追放された悪役令嬢、転生先で最強聖女とか神級とか聞いてないんだけど!?

タマ マコト

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第5話「白い神殿と女神の声」

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 ――真っ暗、だったはずだ。

 胸を裂かれる痛みと、血の匂いと、耳鳴りと。
 全部がぐちゃぐちゃに混ざって、世界が黒く塗り潰されて。

 そこで、終わった――はずだったのに。

 ふ、と。

 重さが抜けた。

 ドレスの重さも、体の重さも、冷たい地面の感触も。
 全部が一瞬で消え失せて、代わりに、ふわふわとした浮遊感だけが残る。

「……?」

 気づけば、リオネッタは立っていた。

 地面の感触は、あるようで、ないようで。
 足元を見れば、真っ白な床が広がっている。
 冷たくも、温かくもない、ただの“白”。

 痛みは、なかった。
 さっきまで胸を焼いていた激痛も、息をするたびに走っていた軋みも、全部消えている。

 寒くもない。
 国境の森の、骨の芯まで染みるあの冷気は、どこにもない。

 代わりに、静かな光があった。

 優しい白い光が、どこからともなく満ちていて、影すら落ちない。
 眩しいわけじゃないのに、世界をくまなく照らしてくれる、不思議な明るさ。

「ここ……どこ?」

 声を出してみると、やけにクリアに響いた。
 森の湿った空気とは違う、乾きすぎてもいない澄んだ空気が、肺を満たす。

 視線を上げると、そこには――白い神殿があった。

◇ ◇ ◇

 天井は、どこまでも高い。
 大理石とも違う、つるりとした白い石でできていて、そこから柔らかな光が降り注いでいる。

 壁には、装飾らしい装飾はほとんどない。
 あるのは、流れるような曲線の柱と、ところどころに刻まれた、見たことのない紋様だけ。

 それなのに、殺風景という感じはない。
 余白の多い、静かな絵画みたいだと思った。

 耳を澄ませると、遠くから、ちりん、と小さな音が聞こえる。
 風鈴のような、ガラスの欠片が触れ合うような、軽くて澄んだ音。

 その音が、一定のリズムを持たずに、ふいに鳴っては消える。
 そのたびに、胸のどこかが少しだけほどけるような感覚がした。

(……ここは、まさか)

 死後の世界、という言葉が頭をよぎる。
 天国とか、あの世とか、そういう類のもの。

 宗教として信じたことはなかったけれど、
 今のこの状況を説明できる言葉は、それくらいしか浮かばない。

 だって、自分は確かに――あの森で。

 胸の辺りに手を当ててみる。
 そこには、何もなかった。血も、破れた布も、傷もない。

 指先は、滑らかな肌に触れるだけ。

「本当に……死んだんですのね、私」

 口に出してみると、その言葉が現実味を帯びた。

 その瞬間、遅れて恐怖がやってくる。

 背筋がぞくりと震えた。
 身体が勝手に身構える。足がすくむ。喉が乾く。

 怖い。
 死んだということが、怖い。

 ここがどこなのかも、これからどうなるのかも分からない。
 戻れないという事実だけが、やけに鮮明で。

 ……けれど。

「でも、もう森に戻れって言われるよりは、マシかもしれませんわね」

 自嘲気味に呟くと、少しだけ肩の力が抜けた。

 あの冷たくて湿った空気。
 黒狼の赤い目。
 胸を貫く牙の感触。

 あれをもう一度味わえと言われたら、全力でお断りしたい。

(これで、全部終わったんだ)

 その考えが、じわじわと広がる。

 公爵家での窮屈な日々も、学園でのひそひそ話も、
 聖女いじめの濡れ衣も、王太子の冷たい瞳も。

 もう、何ひとつ自分を縛らない。

 そんなことを思ってしまった自分に、さらに驚く。

(終わって、ほっとしてる……? 私)

