平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第2話「完璧令嬢の、きれいじゃない本音」

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 オルフェリア侯爵家の朝は、いつだって、舞台の幕が上がるみたいに始まる。

「エレナお嬢様、本日もお美しい……」
「さすがでございます、お立ち居振る舞いが完璧でいらっしゃる」

 鏡台の前。
 侍女たちの感嘆まじりの声を背中で聞きながら、エレナ・オルフェリアは、ゆっくりとまつ毛を伏せた。
 髪はきれいに巻かれ、淡い金のカールが肩の上で波打っている。
 肌には一つのシミも皺もなく、唇の色も、頬の紅も、すべてが計算された「完璧」だ。

(分かってるわよ。分かってる。
 だってこれは、私が“そうなるように”努力してきた結果だもの)

 寝る前には欠かさずクリームを塗り、甘いものを食べ過ぎないように気をつけ、姿勢を正すために本を頭に乗せて歩かされた幼少期。
 「完璧であれ」と言われ続けた。
 その期待に応えることが、自分の存在価値だと、ずっと信じてきた。

「エレナ様、もう少し顎を上げていただけますか?」

 侍女の一人が、遠慮がちに言う。
 エレナは言われた通り、ほんの数ミリ顎を上げる。
 鏡の中の自分が、さっきよりも少しだけ“高慢そう”に見える角度。

「完璧です」

 その言葉を聞くたび、胸の奥がちくりと痛む。
 けれど誰も、その痛みに気づかない。

(そうじゃないのよ。
 私が欲しい言葉は“完璧”じゃなくて、“エレナがいい”なのに)

 名前の前に必ずつくのは、「さすが」「完璧」「理想の」。
 「エレナとして」ではなく、「オルフェリア侯爵家の一人娘として」見られている感覚が、ずっと皮膚の内側に貼りついている。

「……ありがとう。もういいわ、下がってちょうだい」

 笑顔を作って告げると、侍女たちは一斉に頭を下げて、部屋を出ていく。
 ドアが閉まる音がして、静寂が降りる。

 エレナは鏡の中の自分と目を合わせた。
 完璧に塗り固めた笑顔の裏側で、瞳の奥だけが、少しだけ濁っている。

(……今日も、“完璧な一日”を演じるのね、私)

 心の中でそう呟いて、ドレスの裾をつまみ、立ち上がった。

 ◆

 廊下に出ると、屋敷はすでに慌ただしく動いていた。
 使用人たちが行き交い、銀器の触れ合う音や、遠くから聞こえてくる料理長の怒鳴り声。
 それらすべてを、エレナは「日常」として眺める。

 彼女が一歩踏み出すたび、周囲の空気がぴん、と張り詰めるのが分かる。
 使用人たちの背筋が少し伸び、声のトーンが半音だけ下がる。

「おはようございます、エレナお嬢様」
「本日もお美しく――」

 通りすがりに、頭を下げるメイドたち。
 エレナはそれに、淀みのない笑顔で応える。

「おはよう。今日も一日、よろしくね」

 淑女の鏡。侯爵家の誇り。
 そう見られるように、そう振る舞う。

 ――そのときだった。

 曲がり角の向こうから、聞き慣れた声がした。

「ディラン様、これ、良かったらどうぞ」

 エレナは足を止める。
 なんとなく、耳がその声を捉えて離さなかった。

「ん? ……お前は、ユナか」

 王宮直属騎士団長ディランのくぐもった声。
 エレナは、壁の影からそっと覗き込む。

 廊下の先。
 大柄な男――この王都と一時的にこの家を守る騎士団長ディランが、鎧の胸当てをゆるめながら立っていた。
 その前に、小さな包みを両手で差し出しているメイド。

 薄茶色の髪を一つに結んだ、目立たない、でもどこか柔らかい雰囲気の少女。
 ――ユナ・アークレット。

「朝ご飯、ちゃんと食べました? さっき厨房で余ったパンを、シモンさんに分けてもらったので……」

「おいおい、“余ったパン”なんて言い方すんな。ありがたくもらっておくが」

 ディランが鼻を鳴らしながらも、包みを受け取る。
 その口調はぶっきらぼうなのに、口元は少しだけ緩んでいた。

「すまねえな。お前らだって忙しいだろうに」

「いえ。ディラン様が倒れたら、私たちが困りますから。お屋敷を守ってくださってるので」

「……ったく。そうやって真っ直ぐ言われると、なんかむず痒いな」

 それまで険しかったディランの表情に、ふっと柔らかい色が差す。
 眉間のしわが少しほどけ、目元が、穏やかに。

 その変化を、エレナは見逃さなかった。

(――あ)

