私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi

文字の大きさ
97 / 168
建国祭編

狩猟祭

しおりを挟む
 狩猟祭の開始を告げる号砲が、乾いた音を響かせて空気を震わせた。

 森へ続く道には旗が整然と並び、男たちはそれを掲げながら、勢いよく馬を駆っていく。

 観覧席では鮮やかなドレスがきらめき、令嬢たちがその勇ましい姿を目で追っていた。

「ギルフォード様はいらしていないの?」
「風邪をひいていらっしゃるようですわよ」

「今年はドゥーカス大公爵家も不参加ですから、カイン様もいらっしゃらないわ」

「ですが!アルヴェイン公爵はいらっしゃいますわ!」

 華やかな人波から、さらにいっそう大きな歓声が上がり、目を向けると、遠くに立派な馬の手綱を引くノアの姿が見えた。

 彼の周りには人だかりができていて、令嬢たちの手にはハンカチが握られている。

「アルヴェイン公爵様!こちらをお受け取りくださいませ」
「わたくしの祈りの印でございます。どうか!」

 令嬢達の言葉に、ノアは柔らかい笑みを浮かべながらも、揺るぎない瞳で静かに首を振る。
 そこには断ることへの傲慢さも無いが、迷いの色もない。

「申し訳ありません。すでに大切な人より受け取っておりますので」

 そう言ってノアは、懐から一枚の白いハンカチを取り出した。
 私が刺繍を施した、あのハンカチだ。

 それを誇りそのもののように掲げた瞬間、周囲がざわめきに包まれた。

「まぁ……!公爵様が誰かのハンカチを!」
「どなたが贈られたのかしら……?」
「想い人がいらっしゃるなんて聞いてないわ!」

 令嬢達の表情が一瞬だけ硬直する。
 しかしノアは丁寧な一礼を返すと、そのまま馬に跨って走っていった。

「断る姿すらも素敵ですわね!」
「アルヴェイン公爵に思われる方が羨ましいわ」

 私は天幕の陰から、それを息をひそめて見つめていた。

 白いハンカチが風に翻った瞬間、胸の奥で心臓が跳ね上がり、喜びに似た熱が、困るほど強く波打った。

(……ノアの馬鹿。あんなふうに人前で……)

 心の中で呟くその“馬鹿”の裏に、抑えきれない幸せが隠れているのを、私自身が誰より理解していた。

――――――――――――

 男性陣が狩場へと向かった後、待合の天幕には、ひそひそとした声が満ち始めた。

「……聞きました?
 ハルシオン殿下にハンカチを渡すリュシエル姫を邪魔されたとか……」
「確か、リュシエル姫は婚約者候補なのでしょう?お可哀想……」
「身分を考えて欲しいですわ」

 誰とは名指ししない。
 けれど、向けてくる視線はあまりに露骨だった。
 悪意だけが、香水よりも濃く漂う。

(私は……何もしていないのに……また悪者扱い)

 どこか、このような扱いに慣れてきた自分がいることに驚いた。

 この感じは、どこかで経験した――そう、昼餐会の時の空気だ。

 また、誰かが裏で糸を引いているのかもしれない。
 それはリュシエル本人なのか、あるいはジェシカの側にいた者たちか……。

 いずれにせよ、真相を知らないもの達の間で語られる話は、殆ど原型をとどめていない。

 その時、私は無意識に胸元へ手を伸ばしていた。

 指輪に触れるだけで、心に漂う不安の靄が薄れていくような気がする。

 いつの間にか、この指輪は私にとってはなくてはならない心の安定剤になっていた。

「セラ様」

 ふと名前を呼ばれて振り返ると、そこには栗毛に青い瞳をした少女が立っていた。
 どこか懐かしいようなほっとする容姿に、気持ちがほぐれる。

「初めまして。
 エルダールより参りましたセラ=ヴァレンティアと申します」

 立ち上がって挨拶すると、少女はふわっとした優しい笑みを浮かべた。

「急にお声掛けして申し訳ありません。
 私はステラ・アルヴェインと申します。
 先日は兄がご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません」

 道理で……。
 ステラ・アルヴェイン、つまりノアの妹だ。
 よく見ると、目元がノアとよく似ている。

 昔、ノアからよく妹君の話を聞いた。
 ノアが私を妹のように扱うことが、兄の居ない私にとって、くすぐったかったことを思い出す。

「……いえ、アルヴェイン公爵様に来ていただけたおかげで、冤罪を晴らすことができましたから」

 私の言葉にステラは何かを思い浮かべるようにふっと微笑んだ。

「それでも、あの指輪は兄にとってとても大切なものですから。
 セラ様には感謝していると思います」

 そう言われ、私は小さく首を振る。

「……いえ。たまたま、です」

 これ以上踏み込まれるのが怖くて、曖昧に濁した。

 ステラはそんな私の様子を気に留めることもなく、少し視線を遠くへ向けた。

「兄は……本当に不器用なんです」

 柔らかく、どこか懐かしむような声。

「この五年間、ずっと、皇女様を想い続けていますから」

 "皇女"の言葉に、胸がどくりと鳴った。

「こんなことを言えば、不敬罪に当たるかもしれませんが……。
 帝国の誰もが皇女様と皇子様の生還を難しく思っています。
 それでも、兄は今でも諦めないで信じているのです……」 

 彼女の言葉が、胸に突き刺さる。

「兄にとっては、きっと皇女様は“世界そのもの”なのでしょう」

 私は、作り笑みを浮かべることすらできなかった。

「アルヴェイン家の方々はあの事件の後にひどい仕打ちを受けたと聞きました……。
 その……恨んではいらっしゃらないのですか?」

 聞かない方がいい。
 分かっているのに、口が勝手に動いてしまう。

「皇族の皆様を……ですか?」

 ステラはそう言うと、何か思い出すように少し照れたように笑う。

「幼い頃は焼きもちを焼きました!
 大好きな兄と父との時間はほとんどありませんでしたから。
 ……でも、あの方達に仕える父と兄が誇りでしたから。
 恨むなんて、とんでもありませんわ」

 その後、少し言い淀み、それから意を決したように続ける。

「それに私も信じたいんです……」

 彼女のお願いするような声音に私は無意識に息を詰めていた。

「皇女様と皇子様が今もどこかで生きていてくださることを……」

 その優しさが、残酷だった。

(……そんなの)

 私は、あなたの目の前にいるのに。

 言えない。
 名乗れない。
 感謝の気持ちも伝えられない。

「……私も一緒に願わせてください」

 それしか、言えなかった。

 その言葉は嘘でもない。
 私も心のどこかであの日はぐれた弟が生きていたらとずっと願っているからだ。

 ステラはほっとしたように微笑んだ。

「ありがとうございます。
 セラ様は、とてもお優しい方ですね」

 優しいのはアルヴェイン家の人々の方だ。

(ノアも、ノアのお父様も、ステラ嬢も……優しすぎる……)

 けれど、その言葉を否定することもできず、私はただ微笑み返した。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……? ※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。

あなたが遺した花の名は

きまま
恋愛
——どうか、お幸せに。 ※拙い文章です。読みにくい箇所があるかもしれません。 ※作者都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...