追放された無能令嬢、実は転生賢者でした――王国が滅びてももう知りません

タマ マコト

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第7話 選ばれた妹と、封じられていた災厄の名前

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 アストレイア王城の朝は、今日もきらきらしていた。

 磨かれた床。高い窓から差し込む光。香油の匂いをまとった侍女たち。笑顔を貼りつけた貴婦人たちの、上滑りするような祝福の声。

「まあ、セレナ様。本日もお美しいこと」 
「殿下の隣に立たれるお姿が目に浮かびますわ」
「次の王太子妃候補として、これほど相応しい方はいらっしゃらないでしょう」

 その言葉を浴びながら、セレナ・エルフェリアは鏡の前で微笑んでいた。

 薄桃のドレス。丁寧に巻かれた金髪。耳元で揺れる真珠。どこからどう見ても、幸福の中心に立つ少女の姿だ。

 そう。今の自分は、ようやく“選ばれた側”にいる。

 王子の婚約者だった姉は追放された。 
 人々はもう、リリアではなく自分を見ている。 
 欲しかった場所が、ようやく手の届くところまで降りてきた。

 そのはずだった。

「セレナ、背筋を伸ばして」

 背後から母ミレイナの声が飛ぶ。

「うつむくと顔色の悪さが目立つわ」 
「……そんなに悪いかしら」 
「少しね。でも化粧でどうにでもなる程度よ」

 扇子を閉じたミレイナは、鏡越しに娘を見た。相変わらず美しい女だった。口元に浮かぶ笑みも柔らかい。なのに、目だけはまるで冷たい算盤みたいに数字を弾いている。

「昨夜もあまり眠れなかったの?」 
「少しだけ」 
「だめよ。目の下に影ができているわ」 
「……お母様」

 セレナはそっと唇を噛んだ。

「私、本当に大丈夫かしら」

 その問いは、弱音のつもりで口にしたわけじゃなかった。けれど自分で思った以上に細い声が出た。

 ミレイナはすぐに表情を変えない。

「何が?」 
「最近、少し……変なの。夜になると声が聞こえるの」 
「声?」 
「誰もいないのに。耳元で、ずっと何か囁いてるみたいで」

 姉を超えろ。

 選ばれろ。

 足りない。

 まだ足りない。

 その声は、夜が深くなるほど近くなる。耳のすぐ横で囁いてくる時もあれば、頭の奥でぬるく響く時もあった。自分の考えみたいに自然に混ざってくるくせに、絶対に自分のものじゃないとわかる、気持ちの悪い声。

 ミレイナは少しだけ眉を寄せた。

「疲れよ」 
「でも」 
「立場が変わったばかりだもの。緊張もするでしょう」

 そう言って娘の肩に手を置く。その手つきは優しいのに、体温がない。

「今ここで弱るわけにはいかないのよ、セレナ」 
「……」 
「あなたはやっと手に入れたの。姉より上に立てる場所を」

 その言葉は、甘い毒みたいに心へ落ちる。

 姉より上。 
 その響きは、昔からセレナの胸をざらつかせる。

 子供の頃、屋敷の廊下ですれ違う使用人たちは、必ずこう言った。

「やっぱりお姉様はお綺麗ね」 
「長女のリリア様は落ち着いていらっしゃる」 
「王子殿下の婚約者に相応しいのは、やはりあちらだわ」

 直接聞こえなくても、空気でわかった。あの家ではいつだって、先に“本物”がいた。

 リリア。

 静かで、綺麗で、頭が良くて、どこか触れがたい姉。

 セレナはずっと、その背中を見上げていた。憧れていたのかもしれない。追いつきたかったのかもしれない。けれど比べられるうちに、その感情は少しずつ濁っていった。

 十歳の魔力測定の日、リリアの水晶が何も映さなかった時。  あの日初めて、自分は心の底で思ったのだ。

 ——勝てる。

 その感覚の甘さを、今でも忘れられない。

「お母様、私……ちゃんと選ばれ続けるかしら」 
「当然よ」

 ミレイナは即答した。

「選ばれ続けなさい。そのために努力するの」 
「でも、結界の適性試験が……」 
「通るわ」 
「まだ結果も出ていないのに」 
「出させるのよ」

 あまりに平然と言うので、セレナは少し息を呑む。

 ミレイナは鏡の中の娘と目を合わせた。

「いい? 王家が欲しいのは、王妃として美しく立てる娘と、結界に多少なりとも適性のある娘よ。あなたはその両方になれる」 
「……お姉様より?」 
「リリアさんはもういないわ」

