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第15話 “遅い”という答えに辿り着く
しおりを挟む沈黙は、音よりも残酷だ。
リディアの問い――「どうして、その言葉を、“あのとき”くれなかったんですか」に、謁見の間の空気が固まる。
誰も、息をすることすらためらっているみたいだった。
ユリウスだけが、荒く浅い呼吸を繰り返している。
「……俺は」
しばらくして、彼はかすれた声で口を開いた。
「俺は、あの当時――誤解していた」
言葉を探しながら、必死に並べていく。
「周囲の声に惑わされていた。
神官たちが“加護は弱まっている”と言い、大臣たちが“聖女の交代が必要だ”と囁いた。
数字だけを見て、“それが真実だ”と信じてしまった」
“誤解”。
“惑わされた”。
その一つ一つの言葉が、リディアの胸に、ぬるい水のように落ちていく。
熱くも、冷たくもない。
ただじわじわと、なにかを薄めていく。
「俺は、君の真価を理解できていなかった」
ユリウスは、唇をかみしめた。
「君がどれだけ祈っていたのか。
どれだけ無茶をして、自分を削っていたのか。
“聖女の奇跡”を、“当然あるべきもの”だと、どこかで思い込んでいた」
それは――彼なりの「反省」の言葉だ。
責任逃れをしようとしているわけでは、きっとない。
自分の愚かさを認めているのだろう。
頭では分かる。
でも、胸の奥で何かがひどく静かになっていく。
(理解できてなかった、か)
彼が「理解していなかった」時期は、十年以上に及ぶ。
リディアが、祈り続けていた年月。
膝が笑うくらい長く立ち続けた夜。
骨の髄まで魔力を絞り出した儀式。
帰り道でふらつきながらも、「大丈夫です」と笑って見せた日々。
全部、その「理解できていなかった」の一言で括られる。
(“理解できていなかった”からって)
だから仕方なかった、と言われている気がした。
誤解していたから。
惑わされていたから。
真価を知らなかったから――。
その結果、壊れたのは誰の人生だった?
立ち尽くすユリウスの姿を見ながら、リディアの心のどこかが、カチリ、と音を立てて冷めていく。
怒りでもない。
憎しみとも違う。
もっと、乾いた感覚。
「ああ、この人は、こういう理由でしか自分を説明できないんだな」という、諦めにも似た理解。
「……そう、なんですね」
自分でも驚くほど、淡々とした声が出た。
ユリウスの肩が、びくりと揺れる。
「誤解していた。
周囲に惑わされていた。
わたしの真価を理解できていなかった」
一つ一つ、リディアは彼の言葉をなぞる。
「それで、わたしの人生が傷ついて、壊れてしまったのは……」
指先が、ぎゅっとドレスの裾を掴む。
「“仕方がなかったこと”なんですか?」
大広間に、ひゅうっと冷たい風が吹き抜けた気がした。
ユリウスの顔が、苦痛に歪む。
「違う。仕方がなかったなんて、思っていない」
「じゃあ、“どうしようもなかったこと”ですか?」
「それも違う!」
彼は、声を荒げた。
「どうにかできた。今思えば、いくらでもやりようはあった。
君の話を直接聞くことも、数字以外のものを見ることも……全部」
「でも、しなかった」
リディアは、静かに言った。
「その時点で、“しない”って、選んだんですよね」
“できたのに、しなかった”。
それは、何よりもはっきりした事実だ。
ユリウスは、一瞬言葉を失う。
かすかに開かれた口から、かろうじて声が漏れた。
「……ああ」
絞り出すような肯定。
「俺は、何も見ようとしなかった。
君が、どれだけ疲れているか。
どれだけ無理をしているか。
それを直視するのが、怖かったからだ」
怖かった。
その言葉に、リディアは小さく目を瞬かせる。
「怖かった、ですか」
「君が、あまりにも“当たり前”にそこにいたからだ」
ユリウスは、床を見つめるようにして、言葉を吐き出した。
「毎日祈って、毎日誰かを癒やして、毎日笑っていた君が――
ある日、限界を迎えるかもしれない、と考えるのが怖かった」
