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第三章 国葬式と即位式

十八 図書館での邂逅

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土曜日。問題が発生した。

今日も元気に登校して、アデリーさんと仲良くお喋り出来たことは嬉しい。

しかし授業が始まり、テスト用紙が返ってきて、お昼にホームルームとなって学年順位の結果が記されたプリントを貰った。

それを渡してくれる時、担任の先生がよく頑張ったんだよな? と言ってくれたので良い順番かと思ったら。

一学年は七百十六名おり、クラスは十五個ある。テストを休まず受けた七百十二人中、僕は七百十二位の成績だった。

ハルトライト高校の偏差値の高さを、大きな衝撃と共に思い知った。

そりゃあ、勉強以外のことに気を取られ過ぎて勉強不足だったことは分かっている。ただ、それでも最下位はないだろうと高をくくっていた。

それがもう、あり得ない現実として襲いかかってきた。

学年最下位の学力の龍神様は、存在してはいけないと思う。

僕はホームルームが終わると同時に走って教室を出て、校内図書館に向かった。

ここに来たらロック様がいるんじゃないかと、トイレに駆け込んだ。

しかしあの時は奥に部屋があったのに、今はない。あれはロック様が作った異空間だったんだと、ようやく気付いた。

逃げる場所はないと思い、とぼとぼと歩いてトイレを出た。

そして、単独行動中のアルファルド様と遭遇した。

「何か、本をお探しですか?」

「え……少し、自習用の本を」

「それならば、あちらの棚に参考書がありますよ」

僕は物凄く緊張したのにアルファルド様は全然気にしておらず、淡々と教えてくれると歩き去った。

僕はその姿を見送り、ドキドキした。

僕の正体に気付いただろうからアデリーさんとの事を何も言わないだろうに、ちゃんとした挨拶をするでもなく、ほぼ素通り。

その態度の原因は、ここが図書館だからだろうか。

静かにすべき場所だから喧嘩しなくていいし、変な雰囲気にならなくてもいい。なんていい状況。

今なら、少しは仲良くなれる……かもしれない。

とにかく仲違いしたままじゃ駄目なのは分かる。少し頑張ってみよう。

それにやはり、入れ替えたレリクスの事が気になる。向こうが反応しないことから、学者レリクスさんは本当に僕のことを伝えてはいないのだろう。

そこのところを、少しぐらいは探りたい。

そう決めて、アルファルド様が消えた方向に歩いて行った。

奥に進んでいくと、幾人かの生徒たちがとある入り口の前でたむろして、部屋の中を落ち着きなく覗き込んでいた。

入り口の前には受付業務を行うようなカウンターがあり、若い女性の司書さんが一人座っている。

普通の生徒たちはそこから先に行けないのか、ただウロついている。きっと、ここにアルファルド様がいるんだと思う。学者レリクスさんの気配も、その方向から感じるし。

僕は司書さんに、中に入るにはどうしたらいいかと質問した。

この学校に勤務する教職員か、学園長から許可をもらえた者のみが、この先の貴重な本を閲覧できるという。

その許可をもらっているならば生徒証を提示して下さいというから、許可を取った覚えはないものの、カード状のそれを提示してみた。

司書さんが、何かの機械に僕の生徒証を読み取らせた。

司書さんは目をぱちくりして、生徒証を返してくれた。そして、平日朝九時から夕方六時までの使用許可がありますと教えてくれた。

僕は笑顔で感謝して、他の生徒たちに何か聞かれる前に部屋の中に入った。

立ち入れる人が少ない割に、この部屋は広くて奥まで距離があるようだ。

ふわふわの赤いじゅうたんは、踏んでも足音がしない。

少し古びた本の匂いがする。いくつかある窓には格子がかけられ、一部を除いてほぼ白いカーテンがかかっている。

本の劣化をさせない性質のだろう灯りが天井に灯されており、本を読むには充分な明るさが確保されている。かといって明るすぎない。ちょうど良い感じがする。

部屋にいくつかある書架を避けつつアルファルド様を探すと、一番奥にある大きな机にいくつかの本を積み上げ、同時に数冊の本を開いて確認しながら、紙製のノートに何か書き込む作業をしていた。

