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第一章 龍神に覚醒したはずの日々

十四 望みの向こう側

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1・

一週間、外部に僕の存在がバレないまま神殿で寝泊まりできた。エリック様ともよく会って話して時に遊んで、前よりずっと仲良くなれた。

神官さんたちは本当に良い人ばかりで、エリック様と同じだけ人生を歩んできたというポドールイ族のホルンさんや、その孫の金髪と黒髪の混ざった髪を持つオーランドさんとも仲良くなった。

時折かかってくるミンスさんからの電話で、彼女やローレルさんと話しをしても面白かったし、もちろんイツキとずっと一緒にいて勉強をするのも楽しかった。

だからといってすぐ成績が良くなる訳ではなさそうだけど、でも幸せで充実した日々というのは、こういうのだと思えるほど幸せだった。

そして、僕の魂の母さんが訪れる日がやって来た。

前触れがあった訳ではなく、ホルンさんが未来を予知して教えてくれた日時が、その時とされた。

僕は前と同じように龍神衣装を着て、同じく龍神衣装を着たエリック様と同じ部屋で待った。

前もいたというが気配はなかったイツキは、今日はよく分かるように僕の傍にいる。

そして未だに懐けないマーティス国王様とそのお供の人や、ホルンさんたちもいる。

今日はこんなに人がいるけど、それでも母さんは僕に会いに来てくれるようだ。

きっといい顔はしないだろうけれど、それもすぐに仲良しになれる。

その為に、僕は僕の力を使う。それは最初の取っ掛かりで、全く危険じゃない言葉。

それに、僕自身も母さんに言いたい言葉だ。

椅子に座り、早く来ないかなとソワソワしていると、瞬きをした一つの瞬間の後に、壁際にレリクスの姿が見えた。

僕は椅子を立ち、少しだけエリック様より前に出て、母さんに呼びかけた。

「母さん、僕、前よりちょっと賢くなったよ。レリクスのことを知って、自分がそれだって信じることができた。それで、母さんにとても会いたくなった」

緊張気味の母さんは、僕の言葉に返事をせず、エリック様の方に視線をやった。

「我が息子を大事にして下さり、感謝いたします。それで、息子を龍神で無くす事には、同意して頂けますね? 貴方がたとしても、このような余計な宿命を背負う子など、龍神に欲しくはないでしょうに」

「それは違います。我々はショーンがどういう存在であろうと、龍神として礼を尽くし共に生きると決めています。ショーンは我々にとり、必要な存在です」

エリック様はそう言い、一歩前に出て僕の肩を軽く叩いた。

それが合図だ。

僕は母さんに、心からの言葉を告げた。

「母さん、僕はみんなと仲良しだ。こうして一緒にいれて、とても嬉しいんだ。だから母さんも……母さんだけじゃなくてレリクスみんなが、バンハムーバ人たちと友達だ。決して裏切ることのない……大事な……友──」

どうしても最後まで言わなきゃ母さんとみんなが仲良くなれないと思い、頑張った。

友達と言った瞬間に体全体に重しがかかったように感じ、自分の内部にある何かが反応してバラバラに壊れてしまいそうになった。だけど……どうしても、仲良くしたくて。

僕の視界の中の母さんが、苦しさに蹲り、僕に向かって何か叫んだように見えた。

周囲にいるみんなが慌てている。

いつの間にか倒れていた僕を介抱しようとするエリック様とイツキが、必死な様子で何かを話しているようなのに、何も聞こえない。

何かが壊れる音だけが聞こえ、闇に潜った……。

2・

「ショーン! 言葉を取り消せ……」

エリックは意識のないショーンを抱き締めつつ、冷静になろうと務めた。

「そっちはどうだ!」

レリクス女王を介抱しようとしたホルンは、エリックに首を横に振ってみせた。

「なんてこと……いや、いや、まだ大丈夫だ。ショーンは助かる。そうで無けりゃ、あいつらが黙ってない」

エリックは神官にショーンを託し、よろめきながら立ち上がった。

「ああもう……なんで見逃したんだ。何が悪かった? ええと──」

「レリクスを生み出した魔術師の、呪いではないかと」

既に死んだレリクスから離れつつ、ホルンは言った。

「ホルン……お前」

「申し訳ございません。我々では、神の御技がどのような結果を残すか、読み取れませんでした」

全てを背負いそうな暗い顔で謝罪するホルンを見て、エリックは心底むかついた。

「気にするな。俺もマーティス国王もこれで友好関係が築けると判断したんだから、俺たちも同罪だ。それより……呪いって、あれか。魔術師を裏切ると死ぬ術がかけられていたという」