 胸の奥で、何かがチリ、と音を立てる。

 さっきまで無色透明だったはずの空気に、ほんの僅かな“鉄の気配”が混じる。
 錆びた釘を指でこすったときに立つ、あの生温かくて、金属じみた匂い。
 ほんの微量。けれど確かに、彼女の周囲に染み込んでくる。

(どうして、今まで見たことのない顔を――)

 ディランは、この屋敷で「頼れる騎士団長」として知られている。
 エレナに対しても、礼儀正しく、丁寧で、距離を保った態度を崩したことがない。

 だからこそ、今。
 あの無骨な男が、いとも簡単に表情を緩める姿が。
 それを引き出したのが、自分ではなく、あの平凡なメイドだという事実が。

 エレナの胸に、じわじわと熱を広げていく。

「ディラン様、今度、朝が早い日があったら、またパン持ってきますね」

「そんな気ぃ遣わなくていい。……が、まあ、その、今のはうまかったから、もし余ったらでいい。余ったら、だぞ」

「ふふ。分かりました、“たまたま余ったら”ですね」

 ユナの声は、空気を撫でるみたいに柔らかい。
 それを受けるディランの反応にも、どこか微かな照れが混じっていて――

(……なに、それ)

 喉の奥が、きゅっと狭くなる。
 気づいたときには、エレナの指先はドレスの布を強く握りしめていた。

(どうして、あの子なの?
 どうして、私じゃない顔を見せるの?)

 ずっと努力してきた。
 王家の舞踏会で恥をかかないように、礼儀作法を叩き込まれ。
 騎士たちの前でも卑屈にならないように、堂々と振る舞うよう教えられ。

 「完璧な令嬢」を演じ続けてきたのに。

(なのに。
 “完璧じゃない”ユナには、あんな顔をするんだ)

 風が、エレナの周りをかすめる。
 微かに、金属が焼けるような匂いが混じっていた。
 彼女はまだ、それが自分自身から立ちのぼる“嫉妬の香り”だということを知らない。

「……くだらない」

 唇の内側を噛む。
 ほんの少し、鉄の味がした。

 それでもエレナは、一歩、前へ出る。
 いつもの笑顔を貼り直して、角を曲がる。

「おはよう、ディラン様」

 真っ直ぐな声で、二人の間に割って入った。

「っ、エレナ様」

 ディランの顔が、瞬時に引き締まる。
 さっきまで柔らかかった目が、いつもの“騎士団長の目”に戻ったのを、エレナははっきり見た。

「おはようございます、エレナ様」

 ユナも慌てて頭を下げる。

「おはよう、ディラン様。それと……ユナも」

 エレナは柔らかく微笑む。
 完璧に作り上げられた、貴族の娘の笑みで。

「朝からお忙しそうね。お仕事かしら?」

「はい。門番に指示を出していたところです」

「そう。頼りにしているわ、騎士団長さん?」

 冗談めかして言うと、ディランは短く咳払いをした。

「い、いえ。身に余るお言葉です」

「ふふ。……ユナ」

「は、はい」

「ディラン様にパンを渡してくれたのね?」

 ユナの肩がびくっと震える。

「えっと、その……はい。朝ご飯、まだだと聞いたので」

「そう。いい心がけだわ。お屋敷を守ってくれている方の体調に気を配るのは、メイドとしても大切なことよね」

 言葉だけ聞けば、褒めている。
 けれど、語尾の温度をほんの少しだけ下げるだけで、その意味はいくらでも変わる。

 ユナは、しおらしく頭を下げるしかなかった。

「ありがとうございます……」

「でも、くれぐれも、仕事に支障が出ない範囲でね。あなたの仕事は“メイド”なんだから」

「……はい」

 その返事が、ほんの少しだけ小さかったのを、エレナはきちんと聞き取った。

(そうよ。
 あなたは、ただのメイド。
 私とは違う)

