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第二章 龍神の決断

十二 どこか別の場所

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1・

金曜日の朝。台所でイツキに会うと、ちょっとした頼み事をされた。

「マーティス国王様が、軽めながら不整脈に苦しめられているそうです。ですので、是非ともこの言葉で励まして頂きたいのですが」

イツキがくれた紙には、マーティス国王はとても健康で正常、と書いてあった。

「不整脈って何?」

「ああ、心臓の打つリズムが狂って、息苦しくなるんです」

「ええ……心臓って、心臓がダメだと死──」

「いえいえ、そこまで酷くはありません! ショーン様は二度と、ダメとか死ぬとか仰らないように!」

「あ、え? 本当だ。僕が言ったら、心臓がだ……な人が……」

恐ろしい発言をしかけたと気づいて、あまりのショックに倒れそうになった。

イツキとオーランドさんが支えて椅子に座らせてくれ、ホットミルクを飲んだところで意識がはっきりした。

「以前決めた、僕の言ったらいけない言葉の一位から十位は、この一生で二度と発言できなくなる」

戒めをかけると、かなり強めに自分の体内を強いエネルギーが流れていくのを感じた。

あの、母さんを前に友達だと告げた時に似ていて、それだけの言葉なのに精神力を多く削られ、体も疲れ切ってしまった。

「ショーン様、今日はもう休みましょう」

「え? いや、朝だよ……」

「とても疲れ切っていますでしょう? 部屋に戻りましょう」

イツキが強引に引っ張っていくものの、全く抵抗できないで連れていかれた。

今日も学校に行く気まんまんだったのに、ベッドに戻って横になるしかない。

それでも、マーティス国王様のことは忘れなかった。

メモを握り締めて確保しておいて、イツキが傍から少し離れた瞬間に、頼まれていた文章を口にした。

さっきよりも軽めの力が通過していった。きっとマーティス国王は健康になっただろう。

でもその分とても眠くなり、堪えきれずに……。

2・

ショーンの手からメモを奪ったイツキは、それをゴミ箱に捨てて小声で謝罪した。

ショーンの護衛として学校に行かずに傍に付き従い、静かな室内で寝顔を眺める。

とても素直に眠るショーンの寝顔を見守り、いつ本当のことを話すかと考える。しかしまだ、答えは出ない。

そのうち、朝から昼の時間帯に近付いた。

何事もなく静かな時間だけが経過していたある瞬間、イツキは何者かの気配を感知して身構え、周囲を見回した。

姿はないが、人殺しの獣が傍にいる気配。ショーンを護ろうと武器を手に取り、ベッドを背にして立つ。

自分でも感知できない敵などいるのかとイツキは驚きつつ、命を賭けてもショーンを護ろうと、目を閉じて意識を集中した。
部屋の隅に発見できたと思った姿のない気配は、部屋中を素早く移動して、あっという間にどこかに消え去った。

イツキはショーンが無事に眠っているのを確認して、胸をなで下ろした。

しかしすぐ、違和感に気付いた。

オーランドが部屋に駆け込んできた時、イツキはショーンの体を揺さぶり名を呼び掛けていた。

「ショーン様、ショーン様!」

しかし、一向に目覚める気配はない。

「イツキ様。何があったのですか?」

「それが、姿のない敵がおり、対応しきれないでいるうちに……ショーン様の意識が、どこかに引き込まれたようです」

「それは……祖父に電話して聞いてみます」

「お願いします。私はどうにか、追跡してみます」

イツキはオーランドに頼むと椅子に座り、ショーンの手を強く掴んで彼の心の内部にアクセスした。

3・

とても良く眠れた気分で目覚めると、全く見知らぬ街の片隅の、黒々とした石畳の上に寝転がっていた。

若干寒いものの、心地良い気候だ。

空はすでに暗くて、夜だと分かった。ただ町中のあちこちに美しい飾り付けと共に照明が置かれていて、真昼のように明るい。

町の雰囲気はとても良く、遠くの方で沢山の笑い声が聞こえるし、黒髪の子供たちが幸せそうにはしゃいで路地の向こうを走って行く。

楽器の音色も聞こえる。もしかしたらお祭りなのだろうか。

自分がどうしてここにいるのか分からなくて、取りあえず立ち上がり、人を見つけて質問しようと思った。

「お困りですか?」

「わっ」

気付かなかったが、斜め後ろに人がいた。

振り向くとそこに、長髪の黒髪に黒目を持つ、ポドールイ人ぽい少年が立っていた。僕と同じぐらいの年齢だろうか?