 恐怖と、安堵が、ぐちゃぐちゃになって胸の中に詰まっていた。

 怖いのに、少しだけ楽になった気もする。
 もう「完璧であれ」と言われない。
 もう「悪役令嬢」と囁かれない。

 良いことなのか悪いことなのか、判断がつかない。

 そこに――。

「終わり、と思うには、少し早いかもしれませんね」

 柔らかな声が、響いた。

◇ ◇ ◇

 反射的に振り返る。

 さっきまで、誰もいなかったはずの神殿の中央に――
 淡い光の粒が、ゆっくりと集まり始めていた。

 金粉のような、雪のような、小さな光。
 床からふわふわと舞い上がり、空中で渦を巻くように集まっていく。

 それが、次第に「人の形」を形作った。

 長い髪。しなやかな腕。緩やかなラインのドレス。
 光の粒が寄り集まってできた、女性の輪郭。

 最後に、目の部分に淡い金色の光が灯る。

「初めまして、リオネッタ・フェルディア」

 女性は、静かに微笑んだ。

 年齢は分からない。
 幼くもなく、老いてもいない。
 人の時間の流れとは無関係の存在、という印象だけがある。

 髪は白銀とも淡金ともつかない色で、ふわりと揺れていた。
 その一房一房に、さっきまで散っていた光の粒がまだ残っている。

 着ているのは、純白のドレス。
 でも、地上のどんなドレスとも違う。
 布なのか光なのか境界が曖昧で、見る角度によって形が変わるように見えた。

 なにより印象的だったのは、その目だ。

 澄んだ光を湛えたその瞳は、すべてを見透かしているようでありながら、
 同時に、とても優しそうだった。

「……どなた、ですの?」

 リオネッタは、思わず息を呑みながら問う。

 女性は、まるで当たり前のことを言うみたいに答えた。

「この世界では、あなたのような人から、“転生の女神”と呼ばれているわ」

「転生……」

 耳慣れない単語ではない。
 古い物語や神話の中に、何度か出てきた言葉。

 死んだ魂が、新しい身体に生まれ変わる――というやつ。

「ええ。あなたの魂は、今、この白い神殿にたどり着いたところ」

 女神と名乗った存在は、静かに近づいてくる。
 足音はしない。
 でも、彼女が歩いた場所には、淡い光が足跡のように一瞬だけ残った。

「まずは……お疲れ様と言うべきかしらね」

「……え?」

 予想していなかった言葉に、リオネッタは間抜けな声を出してしまう。

 女神は、ふわりと微笑んだ。

「十七年。体の弱さと期待の重さに耐えながら、“完璧な公爵令嬢”を演じ続けてきた。
 そのうえ最後は、濡れ衣を着せられて、魔物の牙にかかって――」

 淡々としているのに、その声にはどこか、慈しみと哀しさが混じっていた。

「なかなかに、苛酷な人生だったと思うわ」

「……見て、いらしたんですの?」

「全部ではないけれど、あなたの魂に残った“傷跡”くらいなら、読み取れるの」

 女神は、胸元に視線を落とす。
 そこには何もない。
 けれど、彼女には見えているのだろう。リオネッタの人生の、あちこちのひびが。

「あなたは、ずっと自分を責めてきたわね」

「……」

 図星だった。

 リオネッタは、無意識に視線を逸らす。

「うまく笑えなかったこと。
 うまく話せなかったこと。
 優しくしたいのに、言葉が固くなってしまうこと」

 一つ一つを、女神は指折り数えるように口にしていく。

「それを、“自分がダメだからだ”って、全部抱え込んでいた」

「……だって、実際、そうでしたもの」

 絞るように言葉が出た。

「うまくできなくて、誤解されて……
 聖女様をいじめたなんて、そんな、あんまりな……」

 そこまで言って、喉が詰まった。

 思い出したくなかった広場の光景が、鮮明に蘇る。
 燭台の炎。冷たい視線。アレスの無表情。エミリアの涙。

「私が、もっと上手に振る舞えていれば……
 もっと、素直に『違います』って叫べていたら……」

「追放されずに済んだ、と?」

 女神の問いに、リオネッタはうつむいたまま、かすかに頷いた。

「……ええ。そう、思ってしまいますわ」

「そうね。もしあなたが、誰よりも雄弁で、誰よりも愛嬌があって、
 誰よりも人心掌握に長けていたなら――もう少し、違う未来もあったかもしれない」

 女神は否定しなかった。
 嘘の慰めを言う代わりに、現実を認めた。

 そのうえで、言う。

「でも、それでも、今回のことの“本当の罪”は、あなたのものじゃない」

