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第20話「新しい世界で、あなたと生きる」
しおりを挟む世界が、静かになった。
ラグナリアとエルメリアを繋いでいた、見えないはずの糸がぷつりと切れた瞬間――
大広間を満たしていた緊張のざわめきが、嘘みたいにしんと沈んだ。
さっきまで、どこか遠くで軋んでいた「世界の膜」が鳴る音も消えている。
かわりに、やけに自分の心臓の音が大きく聞こえた。
(……本当に、閉じたんだ)
レアは、ぼんやりと思った。
エルメリアへの門。
前の世界へ伸びていた細い橋。
それを、自分の意志で、光で、そっと閉ざした。
もう、勝手に開けられることはない。
あの世界は、しばらくのあいだ、こちら側に干渉できない。
「……っ」
そこで、視界がぐにゃりと揺れた。
足元から力が抜ける。
膝が折れそうになる。
(あ、やば)
自分で分かるくらい、体の奥がスカスカだ。
さっきの光は、治癒でも防御でもない、“世界規模の境界線”だった。
今までとは桁の違う力の振り方。
反動が来ないはずがない。
床が近づいてくる――と思った瞬間。
ふわり、と。
硬い石の感触のかわりに、あたたかい何かに支えられた。
「おっと」
低い声。
レアの視界の端に、黒い生地と、見慣れた灰色の瞳。
「アルヴァ、さん……」
気づけば、彼の腕の中だった。
正確には、崩れ落ちる前に腰を抱きとめられ、そのまま引き寄せられている。
ラグナリアの騎士団長、というより――
今はただ、「レアを落とさないように必死で支えている人」に見えた。
「立てるか」
「た、たぶん……でも、ちょっと世界がぐるぐるしてます……」
情けない感想が口をついて出る。
自分で笑いそうになる。
重い沈黙に包まれた大広間で、その小さな会話だけが、妙に生々しく響いた。
周囲の人間たちは、誰も口を挟まない。
王も、神殿長も、ただ静かに見ている。
レアは、アルヴァの胸元に額を預けたまま、小さく息を吐いた。
「……また」
「ん?」
「また、“終わらせちゃった”なって……今、思ってました」
喉の奥から、少しだけ笑いが混じる。
「前の世界のわたしの人生は……勝手に終わらされちゃったけど。
今度は、自分で、ちゃんと“終わらせたな”って」
エルメリアとの繋がり。
前世への未練。
あの世界から伸びてくる手。
それらに、きちんと区切りをつけた。
「もう二度と関わりたくない」と願っていたくせに、ずっと心のどこかに引っかかっていた棘。
その棘を、自分の手で抜いた感覚。
胸が、少し痛くて、でも軽い。
「……でも」
言いながら、自分でも意外なくらい、涙は出てこなかった。
燃え尽きた、というより、ちゃんと燃やし切ったあとの静けさ。
「なんか、“終わり方”って、すごく大事なんだなって思いました」
前は、何も選べなかった。
何も言えなかった。
ただ、「終わらせられた」。
今は、自分の口で、自分の意志で言えた。
これは、もう終わりだと。
ここから先は、別の物語だと。
「終わり、ね」
アルヴァが、レアの耳に届くくらい小さく笑った。
胸に当たる振動で、それがわかる。
「終わらせたのは“あっちとの縁”であって、お前の物語じゃない」
彼の声は、低く、確かだった。
「お前が自分で選んだからこそ――」
レアの髪に触れる指先が、少しだけ震えている。
「ここからが、本当の始まりだ」
その言葉が、胸の奥にぽたりと落ちる。
静かな水面に、ゆっくり広がる波紋みたいに。
(……始まり)
ああ、そうか、とレアは思った。
あの白い神殿で、女神に「終わらせたからこそ、今度は自分のために」と言われたとき。
ようやくその意味を、本当の意味で理解できたのかもしれない。
前世の「終わり」は、他人の手に委ねられていた。
今世の「始まり」は、自分の手で掴みたい。
その境界に、今、自分は立っている。
「……始まり、かぁ」
ぽつりと呟く。
「だったら、ちゃんと生きなきゃですね。
中途半端なまま、また誰かに渡したくないです」
「渡させん」
