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第三章 国葬式と即位式

8 昔と今の話

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1・

朝のホームルーム前に、ミンスはショーンに会いに隣の教室に行った。

顔を青くして微妙に震えているショーンは、ミンスの顔を見ると発火したがごとく顔を赤くして、奇声を上げつつ走って逃げた。

ショーンの席の前に残ったイツキに、ミンスは話しかけた。

「ショーン君、どうなっちゃったの? 追いかけなくていいの?」

「ええまあ、大丈夫です。知恵熱ですから」

「知恵熱? じゃあいっぱい勉強したんだ?」

「はい。深夜まで、宇宙の始まりから連綿と続く奥深い歴史を学ばれまして、少しばかりオーバーヒートされただけです。楽園追放からの宇宙民族大移動的な感動を覚えたようです」

「何だか壮大ねえ。休んだら良かったのに」

「テスト期間までの授業が今日と明日だけですので、一応来てみようかという話でまとまりました」

「そうかあ。テスト勉強頑張ってるんだねえ。私も色々と頑張ってるって、伝えておいてくれる?」

「はい、お伝えしておきます。あ、そう言えば来週のロックバンドトーナメントの日は、ショーン様には先約があります。抜け出してそちらに行こうと考えられておられましたが、今のところ無理です」

「ああ、うん。別に良いわ。だってショーン君なら、そのどこか分からない場所で私に力いっぱいのエールをくれるでしょうから。今からでも目に浮かぶわ」

「ですね。ミンスさんは、ショーン様のことをよく理解されていますね。それだけ親しく感じているのですか?」

「うん。なんだかね、ショーン君は可愛い犬みたいなの。純粋でまっすぐな心が、私にぶつかってきて癒やされるの。だから物凄く大好き」

「……犬ですか」

「猫かもしれないわ。どっちにしろ、可愛い子よね」

ミンスはウフフと笑うと、イツキにまたねと言って隣の教室に戻っていった。

残ったイツキは、ちらっと自分を見るアデリーに目をやった。その隣にベルタが立っている。
ベルタの威嚇を気にせず近付いて行き、言った。

「アデリー様。来週の日曜日は、こちらは多忙なのです。お約束を守れそうにありません。申し訳ございません」

「アデリー様? この者達と、また出かける約束などをされたのですか?」

「い、いえ……もしかしたら、同じ場所に行くかもという話になりまして……」

「来週の日曜日は、私どもも出かけなくてはいけない可能性があります。まだ未定なものの、他の予定を入れることは決して認めません」

「……はい」

アデリーは頷き、イツキから目をそらした。

イツキは二人に一礼し、走り去ったショーンを連れ戻すために出動した。

2・

昼下がり。

予定よりかなり早く神殿入りして椅子に座り、暗く落ち込んでいるショーンを前に、エリックは言いようのない感情を覚えた。

「そうか……生命の神秘を知っちゃって早退けか……」

「貴方様の時よりもマイルドですよ。実体験が無いですからね」

「あれはお前が犯人だろ」

「エリック様が望まれたからです」

エリックはホルンを睨むが、ホルンはただ笑った。

「しかし、ショーン様にも説明は必要でしたよ。龍神様になると、通常の婚姻制度に左右されない自由な生活が保障されますからね。相手のことも考えて、しっかり知っておいていただかなくては」

「ああまあ……そうかもな」

エリックは納得しつつも、ただグッタリするショーンに多大な同情をした。

「そういえばイツキ、新しい情報があるから隣で……って、ショーンは聞こえてないし、ここで言ってもいいか。フリッツベルクのことなんだが」

「彼に動きが?」

ショーンを見守るイツキは、少しばかり視線を鋭くした。

エリックは首を横に振り、クリフパレスという賊の存在と、それに関係していそうなフリッツベルクが魔界由来の血を引く神族の一人ではないかという話をした。

「さすがにポドールイの王だったとしても、あのデタラメすぎる戦闘力はあり得ないレベルだ。しかし神族であったと考えれば、納得ができる。そして彼が置いていった武器は、魔界に照会しても該当品がないというものの、今の俺たちの文明では生み出せない物質で出来ている。神代の時代の魔界の宝と限定しても、おかしくないものだ」

「しかしならばどうして、こんな真似を。同じ神族のショーン様を守りたいのでしたら、そう言えばいいものを」

「さあな。敵が彼だけではかなわない相手で、俺たちに詳しいことを説明する前に、裏で戦闘準備しなくちゃいけないなどの理由があるのかも。そう取れば、俺たちに本気で突っかかってきて訓練をさせたのも、その敵に備えさせるためだと疑う事なく信じられる」

「あの戦闘力の……彼だけでかなわない敵とは何でしょう? 我々は時空獣を敵と想定していますが、この状況では時空獣ではなく神が相手──」

イツキは自分で言っておいて信じられない気持ちで、口をつぐんだ。

この場にいるショーン以外のエリックとホルン、オーランドも問題に気付いてしばらく黙り込んだ。

その沈黙を、エリックが破る。

「……神といっても沢山いる。始祖の龍神も神だが、彼はとうの昔に気を病んで息子に退治された。そして同じく気を病んだ馬の神に、既に力尽きて魂も消えたとされるユールレムの蛇の王もいる。俺たちが日常的に知らない神も沢山いるが、そもそもこの宇宙の神とは限らない」

