私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

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建国祭編

市街視察

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 エルダールの王都とは違い、帝都にはどこか張り詰めた秩序と、揺るぎない誇りが満ちていた。

 通りをまっすぐ貫く石畳、白い壁の建物、整然とした街路樹。
 ――これが、幼い頃の私が憧れていた帝国の街並み。
 あの頃とは違う形で達成してしまった夢に、切なさが一瞬胸をよぎった。

「この辺りが帝都の中心区、皇都と呼ばれるエリアです。貴族の屋敷と官庁が多いですよ。……で、ここから先が市街です!」

 キースが明るい声で指さす。

 視線の先には、白い壁と広い中庭を備えた新しい施設――学校のような建物があった。
 門前では、子どもたちが笑いながら駆けていく。

「ここは教育機関です。身分を問わず、才能次第で入学できるんですよ。最近、主が出資して建てたんです」

「ノア……じゃなくて、アルヴェイン公爵が?」

 思わず名前が漏れた。
 その瞬間、隣のハルのまなざしがわずかに揺れ、胸の奥がひやりとする。

「そうですよ! ノア様は帝都の経済と福祉を支える主要人物のひとりで、民の評判もよくて――」

「……まあ、帝国の貴族にしては珍しく真っ当な奴なんだろ」

 ハルがぼそりと言った言葉には、かすかな棘が混じっていた。
 けれど、その横顔は静かで、どこか遠くを見るような落ち着きをまとっている。

 馬車を降りて通りを歩くと、人々が隣国の王太子であるハルに気付いて深々と頭を下げた。
 その後ろで、彼らの視線が一瞬、私へと向けられるのが分かる。
 “聖女セラ”――隣国エルダールを救った女性として知られるようになった私は、今では多くの民にとって希望の象徴らしい。

 だけど、そんな自分が遠く感じられる。

「セラ……疲れたか?」

 ハルが少しだけ眉をひそめて尋ねる。
 そのまなざしは、驚くほど優しかった。

「いいえ。久しぶりに外を歩けて、むしろ嬉しいです!」

「……そうか」

 短い返事。
 けれどその後、彼は歩幅をわずかに緩め、そっと私に合わせてくれた。

 花屋の前を通りかかると、色とりどりの花の香りがふわりと広がる。
 見入っているうちに、気付けばハルが小さな花束を手に戻ってきていた。

「これ」

 差し出された花束は、視察の邪魔にならない控えめな大きさ。
 なのに、不思議と胸に落ちる重みは大きかった。

「ありがとう、ハル!」

 そう言うと、彼はどこか安堵したように息を吐く。

「……お前が笑ってると、街も少し明るく見える」

「え……?」

 不意の言葉に、胸の鼓動が弾けた。
 ハルは慌てて視線をそらし、咳払いをする。

「……気のせいだ。忘れろ」

 その不器用な優しさに、思わず笑みが零れる。
 ノアの穏やかさとは違う、真っすぐで少し危うい優しさ――
 それが、今の私をそっと支えてくれていた。

「もう少し行けば市街の中心ですよ。建国祭に向けて街も賑わっているはずです!」

 キースの声が、場の空気をさらに晴れやかにする。

「行ってみたい!」と答えると、ハルは小さく息を吐きつつも歩き出した。

 市街に入ると、旗が風に揺れ、子どもたちの笑い声が跳ね、屋台の香ばしい匂いが漂う。
 祝祭の空気が街全体を包んでいた。

「ここが帝都の市街地か……」

 歩きながら、ハルの容姿が自然と人々の視線を集めるのが分かる。
 人混みが苦手だった彼が、いま堂々とその視線を受け止めている――
 なんだか嬉しい。

「随分と人気ですね、殿下。視線が痛いほどですよ」

 少し後ろからキースが、怖いもの知らずな調子で揶揄う。

「……痛いのはお前の言葉だ」

「おや、照れてます?」

「黙れ」

 そのやり取りに、思わず笑みが漏れた。

(あのハルが……こんなふうに誰かに冗談を返すようになるなんて)

