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第2話「聖女いじめの濡れ衣」
しおりを挟む学園広場は、いつもの明るい場所じゃなかった。
夜の空気は冷たくて、吐く息が白くほどける。
石畳の上には、等間隔に燭台が並べられていて、炎がゆらゆらと揺れている。
その光が、生徒たちの顔を不気味に照らし出していた。
円を描くように囲む生徒たちと、その外側に立つ教師陣。
視線が、真ん中の一角だけをじっと見つめている。
その中心に――王太子アレス。
そして、そのすぐ隣に寄り添う聖女エミリア。
リオネッタが広場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが一瞬だけ止まった。
「……フェルディア様だ」
「本当に呼ばれてる……」
「ってことは、噂、本当だったの?」
囁き声が、波紋のように広がっていく。
耳に張りついて離れない。
(何の……集まりなの? どうして、こんな夜に……)
ただならぬ空気に、背筋がぞくりとした。
アレスの視線が、はっきりとこちらを捉える。
その目は、見慣れたはずの青――なのに、今日は妙に遠くて冷たく見えた。
「リオネッタ・フェルディア」
名を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。
リオネッタは、訓練された令嬢の足取りで、ゆっくりと前に進んだ。
「……この場に、お呼び立てした理由を、教えていただけますか」
一応、礼儀どおりにスカートの裾をつまみ、会釈をする。
声は、思っていたよりも震えていた。
アレスは、そんな彼女の礼を、ほんの一瞬だけ黙って見て――
「皆の者、よく聞いてほしい」
燭台の炎が、彼の声に呼応するみたいに揺れた。
広場が静まり返る。
「リオネッタ・フェルディアは、公爵令嬢としてあるまじき罪を犯した」
その宣言は、刃物みたいに空気を裂いた。
リオネッタの呼吸が、一瞬止まる。
(……は?)
理解が、追いつかない。
「なにを……おっしゃって……?」
絞り出した声は、自分でも驚くほどかすれていた。
アレスは、まっすぐに彼女を見ている。
その瞳に、昔みたいな柔らかさは一滴もなかった。
「君は、聖女エミリアに対し、度重なる嫌がらせと危害を加えていた。
臣下を使って祈りの時間を妨害し、階段から突き落とし、食事に薬まで盛ろうとした――そうだな?」
「……っ」
言葉が、耳に入らない。
いや、入っているけれど、意味として認識できない。
嫌がらせ? 危害? 薬?
(なにそれ。私、なに、されたことにされてるの)
視線が、エミリアへと向く。
彼女は、アレスのすぐ横で、彼の袖をぎゅっと握りしめていた。
長い睫毛の下で、瞳が大きく揺れ、涙の粒をこぼしそうになっている。
「エミリア嬢。怖がらなくていい」
アレスが、優しく彼女の肩に手を置く。
その手つきが、リオネッタの胸を冷たく刺した。
「ここには、君を傷つける者はいない。……もう、二度と」
「……っ、アレス様……」
エミリアが、頼るようにアレスを見上げる。
その様子を見て、生徒たちのあいだに同情の空気が流れた。
「聖女様、やっぱりいじめられてたんだ……」
「かわいそう……」
「フェルディア公爵令嬢なら……やりかねないよね」
ささやきが、次第に「確信」のトーンに変わっていく。
アレスは、取り巻きの令嬢たちに目を向けた。
「証言を」
一人目の令嬢が、すぐ前に出る。
淡いピンクのドレスを着た、伯爵令嬢ナタリー。
日頃から、リオネッタにまとわりついていた取り巻きの一人だ。
「わ、私は見ましたわ……! 聖女様が祈りを捧げようとなさっていたとき、フェルディア様が来て……その、冷たい顔で『こんな茶番、もうやめなさい』って……」
「……は?」
喉から、間抜けな声が漏れた。
(言ってない。言ってないどころか、祈りの時間がいつなのかも知らない)
しかしナタリーは、涙まで浮かべて続ける。
「聖女様が怯えておられたのに……フェルディア様は、それを見て笑って……っ」
「笑ってなんか――」
否定の声を上げようとして、リオネッタはハッとなる。
自分の声が、思った以上に尖って聞こえたからだ。
ナタリーの後ろから、二人目が出てくる。
金髪をカールさせた侯爵令嬢クラリス。
「私は、階段の件を……。
聖女様がアレス様をお見送りになったあと、後ろからフェルディア様が近づいて……こう、ドン、と」
クラリスは、自分の体を軽く突くようにジェスチャーする。
「聖女様は階段から落ちてしまって……! それで、フェルディア様は『足元にはお気をつけになって』って……」
周囲から、ざわり、とどよめきが起きた。
「ひど……」
「そんなの、完全にわざとじゃない!」
「悪趣味すぎる……」
リオネッタは、頭が割れそうだった。
(待って。そんな場面、なかった。
私、聖女と二人きりになったことすら、ほとんどないのに)
「そんなこと、していませんわ」
絞るように言葉を吐き出す。
けれど、その言い方は、どうあっても「冷たい否定」にしか聞こえない。
三人目の令嬢が進み出る。
子爵令嬢メリッサ。いつもは控えめなのに、今は妙に饒舌だ。
「食堂でのことです。
聖女様の前に出されたスープに、フェルディア様が先にスプーンを入れて――何か、粉のようなものを……」
「ちょっと待ってくださいませ!」
思わず、声が大きくなった。
生徒たちの視線が、一斉にリオネッタに集中する。
胸が苦しい。呼吸が浅くなる。
それでも、言わないわけにはいかない。
「私は……聖女様のスープに、何も入れていません。
そもそも、食堂でお話をしたことすら、ほとんどありませんわ」
「でも、見たんです!」
メリッサは、怯えたような、しかしどこか勝ち誇ったような顔で叫ぶ。
「フェルディア様がスープに触れたあと、聖女様は『少し気分が悪い』って……!」
「それ、私のせいですの?」
「他に、誰がいますの!」
言葉が、容赦なく突き刺さる。
(違う。違うのに。全部、あの子たちが、勝手に……)
リオネッタは、最後の頼みの綱のようにエミリアを見る。
エミリアは、アレスの袖をまだ握りしめたまま、視線を落としていた。
大きな瞳に涙が溜まり、今にも零れそうだ。
「エミリア嬢」
アレスが、優しく名前を呼ぶ。
「君の言葉を、聞かせてほしい」
エミリアの肩が、びくりと震えた。
しばらく沈黙してから、小さな声が漏れる。
「わ、たし……」
広場中の空気が、エミリア一人に集中する。
彼女は、それを全身で感じているはずだった。
(今、『違う』って言えばいい。
そうすれば、全部終わる。私も、貴女も、傷つかずに済む)
リオネッタは、祈るような気持ちで彼女を見つめる。
エミリアは唇を噛み、うつむいたまま続けた。
「……こわかった、です」
その一言で、空気が決定的に傾いた。
「夜、祈ってるときに……誰かが、扉の外に立ってて……視線を感じて。
振り返ったら、フェルディア様がいて……
『聖女なんて、嘘っぱちじゃないの』って……」
「言ってません!」
反射的に、声が出た。
自分でも驚くほど、必死な声だった。
けれど、その必死さが、逆に「追い詰められた犯人」のように響く。
エミリアの目から、つーっと涙がこぼれる。
「わ、わたし……間違ってるかもしれません……。
フェルディア様は、そんなつもりじゃなかったかもしれない……けど……っ」
嗚咽が混じる。
「でも、こわくて……っ、胸がぎゅうってなって……
ご飯も、うまく食べられなくなって……
階段から落ちた日も……誰かが、押したような気がしたんです……」
決定打。
エミリアは、「直接的に断定」してはいない。
ただ「怖かった」「誰かが押した気がした」と言っているだけ。
でも、その“誰か”が誰なのかは、すでに周囲の頭の中では決まってしまっているのだ。
「……っ」
リオネッタは、足元がぐらりと傾いたような感覚に襲われた。
違う。
そんなこと、一つもしていない。
彼女に近づくことすら、ほとんどなかった。
でも――。
「前から、怖かったよね、フェルディア様」
「そうそう。目、合うだけで心臓止まりそうだったもん」
「先生にも意見するくらいの人だし。
聖女様みたいな“異分子”を嫌ってもおかしくないよ」
「やっぱり、悪役令嬢って感じ……」
囁きが、さざ波から嵐に変わっていく。
群衆心理。
一度「悪」として名前が貼られた存在には、すべての違和感と不安が投げつけられる。
「私は――」
喉が、熱いのか冷たいのか分からなくなる。
「私は、そんなこと……」
言いかけた言葉が、うまく出てこない。
どう言えば、信じてもらえるのかが分からない。
今までずっと、「完璧」であろうとしてきた。
感情を抑え、冷静に、賢く振る舞おうとしてきた。
その習慣が邪魔をする。
本当は「違う」「やっていない」「どうして信じてくれないの」と叫びたいのに、喉の奥で止まってしまう。
「……本当に、全て、誤解ですわ」
やっと出てきた声は、震えを隠そうとしたせいで、氷のように固くなっていた。
「私は、聖女様に危害を加えた覚えなど、一度たりとも――」
「もういい」
アレスの声が、それをぶった切った。
その一言は、容赦なく、冷たく響く。
リオネッタは、息を飲んだ。
アレスは彼女を見ていた。
だけど、その視線には、昔みたいな信頼も、期待も、なにもなかった。
ただ、「失望」と「決意」だけがあった。
「もういい、リオネッタ。君と話すことは何もない」
ガシャン、と音がした気がした。
頭の中で、透明な塔が崩れ落ちる。
幼い頃から積み上げてきたもの――努力も、誇りも、義務感も、「王太子妃になるべき令嬢」としての自分像も。
全部、まとめて粉々に砕け散るイメージが、脳裏を埋め尽くした。
(ああ、終わったんだ)
感情が、追いつかない。
悔しいのか、悲しいのか、怒っているのか、自分でもよく分からない。
ただ、「終わった」という事実だけが、やけに鮮やかに胸に突き刺さっていた。
◇ ◇ ◇
その時、広場の隅から、一人の教師が前に出た。
王家直属の魔導官であり、学園の監督役でもある初老の男だ。
「王太子殿下。陛下からの勅命を、お伝えせねばなりません」