勉強しているのか、仕事なのか分からない。ただ分かることは、ここにある本は僕がいっさい太刀打ちできないレベルのものばかり、という事のみだ。背表紙すら読めないんだから。

仲直りしたいけど、邪魔したらいけないから帰ろうかなと思った。

そうするとほのかに胸が温かくなり、王様レリクスさんが話しかけてきた。

「リュン、少し頼まれてくれないだろうか。そちらの方で先ほど見かけた本を一冊、手に取ってもらいたいんだ」

「えっ、あ、はい。あの、王様?」

「ああ。今まで話せなくて済まない。しかし君の即位式が終わるまでは、レリクスの問題は静かにしておこう。ただ、あの者に先ほどの本を渡してもらいたい。彼はとても善き者だ。仲良くできるからね」

「仲良く……なれますか? それなら、嬉しいです」

僕らは心で会話して、王様レリクスさんの言うとおりに、少し戻って先ほど横を通過した本棚の前に立った。

王様の指定する本はやっぱり背表紙が読めない。薄い本で、少し古びている。

同じ本が二冊あるから、そう重要という訳でも無さそうだ。

僕は一冊だけ手に取り、奥にいるアルファルド様に近付いていった。

彼は、近付く僕に当たり前ながら気付いた。

僕は見られて緊張しつつも傍に行き、椅子に座っている彼に本を差し出した。

アルファルド様は黙って受け取ってくれ、不思議そうに本を確認し始めた。
そしてすぐに、涙を一粒こぼした。

「これは……ああ……貴方は何故、この本を私に? 私がレリクスを捜索していると、ご存知だということを報せに?」

「え! あ、その、僕はショーンと言います。こちらでは、そのように、呼んでもらえたら、嬉しいです。で、その、レリクスのことは……もしかしたらな、と思いまして」

物凄くドキドキしながら笑顔で言うと、アルファルド様は少し笑ってくれた。

「ということは、私は鎌をかけられたという事ですか。自分でバラしてしまいましたね。でも、知られたところで、別に構いません」

何だか、アルファルド様は全てどうでもいいと思っているかのようだ。前と違って感情がほぼ無く、全てが素通りしているように思える。

僕が辛く当たったせいもあるのだろうか。

「あの、アルファルド様。前は、アデリーさんとのことがあって、感情的になってしまって、申し訳ありませんでした。僕、本当に……兄と仲が悪くて、何だか自分のことのように思えてしまって」

「いいえ、謝罪されなくても構いません。ここはバンハムーバであり、ユールレムではありませんしね。それに、普通の家庭であるならば、あのような場面があれば責める方が悪いと取られても仕方のないことでしょうし」

