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第1話 役立たずの烙印を押された魔女
しおりを挟む森が、深く息をしていた。
昼でも薄暗い常闇の森。その奥、大樹たちにぐるりと隠されるようにして、魔女たちの集落――「ノクターンの集〈しゅう〉」はひっそりと息を潜めている。
木の幹に張り付くような黒い小屋、宙に浮かぶ灯りの石、薬草の匂い。どこを切り取っても「よそ者お断りです」と言わんばかりの気配の中で、その少女は今日もやらかしていた。
「……うわ、ごめんっ!」
どんっ、と鈍い音とともに、訓練場の真ん中で小さな爆発が起きる。火花がぱっと弾け、焦げた匂いが空気を刺した。
「きゃっ!?」 「ちょ、ノワリエ! また!?」
周囲にいた魔女見習いたちが一斉に後ずさる。誰かが慌てて風の魔法を使い、舞い上がる煙を吹き飛ばした。
煙の中心にいたノワリエは、真っ黒になったローブの胸元を押さえながら、情けない笑いを浮かべる。
「……火の玉、小さく出したつもりだったんだけどなぁ……」
黒髪はところどころ焦げてちりちりと縮れ、灰紫色の瞳だけがやけに鮮やかに光っていた。その瞳に映るのは、呆れた顔、引きつった笑い、露骨な警戒。
「ねぇ、ほんと勘弁してよ」 「距離取っとかないと、巻き込まれる」 「やっぱり“歪んでる”んだよ、あの子の魔力」
ひそひそ声は、風より冷たく耳に入ってくる。
ノワリエは聞こえないふりをした。聞こえないわけがなかったけど。
「ノワリエ」
低く、冷えた声が背中を射抜く。 振り返れば、訓練場の端に立っているのは、黒いフードをかぶった長身の女――魔女長サナリア。ノワリエの母親だ。
その目は、氷みたいだった。触れたら切れそうなほどに、よく冷えている。
「はい、お母……魔女長様」
思わず“お母さん”と言いかけて、慌てて言い換える。サナリアの眉が、わずかに動いた気がした。
「火の初級魔法。何度教えた?」
「……十回、くらい……?」
「二十回は教えたわね」
淡々と訂正される。声色に怒鳴り声はないのに、心臓の奥をぎゅっと掴まれたような息苦しさが走った。
「魔力の量だけはある。器も大きい。なのに、制御がまるでできていない」
「が、頑張ってるんだよ? 昨日も夜遅くまで練習して――」
「頑張りは、結果とセットで評価されるものよ、ノワリエ」
ぴしゃり、と切りつけられる。サナリアの長い黒髪が、肩のあたりでさらりと揺れた。
「あなたの器は歪んでいる。入る魔力が多すぎるのに、出口がぐちゃぐちゃ。注ぐたびに漏れて、暴れて、周りを巻き込む」
言葉は診断だった。感情よりも、冷たい事実だけを並べるような声音。
それが余計に痛かった。
「……でも、ちゃんとやれば……いつかは」 「いつか、ね」
サナリアはため息をつき、ただそれだけで空気を少しだけ重くした。
「“いつか”のために、何人巻き込むつもり? あなたの失敗で怪我をした子は、もう何人目だったかしら」
ノワリエの喉がきゅっと狭くなる。最近も、一度大きな失敗をしてしまった。
治癒の練習で、擦り傷程度だった相手の腕が、魔力の逆流で真っ赤に腫れ上がった。泣きわめくその子を見て、ノワリエの頭は真っ白になった。 そのときの視線――怯えと怒りが混ざった、冷たい視線は、今も瞼の裏に焼き付いている。
「……ごめんなさい」
気付けば、その言葉だけが口からこぼれていた。
サナリアはほんの一瞬だけ目を伏せ、それから「解散」と他の見習いたちに告げる。
わっと散っていく少女たち。その中で、リュシエルとファナだけが、振り返って小声で囁き合った。
「ね、言ったでしょ。ノワリエの近くは危ないって」
「ほんと、それ。火の玉ひとつであんなになる?」
ノワリエと目が合うと、二人は気まずそうに視線をそらし、そのまま背中を向けて走り去っていく。
胸が、じくりと痛んだ。
サナリアはそれを見ていても何も言わない。ただ、ノワリエの側まで歩み寄ると、静かに告げた。