「判明する限りの存在を、調べさせる必要がありますね」

ホルンが言うと、エリックは強く頷いた。

「マーティスに電話してくる。少し待っていてくれ」

エリックはさすがにこれ以上のことをショーンには聞かせたくないので、隣室に移動した。

ホルンはエリックを見送り、何か動きそうな予感がした。己が関係する何かが動くと気付いて、窓から空を見た。

「……神様の話ですか?」

ショーンが呟くと、三人とも動揺した。

「ショーン様、どこから聞いておられました?」

イツキの問いに、顔色の悪いショーンは顔を上げた。

「何となく、神って聞こえた」

「ほら、ショーン様も勉強なさらないと」

「うん……テスト勉強しないとね。でもテスト範囲だったっけ?」

「あの、あちらの問題ですよ。ポドールイの皆さんを助ける方の」

「ああ……そうだ。それも調べないと。僕、ぼうっとしてる場合じゃないや」

「お茶を入れましょうか」

ホルンが言うと、ショーンは頷いた。

ショーンは部屋の中を見回し、あくびをした。

「眠い……って、ああそうだ。いつか聞こうと思っていた事があるんです。ホークアイの宝玉の名前にされているホークアイって、種族の名でしたっけ?」

「ええ、そうですよ」

ホルンはお茶を入れながら、反射的に答えた。先に答えられたイツキとオーランドは、ホルンを見た。

「魔界の神が作り上げた楽園には、彼の子である沢山の神たちが暮らしていました。バンハムーバの龍神もユールレムの蛇の王も、神ではありますが楽園では一般市民でした。しかしホークアイ族は、楽園において魔界の神の近衛兵の役割を持ち、最強の一族だったのです」

「でも……今はいませんよね。どうしてですか?」

「それは、彼らが強すぎたからです。楽園が無くなった後の宇宙文明内で、ホークアイ族は危険過ぎると他の者から目をつけられ、命を狙われたのです。主に人間たちにですが……彼らは滅ぼそうとして策を練り、本当に滅ぼしました」

「……それで、宝だけ残ったのですか。生き残りのホークアイ族はいなかったんですか?」

「ほんの数名、ユールレムとポドールイを頼り細々と生き長らえました。しかし最終的に、彼らは消えていなくなりました。最後の一人は、ファルクスでお亡くなりになりました」

「……最近まで、生きておられたのですか?」

「もう数千年前に消えてから、先祖返りの者も出現しません。彼らは滅びました」

「……そうですか」

ショーンは寂しげに呟き、会った事もない種族のために涙を滲ませた。

ホルンの入れたお茶を飲んだショーンは、少し落ち着いた。

「うーんと……勉強しないと。そうだ、そういえばもう一つ気になることが」

「何でしょうか?」

イツキが聞くと、ショーンは笑って言った。

「歴史上で有名な神様って、名前や名字が無いんだけど、本当にないの?」

その問いに、ホルンが答えた。

「いいえ、ありますよ。そういえば名については、バンハムーバやユールレムのような古代種族においては名前呼びが尊称ですが、人間たちの星では名字、一族の名が尊称です。何故だか覚えてらっしゃいますか?」

「ええと、古代種族の場合は、龍神様とか王様は、名前だけで誰しもが分かる権力があるからだよね。エリック様の場合、エリックという名前だけで呼ぶのは龍神のエリック様だけになって、同じ名前の他の方は名字と共にか名字で呼ばれちゃう」

「そうです。正解です。人間たちの場合は、そこまで確固とした権力者が長年統治する事はありませんからね。名字呼びが尊称になったのです」

「小学校で習ったから覚えてるよ。でも、神様の名前がないのは知らない」

「神の名だけでなく、ショーン様が龍神として偽名を名乗られるのも同じ原因です。親に名付けられた真の名……マナと呼びますが、真名にはその者の魂を縛る効果があります。ショーン様の場合は色々とあられるので偽名の方が良いでしょうし、神様たちの場合は、その名を使って彼らに何か無礼を働いてはいけないという意味で、歴史上から消されたのです」

