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第三章 国葬式と即位式

二十四 その後の時間

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時間がどれだけ経過したか分からない頃、エリック様が居住地区側の参拝場の二階通路の窓から手招きをしているのが見えた。

大勢の人々に拝まれる苦痛にさいなまれていた僕は、さっと頭を動かして方向を定め、エリック様のいる窓に飛び込んでいった。

変身を解いて廊下に転がると、待ち構えていたイツキが抱き起こしてくれた。

「目が、目が回りそうです……」

僕は、ぼんやりする視界の中のエリック様に手を伸ばした。

「それは人酔いだ。参拝者たちの動きを凝視し過ぎたんだ。今度からは適度に目を逸らすか、眠るようにしたらいい。でもまあ、四時間もよく頑張ったな。部屋に戻ろう」

「はい……」

十時間ぐらいいたような気がしたのに、まだ夕方だ。

僕はイツキに肩を貸してもらった上で引きずっていってもらい、居住地区にある僕の部屋に連れて行ってもらった。

部屋のソファーに座って仮面を外してようやく、生きた心地がし始めた。

オーランドさんの手により、僕の前の机にお茶と食事が運ばれてくる。そしてエリック様が式の後で本当は僕が応答すべきだったマスコミ取材に出てくれた時の映像の記録を、大きなテレビ画面で見せてくれた。

当たり前だろうけど、僕がなぜ仮面を被っているかの質問がまず来た。

エリック様はこれの原因を、僕には悪質なストーカーがおり、その犯人が逮捕できるまでの処置と、未だ学生であり学業を静かな環境で過ごしたい為の手段だとした。

僕が龍神として得た特性は魔法強化能力で、これから誰も成し得なかったある部門の魔法技術についての研究開発をする予定だというのもエリック様は説明した。

どこの星の出身かは秘密。

以前、空港でエリック様とロック様が喧嘩した時に取り合っていたという存在がそうなのかという質問には、当事者のエリック様は苦笑いしつつも認めた。ただ、あの時の映像や画像やその他の記録は既に処理されており、あれを再調査して僕の姿を暴くのは許可しない、と付け加えた。

何歳かというのは、十代とされた。

それからは、僕が第三位の龍神としてクリスタを護るとか、今後の仕事内容など、活動方針に関わる質問が続いた。

その答えは軒並み、僕が学生でいる間は緊急事態以外は働かないというものになった。

そんな感じで、質疑応答の映像は終わった。

気付いたら、部屋に人が増えていた。

後で話をしたいと思っていたポドールイ国王のロゼマイン様と、宰相のフィルモア様。

ホルンさんもいて、茶色い皮装丁の本を手にして笑っている。

そしてイツキの目付きが若干悪い。

僕は、その視線の先に誰がいるか確認した。

「……イツキ、どうしてお父さんと仲が悪いんだよ?」

「私は、他者を崇めることで個人としての己の命の尊厳を放棄させ、かつ自己の研鑽を忘れさせるような宗教などという存在が大嫌いです」

すると、想像通りフィルモア様が返した。

「誰しもが常に己を律して強くある事などできない。弱く生きるしかできない者を物理的に受け入れて保護し、なおかつ心を救うより所は、この荒い物質世界においては必要不可欠なものだ。お前の考えは、強者のおごりだ」

イツキは本気で彼を睨む。

「私が強者ですか? 私は親もおらず弱い子であったからこそ、己で努力することを学び、ここまで強くなりました。過剰な保護が無かったおかげで、強者などと呼ばれるようになった弱者ですよ」

「それはお前に才能を与えた優秀な親が、根源的に存在するからだ。お前ほど力を持ち生まれた子供など、この宇宙で数える程しかいないだろう。お前は恵まれていて、だから本物の弱者の気持ちが分からないんだ」