「今日の訓練は終わり。――ノワリエ」 「……うん」
「いつか、あなたが自分の器を受け入れられる日が来るかもしれない。そのときまで、生きていられればいいわね」
それは願いのようでいて、ほとんど諦めの宣告だった。
ノワリエは笑った。癖になった“とりあえず笑っておく”笑い方だ。
「大丈夫だよ、お母――魔女長様。ちゃんとやるから。次は、もっと、上手く……」
「口先だけなら、誰でも言えるわ」
サナリアは踵を返し、黒いマントを翻して去っていった。
残されたノワリエの笑顔は、ゆっくりと剥がれ落ちていく。足元の土を見つめながら、彼女は心の中で小さくつぶやいた。
(ちゃんとやりたいよ。やりたいのに――)
掌をぎゅっと握る。指の間から、まださっきの爆発の熱が残っている気がした。
訓練場を出るとき、後ろからかすかな声が聞こえた。
「……ほんと、あの子がいないほうが平和だよね」 「わかる。ノワリエが手出すと、全部壊れるし」
足が一瞬止まりそうになる。でも、止まったら負けだと思った。
ノワリエは顔を上げて歩き出す。うつむいたら、涙が落ちてしまいそうだったから。
◇ ◇ ◇
夕方になると、ノクターンの集は一気に静かになる。 それぞれの小屋から灯りが漏れ、薬草を煎じる匂いと、煙の匂いが混ざって漂う。遠くでフクロウが鳴き、森そのものが揺れるように音を立てる。
ノワリエの家――いや、サナリアの小屋も、小さな窓から橙色の光が漏れていた。
「ただいま……」
扉を開けると、薬草棚と本棚に囲まれた、狭いけれど整った部屋が広がる。奥のテーブルには、簡単な煮込み料理が二人分だけ用意されていた。
サナリアは椅子に座り、黙々と本に目を通している。
「いただきます」
ノワリエは席に着き、スプーンを手に取る。煮込みは温かくて、味もちゃんとおいしかった。それでも、喉の奥はずっと固いままだ。
沈黙が、テーブルの上に積もっていく。
我慢できなくなって、ノワリエはつい口を開いた。
「ねぇ、魔女長様」
「なに」
「もし、もしね? 私が、ちゃんと火の魔法も治癒もできるようになったら……そのときは、ちゃんと、認めてくれる?」
サナリアの手が止まる。ページをめくる指先が、わずかに固くなった。
「認めるって、何を?」
「……私が、ここにいてもいいってこと」
口に出した瞬間、自分でびっくりした。心の奥にしまい込んでいた本音がするりと出てきてしまって、スプーンがカチリと皿に当たる。
サナリアは本を閉じ、じっとノワリエを見た。
その視線は、柔らかくはなかった。でも、ほんの少しだけ揺らいでいた。
「ノワリエ。あなたは、私の娘よ」
「うん」
「だからこそ、厄介なの」
ぐさり、と刺さる。
「魔女として半端な子は、追い出せばいい。でも、あなたはそう簡単には切り捨てられない。血の繋がりがあるから」
「…………」
「だから私は、魔女長としても、母としても、あなたに“結果”を求めるの。中途半端なまま生き延びても、あなたも、周りも不幸になるだけ」
それは、救いのようでいて、突き放す言葉でもあった。
ノワリエは笑おうとした。けれど頬がうまく動かない。
「……そっか。うん。わかった。結果だよね。頑張る」
サナリアはそれ以上何も言わず、「食べたら休みなさい」とだけ告げて席を立つ。ローブの裾が揺れ、扉が閉まる音がした。
残されたノワリエは、煮込みを飲み込む。味が、よく分からなかった。
◇ ◇ ◇
夜になった。
森はさらに暗さを増し、空には薄い月がひとかけらだけ浮かんでいる。ノクターンの集の灯りはほとんど落ち、静寂だけが辺りを包んでいた。
ノワリエは小屋の窓から外を覗く。サナリアの気配は離れていった。多分、魔女長として夜の見回りか、儀式の準備だ。
「……よし」
そっとローブを羽織り、足音を殺して外に出る。吐く息が、白くはならない。ここはそういう寒さとは別の、湿った冷え方をする場所だ。
向かうのは、集落から少し外れたところにある小さな湖――“鏡湖〈きょうこ〉”。
