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第17話「リオネッタの名を呼ぶ声」
しおりを挟む森の空気が、ぴきん、と音を立てて凍ったように感じた。
「……リオネッタ様?」
あの若い騎士――レオンの口から零れた名前が、木々のあいだを伝って、レアの鼓膜を無遠慮に殴る。
リオネッタ・フェルディア。
たったそれだけの音の並びなのに、胸の奥の古傷を、針でぐりぐりとほじくり返されるみたいに痛い。
(やめて)
声にならない声が、喉の奥で空回りした。
(こっちに、その名前、持ち込まないで)
足の裏から血が引いていく。
膝が笑いそうになるのを、レアは必死に踏ん張って堪えた。
そのすぐ横で、アルヴァの空気が変わった。
灰色の瞳が、細く、鋭くなる。
獣が牙を見せる前の、一瞬の静けさ。
「……今のは、どういう意味だ」
低く抑えた声。
レオンは、自分がやらかしたことを自覚したのか、顔を青ざめさせた。
「あ、い、いえ、その……」
ごまかそうとして、言葉が喉に引っかかる。
隊長が一歩前に出た。
「レオン」
短く名を呼ぶ。その一言に、「黙れ」という指示と、「後は俺が引き受ける」という覚悟が詰まっていた。
黒髪の隊長は、アルヴァとレアの前に立つ。
「失礼を」
まず頭を下げる。
敵地の真ん中で、油断なく、礼だけは崩さない。
「我々の若い者が、無礼な発言をしました。
“リオネッタ様”というのは、かつて我が国にいた公爵令嬢の名。……今はもう、この世にはおられません」
淡々とした説明。
レアの心臓が、ひゅっと縮んだ。
(“もうこの世には”)
当たり前だ。
あの森で黒狼に食い破られた自分は、エルメリア側から見れば「死亡扱い」のはず。
分かっていたはずなのに、その事実を他人の口から聞かされると、妙にリアルだった。
「外見が少々似ているだけの、別人だと理解している」
隊長は、レアの顔を真っ直ぐ見ながら続ける。
その瞳に、嘘はなかった。
彼は本当に、「別人」だと思おうとしている。
「ですが――」
そこで、彼はほんの少し息を吸い込んだ。
「先ほどの治癒を見て、確信しました」
視線が、レアの手に落ちる。
「あの規模の傷を、一瞬で、あれほど綺麗に癒やすことのできる存在など、我々の世界線にはいない。
あなたが、“こちら側の世界の聖女”であることは疑いようがありません」
聖女。
神級。
ラグナリア側の騎士たちにとっては、誇らしい肩書き。
でも、エルメリア側からそのラベルを貼られると、レアの胸には重さしか感じられなかった。
隊長は、一度だけ空を仰いだ。
森の上空には、薄い雲が流れている。
「門の維持時間には限りがあります。長居はできません」
隊長は、状況を冷静に測っている声で言った。
「本来なら、今この場で、あなたの身元を詳しく確かめたい。
ですが、“聖女”に剣を向けることは、我々の主も望まぬはず」
アルヴァの眉が、わずかに動いた。
「なら、どうする」
「ひとつだけ、伝えさせていただきたい」
エルメリアの隊長は、レアに向き直った。
彼女の肩は、まだかすかに震えている。
木の陰から出てきたときよりも、顔色は悪い。
それでも、彼女は逃げずにそこに立っていた。
「こちら側の世界の聖女殿」
騎士は、丁寧に言葉を選んだ。
「我が国の王太子、アレス・エルメリア殿下が――」
その名前。
レアの背中を、冷水がざぶんと流れ落ちたみたいに冷やした。
「――ぜひ、一度お会いしたいと」
言い終わるより早く。
「嫌です!!」
レアの声が、森に響いた。
自分でも驚くくらい、はっきりとした拒絶。
ラグナリアの騎士たちが、思わず目を見開く。
普段、レアは遠慮がちで、どちらかといえば「自分の意見はそっと胸の内で言う」タイプだ。
そんな彼女が、「即答で」「大声で」否定した。
「わ、私は……」
息が荒くなる。
喉が熱い。
「絶対に会いたくありません!」
珍しく、強い言葉。
それは、森の空気を裂いて、真正面からエルメリアの騎士たちを拒んだ。
隊長の目が、わずかに揺れる。
「理由を、お聞きしても――」
「ありません!」
レアは食い気味に遮った。
恐怖が、怒りに似た熱を帯びて、胸の奥で暴れる。