「物理的な強さと精神的な強さは違うものです。私は──」

「はい、ちょっと待て? そこまでにしようか。ここはお祝いの場だからな」

エリック様が手を打って止めてくれた。僕はぎりぎりのところで、怯えて硬直しなかった。

「じゃあその、ホルン、それ渡せ」

エリック様が言うと、さっきと変わらぬ笑顔を維持しているホルンさんが前に出てきて、僕に本を差し出してくれた。

「はい、どうぞ。これはポドールイ国からの、即位のお祝いのプレゼントです。ティリアン一族の始祖が得た宇宙船エンジン製造技術の完全版が載っている筈です」

「えっ! じゃあこれがあれば、ホークアイの宝玉のような強力なアイテムが作成可能になるって事ですか!」

「はい、多分」

僕は笑顔のホルンさんから本をもらい、ボタン付きの帯で封じられているそれを取り外した。

勢い良く開いてみたら、何語で書いてあるか分からなかった。それで、さっきのホルンさんの台詞の意味に気付いた。

「あ、ありがとうございます。これで僕は、きっと新たな魔法生命体とか宇宙船のエンジンなどの開発ができると思います。……多分」

「ん? どうして多分なんだ?」

エリック様が不思議そうに言った。僕はソファーを立ち、エリック様に本を見せた。

それを見たエリック様は、はっと笑った。

「どこの文字だ? ポドールイの古語みたいだが、少し違うな」

「神の園で使われていた文字です。魔界の古代魔法文字のようです」

ロゼマイン様が言った。

「うーん、訳してもらわないと使えないな。図形もよく分からない」

エリック様は僕に本を返してくれた。

「誰が読める者は?」

「ショーン様は解読できるのでは?」

「え?」

エリック様の問いにロゼマイン様が答え、僕は戸惑った。

「よ、読めま、せんよ。はい」

オドオドしてしまうと、僕の胸の辺りでレリクスの王様が笑った。

僕は気付いた。

「あっ、その、アルファルド様ならば解読できると思います。彼は今どこに?」

「アデリー様と一緒に客間にいる」

エリック様がそう教えてくれたので、そこまで行くことにした。

アデリーさんの前にイツキを連れて行くのはどうだろう。もう気分が良くなったかなと思いつつも、僕は廊下に出て行った。

歩いている間に、僕の隣に来た不満顔のイツキに聞いた。

「あの、それでミンスさんの演奏はどうだった? 準決勝と決勝は、何を演奏してた? 優勝したかな?」

ドキドキしながら聞いた。イツキは、不意に素直な表情になった。

「そのことですが、インプレッションズは演奏できませんでした。ショーン様が先に聞かれたあの演奏では、相手に負けて勝ち残れなかったんです」

「えっ……?」

いやそんな事はないと思った。でも、イツキがここで嘘をつく訳がない。

僕は胸が苦しくなった。何だかよく分からない感情が猛烈に湧き出てきた。

ミンスさんに電話したい。でも……今は仕事をしないと。

苦しい、苦しいと思っていると、アルファルド様のおられる客間に到着した。

扉が開かれて中に入ると、アルファルド様とアデリーさんがテーブル付近で立って出迎えてくれた。

二人ともお祝いの言葉をくれた。そしてアデリーさんが笑顔でいてくれたから、僕は正直に嬉しくなった。

「アデリーさん、もう大丈夫……かな?」

「ええ、大丈夫ですわ。ご心配おかけして、申し訳ありません」

「そんな。僕が……考えが足りなかった。反省したから、もうあんな事はしないよ。ごめんなさい」

「いえ……」

アデリーさんが少し困ったようなので、僕は笑顔で頷いてこの話題を終わらせた。

次にアルファルド様の前に行き、問題の本を差し出して見せた。

「あの、アルファルド様。この文字はご存知ですか? 読めますか?」

「ええ、はい……魔界の古代魔法文字ですが、宇宙文明が興る前の珍しい文字ですよね? 少し読みにくいものの……意味は何とか分かります。ただ、全てを詳しく読むとなると関連した辞書が欲しいですが」

「うわあ……あ、あの」

僕はエリック様を見た。

「これは、アルファルド様に解読していただいても良い本なのでしょうか?」

「うーん、微妙なところだな。今、アルファルド様とは特定の問題について話し合いをしているところで、それを受け入れてもらえれば、太古の叡智に触れてもらっても問題にならない」

「特定の問題とは?」

僕が聞くと、アルファルド様が笑った。

「シャムルル様が、最初に申し出て下さいましたでしょう? 次にエリック様とマーティス様から、直々のお誘いを受けました。バンハムーバの役人にならないかと」

「え! あ! ええ……? そ、それで、どうされるおつもりですか?」

「今はまだ、考えさせていただいています。父への報告を先にしなくてはいけませんので」

「えっと、じゃあアデリーさんは? ずっとここにいれるのかな?」

僕が聞くと、アデリーさんは柔らかな笑顔をくれた。

「私はきっと、ここに長く暮らすことは無理でしょう。でも、いたいです」

「ならば、私の元にいればいい。そうすれば父も強く言えない筈だ」

アルファルド様が突然にそう言うと、アデリーさんは驚いた顔をした。

「……はい。私、そうします!」

アデリーさんはいつも何かを憂えていた表情を消し、ぱあっと周囲が明るくなるような素敵な笑顔を見せた。

闇を打ち消し、未来への希望を掴んだ者の光が感じられる。

僕は一瞬、その表情に引き込まれそうになった。

変な気持ちだと思って自分の胸に触れ、もう片手にある本を見た。

アルファルド様に解読を頼もうと思い、それを口にしようとした時、音を立てて扉が開いた。

「皆様、こちらにおられましたか」

マーティス様が、既に本気を出している厳しい顔つきをして足早にやって来た。

「報告いたします。先ほど、クリスタ標準時間で午後五時過ぎ、宇宙標準時間の午後四時過ぎ、ユールレム母星標準時間で午後一時頃に、ユールレム王国母星の国府であるセントラルタワーと王宮、そしていくつかの宇宙軍基地などが、所属不明の海賊らしき者の艦隊に襲撃されました。セントラルタワーは破壊され、王宮も賊の攻撃を受けたとのこと。カルゼット国王様の消息は、未だ不明です」

