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第19話「決別の光、鎖を断ち切る言葉」
しおりを挟む大広間に、静かなざわめきだけが流れていた。
天井は高く、声を出せばよく響く造り。
けれど今ここにいる誰も、軽口を叩こうとはしない。
ラグナリア王家。
大神殿の重鎮。
各国の使節。
そして、異世界から来た王太子アレス・エルメリア一行。
その中心――赤い絨毯の交差する場所に、レアとアレスが対峙していた。
目と目の高さは、それほど違わない。
けれど、視線の重さは、まるで違う世界のもの同士がぶつかっているようだった。
「改めて――」
先に口を開いたのは、アレスだった。
柔らかな微笑み。
大勢の前で話すときに慣れた、人前用の声。
「我が名はアレス・エルメリア。
隣界エルメリア王国の王太子として、ここラグナリアと正式な交流を結びたいと願い、この場に立っている」
絵に描いたような外交の口上。
それ自体は、何もおかしくない。
周囲から、小さな頷きがいくつか生まれる。
アレスは、そこでレアに視線を向けた。
「そして――」
青い瞳に、興味と観察と、わずかな驚き。
「“神級の聖女”と噂されるレア殿。
あなたの力に、心から敬意を表する」
「……ありがとうございます」
レアは、事務的に答えた。
声が震えないよう、喉の奥をきゅっと締める。
指先は——言わずもがな、マントの下で小刻みに震えていた。
(大丈夫)
背後から伝わる気配。
アルヴァが、いつでも動ける位置にいる。
剣の柄にかけた手の重みが、静かに空気を支えていた。
(今は、あの断罪の夜じゃない)
レアは、自分に言い聞かせる。
(ここはラグナリアで、隣には“今”のわたしを信じてくれる人が立ってる)
アレスは、少しだけ口元を緩めた。
「本題に入りましょう」
彼の声が、広間に落ちる。
「レア殿。
あなたの力は、この世界――ラグナリアを中心としたこちら側の世界を、幾度も救ってきたと聞きます」
干ばつ。
疫病。
魔物の群れ。
ラグナリアの人々が、小さく息を呑む。
その視線は、どれも温かくて、感謝に満ちていた。
レアの胸が、少しだけ熱くなる。
「その光は、我らが世界にも届いている」
アレスの声が続く。
「世界の膜が揺らぎ、こちら側からも『異なる世界に強大な聖の光がある』と感知したのは、数年前だ。
それ以来、我が国は研究を重ねてきた」
淡々とした説明。
「我らの世界も、今、岐路に立たされている。
魔物の増加、瘴気の拡大、各地の不作――問題は山積みだ」
そこで、一拍置く。
彼の顔には、王族としての責任感が浮かんでいた。
それは演技ではない。
自国の問題を、本気でどうにかしたいと考えている瞳。
だからこそ――厄介だ。
「そこで、あなたの力を――」
アレスは、丁寧な言葉を選んだ。
「我が国と“分かち合いたい”」
大広間のどこかで、誰かが小さく喉を鳴らした。
「分かち合い」という響きは、甘くて美しい。
だが、その実態が「奪う」と同義になり得ることを、レアはよく知っている。
「レア殿が今まで通りこちら側を守ることを、我々は否定しない。
ただ、同じ世界の民として――いや、“隣り合う世界の民”として、我々にも救いの手を伸ばしてはもらえないか」
レアは、黙って彼を見つめた。
(言葉、うまいな)
前世でも見てきた光景だ。
貴族たちは、誰かを「うまく自分の駒」にするとき、決して「奪いたい」とは言わない。
「力を貸してほしい」。
「協力してほしい」。
「共に歩もう」。
言い方だけは、常にきれいだ。
「ここにいる者たちは、皆、あなたの光に心を打たれている」
アレスは周囲を見渡してみせる。
「世界はひとつではない。
けれど、苦しむ人々がいるのは、どの世界も同じだ」
青い瞳が、レアを射抜いた。
「あなたの力を、我が国とも“分かち合って”ほしい。
それが、この場に立つ者としての願いだ」
柔らかく、理性的で、“いかにも正論”な言葉。
大広間の空気が、わずかに傾きかける。
「聖女なら、受けるべきなのではないか」。
そんな声が、誰かの胸の中で生まれかけた。
――だが、レアは。
静かに、息を吸った。
「……いいえ」
その一言が、空気を凍りつかせた。
思った以上に、はっきりとした声だった。
自分でも驚く。
喉が震えているのに、それでも言葉はちゃんと前へ進んだ。
「わたしの力は」
レアは、両手を胸の前でそっと重ねた。
「この世界の人たちのために使うと、もう決めています」