 そう心の中で言い聞かせながら、エレナは二人に背を向ける。
 ドレスの裾を翻し、優雅な足取りで歩き出す。

 背後で、ディランが低く息を吐く気配がした。
 ユナの小さな「すみません」という声も、微かに届く。

 それら全部が、エレナの耳の中でぐちゃぐちゃに混ざっていった。

 ◆

 夜。

 エレナの部屋は、昼間の光を忘れたみたいに、静かで、整いすぎていて、息苦しい。
 シャンデリアには穏やかな灯りがともり、丸テーブルには花が一輪挿しで飾られている。

「お嬢様、お茶のご用意ができました」

 侍女頭のミレイユが、銀の盆を運んでくる。
 年齢は三十代半ば。
若い侍女たちをまとめる立場にある彼女は、いつも落ち着いた笑みを浮かべている。

「ありがとう、ミレイユ。今日はあなたと二人で飲みたい気分なの」

「私でよろしければ、いくらでもお付き合いします」

 ミレイユはテーブルの向かいに静かに座る。
 ポットから注がれる紅茶の香りが、ふんわりと部屋に広がった。

 ジャスミンと、少しだけ柑橘の混ざった香り。
 昼間のざらついた気持ちを洗い流してくれそうな、優しい匂いだ。

 ――なのに。

 エレナの鼻の奥には、別の匂いがまとわりついていた。
 昼間、廊下で感じた、あの微かな鉄の匂い。

(……気のせい、よね)

 紅茶を一口飲んで、喉を通す。
 それでも、胸の中のざらつきは消えてくれなかった。

「ミレイユ」

「はい、お嬢様」

「今日、廊下で見かけたのだけれど……」

 エレナはカップをソーサーに戻し、わざと何気ない風を装って言葉を続ける。

「ユナがね、ディラン様と楽しそうに話していたの」

 ミレイユの眉が、ほんの僅かに動いた。

「……そうでございますか」

「ええ。朝の忙しい時間だったのに。パンを渡していたわ。ディラン、すごく嬉しそうだったのよ」

「ディラン様が、ですか」

 ミレイユはカップを持つ指を少し強く握る。
 自分でも気づかないうちに、彼女の声のトーンが低くなっていた。

「ユナは、よく気がつきますからねぇ。男の方にも、自然と優しくしてしまうのかもしれません」

「“男の方にも”?」

 エレナはその言い方を逃さなかった。

「ええ。厨房の若い従者たちにも、よく話しかけておりますし。ほら、あの子、出自が孤児院でございますでしょう? 人に取り入るのが上手いというか……」

「取り入る、ね」

 エレナは小さく繰り返す。

(そう。あの子は、人に“懐かれる”んじゃなくて、自分から“懐いている”のよ)

 そう考える方が、ずっと楽だった。

「お嬢様?」

「いえね。ちょっと気になっただけよ」

 わざとあっさりと笑ってみせる。
 ミレイユは、エレナの機嫌が崩れていないことに安堵したようだった。

 だから、エレナはその隙を突く。

「ミレイユ、あなたから見て……ユナって、どういう子?」

「どう、とは?」

「いい子、だとは思うの。でも――」

 エレナはカップに視線を落とし、言葉を少しだけ濁す。

「なんていうのかしら。妙に、男の人に慣れているように見えるのよね」

 その一言で、ミレイユの表情が分かりやすく変わった。

「……確かに」

 彼女は声を潜める。
 部屋には二人きりだというのに、さらに音量を落とすあたり、こういう話が大好物なのだとよく分かる。

「孤児院育ちでいらっしゃるし、教養は努力で補っていらっしゃるとは思いますが……男手の中で育った部分もあるのかもしれませんね」

「そういうものかしら?」

「ええ。あの子、自覚なく距離が近いところがございますから。ディラン様にパンを渡したのも、悪気はないのでしょうけれど、見ようによっては“媚びている”ように見えてもおかしくありません」

「媚びている……」

(そうね。
 そう見えるって言ってしまえば、私の胸のこのモヤモヤも、少しは正当化できる気がする)

 エレナは、ゆっくりと頷いた。

「出自も、少し曖昧ですしね」

 ミレイユはさらに続ける。
 言葉を選びながらも、その中には小さな毒がしっかりと混ざっていた。

「孤児院の出であることは確かですが、本当に身寄りがないのかどうか……。たまに、過去を濁すような話し方をすることもございます」

「あら、そうなの?」

「ええ。お嬢様に失礼がないように、と口では言っておりますが……心の底からどれほど敬っているかは、分かりませんね」

(あの子が、私を……敬っていない?)

