上 下
22 / 30

22.和解

しおりを挟む
 
「……ここは?」
「あなたの部屋」

 シンプルで小綺麗な部屋。
 その片隅に備えられたベッドの上に、使用者である彼が横たわっている。

「気分は?」
「最悪だね」

 レクターは一呼吸置いて、それからポツリと呟いた。

「ごめん」


===

 それから数分後。
 意識をはっきり取り戻し体調も良くなってきた彼は、ベッドから体を起こして私達の方に向き直った。

「セイラ、俺は」
「何があったか覚えている?」
「……ああ」

 瞳を閉じて思い起こすように沈黙する。

「とても良く覚えているよ」

 彼はそう答えた。

「……いつの頃からかは分からない。でも気付いた時には、頭の中で妙な声が聞こえていた」
「声?」
「ああ。『婚約破棄をしろ』ってね」

 なんだろうそれは。
 一種の暗示のようなものだろうか。

 でもおかげで彼の言動の正体が分かった。

「それで最近様子がおかしかったのね」
「あはは、やっぱりばれてたのか」
「当たり前でしょ」

 レクターの頼りない笑顔に、私は呆れてため息をつく。
 でもこのため息は、嫌悪じゃなくてどちらかというと、安堵に近いものだった。

「出来る限りは抵抗していたんだけどね、さっきはどういう訳か制御出来なくて……」
「ああ、それはきっとネインのせいですね!」
「ネインの?」
「実は」
「いいから、今は黙ってろ」

 火に油を注ぎそうなジュネを、ネインがすかさず止めに入った。
 きっとレクターの中で、一部の記憶は曖昧なんだろう。
 ならば余計なことは知らない方がいい。

「?」
「レクターは気にしないでいいわ」

 私は微笑みながらやんわりと答えた。

「それで、今は……今もまだその変な声は聞こえてくるのかしら?」

 ここまでの彼とのやり取りは実に平和的だ。
 もしかしたらもう、『婚約破棄』の呪縛は解けているのかもしれない。

 レクターは俯いて、少し躊躇しながら答えた。

「そうだね……聞こえるよ。まだ心のどこかに、婚約破棄をしなければいけないという気持ちが浮かんでくる」
「そう……」

 現実は案外上手くいかないものだ。

 でも、じゃあどうしてレクターは今、こんなにも穏やかなのだろう。
 声が聞こえるという状況は同じのはずなのに、襲ってくる雰囲気はない。

「……」
「どうかした?」
「……いいえ、何でもないわ」

 さっきと違う状況があるとすれば、私が力を使ったかどうかだ。案外、私の変な力と婚約破棄の声の力が拮抗して、ギリギリ現状を保っているのかもしれない。

「あっ」
 
 力といえば。

 すっかり忘れていたけど、私はこの力のことも彼に言わなければいけないだろう。さすがに本人に使っておいて、説明なしじゃ酷過ぎる。

 本当は言いたくなかったけれど。

「やっぱり何かある?」
「あ……の、実はね、私レクターに内緒にしていた事があるの。信じられない話かもしれないけど、私には命令してそれに従わせる力が……」
「あ、それ、凄いよね!」
「……凄い?」

 この人今、凄いって言った?
 気持ち悪いじゃなくて。

「俺を抑えた力だろ?」
「そ、そうだけど」
「こんな素敵な力を持っているなんて、凄く羨ましいよ」
「あの……え?」
「どうしたんだい? まだ他にも隠された力が」
「違っ……そうじゃなくて……こんな力、気持ち悪いとかそういう……」

 おかしい。
 なんだか目から涙が出る。

「またまたー。気持ち悪い? どの辺が? 感謝することはあっても気持ち悪いなんて思う要素、一つも無いよ」
「……ありがとう」
「いやいや、お礼を言われることは何もしてないんだって。困ったなぁ……」

 マイペースなレクターの態度。
 でもその緩やかな彼の感性に私が救われたことは言うまでもなかった。
しおりを挟む

処理中です...