アルヴァは即答した。
その一言が、どうしようもなく心強い。
広間の誰かが、ようやく息を吐いた気配がした。
王が、「今日のところはこれまで」と会談の終了を宣言し、各国の代表たちがそれぞれの思惑を胸に引き上げていく。
エルメリア一行も、門を失った帰還に頭を悩ませながら――それでも、世界が閉じたという事実だけは重く受け止めていた。
ラグナリアの空は、高く澄んでいた。
◇ ◇ ◇
数日後。
大神殿の中庭は、どこまでも穏やかだった。
高い壁に囲まれた小さな世界。
噴水の水音。
手入れされた花壇。
白い小花が、ゆらゆらと風に揺れている。
あの日の眩しい光も、世界の軋みも――嘘みたいに遠い。
「やっと……“いつもの空気”ですね」
レアは、ベンチに腰掛けながら、空を見上げた。
白銀の髪をまとめたリボンが、風に揺れる。
横顔はどこかほっとしていて、でも、目の奥にはまだうっすらと疲れの影が残っている。
「ほんの少し前まで、世界の壁がどうとか、異世界の王太子がどうとか騒いでたのが、変な夢みたいです」
「夢ならどれだけ楽だったか」
隣のベンチに座るアルヴァが、腕を組んで言った。
鎧は着ていない。
簡素な服に、腰の剣だけ。
騎士団長という肩書きよりも、「レアの隣にいる男」というシルエットのほうが、今はしっくりくる。
「体調はどうだ」
「だいぶいいですよ。まだちょっと、全力疾走した後みたいなだるさはありますけど」
「全力疾走どころか、世界相手に全力スプリントしたようなもんだろう」
「例えが物騒」
小さく笑い合う。
噴水の水滴が、時々、光を反射してきらきらと弾けている。
ひとしきり沈黙が落ちたあと――レアは、そっと自分の膝の上で指を絡めた。
「……アルヴァさん」
「なんだ」
「今だから言えること、いいですか」
「今だから言うべきだろう」
「逃げ道ふさぎません?」
「逃げるなという意味だ」
「ですよね……」
レアは、息を整えた。
胸が、さっきまでとは違う種類のドキドキでうるさい。
「あの……エルメリアとの門を閉じてからも、まだ、わたしの中に残ってるものがあって」
「残ってるもの?」
「罪悪感とか、恐怖とか……そういうやつです」
自分で口にしながら、少し情けなくなる。
「頭では分かってるんです。
わたしが全部悪かったわけじゃないって。
あの世界の人たちも、それぞれの立場があってって」
でも、と続ける。
「それでも、ふとしたときに、“もしかしたら、本当にわたしが気づかないうちに誰かを傷つけてたのかも”って、ぐるぐる考えちゃうんです」
前世の癖は、そう簡単には消えない。
自分のせいだ。
自分が悪い。
自分が我慢すればいい。
そんな思考が、まだ時々顔を出す。
「今も、エルメリアの人たちに向かってあんなこと言っちゃって、“本当に良かったのかな”って……
“もっと優しくできたんじゃないかな”とか、“誰かを傷つけたんじゃないかな”とか」
「……傷つけたのは事実かもしれん」
アルヴァは、飾らずに言った。
「だが、それは“傷つける価値のある一撃”だった」
「価値……?」
「自分の罪と向き合わなければならない連中にとってはな」
彼は、少しだけ遠くを見る。
「少なくとも、“何も知らない聖女”にただ力を要求していたときよりは、ずっとマシだ。
お前の言葉でしか、届かない場所がある」
レアは、目を伏せた。
そういう言い方をされると、少しだけ救われる。
「でも、怖いものは怖いです」
「怖いと言えるのは、前よりずっとマシだ」
即答。
「前のお前は、“怖い”と言うことすら許されなかったんだろう」
痛いところを突かれて、レアは苦笑する。
「図星です」
「図星を自覚できるなら、前よりだいぶ進歩してる」
アルヴァは、少しだけ肩を竦めた。
「罪悪感も、恐怖も、すぐには消えない。
消そうとする必要もない」
「……いいんですか、消さなくて」
「消そうとすればするほど、余計に意識して、長引くだけだ」
その言い方は妙に現実的で、だからこそ説得力がある。
「そのかわり、“それでもここで生きたいと思っている自分”を、少しずつ強くしていけばいい」