 それは、エレナにとって、思っていたよりも強い刺激だった。

 ユナはいつも、「エレナ様」と呼びかけるとき、真っ直ぐな瞳で見てくる。
 あの視線が、もし“同情”や“憐れみ”を含んでいたとしたら――

(……冗談じゃない)

 心臓の奥を、爪で引っかかれたみたいに、イラッとする。
 紅茶の香りの裏で、またあの鉄の匂いが濃くなる。

「でも、ユナは仕事はできますし、旦那様や奥様も評価しておられますから……」

「そうね」

 エレナは、わざとらしく息を吐いてみせる。

「きっと、私が気にしすぎなのね。完璧じゃないところが、かえって可愛らしく見えるものなのかもしれないわ」

「お嬢様は何もお悪くございません。ただ、お立場が違うだけで――」

「そう、“立場”が違うのよね」

 エレナは、椅子の背にもたれかかる。
 ミレイユの言葉が、都合よく胸の中で形を変えていく。

「あの子はメイド。私は侯爵家の娘。……境界線は、きちんとしておかないと」

「仰る通りでございます」

 ミレイユは深く頷いた。

「この屋敷の秩序を守るためにも、分を弁えない真似をする者がいれば、それなりの……お咎めが必要でございますから」

「お咎め」

 その言葉は、エレナの耳に甘く響いた。

(そう。
 少しくらい、分からせてあげてもいいのかもしれない)

 私とあなたは違うのだと。
 同じ場所に立てると、勘違いしないように。

「……ありがとう、ミレイユ。少し、すっきりしたわ」

「お役に立てたなら光栄です、お嬢様」

 ミレイユが立ち上がり、カップを片付けて部屋を出ていく。
 扉が閉まった瞬間、部屋には再び、静寂が戻ってきた。

 ◆

 一人になったエレナは、ゆっくりと立ち上がる。
 部屋の奥。

 そこには、一枚の大きな絵画が掛けられていた。
 白い衣をまとい、月光を纏ったような髪をした女性――女神エリュシアの絵。
 この国で最も信仰されている女神を描いた、その複製品。

 エレナは子どものころから、この絵に向かって祈りを捧げてきた。
 「どうか、完璧な娘でいられますように」
 「どうか、父と母に笑ってもらえますように」

 けれど今、口から零れた言葉は、少し違っていた。

「……ねえ、エリュシア様」

 絵の前まで歩み寄り、そっと見上げる。
 キャンバスに描かれた女神の瞳は、優しく、どこか寂しげで。
 その視線の先に、自分がいると、ずっと信じてきた。

「私こそ、ふさわしい娘でしょう?」

 胸に手を当てる。
 鼓動が、早鐘のように鳴り響いている。

「努力もしてきたわ。勉強も、礼儀作法も、全部。
 父にも母にも褒められるように、完璧でいようとしてきたの。
 誰よりも、この家と、この国に相応しい“器”になろうと、ずっと――」

 なのに。
 なのにどうして、あの平凡なメイドが、こんなにも目についてしまうのだろう。

「ねえ、エリュシア様」

 声が少しだけ震える。

「あなたがもし、本当にどこかで私たちを見ているのだとしたら……」

 エレナは、絵の中の女神と目を合わせる。
 瞳の中に、自分の姿が小さく映り込んでいる気がして。

「私と、あの子――どちらが“ふさわしい”の?」

 問いかけは、半分、甘えだった。
 「もちろん、あなたよ」と言われる未来を期待した、子どものような甘い願い。

 だが。

 次の瞬間。

 部屋の灯りが、ふっと揺れた。
 窓から吹き込んだ風が、カーテンを揺らす。

 それに合わせて――エリュシアの絵の瞳が、ほんの一瞬だけ。

 エレナから、目を逸らした。

「……え?」

 錯覚かもしれない。
 だけど、たしかにそう見えた。

 エレナの背筋に、冷たいものが走る。

 紅茶の香りはすでに薄れ、代わりに、胸の内側から立ちのぼる鉄の匂いだけが、濃く、重く、彼女を包んでいた。

(どうして。
 どうして――)

 喉の奥に、言葉にならない何かがつかえている。
 それを吐き出すことも、飲み込むこともできずに、ただ、唇を噛みしめるしかなかった。

 キャンバスの上の女神は、何も言わない。
 ただ、冷たく、どこか遠くを見つめていた。

 その沈黙が、エレナの心を、じわじわと蝕んでいく。

 完璧な令嬢の、その内側に。
 きれいじゃない感情が、静かに、確実に積もり始めていた。
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