「はい。私は、女王はその術をかけられていないと……思い込みました。王には、かけられていなかったと記されているので」

「その記述は、俺も覚えている。でも、女王には未だに鎖がかけられていて、他種族との和解という魔術師への裏切り行為で、発動したのか……」

大事に抱えられて部屋を出るショーンを見送るエリックは、自分を殴りたい衝動を必死になって堪えた。

目に見えてイラつくエリックに、オーランドが近付いて手を差し出した。

エリックは気付いて、オーランドの手の中の宝石を受け取った。

「……レリクスのなれの果ても、宝石なのか。霊体である筈のレリクスまで、かつて全ての人間を憎んだ魔術師が望んだ物体になってしまうとはな」

エリックは紅色の宝石を見て落ち着き、マーティスに一言告げてから部屋を出た。
ショーンが運び入れられた部屋まで行き、しばらく様子を見ていてから、自分のできることは何だろうと考えた。

3・

光が雪のように舞い散る、闇の大地の上に座っている。

気付いたらレリクスの母さんが傍にいて、嬉しそうに鼻で僕の手を突いてくれた。

「母さん、抱き締めてもいい?」

「いいですとも」

外見は長毛の虎猫のような母さんを抱き上げ、膝の上に置いて撫でた。

「リュン。我々は、結局は奴隷として生きるしかなかったのでしょう」

「母さん……そんな事ないよ。僕らは、大勢のみんなと仲良くできる」

「……そうですね。リュンは、大勢の者に好かれていますから、これからは誰とも敵対しない道を歩める可能性もあるでしょう」

「母さんも、僕と一緒にみんなと仲良くしてよ」

「ええ。これからは……過去の怨念を振り払い、自由に生きられます。私たちレリクスは、リュンのおかげで新たな命として存在していくことになりますからね」

「……新しい命って?」

「私たちの鎖は、死を介しましたがリュンの願いにより解き放たれました。リュンにも、新しい命が……残された命があります。しかしそれは、生まれたての貴方には辛すぎる道になります。だから辛いと感じたら、貴方が大好きな人たちに思い存分に甘えるのですよ」

「うん。甘えるのは好き。本当は、自立して立派な男になるのが夢だけど……でもまだ、甘えたい時がある」

「それは仕方のないことです。貴方は本当に生まれたての赤子なのですから、甘える自分を受け入れなさい。そうすれば逆に、貴方は強くなり立派な大人に一歩近付きます」

「うん。分かった」

母さんと僕は、それからしばらく、舞い散る光を眺め続けた。

そのうちに、母さんは言った。

「リュン。これから私が言うことはずっと秘密にしておくか、本当に必要と思えた時以外は、誰にも教えないで下さい」

「うん。約束する」

「私はレリクスの女王です。王の力を借りずにこの身を切り取り生まれ出るレリクスの子は、女子しかおりませんでした。けれど最後の子となった貴方は、男子として生まれ出てくれました。それは……私が偶然に選んだ、神族の体の遺伝子が影響した結果だと思います。レリクスはこれまで、擬似的な生命体だと言われ続けてきましたが……私は最後に、全てを生み出す神の力で、本物の命を生み出す事に成功したのです」

母さんは、本当に嬉しそうに僕の頬に頬ずりしてくれた。

「ですから、貴方は生まれた時から完璧なレリクスでした。新たな一族の王でした。過去のレリクスの魂を失ったとしても、貴方はレリクスです。その力に……この私に再び出会えた時は、繋がりが無くとも繋がっていると気付いてください。私は常に、傍にいますからね」