彼の言葉に、アレスが小さく頷く。
「……そうだな。ここで、伝えよう」
リオネッタは、嫌な予感に、喉の奥が冷たくなった。
(勅命――? どうして、こんな場で)
魔導官は、丸められた羊皮紙を取り出し、封を切る。
「聖女エミリアに危害を加えた罪、その疑いは極めて濃厚であり、王国の安寧を脅かすものである。
よって、フェルディア公爵家令嬢、リオネッタ・フェルディアを――エルメリア王国より追放する」
「追放」という単語が、重く落ちてきた。
広場がざわめきに揺れる。
「追放……」
「国外追放ってこと?」
「公爵令嬢なのに……?」
リオネッタは、理解が追いつかなくて、唇を震わせた。
「ま、待ってくださいませ。
追放……というのは、つまり……」
「字の通りだ」
アレスが言う。
表情は、決して揺れない。
「君は、公爵家の令嬢としてふさわしくない行いをした。
聖女に手を出した者を、王都に置いておくことはできない」
「そんな……でも、私は……!」
声が裏返る。
必死で伸ばした手は、何にも届かない。
「お父様と、お母様は……? フェルディア公爵家は、それを……お認めに?」
かすれる声で問う。
今さらすぎる質問だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。
魔導官が、淡々と答える。
「フェルディア公爵家は、すでに陛下に“縁切り”の書状を提出しております。
『これ以上、王家と国に迷惑をかけるのであれば、一切の責任を負いかねる』と」
心臓を素手で握りつぶされたみたいだった。
「……え?」
声が、乾いた音になって漏れる。
(縁切り? 私が、何をしたって言うの。
父様も母様も、事情を知らないだけで――)
いや、違う。
書状が出ているということは、両親は「事情を知った上で」そう判断したのだ。
リオネッタという娘よりも、公爵家という家を選んだ。
それは、貴族として正しい判断なのかもしれない。
けれど、娘としては、どうしようもなく痛い。
(ああ、私は、本当に、一人なんだ)
胸の奥のどこかで、音を立てて何かが折れた。
◇ ◇ ◇
「リオネッタ・フェルディア」
アレスの声が、最後の判決のように響く。
「この瞬間をもって、君は王太子妃候補としての資格を失う。
そして、エルメリア王国からの追放を命じる」
正式な言葉。
それは、王太子としての彼の決定であり、王の意志を代弁するものでもある。
抵抗する余地は、もうどこにもない。
生徒たちが、じり、と一歩ずつ後ろに下がる。
さっきまで輪を描いていた円が、少しずつ形を変える。
誰も、彼女に近づこうとしない。
まるで、彼女だけが疫病か何かで、触れたら感染するかのように。
「ひど……でも、聖女様に手を出したら、そりゃあね」
「殿下も苦渋の決断だったんだろうね」
「あの目、完全に見限ってたよ」
ひそひそと交わされる声は、もはや同情ではなく、興味本位の見物だ。
リオネッタは、唇を噛みしめた。
血の味が、じわりと口の中に広がる。
涙は――出ない。
出したくても、出ない。
泣いてしまったら、完全に「哀れな負け犬」になってしまう気がして、それだけは必死に拒んでいた。
「……承知、いたしましたわ」
かろうじて保った声で言う。
自分でも驚くほど、きれいな発音だった。
喉の奥では、何かがぐちゃぐちゃに潰れているのに。
ゆっくりと一礼し、踵を返そうとしたとき――エミリアと目が合った。
エミリアは、涙に濡れた目を大きく見開いていた。
その中には、罪悪感か、恐怖か、後悔か、いろんな感情が混じっているように見える。
リオネッタは、視線だけで問いかけた。
(どうして)
口には出さない。
出したら、惨めさがあふれ出してしまいそうで怖かった。
(どうして、あなたは否定してくれなかったの。
どうして、私だけが悪者になるの。
どうして、こんな簡単に、私の人生を捨てられるの)
けれど、エミリアはただ、唇を震わせるだけだった。
「わ、たし……」
何か言いかけて――結局、何も言わない。
アレスの袖を掴む手に力を込め、顔を伏せる。
それが、彼女の選択だった。
リオネッタは、ふっと笑いそうになった。
泣きたいのに、笑いそうになる。感情が完全に壊れかけている。
「……さようなら」
小さくそう呟いて、リオネッタは広場を後にする。
誰も、追ってこない。
誰も、彼女の名を呼ばない。
炎の光が、背中に遠ざかっていく。
夜風が、スカートの裾を冷たく揺らす。
石畳に響くヒールの音だけが、やけに大きく響いていた。
(ああ、本当に――終わったんだ)
胸の中で、何度も同じ言葉が反響する。
その「終わり」が、この先の「始まり」になるなんて、
このときのリオネッタは、まだ一ミリも知らなかった。
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(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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