 以前の彼は、どこかで他人を遠ざけていた。
 けれど今は違う。
 その変化が誇らしかった。

「セラ様、何か食べたいものあります?」

 キースは私にも、まるで昔からの知人のように気さくに声をかけてくれる。

「ほら、あそこに串焼きの露店がありますよ!」

 指し示された先には、ずっと食べたいと思っていた串焼きがあった。

「……おいしそう」

「買ってきましょうか?」

「俺が行く」

 ハルは短くそう言い、ローブを翻して屋台へ向かった。
 少し早足で離れていく背中がどこかおかしくて、頬が緩む。

 そのとき――
 すぐそばを通った人々の会話がふと耳に入った。

「建国祭が始まるって言っても、皇太子が決まらないのは不安だわ」

「フェリックス殿下が亡くなって、もう五年ね」

「……ご存命なら、帝国はもっと安定していただろうに」

 フェリックス殿下――
 私の父。

 手にしていた花束が音もなく落ち、風に揺れた。
 キースが拾い上げてくれたが、すぐに受け取ることができなかった。

(……お父様は、もういない)

 当たり前の事実が、他人のささやきとして投げかけられた瞬間、胸の奥で何かが静かに軋んだ。

「セラ」

 戻ってきたハルが、そっと私の顔を覗き込む。

 その瞳は驚くほどやさしく、まるで私の痛みに触れないように寄り添ってくれる。

「……少し、懐かしい話を聞いて」

「そうか」

 それ以上は問いたださず、乱れた花束を丁寧に整えてくれる。
 その何気ない仕草が、ひどく胸にしみた。

 ハルが整えてくれた花束をそっと受け取りながら、深く息を吸った。

 串焼きの匂いに人々の笑い声、祝祭の色彩が胸の奥にゆっくり入り込んでくる。

 ――大丈夫。ちゃんと歩ける。

 自分にそう言い聞かせるように、目を上げた。

「……大丈夫だから、行こう!ハル!」

「ああ」

 彼は短く答えながらも、私に気遣って歩調を合わせてくれている。
 キースも気遣うように少し距離を空け、さっきよりずっと静かだった。

 胸の奥の痛みが消えた訳ではない。
 けれど同時に、すぐ隣にいるハルの存在が、その痛みを支えてくれているのが分かった。

「……食べられるか?」

 不器用な問いかけに、思わず頬が緩む。

「はい。せっかく買ってきてくれたんですもの」

 串焼きをひと口かじると、香ばしい味が広がった。
 何気ない行為なのに、涙が滲みそうになる。

 ハルはそんな私の表情を見て、そっと視線をそらした。

「……無理しなくていい」

「してません!……それにこれ!とても美味しいですよ!」

 そう言ってもう一口、串焼きを頬張ると、彼は小さく息を吐いた。

「ならいい」

 ほんの、それだけの会話。
 けれど胸の奥に、ゆっくりと温かさが広がっていく。

 通りの先には、祝祭の中心広場が見えてきた。
 賑やかな屋台、カラフルな三角旗、子どもたちの声が重なり、帝都はまるで別世界のように鮮やかだ。

 その様子に見入っている私たちにキースが声を掛ける。

「では、このあと広場をぐるっと回って、帝都の外縁部へ向かいましょう。日が暮れる前には戻ったほうがいいですから」

「はい」と答えると、キースはいつもの笑みを取り戻す。

「セラ様、気になる店があったら何でも言ってくださいね! 殿下が全部買ってくれますから!」

「……おい」

 ハルの低い声に、キースが「冗談ですよ」と肩をすくめた。
 そのやり取りに、また少しだけ空気が緩む。

 傾き始めた日が帝都の街並みをやわらかく輝かせる。
 その景色が、幼い頃に皇太子宮から見下ろした街並みと被って、懐かしい。
 ――けれど今はもう、過去ではなく“現在”として胸に刻まれていく。

(あの頃はとは違う……でも、)

 隣には、歩幅を合わせてくれる誰かがいる。
 その事実が、ほんの少しだけ前へ進む勇気になる。

 ハルがふと私の手元を見て、静かに言った。

「……花、似合ってる。お前には花が似合う」

「え?」

「気にするな」

 そっぽを向く耳が、ほんの少し赤い。
 思わず笑いがこぼれた。

 キースが楽しげに「いい雰囲気ですねえ」と呟き、ハルが睨みつける。
 その瞬間、賑やかな祝祭のざわめきが、すこしだけ近く感じられた。

「さあ、広場へ行きましょう!」

 キースの声に促され、私たちは再び歩き出す。

 ――帝都の喧騒の中へ。
 胸の痛みも、湧き上がる記憶の影も、そのすべてを抱えたまま。

 それでも前へ。

 新しい景色が、少しずつ私の中に溶けていく。
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