ざわり、と。
目に見えない波が、広間を走った。
アレスの目が、僅かに細くなる。
「……それは、我らを“見捨てる”という意味に聞こえるが」
「そう聞こえますか?」
レアは、ほんの少し首を傾げた。
今の問いは、罠だ。
「見捨てる」という言葉に反射的に「そんなつもりは」と縋りつけば、その瞬間、足場を崩される。
前世の彼女――リオネッタなら、そこで慌てて否定してしまっていただろう。
「わたしは、“自分が生きている世界”を優先するって言ってるだけです」
レアは静かに続けた。
「世界を丸ごと救えるほど、わたしは万能じゃありません。
どこかに限界線を引かないと、きっと壊れてしまう」
自分で自分を守る境界線。
それを持たないまま、生きていけるほど強くはない。
「……君は、優しい」
アレスが、少しだけ声を落とす。
その響きは、一見すると賞賛にも聞こえる。
「だからこそ」
彼の言葉が、鋭さを増した。
「その優しさを、もっと広く使うべきだと思う」
レアの肩が、ぴくりと揺れる。
「こちら側だけではない。
隣の世界にも、君の光を必要としている者が大勢いる」
アレスは、一歩、レアのほうへ踏み出した。
周囲の騎士たちが、緊張で手を動かしかける。
アルヴァの指が、剣の柄をわずかに強く握った。
「君の力は、君一人のものではない」
アレスは言った。
「それは、神が世界に与え給うた“恵み”だ。
より多くの命を救うために使われるべきだ」
正論。
響きだけなら、反論の余地がない。
「もっと多くを救うべきだ」。
それはいつだって、優しい人間の首にかけられる、見えない縄だ。
レアは、静かに目を伏せた。
(優しさを理由に)
胸の奥で、古い痛みがうずく。
(居場所を奪われたのは、わたしのほうなのに)
リオネッタとしての人生の、あの断罪の日。
エミリアを守るため。
聖女を守るため。
国を守るため。
いくつもの「優しい理由」が、彼女の首にかけられた。
そして――彼女は、舞台から落とされた。
「レア殿」
アレスは、言葉を重ねようとする。
「君は、きっと――」
「その“優しさ”を理由に」
レアの声が、彼の言葉を静かに遮った。
大広間の全員の視線が、彼女に集まる。
「わたしの“居場所”を奪ったのは。
前の世界の、あなたたちです」
アレスの目が、大きく見開かれた。
言ってから、レアの心臓はドクンと跳ねた。
(遠回し、にすらなってないかも)
でも、一度外に出た言葉は、もう戻せない。
広間の空気が、一瞬で張り詰める。
ラグナリア側の人間には、「意味深な比喩」として聞こえたかもしれない。
だが、アレスと、その背後にいるエルメリアの神官長や魔道学者たちの顔色は――明らかに変わった。
まるで、「本質を突かれた」とでも言いたげに。
「……どういう意味だ?」
アレスの声が、低くなった。
さっきまでの柔らかな響きは、どこにもない。
レアは、彼の瞳をまっすぐ見た。
喉は乾いている。
手も震えている。
それでも――逃げるつもりはなかった。
(ここで黙ったら、また同じだ)
前世と同じ。
断罪の夜と同じ。
「言いたいことを飲み込んで」、誰にも届かないまま終わる。
それだけは、嫌だった。
「わたしには、前の世界の記憶があります」
レアは、はっきりと告げた。
広間のどこかで、「まさか」という声が小さく漏れる。
「エルメリアという国の、公爵家の娘でした。
名前は――リオネッタ・フェルディア」
その名を、はっきりとこの世界で口にした。
アレスの顔から、すっと血の気が引いた。
後ろに控えていたエルメリアの神官長が、思わず一歩前に出かけて、寸前で踏み止まる。
アルヴァは、レアの横顔を見ていた。
震えながらも、それでも言葉を止めない横顔。
(よく言った)
それが、彼の心の中での率直な感想だった。
「わたしは、あなたの世界で、“悪役令嬢”として断罪されました」
レアの声は、静かだった。
淡々としているように聞こえるのに、一つ一つの言葉に、血が滲んでいる。
「聖女をいじめた、と。
祈りの時間を邪魔し、階段から突き落とし、毒を盛ろうとした、と」
アレスは、口を開きかけた。
「――あれは、当時の状況を鑑みて――」
「証拠も、真実も、誰も見ようとしなかった」
ぴしゃり、と。
レアの言葉が、彼の弁解を遮る。
「あなたは、“聖女を守るため”という綺麗な理由で、わたしを悪役に仕立てて捨てました」
その事実は、もう覆せない。
「公爵家は、体裁のために、わたしを切り捨てました。