レリクスの母さんの眩しいほどの喜びの情が、光となって周囲を包み込んだ。

「リュン。貴方は一人じゃありません。私も貴方を護ります」

母さんの声が光の中で聞こえ、それが気配と共に遠くなり、消えた。

薄暗い部屋の中にいて、明かりが一方向から差し込んでくる。

僕は、カーテンのかかったベッドに横になっている。明かりが見える方のカーテンは開けられている。

傍で影が動くのでよく見てみると、疲れていそうな表情をしたエリック様だった。

「エリック様」

囁くぐらいの声で言ったのに、彼は気付いてくれた。

「ショーン、気分はどうだ? 気持ち悪くはないか?」

「う……ううん。いえ……大丈夫です」

ベッドの傍らで僕を見下ろすエリック様は、ホッとした表情になった。

「何か欲しいものはあるか? 冷水とお茶はあるんだが、食べ物は持ってこさせないと──」

「エリック様」

「……何だ?」

「母さん……母さんは?」

そう聞くと、エリック様は少し動揺したようだった。

「ショーンの母親は、あの時に…………いや、もう少し後で話そう」

「さっき、会ったんです。母さんは、新しい命になったって言ってました。僕のおかげだって……」

「……会ったのか?」

「はい。抱き締めて、撫でさせてくれましたよ」

思い出しても可愛らしいので、ウフフと笑ってしまった。

そうするとエリック様は彼の上着のポケットに手を入れ、すぐに出した。

感覚で気付いたから、何も言わず起き上がりエリック様の手に手を伸ばした。

エリック様は僕に、夕暮れ時の空色の宝石を一個渡してくれた。

「母さん」

大きめの丸みを帯びた細長い宝石は、とても温かでレリクスの母さんの気配を保っている。

これが新しい命なのかと思いつつ、母さんを両手で包んで胸に押し当てた。

すると、その手にコツンと何かが当たった。

前が大きく開かれている自分のシャツの中を覗いてみると、胸の中央部、心臓の隣ぐらいに母さんの宝石と同じぐらいの真っ白い……光に当たると七色に輝く石だろうものが、貝殻を被った貝みたいにべったりくっついている。

触ると硬く、少しばかり中央が盛り上がっているものの、ほぼ平坦に近いものだ。

はっと気付いた。

「これが、過去のレリクスの僕なんでしょうか。それで……今の僕は、新しい……残った方の命で、レリクスの魂を失った存在」

僕は呟き、不安げなエリック様の顔を見上げた。

「エリック様。今の僕はレリクスではなくなりましたが、バンハムーバ人の龍神であり、神の一族の者でもあります。新しい僕を、今後ともよろしくお願いします」

とりあえず挨拶しておいた。

「えっ、あ、こちらこそ宜しく。ショーン、大丈夫なのか?」

「この母さんは貰っていいんですか? 一緒にいたいです」

「元からショーンに渡すつもりだったから構わないが、持ち運びし易いように鎖などを付けようかと思っていた」

「あ、それならその方がいいです。お返しします」

僕は母さんをエリック様に返した。

「ところで、今日の夕食は何ですか? お腹が空きました」

「えーと、ここに持ってこさせようか? それともテーブルセッティングするか?」

「着替えてテーブルで頂きます。それにイツキは? 僕のスマホは?」

「着がえはそこの棚……か? ちょっと待っててくれ。全部伝えてくる」

エリック様は拍子抜けしたような表情で、僕の母さんを持って慌てて行ってしまった。

そのうちイツキが、僕の着替えとスマホを持ってきてくれた。

イツキも大丈夫かと聞くので、全然大丈夫だと答えてから考えた。

「ああ、その、母さんと会ったんだ。それで、母さんも僕を護ってくれると言ったから……姿が変わったけど、悲しくないよ」

「そうですか。でも、悲しくなったら泣いて下さいよ」

「……うん。でもまだ、大丈夫」

いつかこの時のことを思い出せば、泣きたい時もあると思う。

でも今は、泣かない。母さんは一緒にいてくれるし、僕は新しい人生を手に入れた。

僕の中には、母さんがくれた多量の愛が残っている。僕の新しい命、魂を覆って護ってくれている。

不思議だけど、この母さんとの一体感がとてつもなく愛おしい。

だから僕は、明日も前を向いて生きていくんだ。
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