だから、見なかった。
限界の兆しも、ひび割れも。
「君が壊れてしまったら、“国の支え”がなくなると分かっていた。
だから、無意識に、“君は壊れない”と思い込もうとした。
“無限に祈れる”と、どこかで期待していた」
「……」
その告白は、残酷なほど正直だった。
自分にとって都合の悪い未来を、最初から存在しないものとして扱っていた。
それが、アルシェルドの王太子の「本音」。
(やっぱり、わたしは)
道具だったんだな、とリディアは思う。
彼の中で、祈る器。
国の支え。
“無限に使える”と信じたい存在。
「リディア」
隣で、レオンの指先がそっと動く。
何も言わないけれど、肩のすぐ近くに彼の気配がある。
それだけで、地面に足がつながれたような安心感があった。
ノルディアの王は、口を挟まない。
彼女の言葉を、彼女自身に委ねている。
でも、“ひとりで立たせてはいない”。
その距離感が、たまらなく心強かった。
(……わたしが、決めるんだ)
逃げることもできる。
怒鳴り返すこともできる。
黙って俯くことだってできる。
でも、どれも、「あの頃のわたし」の続きみたいで嫌だった。
今のわたしは、ノルディアでパンを食べて笑って、子どもを癒して泣かれて、
レオンやカイルとくだらない会話をして、ようやく「自分」という輪郭を持ち始めたところだ。
その“今のわたし”として、答えを出したかった。
リディアは、ゆっくりと息を吸った。
肺の隅々に、ノルディアの冷たい空気が満ちていく。
それから、はっきりと言う。
「……わたしを追放したのは、アルシェルドの選択です」
ユリウスの肩が、びくりと揺れた。
「陛下が、殿下が、神官たちが、貴族たちが――
“聖女リディアは国を守るには不十分だ”と決めて。
“聖女の称号を剥奪し、婚約も破棄し、追放する”と、決めた」
あの日の言葉を、一つ一つ並べていく。
「“国のため”だと言いながら、わたしを切り捨てたのは、そちらです」
声は震えていない。
震えが全部、胸の奥に引きこもっているせいだ。
「その瞬間に――」
リディアは、指先に力を込める。
「わたしと、あなたたちの未来は、別々の道になりました」
“その瞬間に”。
そこに線が引かれた。
アルシェルドで祈り続けていたリディアと、
ノルディアで新しく生き始めたリディアの間に、はっきりとした境界線。
「追放された夜、森で倒れて。
アルシェルドの兵士に剣を向けられて。
このまま死ぬんだなって、思ったときに」
視界の端で、ノルディアの騎士たちが小さく息を呑む。
「わたしは、自分の人生がそこで終わるんだって、本気で覚悟しました」
雨の冷たさも、泥の匂いも、まだ鮮明に蘇る。
「だから――」
リディアは、ゆっくりとユリウスを見据えた。
「アルシェルドにとっては、わたしは“行方不明”だったかもしれないけど」
一文字ずつ、かみしめるように続ける。
「わたしにとっては、あの夜――もう、一度死んだんです」
大広間に、目に見えない衝撃が走った気がした。
ユリウスの顔が、蒼白になる。
「……死んだ?」
「アルシェルドの聖女リディアとしてのわたしは、あの夜、死んだんです」
言いながら、自分の中でも何かが腑に落ちていくのを感じた。
あの夜を境に、世界は変わった。
自分の立場も、名前も、生き方も。
ノルディアで目を覚ましたとき、リディアは、「生き延びた」と思った。
でもそれは同時に、「別の人生が始まった」ということでもあったのだ。
「だから今、“戻ってこい”と言われても」
声が少しだけ強くなる。
「もう、わたしは――」
言葉を区切る。
短い沈黙が落ちる。
ユリウスの目が、必死に何かを待っているのが分かる。
許しなのか。
救いなのか。
あるいは、“都合のいい答え”なのか。
リディアは、その期待ごと、まっすぐ見つめ返した。
「アルシェルドの聖女には、戻れません」
それは、“戻りたくない”ではなく。
“戻らない”でもなく。
“戻れない”。
過去の自分に、もう一度命を吹き込むことはできない。
