追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第8話:アルベルト、合理の瞳が彼女を測る

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王都の空気は、いつも誰かの噂で濁っている。
パン屋の店先で小麦粉を払っていても、宿の階段を降りていても、酒場の前を通り過ぎても――耳が勝手に拾う。

「王太子殿下が視察だって」
「聖女候補の件だろ」
「最近、奇跡が妙だって話もあるしな」

奇跡。

その単語が出るたび、私の背中に冷たいものが走る。
噂の矛先がいつか自分に向くことを、身体のほうが先に知っているみたいだった。

「今日は外を歩かないほうがいい」

宿の部屋で、ルシアンが帯を締めながら言った。
窓の外からは、馬の蹄の音と、鎧の金属音が途切れ途切れに聞こえる。誰かが整列して、誰かが怒鳴っている。

「なんで?」
私は聞き返した。わざと軽く。

「面倒が起きる匂いがする」
ルシアンは淡々と答えた。
「王太子が動く日は、街が変に張り詰める。余計な目立ち方はするな」

余計な目立ち方。
それはもう、遅いかもしれない。

広場でのアデル。
村でのリオ。
盗賊騒ぎ。
全部が糸になって、今、王都の空に絡まっている。

「……でも、買い物行かないと」
私は小さく言った。
マルタから預かったお金を思い出す。宿代も、食事も。ずっとルシアンに出させるわけにはいかない。

ルシアンは私の顔を見た。
「一緒に行く」

「……護衛みたい」
口に出してから、苦笑する。

ルシアンは肩をすくめた。
「護衛だ」

即答。
その即答が、今は少しだけ苦しい。
守られるのが嬉しいのに、守られるほど自分が弱く見える気がするから。

外へ出ると、街の色が一段濃くなっていた。
兵が道の端に立ち、通行人を誘導している。旗が揺れ、馬が鳴く。
香水の匂いに、金属の匂いが混ざる。
それは戦場の前の匂いに似ていた。

「王太子殿下のお通りだ!」
声が走る。人々が道の両側へ寄る。
私は反射でルシアンの影に入った。

「落ち着け」
ルシアンが低い声で言う。
「見る必要はない」

見る必要はない。
でも、視線が勝手に探してしまう。
あの冷たい声。あの整った横顔。
私を“結果”で切り捨てた人。

人波が割れ、行列が通る。
鎧を着た騎士たち。豪奢な馬車。
そして、その後ろを歩く若い男。

王太子アルベルト・フォン・アイゼンリート。

若いのに、もう完成されている。
背筋は真っ直ぐで、歩幅が一定。
顔立ちは端正で、彫刻みたいに整っている。
でも、その美しさには体温がない。

彼の目が、周囲を撫でるように動く。
笑わない。驚かない。
ただ、情報を集める目。

その目が、ふっとこちらに向いた。

私は息を止めた。
まだ距離がある。
なのに、刺さる。
温度のない定規で測られるみたいに、皮膚の上を一直線に引かれる感覚。

――見られてる。

ルシアンが一歩、私の前に出た。
さりげなく。
でもはっきりと、視界を遮る。

その動きに、アルベルトの足が止まった。

周囲の空気が、ぴんと張る。
護衛の騎士が警戒して、手を剣にかける。

「……何だ」
アルベルトが言った。
声がよく通る。冷たい。

ルシアンは礼儀として頭を下げた。
でも膝はつかない。
背中は曲げない。

「通行の邪魔をするつもりはない」
ルシアンが言う。
「ただ、こちらに視線が向いた。理由を伺いたい」

周囲がざわつく。
王太子に、理由を伺いたい。
そんな言い方をする人間は少ない。

アルベルトは眉を僅かに動かした。
興味でも怒りでもない。ただの反応。

「……君は?」

「旅の騎士、ルシアン・ヴァルグレイヴ」
ルシアンは淡々と名乗った。

アルベルトの目が、今度はルシアンを測る。
剣の位置。姿勢。呼吸。
戦えるかどうか、瞬時に判断している目。

そして、その目がまた――私へ戻った。

「そちらの少女は?」

逃げたい。
でも逃げたら、終わる。
私は口を開こうとして、声が詰まった。

ルシアンが先に言う。
「同行者だ。名はエリシア」

アルベルトは頷いた。
「エリシア。姓は?」

私は舌が乾いた。
名乗りたくない。
でも黙れば怪しまれる。

「……ノクス=セレスティア」
私はやっと言った。

その瞬間、アルベルトの瞳がほんの少しだけ細くなった。
理解したのか、引っかかったのか。
二重姓。貴族名。
どこかの系統に繋がる可能性。

「出自は?」

矢のような質問。
余計な情緒がない。
ただ核心だけを刺してくる。

「……分からない」
私は正直に近い嘘を答えた。
「村で拾われたの」

アルベルトは納得したような、しないような顔で頷く。
そして、次の質問を投げた。

「奇跡の再現性は?」

私は一瞬、意味が分からなかった。
でもすぐに分かる。
彼は私が何かをしたと知っている。噂を掴んでいる。

喉の奥が冷える。
あの白い回廊が、背中に触れる。

「……何の話ですか」
私は声を絞り出した。

アルベルトは表情を変えない。
「村で、落馬した少年の骨折が即時に治癒したと報告がある」
淡々と事実だけを並べる。
「加えて、街道で盗賊を制圧した騎士が同行している。情報は繋がる」

