追放された悪役令嬢、転生先で最強聖女とか神級とか聞いてないんだけど!?

タマ マコト

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第1話「断罪の夜、舞台に立たされる悪役令嬢」

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 王都エルメリアは、夜になるほどきらきら光る街だった。
 貴族街の石畳は磨き上げられた鏡みたいに月明かりを跳ね返し、白い大理石の城は、闇の中でひときわ冷たく輝いている。

 ――ここでは、誰かの噂話が、風より速く飛ぶ。

 そんな街の一角、公爵家専用の黒塗りの馬車がゆっくりと止まる。
 扉が開き、ふわりとレースの裾が揺れた。

「お嬢様、足元にお気をつけくださいませ」

「ええ。ありがとう、マリア」

 馬車から降り立ったのは、公爵令嬢リオネッタ・フェルディア。十七歳。
 月光をはじく金髪をきっちりと縦ロールに巻き上げ、宝石のような深紅の瞳を持つ少女。
 仕立ての良い真紅のドレスに、白いグローブ。背筋はまっすぐ、顎の角度は寸分も狂わない。

 一見すれば、完璧で、隙など一ミリもない「ザ・高飛車なお嬢様」。

(ちゃんと歩けてる? 裾、踏んでない? 姿勢、変じゃない?
 ……大丈夫、大丈夫。間違えたら、笑われる)

 心の中は、見た目とは真逆にガタガタ震えている。

 幼い頃から、耳にタコができるほど聞かされてきた言葉がある。

『公爵家の娘として、恥ずかしくない振る舞いをしなさい』

 スープの飲み方、フォークの角度、笑うときに見せていい歯の数。
 どれもこれも、「こうしなさい」「それはみっともない」と、細かく細かく矯正されてきた。

 気づけば、感情をそのまま口にすることが怖くなっていた。
 「こうしたい」より先に、「こうしたら怒られる」が浮かんでしまう。

 だから今も、胸の中では小さく縮こまりながら、外側だけはツンと澄まして歩く。

「本日もごきげん麗しゅうございます、リオネッタ様」

 学園の門で、門番が深々と頭を下げる。
 リオネッタは、教本どおりの完璧な笑みを浮かべた。

「ええ、ごきげんよう。ご苦労さま」

 口調まで完璧だ。
 でもその一瞬の会話ですら、喉の奥がきゅっと締めつけられる。

(ちゃんと返せた? 変じゃなかった? 声、震えてなかった?)

 確認のために、自分の足音を数えながら校舎へ向かう。
 リオネッタが歩くと、廊下にいる生徒たちが、そっと道を空けた。

「……フェルディア公爵令嬢よ」

「目、合った気がするんだけど……怖くない?」

「怒らせたら、家ごと潰されそう」

 ひそひそとした声が、背中に刺さる。
 さっきまで普通に話していた生徒たちが、彼女が近づくと途端に口を閉ざす。

 リオネッタは、聞こえないふりをした。
 そう教えられてきたからだ。「くだらない噂話に反応するな」と。

(怖くなんかない、はず。
 私、誰にも何もしてない。ちゃんと勉強して、失礼のないようにして……それでも、怖いって言われるの?)

 胸の奥が、じわじわと痛んだ。

◇ ◇ ◇

 午前の授業は、魔導史と外交学。
 リオネッタは誰よりも早く教室に入り、窓側の一番後ろの席に座る。

 本当は、「誰よりも早く来ているから、ぼっち」なのではなく、「誰かに話しかける勇気がないから、とりあえず早く来ている」が正しい。

 鞄からノートを取り出し、机の上にきっちりと整える。
 そこに、隣の席の男の子が、おそるおそるといった様子で声をかけてきた。

「あの、フェルディア様、それ……魔導史のまとめ、ですか?」

「え?」

 リオネッタはビクリと肩を震わせる。
 声をかけられることに慣れていない。

「き、昨日の授業、ちょっと聞き逃してしまって……その、もしよろしければ、ノートを……」

(渡したい。困ってるなら、当然助けるべき。
 でも、どうやって? どんな顔して? 変に思われない?)

「……」

 気づけば、黙り込んでいた。
 何か言おうと口を開くのに、言葉がつっかえて出てこない。

 男の子の顔に、みるみる不安が浮かぶ。

「す、すみません! 無礼でしたよね! 忘れてください!」

「あ、ちが、違いますわ」

 やっとそれだけ絞り出すも、声は冷たく聞こえたに違いない。
 男の子は慌てて席に戻ってしまう。

(違う、そうじゃないのに……!)

