恋の苗床

井上状態

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第四話 虫の知らせ

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 沈黙が降りる。
 僕は、次の言葉を待った。でも、彼は黙ったまま、遠くを見つめている。

「それで?」

 痺れを切らして、僕は尋ねた。

「それで、真相は何だったんですか?」

 先輩は、バカにしたように笑った。

「え? そんなの知らないよ。ハハハ、バカかい君は。ボクは一般人だよ? 警察でも探偵でもないんだからさあ!」

 急に口調が砕けた。その大げさな言い方が、まるで演技のように感じられる。何かを隠している気がした。
 それに、先ほどから妙な既視感がある。
 お盆の同窓会、東北、妖怪のキーワード。
 まったく同じ属性の人間が、もう一人いたはずだ。思わず、その名を呼んでしまう。

「……尾野先輩」

「ああ、尾野クン? そうだよ、ボクは尾野クンと同郷。というか、高校も同じでねえ」

 僕の背筋に、じわりと怖気が走った。何か、とても嫌な予感がした。

「尾野クンがあそこに忍び込んだかどうかは知らないよ。だって、彼、友達もいなかったし、別クラスだったしね。大学に来てからだって、特段親しくしてたつもりもない。君も知っての通りね」

 矢継ぎ早にそう言うと、三留先輩は唐突に黙りこくった。もう話はお終いだとでも言うように、視線を外した。まるで、僕が立ち去るのを待っているようだった。

 僕は、混乱する頭の中で、懸命に彼の話を整理した。拭えない違和感を口にする。

「先輩、なんで尾野先輩がその廃校に忍び込んだ話になるんですか? 会話の流れとして、とてもおかしいです」

 一度口に出してしまえば、止まらなかった。言葉にするたび、徐々に日常が侵食されて、何か異質なものに置き換わっていくような気がした。

「仮に同じ高校出身だとしても、今話していたのは『廃校に関する噂話と失踪者の関係性』の話でしたよね。それと尾野先輩に、何の関係があるんですか」

 しかし、先輩は答えず、口をつぐんだ。緊張した面持ちで、身体を強張らせている。
 
 そもそも、なぜ怖い話としてこの話をしたのだろう。
 少なくとも今の時点では、これは単なる不可解な話でしかない。

 いつまでも取り潰されない廃校に、女の霊が出る怪談。
 四名の成人男性が行方不明になる失踪事件。
 この二つの話をつなぐのは、失踪者が過去に廃校へ肝試しに行ったということだ。

 怖い話と言うには、少々弱い。行方不明になったのが、肝試しから数年後というのも、因果関係が薄い。時間が経ちすぎていて、別の理由がいくらでも考えられてしまう。
 怖い話なら単純に「廃校に肝試しに行った高校生が神隠しに会う」でいいはずなのだ。

 何か決定的なものが足りない。パズルのピースが欠落している。
 でも三留先輩にとって、これは「怖い話」なのだ。

 僕がそこにまだ突っ立っているのを見て、顔を上げた先輩の顔は、驚くほど無表情だ。先ほど、話しかけて来たときとはえらい違いである。早く行けとばかりに、彼はぶっきらぼうに吐き捨てた。

「なんだい。まだ何かあるのかい?」

「なぜ、僕にこの話を?」

 僕は、愚直に聞いた。
 三留先輩は、一瞬だけ、表情を崩した。それは、苦悶にも似た、何かに怯えるような顔だった。

「さあ、どうしてかな。案外、自分が正しかったと、誰かに言って欲しかったのかもしれない」

 その声は、確かに、震えていた。
 僕は、ようやく理解した。

「先輩も、行ったんですね」

 考えがまとまる前に、僕の口から結論がまろび出た。

 尾野先輩は廃校へ行ったその日、三留先輩もまた、そこへ行ったのではないか。
 そして、何かを見たことで、それは「怖い話」となった。
 だから、そのまま帰ってきた。
 怪異が現実であることを見定め、そこに踏み込まずに。
 賢い彼はそうしたのだ。
 そして今、その選択が彼を苦しめているのではないか。

 ジッと見つめるが、その顔には肯定も否定も見えない。緊張の糸が切れたように、表情が抜け落ちたままだ。何とか答えを得ようと、僕は続けた。

「何を見たんです?」

「尾野クンは、残念だったね」

 掠れた幽かな声でそうつぶやくと、今度こそ本当に終わりだと、視線を落とした。後悔するように、うつむき、両手で頭を抱えた。その肩が、小刻みに震えているのが見えた。
 僕は、それ以上もう何も聞けなかった。

 尾野先輩は一歩を踏み入れ、魅入られた。逃げられなかった。
 その結末を知るからこそ、残念であり、怖い話足り得るのだ。

 多分、きっと、そうなんだ。

 公園を出て、大学へ戻る道すがら、街灯の下に目が留まった。日が暮れ始め、ポツリと灯った街灯の下、一匹のカマキリが大きな蛾を食んでいる。

 あの真夏の日に袢纏はんてんを羽織って、汗一つかかなかったあの男。
 顔色が土気色で、とろんとした濁った眼で、節くれだった手は震えていたあの男。
 果たして彼は、生きた人間だったのか。それすら今となってはわからない。

 しばらく考える日もあったが、いつの間にか彼のことは忘れてしまった。
 大学は広く、四回生ともなれば顔を合わせることもない。誰が退学しようと、僕の知るところではなかった。
 だから、尾野という男が大学から退学になっていたことも、僕が知ることはついぞなかった。
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