「責める……って、その。アデリーさんが、何か?」

まさか僕の知らないところで複雑な事情があるのかと驚き、質問した。

「いいえ、彼女は悪くありません。ユールレム王家の在り方が特殊なだけです。ご存知ではありませんか?」

「それは、すみません。あの、僕は……そんなに勉強が、得意じゃなくて」

アルファルド様は少し興味深げな様子で僕を見て、椅子を指差した。

僕は頷いて、その椅子に座った。

ユールレム王国の話は、大きな宇宙の歴史の話としては知っていた。しかし今現在のユールレム王家の事情などは、バンハムーバ人だから全く知らない。

アルファルド様の説明によると、彼の父親であるユールレムの王様は五十歳代でまだ若く、ポドールイ出身の王妃と結婚して三十年あまり。

年齢的な問題で、王の子供たちが次の王にならないと思われる。ユールレム人は寿命が長くて二百年ほどはあるから、孫の孫ぐらいが次の王でもおかしくはない。

だから、王と王妃の子供といっても立場は悪い。兄弟同士で争いが起こる。能力が突出して優秀な者がいれば最初から諦めもつくが、今いる兄弟姉妹に能力の差はほぼ無い。

少しでも優位でいるためには、お互いを蹴落とすしかない。自分の命を長らえる為には、仕方のないことらしい。

この問題には、残酷な現実も加わる。

王の子供たちには、生まれて間もなく王の片腕である補佐官たちが世話役として専属でつけられるが、王の期待がある程に能力がある補佐官があてがわれ、数も多くなる。

アルファルド様の補佐官のオディエルさんは彼が子供の時にあてがわれた、能力的に優秀な方だそうだ。

しかしその後、アルファルド様に新たな補佐官が付けられても、そのうちいなくなった。王がアルファルド様を重用しなくなり、期待しなくなった証拠だという。

「そんな。アルファルド様は、このように勉強が得意ですのに、何故そうなったのですか?」

僕は我慢ならなくて、途中で質問してしまった。

アルファルド様は、さっきと同じように楽しげに僕を見る。

「皮肉な事に、私はポドールイ人の王妃の血を多く受け継いだのです。かつて神の園においてユールレム王家の者にポドールイ人の血が入ったとされ、両者はとても近しい関係にあります。けれどそれでも、別の種族なのです。私はポドールイ人ですので、ユールレムの国政の中で重要な役職に就けそうもありません。王はそう決めたんですよ」

「……でも王子様ですよね? だったら大丈夫ですよ」

普通に励ましたくて言うと、感情が少なく感じていたアルファルド様の目が、突然鋭くなった。

「重要視されない王子の行く末は憐れです。能力が突出して優秀であれば、民間企業でも堂々と就職できるでしょうがね。普通、権力争いに負けた王子は、劣っているとされてユールレムの民にすら軽んじられます。先に手を打たないと、目も当てられない人生を歩むだけです」

アルファルド様は、僕から視線をそらした。

「私はいま、バンハムーバでレリクスを捜索して入手することで、少しは評価を上げようと考えていました。けれどきっと、焼け石に水です。私の兄はユールレムの蛇として優秀で、父王にとても愛されています。私は勅命を受けてバンハムーバに来たものの………どう考えても、厄介払いの意味合いがあるようにしか思えません。……私は二度と、ユールレムに帰れないかもしれない」