断罪の夜の冷たい視線。
「もういい、君と話すことは何もない」と言い切った声。
森で一人死んだあとの、誰にも顧みられない結末。
その原因のひとり――アレス王太子。
彼は、自分を一度「不要」と判断して切り捨てた。
その人間に、今さら「会いたい」と言われても。
理由が何であれ、笑って頷けるほど、心は器用にできていない。
アルヴァは、その一部始終をちらりと横目で見ていた。
レアの顔色。
瞳の揺れ。
言葉の強さ。
ただの警戒や不安ではない。
もっと深いところから出ている拒絶だと、直感で分かった。
(こいつと、あの国には――)
重大な因縁がある。
アルヴァは即座に結論づけた。
理由は、まだ聞いていない。
でも、聞く前から「この意志だけは守らねばならない」と決めるには十分だった。
「聞いたな」
アルヴァは、エルメリア側の隊長に向かって静かに言った。
「ラグナリアの聖女は、“会いたくない”と言っている。
それ以上を強いるなら――俺は、騎士団長としてお前たちを敵と見なす」
その声には、一切の揺らぎがない。
自国の聖女の意志を、何より優先する姿勢。
隊長は、ほんの少しだけ唇を噛んだ。
任務。
国益。
王太子の期待。
それらが頭をよぎる。
しかし、ここで無理に事を構えれば、門が閉じる前に帰れなくなる可能性が高い。
向こう側に戻れない騎士隊など、本末転倒だ。
何より――目の前の銀髪の少女の顔を、彼はよく見ていた。
さっき、「嫌です」と言ったときの表情。
あれは、ただのわがままではない。
積み重なった恐怖と絶望が、ようやく「自分の意志」として出口を見つけた叫び。
(王太子殿下には、別の言い方をするしかないな)
隊長は、短く息を吐いた。
「了解した。……本日のところは、これ以上の接触は控えよう」
剣の柄から手を放し、静かに頭を下げる。
「誤解なきように言っておく。
我々の主は、あなたを力ずくで連れ去れと命じているわけではない。
ただ、“力を借りたい”と考えているだけだ」
「“借りたい”という言葉ほど、信用できないものはない」
アルヴァが皮肉を返す。
「一度借りたものは、いつまで返さないつもりだ?」
「……それは」
そこへ、別の騎士が息せき切って駆け寄ってきた。
「隊長! 魔力測定器が反応を!」
「門の維持限界まで、あと一分です!」
「……時間切れか」
隊長は空を仰いだ。
森の上空は、さっきと変わらず静かだ。
だが、彼の手首には魔道具の腕輪がはめられており、その宝石が赤く点滅している。
「今回は、この辺りで勘弁してもらおう」
隊長は、もう一度アルヴァとレアを見る。
「“こちら側の聖女”殿。
あなたの存在は、確かにこの目で見た。
そのことだけ、我が主に報告させていただく」
レアは、何も返さなかった。
返せなかった。
胸の中で、「二度と関わりたくない」という願いと、「もう既に触れられてしまった」という絶望が、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
隊長は、手を上げて自軍に合図を送る。
「撤退する! 門の座標まで戻れ!」
エルメリアの騎士たちは、一斉に森の奥へ駆け出した。
その背中を、ラグナリア側の騎士たちは警戒を解かずに見送る。
風が、彼らの足音をさらっていく。
やがて、ざわめきも、金属音も聞こえなくなった。
森に、ようやく静寂が戻る。
レアはその場にへたり込んだ。
「レア!」
アルヴァがすぐに駆け寄る。
支えるように肩を抱くと、彼女の肩がびくりと震えた。
「すまない、驚かせたか」
「……いえ、違います」
レアは、震える息を吐いた。
「ただ、力が抜けただけ……です」
本当は、力が抜けたというより、心が伸びきった輪ゴムみたいにへにゃっとしてしまった感覚に近い。
胸が痛い。
でも、さっきより少しだけマシになっている。
アルヴァの腕の中という、確かな現実のおかげだ。
◇ ◇ ◇
エルメリア王城、王太子の執務室。
重い扉の向こうで、アレスは報告書に目を通していた。
机の上には、数枚の 羊皮紙 にびっしりと文字が並ぶ。
“別世界における森の環境”
“現地人と思われる騎士団との交戦記録”
“神級聖女と推定される人物との接触”――