 ぴしゃりと切り捨てる言い方だった。

「いない人のことを考えても仕方ないでしょう」 
「でも」 
「セレナ」

 ミレイナの声が、少しだけ低くなる。

「今さら怯えないで。あなたはもう、前へ出るしかないの」

 その瞬間、耳の奥で、あの声がまたした。

 ——そう、前へ。 
 ——踏み越えて。 
 ——選ばれなさい。

「っ……!」

 セレナが肩を震わせると、ミレイナが顔をしかめる。

「どうしたの」 
「なんでも、ない……」

 言えるわけがない。

 この声が怖いなんて。 
 勝ちたかったはずなのに、勝った場所で足元がぬかるんでいくみたいに不安だなんて。

 ミレイナは一瞬だけ娘を見つめ、それでも最終的には言った。

「今日は王宮術師による適性検査でしょう。顔を上げなさい」 
「……はい」 
「ここで倒れたりしたら、全部水の泡よ」

 慰めではなく、命令。

 その現実的すぎる言葉が、かえってセレナを黙らせた。

 自分が休めば、席が遠のく。  そう思うと、怖くて止まれない。

 その頃、ヴァルディオン帝国の研究棟では、リリアが古い術式板の前に立っていた。

 朝から机に積まれた資料は高く、もはや壁みたいになっている。星律結界の運用記録。古代術式の断片。アストレイア王国の地脈図。辺境から届いた結界異常の観測値。

 視界に入る数字の一つひとつが、今の王国の綻びを物語っていた。

「東部だけじゃない」

 リリアは紙面を睨んだまま呟く。

「西部、北方、中央補助塔……全部、揺れ方が似てる」 
「運用ミスでは説明がつかないか」

 向かいの席で、カイルが腕を組んだ。

 ここ数日で、二人が同じ机を囲む光景は珍しくなくなっていた。もっとも、穏やかな共同研究というには空気がやや鋭い。リリアは資料を読むたびに頭を抱え、カイルはそれを一歩引いた位置から冷静に見ている。

 信頼というより、利害と理性で組まれた共同作業だ。 
 でも今のリリアには、その方がちょうどいい。

「説明がつかない、というより……浅すぎます」

 紙に指先を滑らせる。

「結界の表層だけ見てるから、みんな“出力低下”って言ってる。でもこれ、深層の揺れです」 
「深層」 
「ええ。外側の防御網じゃなくて、もっと下……土台の方」

 エドガーが別の資料を差し出した。

「これか」 
「はい」

 受け取った古図は、星律結界の初期構造を断面図にしたものだった。地上の都市、防壁、結界塔、地中へ潜る魔力流路。そのさらに下に、濃い黒で塗られた円形の領域がある。

 古代文字が、淡く浮く。

「……奈落基底封環」

 読んだ瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 知らないはずの言葉なのに、その意味が分かる。 
 いや、分かってしまう。

「奈落、って……まさか」

 カイルが低く問う。

「何を見た」 
「これ、国土防衛用の結界じゃない」

 リリアはゆっくり息を吸った。

「本質は封印装置です」 
「封印」 
「ええ。地中深く、王都のさらに下……奈落の底に、何かが眠ってる」

 演習棟の時とは違う種類の静けさが落ちる。

 研究員たちのペンが止まった。

「何か、とは?」 
 エドガーが問う。

 その言葉に答えるより先に、頭の奥で閃光が走る。

 暗い穴。 
 見上げても底が見えないほど深い、黒い裂け目。 
 その周囲を囲む巨大な術式環。 
 そして、自分の前世の手が、震えながら最後の一線を描いている。

 ——星を喰らうものを、ここに縛る。

「……星喰い」

 口から零れた瞬間、自分の声なのにひどく遠く聞こえた。

「星喰い?」 
 カイルの眉がわずかに動く。

「古い名前です。災厄の名。地脈を、魔力を……たぶん世界の巡りそのものを喰う存在」 
「伝承ではなく?」 
「伝承じゃない、と思います。少なくともこの結界は、それを前提に設計されてる」

 リリアは資料をめくる。

 注釈。補助式。封環維持条件。

「星律結界は、“国を守る”ための見せ方をしてるだけ。ほんとは違う。国土を覆う防壁は副次機能で、主目的は下の奈落を押さえ込むこと」 
「……つまり、アストレイア王国は封印の上に築かれた国か」