「……え?」

 顔を上げると、女神の目と視線がぶつかった。

 その瞳は、穏やかな光を宿している。

「あなたを利用した者。
 自分の立場を守るために、あなたに濡れ衣を着せた者。
 噂に乗っかって石を投げた者。
 立場を守るために、簡単にあなたを切り捨てた者」

 女神は、指先を軽く動かした。
 それに呼応するように、空中に小さな光の粒がいくつも浮かぶ。
 それぞれが、人の輪郭をぼんやりと象っていた。

「そういう人たちの行いを、全部まとめて“あなたのせい”にするには、少し無理があると思わない?」

「……でも、私が、あの場にいなければ」

「それはね」

 女神は、そこだけ少し厳しい声になった。

「『自分さえ消えれば世界は丸く収まる』という、優しさに見せかけた自己否定よ」

 言葉が、胸に刺さる。

「あなたは優しい子だけれど、優しすぎて、自分にばかり刃を向ける。
 そのせいで、本当に悪い人たちの罪まで、自分のものにしようとする」

 女神は、ふっと表情を和らげた。

「でもね、リオネッタ。
 少なくとも一つ、はっきり言えることがあるわ」

「……なんですの?」

「あなたの魂は、濁っていない」

 静かな宣言だった。

 大声でも、派手な演出でもない。
 ただ、優しくて、絶対に揺らがない響き。

「あなたは誰かを踏みにじって笑ったことはない。
 意図して誰かを傷つけて、快感を覚えたこともない。
 ただ、不器用で、臆病で、真面目すぎただけ」

 その言葉が、胸の奥の固まった何かを、少しずつ溶かしていく。

 認めてほしかったことを、正確に言い当てられた気がした。

「……私、そんな立派なものじゃありませんわ」

「立派であろうとしたわね。ずっと」

 女神は、リオネッタの前まで来て、そっと顔を覗き込む。

 その距離で見つめられると、妙に落ち着かない。
 けれど、不思議と怖くはなかった。

「あなたは、よく頑張ったわ。本当に」

 その一言に、リオネッタの喉の奥が熱くなった。

 父にも母にも、そんなふうに言われたことはなかった。
 期待はされた。叱咤もされた。
 でも、「頑張ったね」と労われた記憶は、ほとんどない。

 目の縁がじん、と熱くなる。

(あ、泣く……)

 そう思った瞬間、涙がこぼれた。

 ぽろ、と。
 それまで頑なにこぼれなかったものが、嘘みたいに簡単に溢れ出す。

「……っ、すみません。あの、みっともなくて」

「あら、人の前で泣けるようになったのね。いいことだわ」

 女神は、怒りもしないし、慌てもせず、ただ微笑んでいた。

 その笑顔に、少しだけ救われる。

◇ ◇ ◇

 ひとしきり泣いたあと、リオネッタは、はっとした。

「……あの、私、やっぱり死んだんですのよね?」

「ええ。肉体としてのあなたは、国境の森で役目を終えたわ」

 女神はあっさりと言う。

 リオネッタの背筋に、再び冷たいものが走る。
 さっきまで忘れかけていた恐怖が、じわりと戻ってくる。

「じゃあ、私はこの先、どうなるんですの?
 魂だけになった私は、ここにずっと……?」

「そうね。普通なら、しばらくここで休んだあと、輪の中に溶けていく。
 大きな流れの一部になって、個としての“リオネッタ”という形は、ゆっくりと薄まっていく」

「…………」

 それは、とても静かで穏やかな終わり方なのかもしれない。
 痛みも苦しみも、やがて遠のいていく。

 でも、それは同時に、「自分という物語の完全な終わり」を意味していた。

(私が、私じゃなくなる)

 想像すると、少し背筋が寒くなる。

 女神は、そんなリオネッタの心の揺れを読むように、軽く首を傾げた。

「……ただ、あなたに関しては、少し事情が違うの」

「事情?」

「一度終わったからこそ、“やり直せる”可能性がある、ということ」

 女神の周囲の光が、少しだけ強くなる。

「リオネッタ・フェルディア。
 あなたの魂には、まだ強い『こうありたかった』という願いが残っている」

「こう……ありたかった、私」

 口の中で転がしてみる。

 こうあるべき、ではなく。
 こうあれと言われた、でもなく。
 自分が「ありたかった」姿。

 今まで、一度でも真剣に考えただろうか。

「あなたはいつも、『公爵令嬢として』『王太子妃として』という“役割”に縛られていた。
 でも、その役割を全部剥がしてしまったら――あなたは、本当はどう生きたかったのかしら?」