アレスの視線が、最後の項目で止まった。
「……銀髪」
口の中で、呟く。
報告書には、“淡い銀色の髪と氷のような青い瞳の少女”と記されていた。
彼女は敵味方問わず負傷者を癒やし、脇腹を貫かれた騎士を一瞬で立ち上がれる状態まで回復させた――と。
「顔立ちの印象は、“先代公爵令嬢リオネッタ・フェルディア様”を思わせるが、髪と瞳の色が異なり、年齢も少し若く見えました」
レオンの補足が書き添えられている。
アレスは、そこにペン先を軽く当てた。
(リオネッタ、か)
数年前の断罪の夜。
金髪縦ロールの公爵令嬢。
深紅の瞳。
己の罪を否定しようとしながら、冷たい言葉しか口から出せなかった少女。
あの夜、彼は彼女を切り捨てた。
公爵家の名誉と、聖女の権威と、国の安定のために。
(その“似た顔”の聖女が、別世界に)
あり得ない話ではない。
魂は世界を巡る。
転生は、信仰の中でもしばしば語られるイメージだ。
「リオネッタの生まれ変わり、かもしれない、か」
アレスは、小さく笑った。
その笑いに、罪悪感の色は薄い。
「もしそれが本当にリオネッタの生まれ変わりなら……」
ペンを指の間でくるくると回しながら、彼は呟く。
「今度こそ、正しく使えるかもしれないな」
“利用価値”。
その観点でしか、彼はその可能性を見ていなかった。
“救う”ではなく、“使う”。
聖女の力を。
リオネッタだったかもしれない魂を。
そのことに、自分で違和感を覚えることすらないまま。
「問題は――」
アレスは、報告書の別の一文に目を落とした。
「“聖女は王太子との面会を明確に拒絶。『絶対に会いたくありません』と発言”」
そこには、きっちりと引用符までついている。
「ふむ」
アレスは顎に手を添えた。
「顔も知らぬ相手に、そこまで強い拒絶とは。
あるいは、本当に“何かを覚えている”のかもしれないな」
彼の脳裏に、「罪悪感」は浮かばない。
もし、自分の過去の選択によって一人の少女が追い詰められていたとしても。
それは、「そのとき必要だった判断」として処理されている。
(どのみち、接触は避けられない)
アレスは、さらりと結論を出した。
「門の安定性を上げろ」
扉の外に控えていた魔道学者が、慌てて応じる。
「はっ! 現在も研究を進めておりますが、完全安定にはまだ――」
「急げ。
向こう側が本格的に警戒態勢に入る前に、橋を太くしておく必要がある」
「承知しました」
扉が閉まる。
アレスは、視線を窓の外に向けた。
夕焼けに染まる王都。
かつてリオネッタが歩いていた街並み。
(生まれ変わりだろうと、別人だろうと――)
彼にとって重要なのは、その一点だった。
(“神級の聖女”の力が、この手の届く範囲にあるかどうか)
◇ ◇ ◇
一方、ラグナリア。
大神殿に戻る馬車の中で、レアはずっと窓の外を見ていた。
見慣れた街並み。
石畳の道。
市場のざわめき。
いつもなら心が落ち着く光景なのに、今日はどこか遠く感じる。
「寒くないか」
向かいに座るアルヴァが、ふと声をかけた。
レアは慌てて笑みを作る。
「だいじょうぶです。ほら、ちゃんとマントもありますし」
「顔色は“だいじょうぶ”ではないがな」
「ですよね……」
自分でも、それは分かっていた。
夢の夜に、前世を全部思い出して。
その翌日に、前世の国の騎士が目の前に現れて。
情報量が多すぎる。
(あの人たちが……あの世界が、この世界まで手を伸ばしてきた)
最初に空に走った光の筋。
世界の膜を突く針の感触。
それは予兆にすぎなかった。
今や、予兆は現実に変わりつつある。
(逃げたい)
素直な本音だ。
前世の世界とは、二度と関わりたくない。
アレスにも。
エミリアにも。
公爵家にも。
あの頃の貴族たちにも。
何一つ、顔を合わせたいと思う相手はいない。
でも――。
アルヴァの視線を感じて、レアは拳を握った。
「アルヴァさん」
「なんだ」
「今日、エルメリアの人たちと会ったことで……はっきり分かりました」
視線はまだ窓の外に向いたまま。
でも、言葉はちゃんとアルヴァのほうへ届くように、ひとつずつ噛みしめる。
「わたし、このまま“何も言わないで”いるの、やめます」
「……」
アルヴァの瞳が、わずかに揺れた。