最後の台詞は、呟くように吐き出された。

僕はそれを聞いて、レリクスの王様を奪った事もあり、居たたまらなくなってきた。

「あの、でも、レリクスの王様の宝石を託されているのですから、帰れないなんて事はないんじゃありませんか? それは国宝でしょうから、持ち帰らないと」

アルファルド様は、また僕を見た。目をじっと見つめてきて、僕の胸の方もチラリと見た。

「ショーン様、貴方は能力的に問題のある龍神様のようですね。何故私がレリクスの王の宝石を持っていると知りましたか? 私たちは、誰にも教えていないのに」

「…………エリック様が、仰っていましたよ? バンハムーバ政府は、知っていた情報です」

僕は自分の馬鹿に気付いて、答えながらもゾッとした。ここで入れ替えた事まで知られたら駄目だとは分かるけれど……でも、ごまかしたままでは罪悪感が拭えない。

少しだけ、言っておきたい。

「それに、僕は……僕は、レリクスの宝石を持っています。それで、分かったんです。はい」

モジモジしながら言うと、アルファルド様はさっきより落ち着いたようで気配が柔らかくなった。

「それが、最後のレリクスの宝石化した物ですか?」

「い、いいえ。これはバンハムーバの……エリック様所有の宝石でして、僕はこれが無くては普通に生活できない、体の難を持っているんです」

「おや……そうでしたか。立ち入った事情を伺ってしまい、申し訳ありません」

「いえいえ、別にいいんです。それにアルファルド様も、僕に重要な事を教えてくれています。だから、おあいこですよ」

僕は笑った。アルファルド様も、少し笑った。

「もしかして、最後のレリクスのことがどこにあるか、教えて頂けますか?」

「ええと、僕も居場所は知りません。その……レリクスの宝石と仲良くなった方がいて、一緒に宇宙旅行に出たって言ってたような」

「……はい? いや、その、それは個人所有の物となったと取って間違いはないですか」

「ええ。そういう事ですよね」

「……」

アルファルド様は、疲れが出たようで顔に手を当てて俯いてため息をついた。

「……それを、ユールレムに報告しても構いませんか?」

「はい、どうぞ。でもあまり追いかけないでくださいね。そっと見守ってあげて下さい」

母さんがフリッツベルクさんと仲良く宇宙を旅する様子を想像してみたら、嬉しくなってきた。

ウフフと笑う僕に、アルファルド様はとても冷たく重苦しく感じる視線をくれた。

僕は驚き、真顔になり血の気が引いた。

「ショーン様は、本当に何もご存知ないのですね。我らユールレムがレリクスなどの妖精族の宝石を集めるのは、彼らを生け贄にする為なのですよ。そのレリクスも例外なく、命……魂を奪うために国を挙げて追いかける事になります」

「え……えっ?」

僕は驚き、戸惑った。言ってはならない事を言ってしまった。母さんが追いかけられ、生け贄にされてしまうなんて、受け入れられない!

「生け贄って、どういう事ですか? レリクスを狙うのは、転生を願う悪党たちだけじゃ、ないんですか?」

「ユールレムは彼らを宇宙戦争で利用して、宝石化させました。その後、膨大な力のある宝石として価値を認め、国宝指定しました。それは宝石に宿った魂すら消滅させる使用方法で、今でも利用されています」

「えっ……だって、だって、昔は幾度かあった宇宙戦争で沢山の星々に被害を出したユールレムは、今は宇宙の平和を守る立派な番人の国でしょう? 他の民族を、そんな風に酷く扱うなんて、あり得ないです。人権問題に厳しい国で、移民にもちゃんと優しくするって、教科書にも載ってるし……」

僕はとある情報を思い出して、辛くて涙をこぼした。

「レリクスは……妖精族は、人間の魔術師が魔法により生み出した疑似生命体で、それらは人として認められないのですか? 動物よりも価値がないから、魂まで利用してもいいと、貴方がたは思っているんですか? そんなの、酷い。僕は──」

「ショーン様、落ち着かれて下さい」

「僕はユールレムと仲良くしたかったんです。でも、貴方がたは、レリクスを一度は滅ぼしました。今もそうやって利用して、存在まで消して──」

「貴方は何も知らない。だから知って頂きたい」

「僕、僕……仲良くできそうにないです。ごめんなさい」

僕は泣きながら椅子から立った。

次の瞬間、アルファルド様はノートを手に取り、思い切りよく机にぶつけて大きな音をさせた。

パアンッという音に驚き、その勢いにも驚いて、僕は息を飲んでアルファルド様を見つめた。

「貴方は本当に無知ですね。立場はあれど、その名に相応しくない能力しか持たれていないご様子」

アルファルド様は、僕を本気で睨んでいる。

「宇宙中の、能力はあるのに立場はなく虐げられる優秀な者達からすれば、今の貴方など侮蔑の対象にしかなりません。その立派な称号を持つ者の誇りがあるならば、そんな風に他国の者の前で動揺せず、涙も見せず、自分から先に手を切るのは止めなさい。みっともないだけです」

「……え、その……はい」

「ユールレムとバンハムーバの和平は、嘘偽りなく宇宙文明で一番重要な繋がりとされています。何十兆人もの人命の運命を左右するもので、感情論で切り捨てていい問題じゃないんです。ですので、私の話を引き続き聞いて下さい。全部聞き終わってもユールレムを受け入れられないならば、私はもう何も教えようとはしません」

「……はい」

僕はほんの少しだけある冷静な部分を働かせ、手で涙を拭って震えながら着席した。
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