レアの胸が、じんわりと熱くなった。
「“それでも”……」
「罪悪感が残っている“にもかかわらず”、お前はここで生きていきたいと思っている。
それは充分、誇っていいことだ」
自分で自分を責め続けるのは簡単だ。
でも、その中で「それでも」と言えるのは、きっと勇気だ。
「……はい」
レアは、小さな声で答えた。
「わたし、ここで生きていきたいです」
言葉にした瞬間、胸の中に灯がともる。
「この世界で。
ラグナリアで。
地方神殿のみんなとか、大神殿のみんなとか、救った人たちとか」
そして――と、レアは横目でアルヴァを見た。
「アルヴァさんたちと、一緒に」
視線に気づいたのか、アルヴァの耳がうっすら赤くなった。
珍しく、彼が視線を逸らす。
「……そうか」
「“そうか”って」
「いや、他に何と言えばいい」
「普通、“よく言った”とか、“任せろ”とか、“お前が望むなら何度でも守る”とか……」
「それは仕事でいつも言ってる」
「じゃあ今日は仕事じゃない言い方でお願いします」
レアがじっと見つめると、アルヴァは珍しく言葉に詰まった。
喉を鳴らし、噴水の水を眺め、空を見上げ――
それから、観念したように息を吐く。
「……なら、一つだけ、俺のほうからも願いがある」
「願い?」
レアが、ぱちぱちと瞬きをする。
アルヴァは、彼女から少しだけ視線を外したまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「お前が、“ここで生きたい”って言うなら――」
喉の奥で、何かが引っかかる。
騎士団長として、命令や誓いならいくらでも口にしてきた。
でも、「一人の男」としての願いを言葉にするのは、これが初めてかもしれない。
「その隣に、いさせてくれ」
レアの心臓が、びくん、と跳ねた。
「……え?」
「聖女としてじゃなくて」
アルヴァは、ようやくレアのほうを向いた。
灰色の瞳が、まっすぐ彼女だけを見ている。
「“ラグナリアの希望”としてでもなく、“神級の光”としてでもなく。
レアという一人の……」
一瞬、言葉を選ぶように沈黙。
「一人の女の子の隣に」
その言葉は、恐ろしく不器用で、でも恐ろしく真っ直ぐだった。
似たような台詞を、もっと滑らかに、もっと甘く言える男は世の中にいくらでもいるだろう。
でも、レアにとっては、この不器用な響きが、一番沁みた。
「俺は――」
アルヴァは、椅子の端に座り直し、拳を膝の上に置いた。
「多分、お前の過去全部を癒やしてやることはできない」
「……」
「エルメリアの罪も、前世の家族との問題も、全部“なかったこと”にはできない。
そこまで都合のいい約束はできん」
現実的な言葉。
優しい嘘ではなく、ちゃんと地に足のついた言葉。
「けど」
そこで、彼はほんの少しだけ微笑んだ。
いつもの無表情よりも、ずっと人間らしい表情で。
「これから先、“ラグナリアで生きるレア”のそばにはいられる。
怖いときも、罪悪感で潰れそうなときも、隣で“それでも前を見ろ”って言い続けることならできる」
それは告白だった。
飾り気のない、不器用な愛の言葉。
レアの瞳に、瞬時に涙が溜まった。
「アルヴァ……さん……」
喉の奥が熱い。
胸の中が、じんじんする。
“守る”…とか“支える”とか、そういう言葉は何度も聞いてきた。
聖女として、国の希望として。
でも今は、それが全部剥がされたうえで、「レア」という一人の人間の名前だけが呼ばれている。
「聖女として守る価値があるとか、そういう話じゃない」
アルヴァは、もう一度だけ念を押すように言った。
「俺が隣にいたいから、いたいと言っている」
レアは、ぐしゃぐしゃに笑った。
涙がぽろぽろ溢れて、頬を伝う。
でも、悲しい涙じゃない。
「……ずるいです」
「どこがだ」
「そんなこと言われて、“嫌です”って言える人、います?」
「いても俺は聞かん」
「騎士団長の権力乱用しないでください……」
涙でぼやけた視界の中で、空が揺れる。
風が、白い花びらをいくつかさらっていく。
「わたしも」