神殿は、“聖女”という看板を守るために、真実から目を背けました」
優しさという名の、怠慢。
誰の手も汚さないように見えて、結局一人に全部押しつけて終わらせるやり方。
あの日の冷たい空気が、ふっと大広間に蘇った気がした。
「その結果、わたしはひとりで国境の森に放り出されて、魔物に殺されました」
淡々とした声が、逆に生々しい。
「誰にも看取られず、“誰の役にも立てなかった”って思いながら、死にました」
アレスの喉が、かすかに鳴った。
罪悪感。
――ではない。
それは、自分が切り捨てた「駒」が、別の盤面で蘇っていたことに対する驚愕と戸惑い。
「だから、わたしは言います」
レアは、静かに息を吸った。
「わたしはもう、リオネッタではありません」
その宣言は、広間の空気を震わせた。
「あの少女は、あなたたちの世界で、あなたたちの手によって死んだんです」
アレスの顔色が、目に見えて変わる。
その場しのぎの理屈も、言い訳も、一瞬で喉の奥に詰まった。
エルメリア側の者たちは、ただ黙ってその言葉を聞くしかない。
ラグナリアの人々も、息を飲んでいた。
レアの言葉は、この世界の人間にとって、「異世界の物語」であると同時に――今目の前にいる少女の「過去」だ。
「今ここにいるわたしは、ラグナリアの聖女レアです」
レアは、胸に手を当てた。
「この世界で生まれて、この世界で育って。
この世界の人たちに愛されて、救われて、やっと“わたし自身として”生きている」
地方神殿のあたたかい手。
子どもたちの笑顔。
大神殿で迎えてくれた人たち。
そして――アルヴァ。
「だから――」
氷青の瞳が、真っ直ぐアレスを見据えた。
「あなたたちのために、二度とわたしの人生を差し出すつもりはありません」
その言葉は、刃物ではないのに、切っ先を持っていた。
広間の空気が、一瞬で研ぎ澄まされる。
「ここで生きたい」
レアは、はっきりと言った。
「ここで、わたしを“レア”として見てくれる人たちのために。
わたしを愛してくれる人たちのために、力を使いたい」
アルヴァの心臓が、ドクン、と鳴った。
(“愛してくれる人たち”)
その中に、自分が含まれているかどうかなんて、今はどうでもよかった。
ただ、その言葉が彼女の口から出てきたことが、何より嬉しかった。
アレスは、息を呑んだ。
彼にとって、「愛」という言葉は、政治的な駆け引きの中で、しばしば「利用価値」と同列に置かれてきた。
誰かを「愛する」と言うよりも、「使う」ことのほうが、ずっと手っ取り早い世界にいたからだ。
だからこそ――今のレアの言葉は、彼にとって理解しづらかった。
沈黙。
誰も動かない。
そのとき。
レアの周囲の空気が、ふわりと揺れた。
「……っ」
神殿長が、目を見開く。
レアの足元から、柔らかな光が立ち上った。
いつもの治癒の光とも、祈りの光とも違う――もっと、自分の内側の輪郭をなぞるような光。
それは、攻撃ではない。
誰かを傷つける鋭さも持たない。
ただ、彼女と「彼女の世界」との境界線を、くっきりと描き出すような光だった。
「レア……?」
アルヴァが、小さく名を呼ぶ。
レアは、彼の名ではなく――自分の胸の内の、もっと奥にいる存在に語りかける。
(女神さま)
白い神殿。
転生を告げた声。
(わたし、“自分のために生きていい”って言ってもらいましたよね)
あのとき、女神は言った。
『一度終わったからこそ、今度は“あなた自身のために”生きてほしい』
(今、そのことをちゃんと守りたいです)
レアの身体から溢れた光が、広間を満たしていく。
それは眩しいのに、目を刺さない。
夏の陽射しではなく、春の朝日のような優しさ。
ラグナリアの人々の胸には、じんわりと温かさが広がった。
エルメリアの人間の胸には、少しだけチクリとした痛みが走る。
そして――。
城の外。
ラグナリアとエルメリアを繋ぐ“門”のある座標で、世界の膜が震えた。
今まで、魔道学者と神官たちが必死で維持してきた「橋」。
それに、別方向からの力が触れた。
優しく、でも確実に。
「……あれは」
エルメリア側の魔道学者たちが、慌てて携えていた魔道具を見る。
腕輪についた水晶が、眩い白に染まっていた。
「門の安定度が……落ちていく?」
「いや――“外側から閉ざされている”ような波形だ!」
アレスの視線が、光の中心にいるレアに戻る。
「君は――何を」
「境界を引いているだけです」
レアは、静かに答えた。
光に包まれながらも、その瞳は冷静だった。