 ノートを貸したかった。
 むしろ「写します?」くらい言いたかった。

 けれど、完璧な言い方を探している間に、チャンスは逃げる。

 リオネッタは、胸のあたりをぎゅっと握りしめた。

「……私、やっぱり、下手ね」

 小さく漏らした呟きは、誰にも届かない。

◇ ◇ ◇

 午前の授業が終わると、食堂は一気ににぎやかになる。
 貴族の子弟たちがテーブルを囲み、笑い声が飛び交うその中で――リオネッタの周囲だけ、ぽっかりと空気が空いていた。

「今日、どこ座る?」

「え、あの辺は……フェルディア様の近くになるでしょ?」

「あ、じゃあ、別のところ行こっか」

 耳に刺さる会話。
 彼女のテーブルに誰も近寄ろうとしないのは、もう日常の光景だ。

 ひとり。
 ナイフとフォークの音だけが、やけに大きく聞こえる。

(慣れた。……って思ってたのに)

 スープを口に運びながら、視線は自然と食堂の中央へと向かう。

 ――そこに座るのは、この国の中心、王太子アレス・グランディール。

 陽の光を閉じ込めたような金髪。澄んだ青い瞳。
 快活な笑みを浮かべれば、周囲の空気がぱっと明るくなる。

 アレスのテーブルには、いつも人が集まっていた。
 同性からは憧れと尊敬を、異性からは恋慕を一身に集める、絵に描いたような王子。

 彼こそが、リオネッタの婚約者――になる予定の相手。

(婚約者、ね)

 言葉だけ転がしてみても、胸の中には何も浮かんでこない。
 そこにあるのは、恋ではなく、義務感。

『あなたは将来、王太子殿下の妃となるのですから、恥をかかせないように』

 両親にそう言われ続けてきた。
 だから、努力した。
 勉強も、礼儀も、ダンスも、魔法も、人よりできるようになった。

 それなのに――。

「アレス様、こっち向いてください!」

「殿下、昨日の騎士団の訓練、すごくかっこよかったです!」

「はは、そんなに褒めても、なにも出ないぞ?」

 アレスは、誰に対しても分け隔てなく優しい。
 そういうところが、また人を惹きつけるのだろう。

(きっと、あれが「ちゃんとした人付き合い」なんだろうな)

 リオネッタは、少しだけ羨ましく思う。
 そして同時に、「自分とは違う世界の人だ」と、距離を感じてもいた。

 彼女が静かに視線を外そうとした、そのとき――。

 ふいに、食堂の扉が大きく開く音がした。

◇ ◇ ◇

「……え?」

 白い、光が入ってきたのかと思った。

 実際には、ただ扉が開いただけだ。
 けれど、そこに立つ少女は、まるで光をまとっているかのように見えた。

 ふわふわの栗色の髪。
 少し大きめの瞳には涙の光が残っていて、きょとんとした表情であたりを見回している。

 地味なワンピース姿なのに、どこか目を引く。
 守ってあげたくなるような、儚い雰囲気。

「もしかして……ここが、王立学院……?」

 小さく震える声。
 その瞬間、生徒たちの間にざわめきが走った。

「今の……魔力、感じたか?」

「うん、すごい。なんか、ふわっと……」

「まさか、召喚されたって噂の“聖女様”……?」

 その言葉に、リオネッタの手がピタリと止まる。

(聖女……)

 数日前から、城の中で噂になっていた。
 「異世界から聖女が召喚された」「この国を救う存在だ」と。

 半分は作り話だと思っていた。
 でも今、目の前にいる少女は――。

「ようこそ、エルメリア王立学院へ」

 椅子を引く音。
 食堂の中央のテーブルから、アレスが立ち上がった。

 彼は迷わず、聖女らしき少女の元へ歩いていく。

「俺は、この国の王太子、アレス・グランディール。君が、召喚された聖女……エミリア嬢だね?」

「は、はいっ……! エミリアと申しますっ。えっと、その……ここに来る前の記憶が、あんまりなくて……」

 エミリアと名乗った少女は、おどおどとしながら頭を下げる。
 その仕草が、また周囲の庇護欲を刺激する。

「大丈夫だよ。怖かっただろう。けれど、君が来てくれて、本当に救われた」

「わ、私なんかで……役に立てるなら、頑張ります……!」

 アレスがそっとエミリアの肩に手を置き、微笑む。
 その光景を見て、生徒たちから小さな感嘆の声が漏れた。

「見た? 殿下、あんなに優しい顔……」

「聖女様、かわいい……!」

 リオネッタは、少し離れた席からその様子を見つめるだけだった。

 胸の奥で、なにかがチクリと刺さる。

(……そうよね。あの方は、この国の“希望”だもの)

