67 / 168
再会編
心の拠り所
しおりを挟む
迎賓館に用意された部屋へ戻ると、夜の冷気がようやく刺々しさを失い、静けさだけを残していた。
ハルがサーシャに頼んでくれたハーブティーの香りが、室内にほのかに満ちる。
「……ごめんなさい、ハル。せっかくの夜会だったのに」
私がそう言うと、ハルはすぐには答えず、そっとハーブティーを差し出してきた。
「まずは飲め」
短い言葉の中に、落ち着いてから話そうという彼なりの優しさが込められている。その落ち着いた響きに、張り詰めていた胸の奥がふっと揺らぐ。
けれど、ひと口飲んだ途端、堪えていた感情が溢れ出しそうになった。
(……ノアはあの令嬢と……)
目を閉じると、ジェシカがノアの腕に絡ませていた指先が、何度も何度も焼き付いたように浮かぶ。
――もう、帝国には私の居場所なんてないのかもしれない。
気付けば涙が頬を伝っていた。
五年前、あの苦しい毎日を乗り越えられたのは再び帝国に戻る為だった。
いつか、私が本当の居場所に戻れた時、またノアが隣に居てくれると信じていた。
でも、もう彼の中に私は居ない。
(……五年も経ったんだ。忘れられていても、仕方がない……)
ハルは私の涙に驚いた様子もなく、静かに私が話し出すのを待ってくれた。
「私、足手まといで…ごめん」
「別にそういう意図でお前を連れてきたんじゃない」
珍しく、ハルの声に鋭さが混じる。
「それより、侯爵が言っていた“帝国の情勢”を覚えているか?」
覚えている。だけど、今は何も頭に入らない。
私は小さく首を横に振った。
「……まあいい。簡単に言えば――」
ハルは私の涙を拭いながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「帝国は今、皇位争いで完全に割れている。
アルヴェイン家は中立派の要だ。
そんな家が、革新派のドゥーカス家と婚姻を結ぶなんて……常識で考えてもあり得ない。
誰が見ても、明らかだ」
「……じゃあ、あれは……?」
「“何か裏がある”と考える方が自然だろう。
中立派の思惑か、アルヴェイン家の事情かは分からないが……」
その言葉に、心が少しだけ静まった。
でも、二人が家同士の立場を超えた、普通なら認められない禁断の恋に落ちたのかもしれない。
「……でも……」
「社交の場で感情を出せる貴族は、ほとんどいない。優秀な奴ほど特にな……」
ハルはそう言って、私の手を取った。
大きくて温かいその手は、震えている私の指をゆっくり包み込む。
「エリシア。今日お前が泣いた理由は理解してる。
でも――今日見たものだけで、“終わり”だと決めつけるな」
その温度が、胸の奥にじんわり広がる。
気付けば私は、その手を握り返していた。
「……ありがとう、ハル」
「もういいから、今日は早く休め」
穏やかな声。
その声に身を委ねるようにベッドへ横たわると、ハルはしばらく手を離さなかった。
指先を絡めたまま、ただじっと私の呼吸が落ち着くのを待ってくれている。
「寝ろ。もう大丈夫だ」
まるで安心させるように、親指がそっと手の甲を撫でる。
その優しい温度に溶けるように、意識が暗闇へ沈んでいった。
ハルがサーシャに頼んでくれたハーブティーの香りが、室内にほのかに満ちる。
「……ごめんなさい、ハル。せっかくの夜会だったのに」
私がそう言うと、ハルはすぐには答えず、そっとハーブティーを差し出してきた。
「まずは飲め」
短い言葉の中に、落ち着いてから話そうという彼なりの優しさが込められている。その落ち着いた響きに、張り詰めていた胸の奥がふっと揺らぐ。
けれど、ひと口飲んだ途端、堪えていた感情が溢れ出しそうになった。
(……ノアはあの令嬢と……)
目を閉じると、ジェシカがノアの腕に絡ませていた指先が、何度も何度も焼き付いたように浮かぶ。
――もう、帝国には私の居場所なんてないのかもしれない。
気付けば涙が頬を伝っていた。
五年前、あの苦しい毎日を乗り越えられたのは再び帝国に戻る為だった。
いつか、私が本当の居場所に戻れた時、またノアが隣に居てくれると信じていた。
でも、もう彼の中に私は居ない。
(……五年も経ったんだ。忘れられていても、仕方がない……)
ハルは私の涙に驚いた様子もなく、静かに私が話し出すのを待ってくれた。
「私、足手まといで…ごめん」
「別にそういう意図でお前を連れてきたんじゃない」
珍しく、ハルの声に鋭さが混じる。
「それより、侯爵が言っていた“帝国の情勢”を覚えているか?」
覚えている。だけど、今は何も頭に入らない。
私は小さく首を横に振った。
「……まあいい。簡単に言えば――」
ハルは私の涙を拭いながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「帝国は今、皇位争いで完全に割れている。
アルヴェイン家は中立派の要だ。
そんな家が、革新派のドゥーカス家と婚姻を結ぶなんて……常識で考えてもあり得ない。
誰が見ても、明らかだ」
「……じゃあ、あれは……?」
「“何か裏がある”と考える方が自然だろう。
中立派の思惑か、アルヴェイン家の事情かは分からないが……」
その言葉に、心が少しだけ静まった。
でも、二人が家同士の立場を超えた、普通なら認められない禁断の恋に落ちたのかもしれない。
「……でも……」
「社交の場で感情を出せる貴族は、ほとんどいない。優秀な奴ほど特にな……」
ハルはそう言って、私の手を取った。
大きくて温かいその手は、震えている私の指をゆっくり包み込む。
「エリシア。今日お前が泣いた理由は理解してる。
でも――今日見たものだけで、“終わり”だと決めつけるな」
その温度が、胸の奥にじんわり広がる。
気付けば私は、その手を握り返していた。
「……ありがとう、ハル」
「もういいから、今日は早く休め」
穏やかな声。
その声に身を委ねるようにベッドへ横たわると、ハルはしばらく手を離さなかった。
指先を絡めたまま、ただじっと私の呼吸が落ち着くのを待ってくれている。
「寝ろ。もう大丈夫だ」
まるで安心させるように、親指がそっと手の甲を撫でる。
その優しい温度に溶けるように、意識が暗闇へ沈んでいった。
32
あなたにおすすめの小説
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
【完結】どうか私を思い出さないで
miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。
一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。
ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。
コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。
「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」
[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜
h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」
二人は再び手を取り合うことができるのか……。
全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)
好きでした、婚約破棄を受け入れます
たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……?
※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。
【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした
ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。
彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。
そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。
しかし、公爵にもディアにも秘密があった。
その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。
※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています
※表紙画像はAIで作成したものです
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる