葉を区切る。
 短い沈黙が落ちる。

 ユリウスの目が、必死に何かを待っているのが分かる。

 許しなのか。
 救いなのか。
 あるいは、“都合のいい答え”なのか。

 リディアは、その期待ごと、まっすぐ見つめ返した。

「アルシェルドの聖女には、戻れません」

 それは、“戻りたくない”ではなく。
 “戻らない”でもなく。

 “戻れない”。

 過去の自分に、もう一度命を吹き込むことはできない。
 あの頃と同じように祈り、同じように笑い、同じように「国のため」と言って自分を捧げることは――
 もう、絶対にできない。

 ノルディアで、「自分のために生きていい」と教えられてしまったから。

 その結果として世界が変わってしまったことを、もう無かったことにはできない。

 宣言は、驚くほど静かに謁見の間に響いた。

 誰かが叫ぶでもなく、泣き出すでもなく。
 ただ、重く、深く、落ちていく。

 ユリウスの表情が、一瞬で崩れた。

 まるで、足元から大地が抜け落ちたみたいな顔。

「……戻れ、ない?」

 かすれた、掠れた反復。

「リディア……君は……」

「わたしは、もう“アルシェルドの聖女”じゃありません」

 リディアは、きっぱりと言う。

「ノルディアに拾われて、“リディア”として生きている人間です」

 肩書きも、役目も、全部剥がしたあとに残った、自分の名前。

 それを、初めて胸を張って名乗れた気がした。

「もちろん、“ノルディアの聖女”って呼ばれるつもりも、今はありません。
 でも、“アルシェルドの聖女”にはもう二度と戻らない。
 わたしの祈りは、“国のため”じゃなくて――」

 そこで、ふっと笑う。

「“ここにいる誰かのために”使いたいから」

 パン屋のおばあさんの膝の痛みとか。
 市場の子どもの擦り傷とか。
 カイルの無茶な稽古の怪我とか。
 レオンが夜更かししすぎて頭痛を押して仕事しているときとか。

 そういう、「顔の見える誰か」のために祈りたい。

 それが巡り巡って国のためになるとしても――順番を間違えたくない。

 ユリウスは、ぐらりと前のめりになった。

 騎士たちが条件反射で動きかける。
 レオンの指先が、「まだだ」と静かに空気を押さえる。

 ユリウスは倒れもしないで、ただその場で立ち尽くした。

「そんな……」

 声が震えている。

「そんな答えを、聞くために来たんじゃない……」

 その呟きは、あまりにも勝手で。
 あまりにも、今までの彼らしすぎた。

 自分の望む答えを期待して。
 自分の描いた展開通りに事が運ぶと思っていて。
 その通りにならない現実に、ただ茫然としている。

(遅いんだよ)

 胸の中で、ぽつりとことばが落ちる。

 遅い。

 謝るのも。
 頼るのも。
 理解するのも。

 全部、遅い。

 ノルディアに来てから、何度も「本当に壊れるに間に合った"気がつく"優しさ」に触れた。
 拾ってくれた夜の、あの手の温度。
 パンをくれた老夫婦の言葉。
 「ここにいていい」と言ってくれたレオン。
 「自分を後回しにするな」と言ってくれたカイル。

 どれも、“ギリギリ間に合った”優しさだった。

 それに比べて、今ここにある謝罪と懇願は――もう、致命的に遅い。

 だからこそ、それはユリウス自身にとって、“ざまぁ”に等しい破滅の音として響いた。

 リディアは、最後にひとつだけ付け加える。

「……アルシェルドが崩れかけていることは、本当に、悲しいと思います」

 それは嘘じゃなかった。

 あの国で出会った人たち。
 兵士たち。
 街の子どもたち。
 祈りに来ていた農夫の夫婦。

 彼らが苦しんでいると聞くのは、胸が痛い。

「でも、“あのとき切り捨てた聖女”を、“国が苦しくなったから戻ってこい”って言うのは……」

 ゆっくり首を振る。

「――遅いです」

 その言葉は、刃ではなかった。

 ただの事実。
 ただの時間軸。

 けれど、その「遅い」は、ユリウスの胸に突き刺さった。

 彼は、なにも返せない。

 反論の余地も、言い訳も、もうなかった。

 静まり返った謁見の間で。

 ノルディアの王は、ようやく一歩前に出る。

 レオンハルトの声が、澄んだ鈴のように響いた。

「――今の言葉が、ノルディアの客人リディアの答えだ」

 それは、“ノルディア王としての宣言”でもあった。

 アルシェルドがどれだけ懇願しようと。
 どれだけ過去を悔やもうと。

 “遅い”という答えは、もう変わらない。

 その瞬間、ユリウスの世界に、確かに何かが終わる音がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

嘘つきと言われた聖女は自国に戻る

七辻ゆゆ
ファンタジー
必要とされなくなってしまったなら、仕方がありません。 民のために選ぶ道はもう、一つしかなかったのです。

聖女はもう要らない

ファンタジー
百年以上にわたり、王国を支えてきたローゼンベルク公爵家。しかしその力は、代々生まれる「聖女」の魔力による結界術と魔導炉に依存した、王家との盟約に基づくものだった。 夜会の日、王太子アレクシス・ルクシエルは、公爵令嬢アンジェリカ・ローゼンベルクに聖女としての任を解くことを告げる。アンジェリカは盟約に基づき、国を揺るがすほどの魔法契約の解除及び巨額の請求を求める──その場にいた貴族たちは戦慄した。しかし……。 ※他サイトにも投稿しています。

わたくしを追い出した王太子殿下が、一年後に謝罪に来ました

柚木ゆず
ファンタジー
 より優秀な力を持つ聖女が現れたことによってお払い箱と言われ、その結果すべてを失ってしまった元聖女アンブル。そんな彼女は古い友人である男爵令息ドファールに救われ隣国で幸せに暮らしていたのですが、ある日突然祖国の王太子ザルースが――アンブルを邪険にした人間のひとりが、アンブルの目の前に現れたのでした。 「アンブル、あの時は本当にすまなかった。謝罪とお詫びをさせて欲しいんだ」 現在体調の影響でしっかりとしたお礼(お返事)ができないため、最新の投稿作以外の感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~

白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。 王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。 彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。 #表紙絵は、もふ様に描いていただきました。 #エブリスタにて連載しました。

お飾りの聖女は王太子に婚約破棄されて都を出ることにしました。

高山奥地
ファンタジー
大聖女の子孫、カミリヤは神聖力のないお飾りの聖女と呼ばれていた。ある日婚約者の王太子に婚約破棄を告げられて……。

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです

ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」 宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。 聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。 しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。 冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。

聖女の妹、『灰色女』の私

ルーシャオ
恋愛
オールヴァン公爵家令嬢かつ聖女アリシアを妹に持つ『私』は、魔力を持たない『灰色女(グレイッシュ)』として蔑まれていた。醜聞を避けるため仕方なく出席した妹の就任式から早々に帰宅しようとしたところ、道に座り込む老婆を見つける。その老婆は同じ『灰色女』であり、『私』の運命を変える呪文をつぶやいた。 『私』は次第にマナの流れが見えるようになり、知らなかったことをどんどんと知っていく。そして、聖女へ、オールヴァン公爵家へ、この国へ、差別する人々へ——復讐を決意した。 一方で、なぜか縁談の来なかった『私』と結婚したいという王城騎士団副団長アイメルが現れる。拒否できない結婚だと思っていたが、妙にアイメルは親身になってくれる。一体なぜ?

処理中です...