 聖女。
 世界に祝福された存在。
 誰からも愛され、守られるべき人。

 対して、自分は――。

「悪役令嬢、って呼ばれてるのよね、私」

 自嘲気味に呟いて、すぐに口元を押さえる。
 そんな言葉を、誰かに聞かせてはいけない。

 アレスがエミリアに向ける優しさは、眩しくて、見ていると喉がきゅうっと締めつけられた。

(別に、いい。
 私は公爵令嬢。彼女は聖女。役割が違うだけ。
 ……違うだけ、のはずなのに)

 心の奥で、知らない棘が転がっている気がした。

◇ ◇ ◇

 その日の授業は、どこか上の空で終わった。
 聖女エミリアは、すぐに王城と神殿の人間に囲まれ、特別な部屋へと案内されていった。

 彼女の話題で、学園中が持ちきりになる中、リオネッタは静かに馬車に乗り込む。

「お嬢様、本日はお疲れ様で――」

「……マリア」

 行きのときと同じメイドに声をかけ、リオネッタは少しだけ躊躇ってから言う。

「もし……私が、すごく、完璧じゃなくなったら。
 あなたは、どう思う?」

 マリアは一瞬きょとんとした後、柔らかく微笑んだ。

「お嬢様は、もう十分すぎるほど、頑張っておられますよ」

「そういうことを聞いているのではなくてよ」

「ふふ。でも、私にはそうとしか見えませんので」

 やりとりは、いつもどおりだ。
 けれど、心の中のモヤモヤは晴れない。

 馬車の窓から見える王都の夜景は、相変わらずきれいで、冷たかった。

◇ ◇ ◇

 その夜。
 リオネッタは、ふと胸騒ぎで目を覚ました。

 部屋の窓の外には、月が高く浮かんでいる。
 枕元の小さな魔導時計を見れば、もうすぐ消灯時間だ。

(……なにか、いやな予感がする)

 そう思っていると、扉をノックする音がした。

「お嬢様、失礼いたします」

「どうぞ」

 入ってきたのは、慌ただしい顔をしたマリアだった。

「学園より使いの者が参りまして……本日中に、再び登校なさるようにとのご命令です」

「今から、学園へ? ……夜ですのよ?」

「はい。“全学園生徒を学園広場に集める”と。王太子殿下からのご指示だと」

 一瞬、時間が止まった気がした。

「アレス殿下が……?」

 喉がひゅっと鳴る。
 胸の奥で、さっき感じた不穏な感覚が、現実のものとして形を持ちはじめる。

 なにかが、起きている。
 なにか、とても悪いことが。

「お嬢様、体調が優れないとお伝えしましょうか?」

「……いいえ。行きますわ」

 リオネッタはベッドからゆっくりと立ち上がる。
 鏡に映る自分の顔は、少し青ざめていたが、それでも完璧な令嬢の仮面を崩そうとしなかった。

(怖い。でも――逃げたら、もっと悪くなる気がする)

 ドレスを着替え、身支度を整え、外套を羽織る。

 馬車に揺られながら、リオネッタは窓の外を見つめた。
 いつもより暗く見える王都の夜景が、まるで舞台の幕が上がる前の照明みたいだと思う。

 やがて、学園の大きな門が見えてきた。
 そこにはすでに、多くの馬車が止まり、人の気配が渦巻いている。

「……やっぱり、全員、呼ばれているのね」

 学園広場へ続く石畳を歩く足が、少し震えた。
 遠くから、人々のざわめきが聞こえる。

 冷たい夜風が頬を撫でる。
 心臓の鼓動が、耳の中でやけに大きく響く。

(なにが起こるの……?)

 広場の入口に立ったとき。
 リオネッタは、たくさんの視線が一斉にこちらを向くのを感じた。

 その中心に立つ、金色の髪――王太子アレス。
 そして、そのすぐ隣には、怯えたような顔で彼の袖を掴む、聖女エミリアの姿があった。

 夜の学園広場。
 大勢の生徒と教師に囲まれ、即席の舞台のように整えられたその場所に――リオネッタは、一人、足を踏み入れる。

 まるで、断罪の劇の主役として、幕が上がるのを待つ役者みたいに。
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