「前の世界で、何があって。
どうしてリオネッタって名前を聞くだけで震えるのか。
どうやって、あの森で死んだのか」
呼吸が少しだけ乱れる。
「ちゃんと……アルヴァさんに話したいです」
その決意は、怖さとセットになっていた。
自分の過去を語れば、今の自分まで嫌われるかもしれない。
「そんな女を守る価値があるのか」と、思われるかもしれない。
それでも――あの森で、誰にも看取られずに終わった「前世のわたし」に、
今度こそ「誰かに聞いてもらえる終わり」をあげたいと思った。
「……そう言ってくれるのを、待っていたのかもしれん」
アルヴァは、ゆっくりと目を閉じてから、そう言った。
「無理に聞き出すつもりはなかった。
だが、何も知らないままで、お前を守り続けるのも……正直、怖かった」
「アルヴァさんでも怖いことあるんですね」
「当たり前だ」
「なんか、ちょっと安心しました」
「安心のツボがおかしい」
短いやりとりに、ほんのひと匙だけ笑いが混ざる。
でも、それで少し、胸の重さが軽くなった。
◇ ◇ ◇
夜。
大神殿の一室。
レアの部屋より少し広く、警備もしやすい場所。
神殿長の計らいで、二人きりで話ができるよう、特別に用意された。
窓の外には、中庭の月光。
室内には小さなランプがひとつ。
レアは、ソファの端に座っていた。
膝の上で、手をぎゅっと握りしめる。
心臓が、うるさい。
向かいの椅子には、アルヴァ。
鎧は外している。
黒のシャツに、ラフなズボン姿。
いつもより、「騎士団長」ではなく「一人の男」に見える。
「……どこから、話せばいいか分からないんですけど」
レアは、苦笑い混じりに口を開いた。
「最初からでいい」
アルヴァは、短く答える。
「全部話さなくてもいい。
話せるところまでで構わん」
「……はい」
レアは、一度深呼吸をした。
胸の中にある扉――“リオネッタ”の名前が刻まれた扉が、重くきしむ音を立てる。
(開ける)
今度こそ、逃げない。
「わたしの前の名前は、リオネッタ・フェルディアって言いました」
その一言だけで、喉が焼けるように熱くなる。
「エルメリアっていう国の、公爵家の娘で。
小さい頃から、“完璧であれ”ってずっと言われて育ちました」
厳しい家庭教師。
冷たい廊下。
父の視線。
母の期待。
「笑い方も、歩き方も、座り方も、“公爵令嬢として正しい形”じゃないと許されなくて。
泣くのも、怒るのも、あまり許されなくて」
感情を出せば、「はしたない」と叱られた。
「だから、いつの間にか……怖いときも、“怖いです”って顔に出せなくなってました」
それが、“ツンとした悪役令嬢”っぽい印象になっていたのだと、今なら分かる。
誰も近づいてくれない。
でも、自分からどう近づけばいいかも分からない。
孤立の始まり。
「学園に入って。
“王太子妃候補として、もっと完璧であれ”って言われて」
アレスの顔が、記憶の中で浮かぶ。
柔らかな笑顔。
みんなの前では、完璧な王子。
「彼のことは……好き、っていうより、“選ばれたから”って感じでした。
義務としての婚約者候補っていうか」
決定事項。
選ばれたコマ。
「そこに、“聖女”としてエミリアって女の子が召喚されました」
栗色の髪。
子犬みたいな瞳。
「最初は、ただの可愛い子だと思ってました。
“庇護欲をそそるタイプだなぁ”ってくらいで」
でも、彼女は「聖女」として祭り上げられ、国中の期待を背負っていく。
そして――。
「わたし、偶然、見ちゃったんです。
聖女の奇跡の裏側」
神殿の暗い一室。
儀式用の魔道具。
舞台裏で光る偽物の奇跡。
「彼女が本当の聖女じゃないってことと、神殿や一部の貴族がそれを隠してるってこと」
その事実を知ってしまった瞬間。
自分の立ち位置は、「利用しやすいコマ」から「邪魔な存在」に変わった。
「多分、それで決まったんだと思います」
レアの声に、わずかに震えが混ざる。
「“リオネッタを悪者にして黙らせよう”って」
断罪の夜。
広場の中央。
燭台の光。
群衆の視線。
「“聖女いじめ”って言われました。
祈りを邪魔したとか、階段から突き落としたとか、毒を盛ろうとしたとか」
していない。
全部、でっち上げ。
でも――。
