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4年前 2
しおりを挟むモデルの基礎もないあたしは、ウオーキングのレクチャ-を簡単にしてもらう。
先生は、すらりと姿勢のいい女性でハキハキしている。ダンスの講師もしているとかで、立ち居振る舞いもキレイだ。
「シンデレラも大変よねぇ。いきなりこんなとこに放り込まれて。
まあミカさん自体あんまりアーティストとしてはうるさくないから、あなたは自分らしくステージに立つといいわ」
まあ、それが難しいんだけどね。と小声で付け加えた。
「服に着られるモデルじゃなさそうだし」
ほんの数分のウオーキングでも神経を使っていたので、ぐったりと疲れていた。
「ありがとうございました」
と深々と頭を下げたら、待ち構えていたさやさんに捕まりフィッティングとメイクに入る。選んだ服、あわせてもらった靴や小物それらが名前を付けられ、ハンガーに掛けられていく。
「当日のバックステージは戦場だから。ここで下着姿は恥ずかしいなんていわないで。みんな次の衣装に着替えるのに手いっぱいで気にしてないから」
会場を映し出しすモニターにもかなりのお客様がいらしているのが映し出されていて、さやさん自体も会場の熱気を受けて頬が赤らんできていた。
着る衣装は3着。最終のチェックをミカさんにしてもらってステージ袖に進む。
一着目は、ふわふわとしたファーをあしらった上着に、ふんわりしたスカートだ。
まだ残暑のある今でも、ステージでは秋冬の装いになる。温度調節がされている会場のため、汗は浮いてこない。
意外にも照明が発する熱が暑くて、会場を埋め尽くす人の熱気に足元が震えた。
「いいよ。玲奈ちゃんは、そのままで。上手く歩こうとか気にしないでいいから、ステージの端まで行ったら止まってポーズをとって帰ってくればいいから」
緊張から言われたことに、こくこくと頷くしかできない。
前のモデルさんがランウェイに進むのを見て、足をすすめる。
「よく似合ってる。玲奈ちゃんは、誰よりもピンクラビッツを着れているから。拍手も喝采も溜め息もみんなあなたのものよ」
とん、と背中を押された。
触れられた背中がじんわりと温かくなる。
じわりと熱が体に広がっていく。それはミカさんの期待かもしれないし、あたしの精神が高ぶっているからかもしれない。
前のモデルがランウェイを折り返して帰ってくるのと入れ違いにランウェイに出る。
顔を上げた先は、下からのライティングで真っ白に染まるなか、質感の違いでやっとランウェイが見分けられた。
身が竦むような怖さ。
真っ直ぐ歩いているつもりで狭いランウェイから転げ落ちないのか怖くなる。
怖い、そう思いながら笑顔を作った。そして一歩を踏み出して、また一歩を踏み出す。
アナウンスも音楽も聞こえないくらい緊張しているのに、白く飛んだ視界の向こうから幾千もの視線を感じた。まるで刺さるように全身を見つめられる。
見ているのは、あたしなんかよりもミカさんの服なんだから、少しでも良く見せたい。
ピンクラビッツはかわいいって言われたい。いいよねって言われたい。
そう思ったら自然とポーズも取れた。くるりと折り返してバックステージに戻る。
するとストローの挿してあるパックの飲み物が差し出されて手を出そうとしたら、上着を脱がされながら飲み物をもらうはめになった。
「良かったわ。初めてのステージだとは思えないくらい堂々としてたじゃない。着替えながら髪とメイクも直すから動かないで」
スタッフ3人ががりで全身を変えていく。さやさんの厳しい目でくるりと回され全身チェックして、またステージ袖のミカさんの所へ送りこまれる。
「やっぱりあたしが服を選びたかったわ。でもあたしが作った服なのに、きちんと玲奈ちゃんの服になってる」
きゅっとコートの襟を直してくれながらミカさんが寂しそうな顔をする。
「ミカさんが作ってくれるなら、あたし何回だって着ます」
何か言ってあげたくて、とっさに口にできたのは叶うかもわからない未来のことで…
それでも口にしたなら、何が変わる気がした。
あたしの言葉にミカさんは微笑んでくれて、そっと服から手を離した。
「そうね。まだショウはあるもの。楽しんねきて」
ふわっと風が動いたから、入れ違うようにランウェイに足を進めた。モデルがすれ違う。
ちらりと向けられた視線がチリチリと身を焼いた。
『無様なショウにしたら許さない』
視線からそう感じた。モデル志望だなんて言ってたって、素人より使えないそんなふうにだけは言われたくなかった。
同じステージ立つからには他のモデルにも認めてもらいたい。イメージした完璧なウオーキングできちんと歩きたい。
まぶしすぎるランウェイにいるのは、あたしだけ。
背筋を伸ばして自信をもって。
今だけはピンクラビッツの力を借りて、この会場全部の視線を集める。
ステージから降りたら、ただの子供でしかないあたしだけど、今だけは…力を貸してください。