 カイルの言葉は静かだったが、重い。

 リリアは小さく頷いた。

「だから出力低下が辺境だけで済まないんです。これは運用の失敗じゃなくて、根の部分が揺れてる」 
「接続核を失ったことで、封環全体が不安定化した?」 
「その可能性が高いです」

 自分で言いながら、胸の奥が重くなる。

 つまり、自分は知らないうちに王国を支えていたどころか、封印の維持にまで関わっていたことになる。

 無能令嬢。 
 役立たず。 
 家の恥。

 散々そう言われていた少女が、実際には国家規模の封印装置に組み込まれていた。

 あまりに悪趣味で、笑えない。

「もっと早く気づけなかったのか」

 カイルの言葉に、リリアは苦く息を吐いた。

「無理ですよ。王国側の文書、表層しか残してないもの」 
「意図的な秘匿か」 
「たぶん。全部書いたら誰も王都の上で安心して眠れないでしょうし」

 エドガーが唸る。

「星喰い……古層伝承の一部にそれらしい記述はあったが、まさか実在前提で組まれた術式が残っているとはな」 
「伝承にどんな話が」 
「天から落ちず、地の底から這い上がる黒い飢餓。魔力あるものを喰らい、巡りを歪める、とある」

 その説明だけで、リリアの指先が冷えた。

 何かを思い出しそうで、思い出したくない。

「……嫌な感じですね」 
「今さらか」 
 カイルが言う。 
「今さらです。嫌なものは嫌です」

 少しだけ空気がゆるむ。

 でも次の瞬間、別の資料を読んだリリアの表情が変わった。

「待って」 
「何だ」 
「これ……結界の深層揺れ、時間帯が偏ってる」 
「どこだ」 
「夜半です。特に深夜。接続役に負荷が乗る時間と一致してる」 
「接続役……今の候補は」 
「セレナ」

 名前を口にした瞬間、胸の奥がざらついた。

 妹の顔が浮かぶ。 
 勝ち誇った笑み。薄く濡れた瞳。姉より選ばれたと信じている顔。

 嫌いだ。 
 でもそれで終わるほど、単純でもない。

「どうした」 
 カイルが問う。

「……もし王国が次の接続役を立てようとしてるなら、セレナはかなり危ない」 
「適性が足りない?」 
「それもあります。でも、もっと嫌です。封環が揺れた状態で接続したら、下から“何か”を拾うかもしれない」

 耳元で囁く声。

 選ばれろ。 
 超えろ。 
 足りない。

 それはまだ推測でしかない。なのに、妙な現実味を持ってしまう。

「星喰いの影響か」 
「断定はできません。でも、封じられたものって、弱ったところから漏れるでしょう」 
「……あり得るな」

 カイルの瞳が冷たく研がれる。

「ならこれは、アストレイアの内政問題では済まない」 
「はい」 
「奈落が崩れれば、帝国側にも影響が来る」 
「絶対来ます。地脈って国境で綺麗に切れないので」

 そこまで言って、リリアはふと黙った。

 自分は今、アストレイア王国の危機を止める方向で話している。

 昨日までなら、心が追いつかなかったはずだ。 
 あの国は自分を捨てた。家族も婚約者も、自分を人間ではなく役目でしか見なかった。だから“知りません”と切り捨てたってよかった。

 それでも今、机の上の資料を前にして、そう簡単には思えなかった。

 王国を救いたいのではない。 
 でも、奈落の底から何かが這い上がる未来は、もっと嫌だ。

 カイルはそんなリリアを見て、低く言った。

「線引きは必要だ」 
「……」 
「君がアストレイアを助けたいかどうかと、災厄の拡大を止めるかどうかは分けて考えろ」 
「わかってます」 
「本当に?」 
「ええ。王国のために動く気は、まだないです」 
「だが」 
「世界が壊れるのはもっと困る」

 自分で言って、少しだけ可笑しかった。

 随分と大きなことを言うようになったものだ。ほんの数日前まで、婚約破棄された令嬢として泣く余裕すらなかったのに。

 でも現実がもう、個人の不幸だけで閉じる大きさじゃない。

「じゃあ、どうします?」

 リリアはカイルを見た。

「皇子殿下」 
「何だ」 
「この件、帝国としても本格的に調べるべきです」 
「言われるまでもない」 
「でしょうね。なので」 
「なので?」 
「私もやります」

 カイルの表情はほとんど動かなかったが、目だけがわずかに細くなった。

「何を」 
「結界構造の再解析。奈落封環の維持条件の洗い出し。今ある記録から、崩壊までの猶予を推定します」 
「自分で言うんだな」 
「言わないと誰かに勝手に決められそうなので」