僕は、その報せが非現実的に思え、冗談のように聞こえた。

マーティス様は続いて、アルファルド様に告げた。

「万が一にも全ての王族の方々の身に何かあられた場合、残されたアルファルド様かアデリー様のどちらかが王位を引き継ぐ可能性があります。我らバンハムーバ王国は同盟国の次期国王候補である貴方がたを、全力を以てお守り致します。エリック様とシャムルル様、構いませんか?」

「ああ。同意する」

エリック様がサラリと答えたのを聞いて、僕も答えないとと焦った。

「は、はい。僕も、それが、いいと思います」

「ありがとうございます。ではアルファルド様、この申し出を受け入れて下さいますか?」

「……」

これまで母国を追放されたと諦めていたアルファルド様は、息を止めているかのように身動きせず、驚きの表情でマーティス様を見つめている。

「……マーティス様、保護の申し出を、ありがたくお受け致します。けれど、王位継承の話はまず無いものとして下さい。父と母、そして兄や別の兄弟姉妹の消息がどうであるかの情報を詳しく集めて下さいますか?」

「既に情報収集を行っているところです。今しばらくお待ち下さい。では、こちらにどうぞ。神殿におられても安全ですが、クリスタ王族の居城の方が守りに強くできています。迎賓館の隣にある城ですが、すぐに移動していただけますか?」

「ああ……」

アルファルド様は返事というよりため息をつき、苦しげな表情をした。そしてアデリーさんに視線をやった。

「アデリーは、ここにいるんだ。同じ場所にいて狙われてしまえば、二人同時に死んでしまう可能性がある。シャムルル様、ここで彼女を護っていただけませんか?」

「勿論、そうさせて下さい。アデリーさん、ここにいて下さいますか?」

アデリーさんは、さっきの輝く表情の片鱗もなく、顔面蒼白で震えて泣いている。

誰か心を護ってと思うと、ベルタさんが駆け寄り抱き締めてあげた。アデリーさんはそれで、声を上げて泣き始めた。

助けてあげたいと強く思うが、どう助ければいいか分からない。戸惑うしかない。

「シャムルル」

エリック様が僕の名を呼び、傍まで来てくれた。

「クリスタの守護役として正式に任命された君が、本来はこの場を取り仕切るものだ。けれど今日の出来事はいきなりで重たすぎる。だから後の細々とした事は、第一位の龍神として俺が肩代わりする。でも……二日後には、俺は母星に帰る」

「は……はい。その後は、何とか……頑張ります」

「ああ。けれど、クリスタが攻め入られない限りは、総督のクラレンス様に頼る方がいい。その決断をするかしないかを、決めるんだ」

「はい……分かりました」

確かに軍人や政治家じゃない僕に、国の防衛対策をどうしろなんて考え出せる訳がない。その為に長々とした面会があったんだと、僕はいま気付いた。

「僕、いえ私は、クラレンス様に会ってきます」

「部屋に呼んだ方が早い。こういう時に龍神副官長や助手官に命じれば、即座に連絡が伝わるんだ。でもまだいないから、オーランドに頼め」

「はい。お、オーランドさん?」

「シャムルル様の私室か、第一執務室のどちらに呼ばれますか?」

「ええと……執務室?」

「はい。そちらにお呼びいたします」

オーランドさんは綺麗に一礼して客間を出て行った。

僕は、執務室って僕の? という驚きを表現しただけなのだが、命令になってしまった。

執務室に行かないとと思って動くと、エリック様が手を前に出して引き止めてきた。

「先に、聞いてもらいたい事がある。シャムルルも独立した龍神となったのだから、知るべきことだ。十中八九、ユールレムに戦争を仕掛けたのはクリフパレスという宇宙海賊で、その首領はユールレムの補佐官を辞したフリッツベルクだ。彼はロックを暗殺し、俺も殺しかけた大罪人だ」

「…………は? それは、どういう意味ですか?」

エリック様の真剣な眼差しを受けても、僕はそれがこの世の話だと思えなかった。
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