「……どう、生きたかった、か」

 問われて、戸惑う。

 そんな贅沢なこと、考えたことがなかった。
 考える余裕があるほど、人生に“空白”はなかった。

 けれど、女神の目は真剣だ。
 適当に答えるには、あまりにも勿体ない問いだった。

 少し考えて、リオネッタは小さく息を吸う。

「……今度こそ」

 自分の声が、白い神殿に柔らかく響いた。

「今度こそ、誰かの役に立ちたいです」

 それは、昔から変わらない願いだった。
 病弱だった子どもの頃から、ずっと胸の奥にあったもの。

「でも、“役割を全うする”とか、“家のために”とかじゃなくて……」

 言葉を探す。
 慎重に、でも、飾らずに。

「ちゃんと、“私”として、誰かに喜んでもらいたい。
 私がいたから、ちょっと楽になった、とか……
 私と話すと、少し気持ちが軽くなる、とか」

 そこまで言って、少しだけ恥ずかしくなった。
 顔が熱くなる。

「……ずいぶんと、欲張りですわね。私」

「いいのよ。死んだ後くらい、少しくらい欲張っても」

 女神は、楽しそうに目を細める。

「それから?」

 促されて、リオネッタは、ほんの少し間を置いたあと――
 ずっと心の奥底に押し込んでいた、小さな願いを掘り起こした。

「……私自身も、笑ってみたいです」

「笑う?」

「ええ。ちゃんと、心から」

 今までの笑いは、ほとんど全部、「淑女としての正しい微笑み」だった。

 口角の角度。見せる歯の数。目の細め具合。
 全部、「こうしなさい」と教えられたとおり。

「誰かの視線や期待を気にしてではなくて……
 ただ、“今、嬉しいから”って理由で、笑ってみたいです」

 想像すると、胸が少しだけきゅっとした。
 そんな日が本当に来るのか、想像がつかない。

 でも、言葉にしただけで、今までよりも少しだけ、自分の心に近づけた気がした。

 女神は、満足そうに頷く。

「いいわね。それくらいの願いなら、私の手にも届くわ」

「……届く?」

「ええ」

 女神の身体を形作る光が、ふわりと広がった。
 さっきまで静かだった風鈴の音が、少しだけ賑やかになる。

「リオネッタ。
 もし、もう一度、生きてみる機会があるとしたら――どうする?」

「もう一度……?」

 胸の奥が、どくんと鳴る。

「この世界ではない、別の世界。
 あなたのことを誰も知らない場所。
 公爵家でも、悪役令嬢でも、王太子妃候補でもない、“まったく新しいあなた”としての人生」

 女神の言葉一つ一つが、白い空間に波紋のように広がっていく。

「ただの夢物語ではなくて?」

「ええ。“転生の女神”が、冗談でそんなこと言うと思う?」

 くすりと笑う女神に、リオネッタは目を瞬かせる。

 それはあまりにも唐突で、あまりにも甘い提案だった。

 失敗だらけだった人生。
 終わり方も最悪で、誰にも惜しまれずに死んだ。

 その先に、「やり直してもいい」と言われている。

 怖くないと言えば嘘になる。
 また同じように失敗するかもしれない。
 また誰かに裏切られるかもしれない。

 それでも――。

(終わり方があんなのは、さすがに、納得いきませんわよね)

 胸の奥に、小さな反発心が芽生えた。

 あの国境の森。
 黒狼の牙。
 誰にも看取られない死。

 あれを「人生のエンディング」にされるのは、正直、悔しすぎる。

 それに。

(もし、本当に“役割なし”で生きていい世界があるなら)

