追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第7話:アデルの“光”と、作られた笑顔

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王都の朝は、音がうるさい。
目が覚める前から、窓の外で誰かが叫んでいる。荷車の車輪が石畳を噛み、馬が鼻を鳴らし、遠くで鍛冶の金槌が鉄を叩く。

でも――鐘は、もっと嫌だ。

ゴォン、と一発鳴るたびに、胃の奥がぎゅっと縮む。
昨日よりはマシ。そう思い込もうとするたび、胸の奥で冷たい影が笑う。

「顔、まだ青い」

宿の狭い部屋で、ルシアンが窓の外を見ながら言った。
彼は外套を羽織り直し、剣の帯を締めている。旅の癖が抜けない動き。

「青くない」
私は反射で言い返す。
嘘だ。青い。自分でも分かる。

ルシアンは眉だけ動かした。
「青い」

「……うるさい」
私はふてくされたように言って、靴紐を結び直した。

ルシアンは笑わない。
ただ、淡々と続ける。

「今日は人の多い場所へ行く。嫌なら別の手もある」

「嫌じゃない」
私は即答した。
嫌だ。怖い。逃げたい。
でも「嫌」と言ったら、昨日の一歩が無駄になる気がした。

ルシアンが私を見た。
その目は、押しつけない。
ただ、確かめる。

「……分かった。じゃあ、行こう」

外へ出ると、王都の匂いがまた鼻を殴った。
香水、油、汗、馬糞。
その全部の上に、朝焼けの冷たい空気が薄くかぶさっている。

ルシアンの後ろについて歩く。
人波は相変わらず多い。
でも昨日より、少しだけ足が動いた。

目的地は、聖堂――ただし大聖堂の正面ではなく、聖堂付属の小さな広場だった。
市場と聖堂の間にある場所。
祈りに来る人と、買い物に来る人が混ざる、半端で生々しい場所。