レアは、ぎゅっと胸の前で手を握りしめた。
「わたしも、アルヴァさんと一緒にいたいです」
それは、ずっと胸の奥で形にならなかった想い。
憧れとか、安心とか、尊敬とか。
そういうもの全部をまとめてしまう言葉。
「聖女としてじゃなくて。
“国の希望”とか“神級”とか、そういうラベルぜんぶ取っ払ったあとで、ただのレアとして」
視線が絡む。
逃げないように、深く息を吸って――。
「アルヴァさんと、生きていきたいです」
告白の言葉は、不器用な二人の口から、やっと外の世界へ出た。
その瞬間。
レアの胸の奥から、ふわりと光が溢れた。
さっき大広間を満たした、世界を閉ざすための大きな光ではない。
もっと、小さくて、やわらかくて。
自分の手のひらの中で灯る、ランプの火みたいな光。
「……また光ってるぞ」
アルヴァが、苦笑まじりに言った。
「もう癖みたいなものだな」
「すみません、たぶん仕様です」
「仕様なら仕方ないな」
二人の手が、自然と伸びて。
ベンチの上で、そっと重なった。
指先が触れ合う。
その一点から、じんわりとした温もりが伝わる。
今度の光は、「誰かに奪われるため」のものじゃない。
誰かの都合で振り回される聖女の奇跡じゃない。
自分で選んで、自分で誰のために使うか決める――
“わたしの力”としての輝き。
守りたい人のために。
一緒に笑いたい人のために。
自分の人生のために。
「……ねえ」
レアは、そっと目を閉じた。
胸の中の、もっと深いところへ声を投げる。
(リオネッタ)
前世の自分。
断罪の夜に泣くこともできなかった少女。
(あなたの痛みは、ちゃんとここで報われたよ)
誰にも届かなかった「違います」を、今世の自分が代わりに叫んだ。
誰にも守られなかった最期を、今世の自分が覆した。
(あの日、ひとりぼっちで森の中で終わったけど――)
もう、「ひとりぼっち」じゃない。
(ちゃんと誰かが怒ってくれた。
ちゃんと誰かが、守る価値があるって言ってくれた。
ちゃんと誰かが、“隣にいたい”って言ってくれたよ)
胸の奥が、少し痛い。
でも、その痛みは、今度はあたたかい。
(だからさ)
レアは、心の中でそっと笑った。
(一緒に、笑おう?)
前の名前も、今の名前も。
全部ひっくるめて、「わたし」。
その「わたし」が、今こうして、この世界で――
だれかの隣で、ちゃんと生きている。
風が、庭を優しく撫でていく。
白い花びらが、ふわりと舞い上がる。
二人の髪をくすぐり、光の中をくるくると踊る。
「行こうか」
アルヴァが立ち上がる。
「どこにですか」
「とりあえず昼食だ。
大仕事のあとには、きちんと飯を食うのが騎士の鉄則だ」
「聖女にも適用されるんですか、それ」
「適用する」
「了解しました」
レアも、立ち上がった。
二人は、手を繋いだままゆっくりと歩き出す。
大神殿の庭を抜けて。
光の差し込む回廊を通って。
これからの毎日へと続いていく道を、一歩ずつ。
追放された悪役令嬢の魂は、
異世界で最強聖女として覚醒し――
ようやく、自分の居場所と、自分で選んだ恋を手に入れた。
これは、ひとつの大きな物語の終わりであり。
同時に、二人の「新しい世界での人生」の、静かであたたかな始まりでもあった。
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(追記.2018.06.24)
物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。
もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。
(追記2018.07.02)
お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。
どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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