「あの、初めまして」

「はい、初めまして」

「僕、ここで迷子になりました。確か……家で寝ていた筈なのですが」

「時折、あなたのような迷い人がこの町を訪れます。あなたは、そのうち帰れるでしょう」

「そうですか? じゃあどうしようかな」

周囲を見回ってみても、そのうち帰れるだろうか。とても楽しげだから、街の中心部の方に行ってみたい。

「ご案内いたしましょう」

「え……ありがとうございます」

彼は先に歩き始めた。僕はその後をついていった。

お祭りは、あちこちで楽器演奏と歌で盛り上げられていた。僕の全く知らない曲に歌だ。

街を歩いて出会う人々は全員がポドールイ人で、誰も混血のような特徴は持っていない。

皆さんは僕にとても親しげで、優しく話しかけてくれる。

何度も青い目に金髪はとても美しいと褒められ、僕は男だけど照れた。

そのうち、街の広場に到着した。中央部分に幅は数メートルしかないのに、百メートルほどだろうか、高くそびえる塔が一つ立っている。

内部は螺旋階段になっていて、人が一人登るのだけで精一杯だろう狭さがある。

塔の最上部からはとても強い光が発せられ、灯台として働いているようだ。

案内役の少年が立ち止まり、その灯台の光源を指差した。

「あれはホークアイの宝玉です。古の神の楽園から持ち出されたもので、名の通り我らの宝ではないのですが、我らの化け物への変身をああして押さえてくれています」

「………はい?」

「ポドールイの民が楽園から出て、闇の中で化け物になる体質に変化した時。これがあってくれたおかげで、我々は静かで慎ましやかな生活を、それからも維持できるようになりました」

「それは……ポドールイ人さんの、良くはない部分を補ってくれているという意味ですか?」

「そうです。あのホークアイの宝玉がここにある限り、我々は平穏に暮らせるでしょう。ただ、あの宝石も未来には失われ、同族の者たちはただ闇に怯えて暮らすしかなくなります」

「それは、その……」

僕の生きている世界のことだと思った。じゃあ、ここはどこなのだろうか?

彼に聞いて分かるだろうかと思ったら、彼はサッサと歩いて先に行こうとした。

僕は質問できず、彼についていった。

街の道が終わり、広大な穀物地帯に出た。

すでに刈り取りが終わった麦畑にも、幾つかの光がある。

子供たちが手に手にランタンのような灯りを持って、麦畑の中で遊んでいる。

その近くにとても大きくて燃え盛る炎の塊があり、子供たちが笑って触れようとしているから驚いた。

「火傷、しちゃう、かもしれないですよ!」

「いいえ、火傷はしません。彼はちゃんと調節してくれています」

「か、彼?」

少年がとても冷静なので、僕も冷静になろうと努力しながら炎を見つめた。

炎は突然動き出し、子供たちに気を付けながら立ち上がると、僕の方に頭を向けた。

体中から炎のような魔力を発する、巨大なオレンジ色の馬だ。たてがみや尻尾の部分からは恒星に見られる炎のようなものが吹き出して、ゆらゆらと揺らめいている。

その巨大な馬は小さくいなないて、また座った。

子供たちが再びまとわりつき、楽しげにしている。

「彼の運命は過酷です」

「えっ?」

「我らポドールイ族と友好関係にありながら、将来は憎しみに転じ、別の星を頼り、この母なる星を破壊する道があります。彼が思い止まれば、我らの星は壊れません」

僕は、ファルクスやラスベイが、ポドールイ族が最初に入植した星じゃないと知っている。確か、最初の星は、ユールレムと戦争した時に壊された筈だけど……。

僕は何も言えなくなった。

彼は、静かな口調で語り続けた。

「馬の神オズは、父たる神が己を捨てて消えた事を怨んでいます。そしてその憎しみは、改心させようとした我らに向かうようです。そして我らの下を去り、遥か遠くの他の宇宙に行ってしまうでしょう。あのように我らに光という恩恵を与えてくれる二者は、共に我らの前から消え去ります」