夜の湖面は真っ黒で、星と月の光をそのまま飲み込んだみたいに静かだ。水際に立つと、足元からひやりとした気配が這い上がってくる。
「……ここなら、誰も巻き込まない、よね」
ノワリエは深呼吸を一つ。
胸の中に溜まっていたものが、すこしだけ外に流れていく。代わりに、魔力の感覚が体の芯でざわりと目を覚ました。
「火の玉くらい、ちゃんと出せるようにならなきゃ」
掌を前に突き出す。
前世――いや、この世界での生まれてからずっと、「やることなすこと、だいたい誰かの迷惑」だった自分を、ひとつずつ塗り替えたかった。
「いくよ……」
目を閉じ、魔力を集める。深く息を吸って、吐く。
熱が、掌のあたりに集まってくる。血が逆流するみたいに、体の中を駆け巡る。
(ゆっくり、丸く、静かに……暴れないで、お願い)
イメージを重ねる。けれど、魔力はすぐに外れていく。ちょっとでも気を抜くと、トゲトゲした光の粒があちこちに散ろうとする。
「だ、だめ、待って、暴れないでってば……!」
焦りが、余計に魔力を乱す。
次の瞬間、ぱんっ、と小さな破裂音がして、手のひらの上で火花が散った。掌がじん、と痺れる。
「っ……いった……」
見れば、ローブの袖が少し焦げていた。さっきの訓練場よりはマシかもしれない。でも、“成功”とは到底言えない。
ノワリエは上を向いた。黒い空に、星がいくつか瞬いている。
「……ねぇ、どうしたら、うまくいくの」
誰にともなく問いかける。返ってくるのは、波の音だけ。
「ちゃんとやってるのにさ。いっぱい練習してるのに。なんで、私だけ、こうなんだろ」
もう一度、魔力を集めようとする。今度はもっと小さく、点くらいの火でいい。ほんの、ろうそくの炎みたいな。
けれど、魔力は言うことを聞かない。器が歪んでいる――サナリアの言葉が、頭の中で反響する。
(器が歪んでる。器が歪んでる。役立たず。いないほうがいい)
午前中に叩き込まれた言葉たちが、耳の奥でぐるぐると回り始める。
また、失敗した。
また、焦がした。
また、「やめてよ」と言われる顔が目に浮かぶ。
「……やだな」
ぽつりと落ちた言葉と一緒に、涙が一粒、頬を伝って落ちる。湖面に落ちたそれは、月の光を一瞬だけ反射して、すぐに闇に溶けた。
堰を切ったように、次々と涙が溢れてくる。
「やだよ……いないほうがいいとか、役立たずとか……そんなの、言われたくて生まれてきたわけじゃ、ないのに……」
声が震えて、自分でもみっともないと思った。森に響くのが怖くて、手で口を押さえる。押さえた手のひらが、まだ少し熱い。
うまく笑えない。
うまく魔法も使えない。
うまく、生きることもできていない気がした。
それでも、ノワリエは掌を下ろさなかった。
涙を拭って、ぐっと足を踏ん張る。
「……もう一回だけ」
声はかすれていたけれど、確かにそこに意志があった。
「もう一回だけやったら、今日はやめる。それで、明日またやる。明後日も。その次も。その先も」
何度転んでも、立たなきゃいけない。立たないと、自分が自分でいられなくなる。
誰にも認められなくても、自分だけは、自分の頑張りを見ていてやりたかった。
ノワリエは、ゆっくりと目を閉じ、深く、深く息を吸った。
胸の奥の鉛みたいな重さも、喉の苦さも、全部いったん飲み込む。
(私は、役立たずなんかじゃない。……役立たずなんかで、終わりたくない)
その願いは、まだ世界のどこにも届いていない。
ただの一人分の、か細い願い。
でも、そんな小さな願いが、この先どれほど大きく世界を揺らすことになるのか――このときのノワリエは、まだ知らない。
ほんの少し先の未来で、自分の命が終わり、そして別の世界でやり直すことになることも。
今はただ、暗い湖のほとりで、ひとりきり。
魔力の暴れ方を知らない少女が、夜空に向かって、何度も何度も、小さな火を灯そうとしていた。
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