 それは半分冗談で、半分本気だった。

 カイルは少しだけ間を置いてから、机の上の資料を寄せる。

「なら俺は帝国側の観測網を動かす」 
「軍も?」 
「必要なら」 
「……本気ですね」 
「世界が壊れるのは困ると言ったのは君だけじゃない」

 その返しに、リリアはほんの少しだけ唇を緩めた。

「じゃあ、共同作業ですね」 
「そうなる」 
「嫌ならやめてもいいですよ」 
「やめる理由がない」

 その言葉は、不思議なくらい心強かった。

 優しいわけじゃない。 
 守ると言ってくれるわけでもない。 
 でも、隣の机に肘をついて同じ資料を睨んでくれる人がいるだけで、世界の冷たさが少し薄まることがあるのだと、リリアは初めて知った。

 その頃、アストレイア王城の地下術場では、セレナが結界適性の試験を受けていた。

 薄暗い広間。床に描かれた巨大な円環術式。周囲には宮廷術師たちが立ち並び、中央に立つセレナを観察している。

「魔力を流してください」 
 術師が冷たく告げる。

「……はい」

 セレナは震えそうになる指先を隠し、術式へ手をかざした。

 魔力を流す。そう意識した瞬間、床の紋様が淡く光る。けれど次の瞬間、その光の奥からぞわりとした冷たさが逆流した。

 まるで、暗い井戸の底から見られているみたいな感覚。

「っ……!」

「どうしました?」 
「い、いえ……」

 呼吸が乱れる。

 耳の奥でまた声がする。

 ——足りない。 
 ——もっと流しなさい。
 ——姉より強く。 
 ——姉を超えろ。

 セレナはぎゅっと目をつぶった。

 やめて。 
 黙って。 
 私は、私はただ選ばれたいだけなのに。

「セレナ様、集中を」 
 術師の声が飛ぶ。

 ミレイナは後方で扇を握り、娘を見つめていた。その目には心配がある。あるけれど、それ以上に“ここで失敗するな”という圧の方が濃い。

 セレナは震える声で「はい」と答え、再び手をかざす。

 光が広がる。

 その奥から、また声がした。

 ——そう。 
 ——選ばれなさい。 
 ——もっと、もっと。

 その囁きは、優しい恋人の声にも、母の励ましにも似ていない。  もっと湿っていて、もっと空腹な響きだった。

 セレナの頬を、一筋だけ冷たい汗が伝った。

 一方、帝国の研究室では、リリアが地脈図の上に新たな補助線を引いていた。

「ここが王都、ここが奈落基底、こっちが補助塔……」 
「揺れの中心は」 
「王都直下。でも表面化が早いのは辺境です」 
「圧が外へ逃げているのか」 
「たぶん。封環の中心を押さえ切れなくなってるから」

 カイルが地図に手をつく。

「なら猶予は」 
「……正直、読みにくいです」 
「最悪の場合で答えろ」 
「もう始まってる」

 その一言は、部屋の温度を少しだけ下げた。

 研究員たちが黙る。

 リリアは自分でも、声が冷えすぎたと思った。けれど嘘はつけない。

「崩壊って、ある日突然全部壊れるわけじゃないんです。もう今、始まってる。辺境都市の魔物災害はその最初の波です」 
「次は」 
「接続役の汚染、結界塔の逆流、もしくは……封環の部分破断」

 自分で言っていて、寒気がした。

 そこまで見えてしまうのは、前世の記憶がまた少しだけ戻っているからだろう。知識は刃だ。知らない方が楽なことも、知れば現実になる。

「皇子殿下」 
「何だ」 
「ここからは、本当に遊びじゃないです」 
「最初からそのつもりでいる」 
「なら、私も本気でやります」 
「そうしろ」

 短い会話だった。

 でも、そのやり取りの中で、何かが変わった気がした。

 監視対象と監視者。 
 危険因子と管理者。 
 そういう関係が消えたわけではない。

 ただその上に、もっと別の線が引かれた。

 同じ資料を見て、同じ危機を認識して、同じ方向へ手を伸ばす線。

 リリアは紙の上に置いた指先を、静かに握る。

 王国のためじゃない。 
 家族のためでもない。
  婚約者だった男のためでも、妹のためでもない。

 でも、奈落の底から這い上がる飢餓に、この世界を喰わせる気はない。

 それが今の自分の、いちばん正直な答えだった。
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