あの頃と同じように祈り、同じように笑い、同じように「国のため」と言って自分を捧げることは――
もう、絶対にできない。
ノルディアで、「自分のために生きていい」と教えられてしまったから。
その結果として世界が変わってしまったことを、もう無かったことにはできない。
宣言は、驚くほど静かに謁見の間に響いた。
誰かが叫ぶでもなく、泣き出すでもなく。
ただ、重く、深く、落ちていく。
ユリウスの表情が、一瞬で崩れた。
まるで、足元から大地が抜け落ちたみたいな顔。
「……戻れ、ない?」
かすれた、掠れた反復。
「リディア……君は……」
「わたしは、もう“アルシェルドの聖女”じゃありません」
リディアは、きっぱりと言う。
「ノルディアに拾われて、“リディア”として生きている人間です」
肩書きも、役目も、全部剥がしたあとに残った、自分の名前。
それを、初めて胸を張って名乗れた気がした。
「もちろん、“ノルディアの聖女”って呼ばれるつもりも、今はありません。
でも、“アルシェルドの聖女”にはもう二度と戻らない。
わたしの祈りは、“国のため”じゃなくて――」
そこで、ふっと笑う。
「“ここにいる誰かのために”使いたいから」
パン屋のおばあさんの膝の痛みとか。
市場の子どもの擦り傷とか。
カイルの無茶な稽古の怪我とか。
レオンが夜更かししすぎて頭痛を押して仕事しているときとか。
そういう、「顔の見える誰か」のために祈りたい。
それが巡り巡って国のためになるとしても――順番を間違えたくない。
ユリウスは、ぐらりと前のめりになった。
騎士たちが条件反射で動きかける。
レオンの指先が、「まだだ」と静かに空気を押さえる。
ユリウスは倒れもしないで、ただその場で立ち尽くした。
「そんな……」
声が震えている。
「そんな答えを、聞くために来たんじゃない……」
その呟きは、あまりにも勝手で。
あまりにも、今までの彼らしすぎた。
自分の望む答えを期待して。
自分の描いた展開通りに事が運ぶと思っていて。
その通りにならない現実に、ただ茫然としている。
(遅いんだよ)
胸の中で、ぽつりとことばが落ちる。
遅い。
謝るのも。
頼るのも。
理解するのも。
全部、遅い。
ノルディアに来てから、何度も「本当に壊れるに間に合った"気がつく"優しさ」に触れた。
拾ってくれた夜の、あの手の温度。
パンをくれた老夫婦の言葉。
「ここにいていい」と言ってくれたレオン。
「自分を後回しにするな」と言ってくれたカイル。
どれも、“ギリギリ間に合った”優しさだった。
それに比べて、今ここにある謝罪と懇願は――もう、致命的に遅い。
だからこそ、それはユリウス自身にとって、“ざまぁ”に等しい破滅の音として響いた。
リディアは、最後にひとつだけ付け加える。
「……アルシェルドが崩れかけていることは、本当に、悲しいと思います」
それは嘘じゃなかった。
あの国で出会った人たち。
兵士たち。
街の子どもたち。
祈りに来ていた農夫の夫婦。
彼らが苦しんでいると聞くのは、胸が痛い。
「でも、“あのとき切り捨てた聖女”を、“国が苦しくなったから戻ってこい”って言うのは……」
ゆっくり首を振る。
「――遅いです」
その言葉は、刃ではなかった。
ただの事実。
ただの時間軸。
けれど、その「遅い」は、ユリウスの胸に突き刺さった。
彼は、なにも返せない。
反論の余地も、言い訳も、もうなかった。
静まり返った謁見の間で。
ノルディアの王は、ようやく一歩前に出る。
レオンハルトの声が、澄んだ鈴のように響いた。
「――今の言葉が、ノルディアの客人リディアの答えだ」
それは、“ノルディア王としての宣言”でもあった。
アルシェルドがどれだけ懇願しようと。
どれだけ過去を悔やもうと。
“遅い”という答えは、もう変わらない。
その瞬間、ユリウスの世界に、確かに何かが終わる音がした。
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