婚約者に捨てられた夜、異世界で猫と運命が再起動!猫がいるので全部うまくいきます

タマ マコト

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第19話:恋はご褒美じゃない、選択の先に咲く

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 夜の書庫は、昼の続きじゃない。
 昼に片づけたはずの感情が、夜になるとまた棚から顔を出す。
 でも不思議と、怖くない。
 怖いのは、暗闇じゃなくて、自分の中の“戻りたがる癖”だと分かったから。

 その夜、セレスがあかりに短く言った。

「屋上に来い」

「また命令形」

「星が見える」

「……それは、行く」

 あかりは外套を羽織り、胸元の護符を指で確かめた。
 淡い金ににじんだ棄却の印は、夜になると少しだけ温度を増す。
 痛みではない。
 灯りの熱だ。

 階段は高く、屋上へ近づくほど空気が薄くなる。
 石壁の匂いが遠のいて、風の匂いが濃くなる。
 紙とインクの匂いが背中に残ったまま、世界の広さに触れに行く感じ。

 屋上は静かだった。
 王都の灯りが遠くに浮かび、書庫の屋根は黒い海みたいに広がっている。
 風が髪を揺らし、夜の冷たさが頬を撫でる。
 見上げると、星があった。
 星は白い点のはずなのに、この世界の星は違う。
 静かに瞬く光の中に、縁の色が混ざっている。

 青は誓い。
 桃は寄り添い。
 金は支配じゃなく、意志。
 白は正直。
 その色が、遠い空で静かに呼吸していた。

「……星まで縁で染まるんだね」

 あかりが呟くと、セレスは屋上の手すりにもたれたまま言った。

「縁は世界の文法だ。光にも混じる」

「ロマンチックっぽいこと言うじゃん」

「事実だ」

「台無し!」

 あかりが小さく笑うと、息が白くなった。
 白い息が風にさらわれ、星の色へ溶けていく。

 セレスは夜空を見たまま、ぽつりと口を開いた。

「扉の件、どう感じた」

 扉。
 再起動の核。
 ルゥの正体。
 そして問い――戻るか、残るか。

 あかりは一瞬、言葉を探した。
 探す間に、胸の印があたたかく脈打つ。

「……怖かった」

「何が」

「戻るって言葉が、昔の私を連れてくる気がして」

 あかりは正直に言った。
 言うと、胸が少しだけ軽くなる。
 欲しいと言う練習の延長だ。

「戻ったら、また“捨てられた私”の続きを生きる気がして。
 『大丈夫?』って聞かれて、笑って、平気なふりして、
 気づいたらまた、誰かの正解を整えてる気がする」

 セレスは黙って聞いていた。
 遮らない。
 励まさない。
 ただ、聞く。
 その距離が優しい。

 あかりは続けた。

「でも、ここに残るのも怖い。
 残るって決めた瞬間、もう戻れないって思って、
 それはそれで、私が私を裏切る気がする」

 言葉にすると、矛盾が見える。
 どっちも怖い。
 だから、迷う。
 迷えるのは、前に進んでる証拠――ルゥの言葉が胸で鳴る。

 セレスが、ようやくあかりを見る。
 淡い灰色の目。
 冷たいのに、まっすぐ。

「君は戻ってもいい。残ってもいい」

 あかりの喉が鳴った。
 その言葉は、許可だった。
 でも、許可の形をした“自由”だった。

 セレスは続ける。

「どっちでも、君が選ぶなら正しい」

 その瞬間、あかりの胸が柔らかくほどけた。
 ほどけるのは、棄却の印じゃない。
 もっと奥の鎖。
 “正解を選ばなきゃ捨てられる”という古い癖。

 君が選ぶなら正しい。
 それは、未来を差し出される言葉じゃない。
 未来を奪われないための言葉だ。

 あかりは手すりに指を置いた。
 冷たい金属の感触。
 でも心は、温かい。

「……私、今」

 声が小さく震える。
 震えは恥じゃない。
 震えは、選べる席に座った人の震えだ。

「初めて、未来を“選べる席”に座ってる気がする」

 言った瞬間、星の色が少しだけ鮮やかに見えた。
 世界が変わったわけじゃない。
 あかりの視点が変わっただけ。
 でも視点が変わると、同じ星でも違う光になる。

 セレスは短く「そうか」と言った。
 それ以上は言わない。
 言いすぎない。
 その態度が、あかりを“道具”にしない。

 沈黙が落ちる。
 沈黙は重くない。
 星を眺めるための余白だ。

 そこへ、屋上の扉がきい、と小さく鳴った。
 ルゥが現れる。
 夜風に毛が揺れ、金色の目が光を拾う。

「二人とも、いい雰囲気?」

「猫がそれ言う?」

「言う。管理者だから」

 ルゥはわざとらしく二人の間を通り、尻尾を大げさに揺らした。
 尻尾があかりの膝に当たり、次にセレスの外套の裾に当たる。
 “ここにいます”の主張。

「……ルゥ、空気読んで」

「読むけど、わざと壊す」

「最悪!」

 あかりが言うと、ルゥは当然みたいに言った。

「恋は再起動の結果じゃない」

 あかりの心臓が、少しだけ跳ねた。
 その跳ね方が、痛みじゃなくて、驚きの跳ね方なのが嬉しい。

 ルゥは続ける。

「再起動したあとに起きるんだよ」

 あかりは息を呑んで、次に笑った。
 笑いは軽いのに、胸の奥がじんと熱い。
 涙が出そうになる。
 でも泣き崩れない。
 潰れない距離のまま、感情が咲く。

「……恋って、ご褒美みたいに言われがちだよね」

 あかりがぽつりと言うと、セレスが短く返した。

「ご褒美ではない」

「うん。私もそう思う」

 あかりは星を見上げた。
 恋は、何かを頑張った人に配られる景品じゃない。
 痛みを乗り越えた人に許される報酬でもない。
 選んだ先で、偶然に芽が出る花。
 花は咲かせようとして咲かない。
 でも土を整えることはできる。

 ルゥは尻尾を揺らしたまま、満足そうに言った。

「だから、今は土づくり」

「猫が園芸トークすな」

「猫は万能」

 あかりが笑った瞬間、涙が一粒だけ落ちた。
 頬を伝うほどじゃない。
 風にさらわれるほど小さい。
 でも、その一粒は確かに温かい。

 セレスが気づいたのか気づいていないのか分からない顔で、ただ夜空を見たまま言った。

「泣くなら、泣け。ここは誰も見ない」

 あかりは、その言い方が好きだと思った。
 優しさを優しさとして押し付けないところが。
 泣く自由だけを置いてくれるところが。

「……ありがと」

「礼は不要」

「そこは要るって言って!」

「不要だ」

「ほんと頑固!」

 三人分の息が白くなって、夜に溶ける。
 星の色が静かに瞬く。
 縁の色が混ざった光が、空で小さく揺れる。

 あかりは思った。
 戻ってもいい。残ってもいい。
 どっちでも、選ぶなら正しい。
 その言葉は、未来を渡される言葉じゃない。
 未来を握り直せる言葉だ。

 そしてその夜、あかりは確かに感じた。
 恋はご褒美じゃない。
 選択の先に、ひとりでに咲く。
 その芽が、いま胸のどこかで、静かに息をしていることを。
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