「わたし、うまく否定できませんでした」
唇を噛む。
「怖くて、声が震えて。
必死で『違います』って言おうとしても、冷たく見えちゃって。
“言い訳する悪役令嬢”にしか見えなくて」
感情を押し殺す訓練が、皮肉にも自分を追い詰める道具になった。
「“もういい、君と話すことは何もない”って言われました。
婚約するはずだった王太子に」
アレスの声。
ガラスの塔が粉々に砕ける音。
「公爵家からは、縁切りの書状が出てました。
“国と聖女に仇なした娘は公爵家の者ではない”って」
家族を失い。
婚約を失い。
居場所を失い。
「それで、“聖女に害をなした罪”で追放されました」
国境の森。
濃い霧。
黒い木々。
「護衛騎士さんが、“ここから先は同行できません”って言って、置いて行かれて。
わたし、ひとりで森の中、歩かされました」
靴擦れ。
泥。
空腹。
寒さ。
「“わたし、そんなに悪いことしたかな”って、ずっと考えてました」
それでも、答えは出ない。
むしろ、自分でも「もしかしたら気づいてないだけで、何かしてたのかも」と思い込むようになっていく。
そして――黒狼。
赤い目。
牙。
飛びかかる影。
「“助けて”って思ったけど、誰も来なくて」
胸の痛み。
温かい血が溢れ出す感触。
「最後に、思ったんです」
レアは、震える声で続けた。
「“わたしの人生、何か一つでも誰かの役に立てたのかな”って」
答えは、出なかった。
誰もいない森の中で。
誰にも看取られずに。
「それが、前のわたしの“終わり”でした」
言い終えた瞬間、レアの喉が詰まった。
目の奥が熱い。
手のひらは汗で濡れている。
アルヴァは、その間、一言も口を挟まなかった。
ただ、じっとレアを見ていた。
拳を――ぎゅっと握りしめながら。
節が白くなるほど強く。
「……っ」
もし今この場に、当時の王太子や神殿の連中がいたら。
アルヴァは、間違いなく剣を抜いていただろう。
それくらい、胸の中に黒い怒りが渦巻いている。
「そんな理不尽が――」
彼は、奥歯を噛みしめた。
「許されていいわけがない」
低く、唸るような声。
「“利用しやすい聖女”のために、都合よく“悪役令嬢”を作って捨てるなど――
正義の仮面を被った暴力以外の何物でもない」
レアは、びくりと肩を震わせた。
「アルヴァさん……?」
「怒っている」
アルヴァは正直に言った。
「お前に、ではない」
その言葉を、ちゃんと言い分けて口にする。
「お前を、“そんな終わり方”に追い込んだ世界に、だ」
レアの胸が、じんと熱くなった。
前世のことを誰かに話して、ここまで怒ってもらえたのは、初めてだ。
あの世界では、誰も怒ってくれなかった。
みんな、「そうなるべくしてなった」と言わんばかりに、冷たい目で見ていた。
「でも、わたし……」
そこまで言って、レアの声が震える。
喉の奥に引っかかっていた問いを、やっと掴んだ。
「こんな、前世で何もできなくて。
誰にも信じてもらえなくて。
逃げることも反論することもできなかった女に……」
言葉が、少し途切れる。
「守る価値、ありますか?」
静かな夜の部屋に、その一言が落ちた。
レアは、怖くて顔を上げられない。
視線は膝の上に釘付けになったまま。
(“ない”って言われたら、どうしよう)
前世の自分を、今世の大事な人の手で、もう一度切り捨てることになるかもしれない。
その可能性が怖くて、全身がこわばる。
次の瞬間。
「ある」
即答だった。
一拍の間もなく。
「……え」
レアは、顔を上げた。
アルヴァの灰色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「あるに決まっているだろう」
ため息まじりに言うようでいて、その声には確かな熱があった。
「前世で何もできなかったからこそ、今度こそ“守る価値”がある。
誰にも信じてもらえなかったからこそ、今度は“信じる価値”がある」
「でも……」
「お前が自分で自分をどう評価しようと関係ない」
アルヴァは、椅子から立ち上がった。
レアの目の前まで歩み寄り、片膝をつく。
視線の高さを合わせる。
「俺が保証する」
その言葉は、とてもシンプルで、だからこそ重い。