遠く感じていたさざ波のような人の気配。会場に集まる人の衣擦れ、吐息、話し声、その上に音楽がのってMCの解説が入る。
最初の時よりも落ち着いて歩けてる。歩きながらも溜め息や、かわいいって声を拾える。
今だけは。このランウェイを歩ききる40秒だけは、あたしをミカさんの服を見てください。
ランウェイの端でコートが綺麗に見えるようにポーズを取る。中に着ている薄手のニットとスカートも見えるように。
わあっと声にならない吐息が生まれる。ミカさんの服を褒められた嬉しさに、思わず笑みがうく。
途端にざわりと会場がどよめいた。やだ、カワイイそんな声が耳に届く。
ミカさんの服はカワイイよ。ピンクラビッツのお店を覗いてみてね。そう心のなかで答える。
あたしの着た服を見て、そう言ってもらえるなら……すごく嬉しい。みんなミカさんの服が素敵だからだけれど、その服を綺麗に可愛く見せられたらなら…少しでもそう思ってもらえたならいい。
バックステージまで戻ると、ミカさんが良かった良かったと背中を叩いてくれた。
「プロのモデルだってこんなに会場からため息なんて貰えないから」
嬉しそうなミカさんに笑い返して、「ミカさんの服がいいからです」と首をすくめた。そのままキャアキャアとガールズトークになりそうなのを、さやさんがあたしを引き離すことで止める。
「まだ終わってませんから。最後の服を出してからやってください」
「わかってるわよ。着替えきて」
にこやかに笑うミカさんを背にして、最後の服を着るためにもどる。
怒られるかもしれない。
この服はミカさんにとって、特別に見えた。この服だけトルソーに着せられて靴も小物もコーディネートされていた。
見た瞬間から惹かれていた。
この服は他の服に紛れるように飾ってあったのに、この服だけが特別なオーラを出してあたしを呼んでいた。
『あたしを着て』
服に感情があるのなら、口があるのならきっとそう言っていた。
この服でミカさんの前に。
近づくあたしに気づいたミカさんは、大きな瞳をさらに見開いて驚いた。
「まさかこの服を着るなんてね」
ため息にも似た声で呆れたようだった。
「この服が一番ミカさんにとって大事なものだと思ったんです。試着してみて、よくわかりました」
ブラウスに残された幾つものミシンの針穴のライン。それは、何度も服のラインを調節するために縫い直したことを表している。
裏地で見えなくても、ジャケットの脇や肩のラインにも微調整を繰り返した跡があるはずだ。
わずかに表面に残る針穴から、そう感じた。
「この服は、デザイナーになろうと思ってから初めて作った服なのよ…針目もガタガタで恥ずかしいわ」
それでも愛おしそうに服の肩に触れた。
「それでもその頃のがむしゃらに頑張ってた自分と、今の玲奈ちゃんに重なるものがあるのかもしれないわね」
ランウェイに目をやったミカさんは、あたしの手を取ると、そっと肘の高さまで持ち上げた。
最後にランウェイに出るあたしを待つように、他のモデルはステージ上の両脇で待っている。
軽く支えられた手に引かれながらミカさんとあたしがステージに出ると会場がざわめいた。
かわいい、着てみたい。
そんな声に混ざって、誰この人すっごい綺麗そんな声も聞こえた。長身のミカさんはモデルだったとしても遜色なく、デザイナーとしての威厳も加わって見る人を圧倒する。
ランウェイの端で手を離したミカさんを待たせて最後のポーズを決める。
この服がどんな服か知らなくても、みてくれた人の心に残りますように。ミカさんの努力が伝わりますように。
ただ服を着ているだけじゃなくて、そういうことも伝えられたらいいのに。自分が新米のぺーぺーだというのが、これほど悔しいものだとは思わなかった。
ウエディングラインのあるショウは、最後に純白のドレスを纏ったモデルをデザイナーがエスコートする。
ジュニア向けのピンクラビッツにはウエディングラインがないけれど、こうして最後の作品であるあたしは、ミカさんにエスコートされている。
あまりにも自然にエスコートされて、普段ならエスコートされる側であるはずのミカさんの落ち着いた振る舞いに、恐る恐る身を任せている。
何をしても似合う人がいることに、憧れよりも嫉妬がわく。
この人は、どれだけの才能をまだ隠しているんだろう。
足掻いて足掻いてやっと人並みレベルでしかないあたしは羨ましいばかりだ。
でも、こうしてそばに居られるのなら。
一番そばでミカさんを見て、話せるのなら今日よりも、もっとなりたい自分になれるはずだから……
あたしは、ここで頑張ってみたい。
ランウェイからステージにたどり着くと、まわりを取り囲んだモデルの人達からも拍手で迎えてもらう。
ミカさんを中心に皆でお辞儀をすると、さらに拍手が大きくなる。
応援ありがとうございます!
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