「あっ、あの、でも、あの、僕が……何とか、力を尽くせば、貴方がたを闇でも化け物にならなくて良いように、出来るかもしれないんです」

「そうなのですか。では、我らは期待して待っていてもよろしいのですか?」

少年は、ニッコリ笑った。僕は彼が、この時代の王様だと気付いた。

「王様、あの、僕は……だけど」

言いにくい事ばかりで、混乱した。

彼は、全部分かってるという風に大きく頷いてくれた。

「無理をしないで、いたい場所にいて下さい。それが結局は、全てにとり最良最善の道となるでしょう」

「……そうなんですか? 分かりました。じゃあ……」

僕の中で、考えが固まり始めた。

色々と考えていると、王様は手を振ってくれた。

「呼ばれていますよ。では、どうぞお帰り下さい。貴方をここに送ってくれた方に、後で感謝を伝えて下さいますか」

「えっ?」

意味が分からずぼんやりしている間に、不意に引っ張られてどこかに向けて落ちていった。

「うわあ!」

「ショーン様!」

ビクッとして目覚めると、目の前にイツキがいて、僕の手を強く握り締めていた。

「イツキだ!」

「ショーン様! あ……の、ご機嫌はいかがですか?」

「全然平気だよ。それよりさっき、夢を見たんだ。ポドールイ人さんの、昔の国に行ってた」

「はい? 昔というと……黒光りする石でできた都で、建築物の高さは城以外は三階建てまでの? 都市の隣は広大な麦畑の?」

「凄い、イツキも行った事があるんだ?」

「いえいえ、まさか。それは遥か過去に失われた、我らの母なる星の姿ですよ。その夢を見たんですか?」

「うん。それで広場に行ってホークアイの宝玉というのを見て、麦畑で馬の神様も見た」

イツキが、物凄く驚いた表情をした。

「ホークアイの宝玉に、馬の神……馬の神は、貴方に何かされましたか?」

「いや、子供たちと遊んでるのを遠くから見ただけだよ」

「はあ……あ、でも、何故そんな夢を?」

「そういえば、夢の中の王様が、僕をあそこに連れて行った人がいるような事を言ってたけれど」

「王様って……どなたでした?」

「名前は教えてもらわなかった。僕も名乗らなかったし。ただ、僕と同じ位の年齢だった」

「過去のポドールイ王は今の王よりも力があり、長寿だったそうです。同い年に見えて、数千歳だったかもしれませんよ」

「へ、へえ……」

イツキは緊張しながら、ようやく僕の手を離してくれた。

赤くなった手が痛い。イツキはかなり本気で、僕の手を掴んでいたようだ。

「……この夢の事は、どうかご内密に」

「エリック様やロック様にも?」

「彼らには、私から報告を致します。ですので、ショーン様は何も話さなくていいですよ」

「分かった」

確かに僕はあまり喋らないほうがいいなと、自分でも思った。

その後、僕のことを心配していたというオーランドさんが部屋に来たから、僕が寝て夢を見ていた事が大ごとになっていると分かった。

誰かが部屋に来て、僕の心を勝手に昔に送ったらしい。だから太刀打ち出来なかったイツキとオーランドさんが、とても悔しそうに困っている。

昔の王様は、その人に感謝をしていた。だから悪い人ではないと思う。

でもそれは、怖い表情をした今の彼らに言い出せなかった。

4・

エリックは仕事で訪れていたバンハムーバ城でイツキから連絡を受けると、最後にイラつきながら電話を切った。

誰もいない部屋に一人で入り、フリッツベルクに電話をする。

「はい。エリック様?」

「お前、どういう了見だ? 俺はショーンの護衛を頼んだ筈だが?」

「私が犯人だと、どうして思ったのですか?」

「阿呆か! お前が護衛についていながら、一切動いてないからだろうが!」

「落ち着いて下さい。何も悪いことをした訳じゃありませんよ」

「確かに、過去のポドールイの国に案内してくれたのは嬉しいが、そういうのは一人で実行せずに、先に相談しやがれ」

「私は、ショーン様に無事に大人になって貰いたいだけです。今は就職に悩んでおられるのですから、考えをまとめるお手伝いをしたのです」

「そうだとしても、許さない。もう護衛の話は無しだ。報酬もくれてやらない。ショーンの周辺から消えて、クリスタから立ち去れ」

「……よほど、お怒りのご様子ですね。事の多さにとても疲れておられるのですよ。なのに、ここで私という駒を失えば余計に──」

「いいから、出て行け!」

エリックは叫び、電話を切った。少しは後悔したが、繊細な事情しかない今、よそ者にコソコソ行動される方に問題がある。
そう考え、フリッツベルクの事はもう忘れた。

電話を切られたフリッツベルクは、スマホを見つめてため息をついた。

「やりすぎたな。まあいいけど」

フリッツベルクはユールレムに電話を入れて、代わりの補佐官を寄越してレリクスについて調べさせて下さいと頼んだ。

「え、自分は何するつもりかと? そりゃもちろん、補佐官を辞めさせて頂きます。少しの間ですが、お世話になりました。辞表は電信で送りますね」

フリッツベルクは向こうの電話口で筆頭補佐官が叫んでいるが気にせず、電話を切った。

それから制服を脱いで私服に着替え、荷物を全てまとめてホテルを後にした。
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