「リオネッタとして終わったお前にも。
レアとして生きているお前にも。
守る価値は、確かにある」
レアの喉が、きゅっと詰まる。
「俺が剣を抜く理由に、過去生の肩書きは要らん」
アルヴァは続ける。
「たとえお前が、前の世界で誰かを傷つけていたとしても――
今、お前が“誰かを救いたい”と願っているなら、それだけで十分だ」
言いながら、自分の拳を少し緩めた。
「それに」
少しだけ口元に笑みを浮かべる。
「地方神殿のみんなや、大神殿の者たちや、救われた人間たちが、“守る価値がある”ってとっくに証明している」
「……」
「俺一人の意見じゃない。
“今のレア”を見てそう思っている奴は、この世界にもう山ほどいる」
レアの目に、ぽろぽろと涙が浮かんだ。
堰を切ったみたいに、次から次へと溢れてくる。
「そんな……」
声が震える。
「そんな風に言ってもらえるなんて、思ってなかった……」
前世では、一度も手に入らなかった言葉。
「守る価値がある」。
「信じる価値がある」。
それを、今世で、まっすぐに向けられている。
「アルヴァさん」
レアは、涙でくしゃくしゃの顔のまま、震える手を伸ばした。
アルヴァは、迷わずその手を取る。
大きな手の温もりが、指先から腕を伝って、胸の奥まで染み込んでいく。
「ありがとうございます」
それは、前世のリオネッタと、今世のレア、二人分の感謝だった。
誰にも届かなかった「助けて」。
誰にも届かなかった「見ていて」。
その全部を、今ここでようやく受け止めてもらえた気がした。
レアの心の中で、またひとつ、小さな光が灯る。
それは、女神から与えられた光とも、聖女のチート能力とも違う。
誰かに「ある」と言ってもらえたことで、自分の中にぽっと生まれた、
ちいさくて、でも確かな、自尊の火。
その火が、静かに燃え始めた夜。
世界と世界の境界では、まだ見えない歯車が、少しずつ、少しずつ、噛み合いを深めていく。
レアが「あの世界とは二度と関わりたくない」と願ったのと同じタイミングで――
あちら側の王太子は、「その力を手に入れたい」と望んでいる。
互いの願いは、真逆の方向を向いているのに。
運命の歯車は、そんな個人の願いとは無関係に、きしりと音を立てながら回り続けていた。
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それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?!
(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
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恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜
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女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。
その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!
「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。
素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯
旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」
現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
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アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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