繋がる。
糸が、もう首まで巻きついている。

「負荷は?」
アルベルトの声が続く。
「発動時の代償は? 体力の消耗か、血液の喪失か、精神の摩耗か」
一切のためらいがない。
質問が、刃物みたいに次々刺さる。

「持続は?」
彼はさらに言う。
「一回限りか、連続可能か。範囲は。対象は。――制御はできるか?」

私は、息ができなかった。

前と同じだ。

胸の奥で、冷たい記憶が牙をむく。
祭壇の前で、司祭が問うた言葉。
王太子が望む言葉。
私を“機能”として扱う言葉。

私は震えた。
でもそれは寒さじゃない。
怒りと恐怖と、吐き気。

「……私は……」

言葉が出ない。
出したら、また“聖女”にされる。
出したら、また削られる。

アルベルトの目は、私の震えすらデータにする。
瞳孔の動き。呼吸の乱れ。
彼の視線は、温度がない定規だ。

ルシアンが一歩、前へ出た。

「それ以上は必要ない」
声は落ち着いている。
でも、空気が変わった。
剣を抜く前の張り詰めた空気。

アルベルトがルシアンを見る。
「必要かどうかは私が判断する」

「違う」
ルシアンが言い返す。
「彼女が決める」

周囲の護衛が一斉に息を呑んだ。
誰もが凍る。
王太子の前で、そんな言葉を言う人間は少ない。

アルベルトの眉が、ほんの少しだけ上がった。
驚きではない。
興味だ。

「……君は何を根拠に、彼女に選択権があると言う」
アルベルトの声は相変わらず冷たい。
でも、問いの角度が変わった。
“命令”から“観察”へ。

ルシアンは迷わない。
「根拠は単純だ」
彼は言った。
「彼女は人です」

その言葉が落ちた瞬間、世界が止まった。

人。

そのたった一言が、胸の奥の壊れた何かを叩いた。
私は思わず息を吸う。
涙が出そうになるのを堪える。
こんな場所で泣いたら、また何かを奪われる。

アルベルトは、しばらく無言だった。
沈黙が、重い。
護衛の騎士が剣の柄を握りしめ、村人が遠巻きに息を殺す。

やがて、アルベルトはゆっくり瞬きをした。
その動きだけが、人間らしかった。

「……面白い」

ぽつりと、彼は言った。

面白い。
その言葉が怖い。
興味を持たれることは、捕獲されることに近い。

アルベルトは私を見る。
まるで初めて“人”として見たみたいに。
いや、違う。
“人として扱う騎士”という現象込みで、観察している。

「エリシア」
彼は私の名を呼ぶ。
その呼び方に、甘さはない。
でも以前のように“器”と呼ぶ感じもない。

「君の奇跡が偶然かどうか、私は確認する必要がある」
淡々と続ける。
「王国は偶然に依存できない」

王国。
その単語が、私の背中を撫でる。冷たい指で。

「だが」
アルベルトは一拍置いた。
「強制はしない。……今は」

今は。
その二文字に、未来の刃が潜む。

ルシアンの肩が僅かに緊張した。
でも彼は言い返さない。
今ここで衝突しても、私が巻き込まれるだけだから。

アルベルトは護衛に視線を送った。
「行くぞ」

行列が動き出す。
人波が、またざわめき始める。
緊張が解けた反動で、足元が少しふらつく。

アルベルトは歩き出しながら、ちらりと振り返った。
ほんの一瞬。
でもその目は、私の中に線を引いた。

“観察対象”。

行列が遠ざかり、音が戻ってくる。
荷車の軋み、呼び込みの声、馬の鼻息。
王都の雑音が、私の耳を塞ぐように降りかかる。

私は膝が笑いそうになり、壁に手をついた。
石が冷たい。
それでやっと、今が現実だと分かる。

「……大丈夫か」
ルシアンが低い声で聞く。

私は頷こうとして、首が動かない。
代わりに、唇が勝手に動いた。

「……同じだった」
声が小さく震える。
「質問の仕方が……全部」

ルシアンは何も聞かない。
ただ、私の前に立つ。
人波から私を隠す位置に。
さっきと同じように。

「もう行く」
彼は言った。
「ここは空気が悪い」

私はやっと頷いた。
歩き出す。
足が重い。

背中に、まだ温度のない定規が当たっている気がする。
測られている。
価値を計られている。

でも――その前に、ルシアンの背中がある。
守る剣の気配がある。
それだけが、今の私の呼吸を繋いでくれる。

そして私は、胸の奥で小さく思った。

この王都で、私はまた“機能”にされる。
そう簡単に逃げられない。
だからこそ――逃げ方を、選び方を、間違えない。
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