 公爵令嬢でもなく、誰かの婚約者でもなく、
 ただの「私」として。

 そんな人生を、一度くらい――。

「……その、新しい世界は、どんな場所ですの?」

 慎重に尋ねると、女神は嬉しそうに微笑んだ。

「ラグナリア、と呼ばれている世界。
 あなたのいた世界と似ているけれど、少し違う」

「少し、違う?」

「魔法がもっと日常に近くて、神殿が今よりも素直に“人を守る場所”であろうとしている世界。
 聖女という存在も、そこにはいる」

「聖女……」

 その単語に、思わず身構えてしまう。
 女神はそれに気づいて、柔らかく笑った。

「大丈夫。その世界の“聖女”は、少なくともあなたを踏み台にはしないわ」

「……本当でしょうね?」

「神様を疑うの?」

「疑いますわ。前の世界の聖女様が、あれでしたもの」

 そう返したら、女神はおかしそうに肩を震わせた。

「そうね、それもそうだわ」

 笑い合える自分がいることに、リオネッタは少し驚く。
 死んだ直後だというのに、こんなふうに冗談を言えるなんて思わなかった。

 でも、だからこそ――決めなければならない。

 まだ、怖さは残っている。
 でも、もう一度生きてみたい、という気持ちも、確かにある。

「……行きたい、です」

 リオネッタは、まっすぐ女神を見た。

「ラグナリア、でしたかしら。
 そこで、今度こそ、ちゃんと誰かの役に立って……
 それから、私も、笑って生きてみたいです」

 それが、自分の意志。
 誰に求められたわけでもない、初めての「私の選択」だ。

 女神の顔が、ふわりと綻ぶ。

「ちゃんと“自分の言葉”で願えたわね。……よくできました」

 まるで、幼い子どもを褒めるみたいな口調。
 でも、そこに見下しはなくて、本気で喜んでいるのが分かる。

「では、約束しましょう。
 あなたを、ラグナリアに送るわ」

「約束……」

「ただ一つだけ、覚えておいて」

 女神の声が、少しだけ真剣味を帯びる。

「どんな世界に行っても、どんな力を手に入れても――
 あなたが“自分を嫌いすぎる”限り、本当の意味で幸せにはなれない」

「……はい」

 リオネッタは、小さく頷いた。

 自分を丸ごと好きになるなんて、今はとても無理だ。
 でも、「全部悪いのは自分だ」と決めつけるのはやめよう。
 少なくとも、それくらいは、この場で誓える。

 女神は満足そうに頷き、そっと手を差し出した。

「なら、あなたにふさわしい加護をあげる」

「ふさわしい、加護……?」

「あなたは、ずっと誰かのために生きようとしてきた。
 だから今度は、“誰かを癒やせる力”を」

 女神の手のひらに、光が集まる。

 温かな、柔らかな光。
 それはたちまち膨らんで、花びらのように形を変えた。

 白い花。
 触れればほどけてしまいそうな、淡い光の花。

「これは――」

「聖なる加護。
 ラグナリアでは、“聖女”や“癒やし手”が扱う力に近いもの」

 女神は、その花をそっとリオネッタの胸元に押し当てる。

 じんわりと、熱が広がった。
 でも、それは不快な熱ではない。

 冬の日だまりに背中を向けて座ったときみたいな、
 ゆっくりと体の芯まで染み込んでくる温かさ。

「あなたに触れた人の傷を、少し軽くする力。
 心の痛みに、ほんの少し寄り添える力。
 その代わり、あなた自身の心も、ちゃんと守りなさい」

「……守る、ですの?」

「そう。全部自分のせいにして、全部自分で背負って、また潰れないように」

 女神の瞳が、少しだけ厳しくなる。

「あなたには、その危険があるから」

「……善処いたしますわ」

 思わず、いつもの令嬢口調が出た。
 女神はくすっと笑う。

「その生真面目さは、嫌いじゃないけれどね」

 温かな光は、やがて完全にリオネッタの胸の中に溶け込んだ。

 痛みも、寒さも、恐怖も――すべてが、一度リセットされたような感覚。

 この世界で背負ってきたものが、一枚一枚剥がれていく。
 残るのは、むき出しの「私」。

「そろそろ、お別れの時間ね」

 女神が、静かに言う。

 リオネッタの足元から、白い光が立ち上り始めた。
 薄い霧のように、彼女の身体を包み込んでいく。

「最後に、一つだけ」

 リオネッタは、思い切って口を開いた。

「私の前の世界の人たちは……どうなりますの?」

 父と母。
 ハンナ。
 アレス。
 エミリア。

 気にならないと言えば嘘になる。

 女神は、少しだけ目を伏せた。

「彼らは、彼らの物語を生き続ける。
 あなたがいなくなっても、世界は続いていくわ」

「……やっぱり、そうですのね」

 少しだけ、胸がちくりとした。

「でも」

 女神が続ける。

「あなたがいなくなった“穴”は、確かにそこに残る。
 気づくかどうかは、彼ら次第だけれど」

「……そう、ですか」

 それ以上は聞かなかった。
 聞いてしまえば、未練が大きくなりすぎる。

 今は、新しい世界へ向かう決意を濁したくなかった。

 光が、強くなる。
 視界が、だんだんと白に塗り潰されていく。

 女神の姿が、輪郭だけになり、その輪郭さえも薄れていく。

「リオネッタ・フェルディア」

 遠くから、女神の声が聞こえた。

「あなたの物語は、ここで終わりじゃない。
 今度こそ、“あなた自身のために”生きなさい」

 その言葉が、胸に深く刻まれる。

 落ちていく感覚がした。
 足元の白い床が消えて、空間そのものが裏返るような、不思議な浮遊感。

(私の物語は、終わりじゃない)

 最後にもう一度、自分で自分に言い聞かせる。

(今度は、ちゃんと、私として)

 意識が、遠のいていく。
 けれど、さっきの「死」のときと違って、そこには確かな“行き先”の予感があった。

 真っ白な光の中を、意識がするりと滑り落ちていく。

 どこか、見知らぬ空へ。
 どこか、まだ誰も知らない「リオネッタの次の人生」へ。

 ――こうして、追放された悪役令嬢の魂は、一度その生を終え。
 新しい世界ラグナリアへと、その身を投げ出していくのだった。
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