「はあ……そうだったんだ。でも神様に何かしちゃう人って、いるのかな?」

「昔は大勢いたんじゃないですかね。今は平和なので、悪意を持ち神の名を使用する者はいないでしょうから、もし真名が残っていれば、褒めたたえる為に使用するでしょうね」

「ふうん。あ、でも、僕知ってる。馬の神はオズって言うんだ」

ショーンが馬の神の名を告げた瞬間、世界の一部に歪みが走った。

ホルンは空を見上げ、あのフリッツベルクとの死闘の時に感じたのと同等の圧力、世界全体を押すような強い視線に気付いて身を固くした。

何者かが遥か彼方から自分たちに注視する気味悪さに、四人とも気付いた。

しかしその気配は一瞬で消え去り、圧力も全て無くなった。

「ショーン様、その名は二度と口にされないように!」

「えっ、うん……」

イツキはショーンの腕を掴んで確保して叫び、ショーンは戸惑って返した。

ホルンは黙って部屋から走り出ていった。

入れ違いで部屋に入ってきたエリックは、ホルンがいないのを見て戸惑った。

「ホルンはどこだ! 彼はどこに行った!」

「部屋から走り出ていきました」

オーランドが扉を指差して言うと、エリックはその後を追いかけた。

ホルンの名を幾度も呼びつつ神殿内を走ったエリックは、他の神官たちの証言で遠距離通信室に到着した。

「エリック様、そんなに呼ばないでください」

いたって平穏なホルンは廊下に出ると、深くため息をついた。

「ああ、いや……さっき、前と同じような視線を感じたから、もしやと思って」

「私も驚きました。まさかショーン様が、その名を呼んでしまうとは」

「誰だ。誰の名を呼んだ」

「馬の神です。これから、ロゼマイン様と通信をいたします。何かご存知だと思いますので」

「俺も同席する。嫌な予感がする」

「……ではどうぞ」

ホルンはエリックを促して部屋に入れ、ファルクスの城にいるロゼマインに連絡を取った。

3・

バンハムーバ勢力圏から遠く離れたユールレム勢力圏内にある、とある小惑星帯に隠された基地で、フリッツベルクは真新しい赤い革のコートを着てご満悦になった。

「やっぱこういうのがいいよなあ! 王様の服とか補佐官のスーツとか、そんなもの似合う訳ないっての!」

はしゃぐフリッツベルクに、コートを配達した黒髪の青年が声をかける。

「お喜びのところ申し訳ありませんが、道が拓けた模様です」

「ああ、分かってる。さすが美人のショーンちゃんだ。だいたい予定通りに道を拓いてくれた。これでポドールイの面々にも、明るい未来が見えただろう」

「まだ未確定な要素の方が、多いと思われます」

「ああ。でもホルンは断れないさ。自分の人生と数万人の魂を天秤にかけて、自分を取れるような男じゃない。俺だったら分からないけどな」

「司令官様。貴方自身も、数万人の命を好きで背負ったではありませんか」

「あー、まあ。そうだけど、俺のはそう綺麗事じゃないとお前も知ってるだろ? 俺は残酷だからなあ」

「その残酷さは、この荒れ果てた地には必要なものです」

「イヴァロ、褒めすぎるな。背中が痒い。まあ取りあえず、事は始まってくれた。こっちも本格始動といこう。ようやく、本領発揮できる出番だぜ」

フリッツベルクは笑いながら部屋を出て、地中に掘られた通路を進んだ。小惑星内部に掘られて造られた巨大な隠し港にて、並ぶ戦艦が眺められる展望台に向かった。

「これが本当のクリフパレス……なんちゃって」

強化ガラスの向こうの戦艦たちを前に呟いたフリッツベルクは、次に誰もいない傍らに向かって言った。

「ショーンの張った光の幕が消えるまで、しばらく猶予がある。だからその前に、そっちの依頼を片付けるぞ。それが成功すりゃ、命すら俺に預けてくれるんだよな?」

なにも無い空間に、一匹のレリクスの姿が浮かび上がる。

「全てはレリクス一族とリュンの為です。その為ならば、この命も惜しくはありません」

「可愛らしい外見と違って、勇ましいことだな。だから、手の組みようがある。依頼は必ず成功するから、安心して待ってな」

「私に、安心できる心などありません」

「レリクスの女王たる者が、憐れなことだ。いや……これも愛ゆえか。立派なことだよ。だから、約束は守る」

「……我が悲願です。そちらこそ、私に命を預けなさい」

「はいはい。俺の命ならいくらでも持っていけよ。じゃあ、出撃準備に入る。取り残されないように、乗り込んでおいてくれ」

「分かりました」

レリクスの女王は、再び虚空に姿を消した。

4・

ロゼマインとの通信の後、エリックとホルンは遠距離通信室を出た。

並んで歩きながら、エリックは悔しくて呟いた。

「まさか、全てにシラを切り通すとは。馬の神はあくまで、今の彼らの味方でしかないからか」

「ですね。しかし、何かを知っている匂いは感じ取れましたね」

「ああ。それでシラを切り通すということは、俺たちと敵対するっていう意味だろうか? あまりポドールイ王を敵に回したくないんだが、必要ならばそうしなくては。馬の神は……ショーンが目的でなければいいんだが、彼の呼ぶ声に耳を傾けて出現したんだから、楽観視できない。それに、フリッツベルクとの戦いの時に出たのと同一人物かどうかも調べないと」

「私は、迎賓館におられるフィルモア殿に話を伺いに行きます。エリック様は、ショーン様のお側におられて下さい」

「ああ、そっちは頼んだ。俺はまだ外出禁止なんだ」

クロとマーティスの命令に逆らえないエリックはため息を付き、立ち止まったホルンに軽く手を振りショーンのいる部屋に戻っていった。

ホルンは、立ち去るエリックの背中に向かって呟いた。

「エリック様、申し訳ありません」

ホルンはきびすを返し、逆方向に進んで行った。
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