そこには既に人が集まっていた。
色とりどりの服。
祈る手。
好奇心で伸びる首。

「今日は聖女候補さまが来るらしい」
「アデルさまだって」
「ほら、光の家の……!」

光の家。
ルミエール。

その姓が耳に入った瞬間、背中が冷えた。
呼吸が浅くなる。
指先が、勝手に祈りの形を作りかけて、私はぎゅっと握り潰す。

ルミエール。
私の――いや、セレフィアの姓だった。

「……ルシアン」
私は小さく呼んだ。

「ん」
彼は顔を向けない。
でも、歩幅を少し落としてくれる。

「ここ……」
言葉が出ない。
ここに来たのは、自分で決めたのに、身体が勝手に拒否している。

ルシアンが小さく息を吐いた。
「人の流れの後ろにいよう。嫌なら帰る」

帰る。
その言葉が優しすぎて、胸が苦しくなる。
私は頷き、群衆の端へ寄った。

しばらくして、ざわめきが波みたいに変わった。

「あっ……来た」
「見て、白い……!」
「きれい……」

人の視線が一方向へ集まる。
私も反射で見てしまう。

白いローブ。
淡い金の刺繍。
光を集めたみたいな髪。
そして、作り物みたいに整った笑顔。

アデル・ルミエール。

まだ幼いはずなのに、完成されすぎていた。
年齢に似合わない落ち着き。
胸の前で手を組み、首を少し傾げる角度。
歩く速度。
視線の配り方。

全部が、「誰かに見られる」ために練られている。

「皆さま、お集まりいただきありがとうございます」

声はよく通る。
甘いけど、媚びていない。
祈る人の心に触れるように作られた声。

群衆が、うっとりと息を吐くのが分かった。
彼女は光だ。
誰もがそう思いたがる光。

私は喉の奥がひりついた。
懐かしい痛み。
あの頃の自分を見ているみたいで。

ああ、そうだ。
私もこうやって笑った。
こうやって首を傾げた。
こうやって“安心させる声”を出した。

自分の感情なんて置き去りにして。
誰かが喜ぶ角度だけを選んで。

アデルが祈りを捧げる。
広場の空気が少しだけ澄む。
小さな光が舞う。
病弱そうな老人が咳を止め、子どもが泣き止む。

「わぁ……」
「本物の聖女さまみたい……」
「これが加護……」

歓声と拍手。
アデルはその真ん中で微笑む。

でも、その微笑み――妙に、角度が一定だった。

口角の上がり方。
目尻の下がり方。
頬の筋肉の使い方。
すべてが、練習した笑顔のそれ。

私は気づいてしまう。
それが“努力”だと。
必死で身につけた技術だと。

だからこそ、怖い。
私も知っている。
その笑顔の裏で、どれだけ心が擦り切れるか。

祈りを終えたアデルは、群衆の中を歩き始めた。
人々は手を伸ばし、触れようとする。

「アデルさま!」
「ありがとうございます!」
「どうかうちの子にも――」

彼女はひとりひとりに言葉を返し、目を合わせ、やさしく頷く。
完璧。
完璧すぎて、胸が痛い。

その時だった。
アデルの視線が、ふっとこちらへ向いた。

目が合う。

一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。

でもその一瞬で、私は分かってしまった。

計測している。

優しさの目じゃない。
あれは――距離と危険度を測る目だ。

「……」

私は身体が固まった。
ルシアンの背中に隠れたくなる。
でも逃げたら、彼女に「答え」を与える。

アデルは微笑みを崩さないまま、こちらへ歩いてきた。
人の波が自然と道を開ける。
彼女が“光”だから。

私の心臓がうるさい。
息ができない。

アデルが私の前に立った。
近い。
香水の匂いがする。花みたいに甘くて、息が詰まる。

「こんにちは」
彼女は言った。
声が柔らかい。

「……こんにちは」
私はやっと返した。声が少しだけ掠れそうになる。

アデルは私の顔を覗き込むように首を傾げる。
その角度が、完璧に“かわいく見える角度”だった。

「見ない顔ね。王都の子じゃないの?」
彼女の言葉は親しげ。
でも目の奥は、まだ測っている。

私は喉が鳴るのを感じた。
どう答えるべき?
正直に言えば、身元を探られる。
嘘をつけば、見抜かれる。

「……違う。村から来た」

アデルはにこりとした。
「そうなの。村って、空気がきれいそう。いいなぁ」

その言い方が、羨ましさじゃなくて、話を続けるための飾りに聞こえた。
私は胸がきゅっとなる。

「あなたの名前、教えて?」

名前。
また、名前。

「エリシア」
私は答えた。
「エリシア・ノクス=セレスティア」

苗字を言った瞬間、アデルの眉がほんの僅かに動いた。
貴族っぽい、と思ったのかもしれない。
でも彼女はすぐ笑顔に戻す。

「エリシアちゃんね。かわいい」

かわいい。
その言葉が、胸に落ちない。
軽い。飴みたいに甘くて、すぐ溶けて消える。

アデルは私の手元に視線を落とした。
私が握りしめている指。
その震え。

「緊張してる?」
彼女が尋ねる。
心配しているみたいな声で。

私は頷く代わりに、指をもっと強く握った。
痛みが欲しい。

「大丈夫よ」
アデルは言った。
「王都は怖いことも多いけど、私たちが守るから」

私たち。

その言葉が、急に刃になる。
守る。
守ると言いながら、檻に入れる人たちの言葉だ。

私の背中が冷える。

その瞬間、ルシアンが一歩前に出た。
さりげなく。
でも、確実に。

「話はそれくらいに」
ルシアンが言う。
口調は礼儀正しい。
でも、線が引かれる音がした。

アデルの視線がルシアンへ向く。
そして、ほんの一瞬だけ、笑顔の裏が揺れた。

「あなたは?」
アデルが尋ねる。

「ルシアン・ヴァルグレイヴ。旅の騎士だ」
ルシアンは名乗り、余計な飾りをつけない。

「旅の騎士さま」
アデルは微笑んだ。
その笑みは、さっきより一段“上品な角度”になっている。
相手に合わせて笑顔の種類を変える。
……私もそうだった。

「エリシアちゃんを守ってくださっているの?」
彼女の声は甘い。

ルシアンは短く頷く。
「必要なら」

その“必要なら”が、すごく強かった。
守ることを誇らない。
でも、手放さない強さ。

アデルは少しだけ目を細めた。
計測が続いている。
私だけじゃなく、ルシアンも測っている。

「エリシアちゃん、王都で困ったことがあったら、聖堂に来てね」
アデルは私に向き直る。
「私、いつでも助けるから」

助ける。
その言葉の中に、私は鎖の音を聞いた。

でも――アデルは悪意だけで言っているわけじゃない。
たぶん本気で「助けたい」と思っている部分もある。
それが余計に怖い。
善意は、簡単に人を縛るから。

私は口を開いた。
友だちになりたい、と言いたい気持ちが胸の奥から浮かんでくる。

だって彼女は、まだ“裏切る前”だ。
涙を流しながら私を見ないあの目じゃない。
ここにいるアデルは、光の中で愛されている。

この子と笑い合えたら、未来は変わるかもしれない。
そう思ってしまう。

でも同時に、別の感情が胸を締め上げる。

なりたくない。
近づいたら、私の中の冷たい記憶が溶けてしまう。
許してしまう。信じてしまう。
そしてまた、同じ場所で刺される。

胸が裂けそうだった。
その二つの気持ちが、同じ場所を引っ張るから。

私は結局、曖昧に笑った。
笑顔の形だけ作って。

「……ありがとう」

アデルは満足そうに頷いた。
「うん。約束ね」

約束。
その言葉が、重い鎖みたいに耳に残る。

アデルは群衆へ戻っていく。
光の中心へ。
人々は彼女を讃え、手を合わせ、涙を流す。

私はその背中を見送った。
白いローブが、春の光を反射する。
眩しくて、目が痛い。

「……どう思う」
ルシアンが小さく聞いた。
私にしか聞こえない声で。

私は答えるのに時間がかかった。
本当のことを言うのが怖かった。

「……きれいだった」
まず、そう言った。
嘘じゃない。

ルシアンは頷く。
「きれいだな」

私は続けた。
喉がひりつく。

「でも……怖い」
声が震える。
「笑顔が、私が知ってる笑顔だった」

ルシアンが私を見る。
「知ってる?」

私は頷いた。
説明できない。
ただ、身体が覚えている。
鏡の前で、口角を上げる練習をした感覚。
目尻の筋肉が痛くなるまで笑った感覚。

ルシアンはそれ以上聞かなかった。
ただ、私の肩の位置に合わせて歩き出す。

「今日はもう帰ろう」
彼は言った。
「腹に何か入れろ。顔色が悪い」

「……青いって言うのやめて」
私はむっとして言う。

ルシアンが小さく笑った。
「青い」

「うるさい」
言いながら、少しだけ息ができた。

王都の匂いは相変わらず濃い。
でも、さっきよりは飲み込める。

私はもう一度、広場の方を振り返った。
アデルが誰かの手を握り、微笑んでいる。
愛される光。
作られた笑顔。

――私も、あの場所にいた。
そう思うと胸が痛い。

そして、あの光の中に、近づきたい気持ちと、近づきたくない恐怖が、同じ熱で燃えていた。
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