「あなたたちの世界と、この世界のあいだに。
“無理やり引き寄せないでください”って、線を引いてるだけ」
光が、広間の天井まで届く。
そして、そのまままっすぐ空へ。
ラグナリアの空と、エルメリアの空のあいだに伸びる見えない道をなぞるように。
世界の膜が、ぴたりと閉じられていく感覚。
エルメリア王城の儀式場では、魔法陣の中心にあった光の渦が、じょじょに細くなっていった。
「制御不能!?」
「いえ……暴走ではありません。
“向こう側から、穏やかに閉じられている”……!」
「そんなことが……」
アレスの隣に配置された魔道学者が、絶句する。
ここまでして安定化させた門が、消えようとしている。
地図上に引いた線が、柔らかな光の手で、そっと消しゴムをかけられているように。
「っ……!」
アレスは、思わず手を伸ばした。
何に向かって伸ばしているのか、自分でもよく分からない。
門か。
レアか。
過去に切り捨てた少女か。
ただ、伸ばした先で、光の道は確かに、静かに閉じていく。
「待て――」
そう言いかけて、アレスは言葉を飲み込んだ。
何を求めるつもりだったのか、自分で自分に問い返した瞬間、喉に苦いものがこみ上げてきた。
(俺は、また“力”だけ掴もうとしているのか)
リオネッタのときと同じように。
目の前の人間ではなく、「使えるかどうか」だけで価値を測ろうとしていたのか。
レアの光が、ゆっくりと弱まっていく。
けれど、世界のあいだに引かれた境界線は、もう消えない。
無理やり門をこじ開けようとしても――そこには、聖女の意志が描いた“扉”が立ちはだかる。
誰も、彼女の承諾なしに、それを抜けることはできない。
光が完全に収まったあと。
広間には、まだ余韻のような温かさが残っていた。
レアは、少しだけ息を乱しながらも、まっすぐ前を見ている。
アレスは、その姿を見つめ返した。
その表情に、さっきまでの自信はない。
代わりにあるのは、初めて見る種類の戸惑いと、わずかな後悔の影。
「……王太子殿下」
レアは、ゆっくりと口を開いた。
呼び方は、あくまで礼儀を守ったもの。
でも、その声には距離がある。
「これで、わたしとあなたたちの世界の縁は、いったん切れます」
断罪ではない。
ただ、“一度終わらせる”という宣言。
「さよなら、王太子殿下」
その言葉は、とても静かで。
だからこそ、よく響いた。
「どうか、今度は――」
レアは、少しだけ目を伏せ、それからまた顔を上げた。
「誰かを利用する前に、その人の“心”を見てあげてください」
優しいけれど、厳しい言葉。
アレスの胸に、その一言だけは深く刺さった。
彼は答えられない。
王太子として、どう返すのが正解なのか。
人として、どう答えるべきなのか。
その両方が分からなくなっていた。
沈黙の中。
ラグナリアの王が、ゆっくりと口を開いた。
「本日の会談は、ここまでとしよう」
穏やかながら、決定を告げる声。
「隣界エルメリア王国との縁は、決して否定するものではない。
しかし、我が国の聖女の意志は、何よりも尊重されるべきだ」
それは、ラグナリアという国の答えでもあった。
アルヴァは、心の中でようやく息を吐いた。
レアの肩が、少しだけ落ちる。
緊張の糸が切れかけているのが分かったので、アルヴァは誰にも気づかれないよう、そっと彼女の肘のあたりを支えた。
レアは、ほんの一瞬だけ彼のほうを見て、かすかに笑う。
(逃げなかった)
震えながらも、言うべきことを言った。
過去と今の自分を、ちゃんと自分の口から「分けて」宣言できた。
断罪の夜から続いていた目に見えない鎖が――
今、静かに、光となって断ち切られていく。
世界と世界のあいだに引かれた、新しい境界線。
それは決して、「拒絶」だけではない。
いつか本当に、お互いを対等に見られる日が来れば。
そのとき、扉を叩くかどうかを決めるのは、きっとレア自身だ。
その未来が来るかどうかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――。
もう二度と、「前の世界」が勝手に彼女を連れ去ることはできない、ということ。
レアの中で、ようやく本当の意味での「決別」が終わりを迎えた瞬間だった。
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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