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第8話 お茶会そして学級崩壊

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「……という訳で、ここの数式は~……」

 授業が始まってからも、僕の頭の中はさっきの話のことでいっぱいだった。

――僕の謝罪はリリェルに届かないだって? 

 この世界の攻略を円滑に進めるためにも彼女とは仲良くすべきところなのに。まさか不始末に対する謝罪すら出来ないとは。これだから悪役は。

「はあ」

 マイナスからのスタート。対角線上に見えるリリェルの後ろ姿を憂鬱な気持ちで眺めた。彼女は真面目に授業を受けている。

――しかし彼女、板書もしないのか。

 さっきから僕の目には先生の話をひたすら真剣に聞いてる彼女の姿しか映らない。天才はノートを取らず話を聞くだけで内容が理解出来ると聞いたことがあるが、その類だろうか。だとしたら彼女は相当優秀だ。

――なんの設定ミスか貧乏であることを除けば、顔も頭もいい。さすがは主人公。

 相変わらず彼女からは欠伸一つする様子も見られなかった。

――それに比べてだ。
 
 甘い香りが鼻をくすぐる。僕はちらりと視線を移した。
 机に広げられた美味しそうなお菓子。ティーセット。世間話に花を咲かせる少年少女たち。どう見ても完全にティータイム。今? だから授業中ですって。

「森田さんもいかが? 今日は隣国から取り寄せた絶品のティラミスがあるの」

 それは右隣の席の裕福そうなお嬢さんからの申し出だった。目が合うと返ってくる悪意の無さそうな微笑み。

「あら、それならうちで栽培している紅茶も必要だわ」

 今度はその後ろのこれまた綺麗な衣服を身にまとったお嬢さんの申し出。二人ともその仕草にはどことなく品があって、いかにもいいとこのご令嬢という感じだ。

――そう、品はね、あるんだけどね。

 教室の前方を確認すると、先生がサラサラと黒板に数式を書いていた。

――やっぱり今って、どうみても授業中ですよね?

 僕の認識が間違っている訳ではないようだ。今は授業中。それを早弁どころかティータイムって。

「……」
「森田さん?」

 18にもなってこんな初歩的なことで他人を注意するのは気が引ける。けれど見て見ぬふりをして一緒にお茶会に勤しむよりはマシだろう。
 僕は現在の状況がいかに不適切なことか説明すべく話の要点を練り上げようとしていた。本人達は悪気がない。僕は出来ればそんな彼女達を一方的に非難する言葉は選びたくない。
 そうこう悩んでいるうちに、彼女の方が先に口を開いた。

「味なら心配いらないわ。これは三ツ星の……」

――味……の解説?

 何故ここで味を心配する必要が。
 しかしその疑問に上書きするように彼女の口からは味についての解説が紡ぎ出されていった。

「……と、ちょっと説明が長かったかしら」
「ミラはお菓子の話になるといつも以上に饒舌になるものね」
「あらやだ恥ずかしい」
「ほら森田さんが困っているわ。ごめんなさいね」

 違う。
 僕が困っている理由はそこじゃない。なんだろう、彼女達は根本的に何かがズレている。何かがおかしい。
 でもよく見ると、あの手前の席も、左隣の席も、右前の席も、全部全部全部みーんな自由奔放にお茶会を開いている。おかしいのは二人だけじゃない? 

――あれ、じゃあおかしいのは僕の方?

 相変わらず黒板は白いチョークの文字で埋まっていく。
 先生は何故黙々と授業を進める? 何故教室のあちこちでお茶会が開かれていても気にも止めない?

「森田さん。先ほどから前ばかり気にして、前に何かありまして?」

 その不安そうな声で僕は我に返った。一瞬の出来事だったようで、時計は殆ど進んでいない。僕は彷徨わせた視線を再び黒板に向けた。

「黒板?」

 無言で二度とほど縦に首を振った。

「黒板にええと」

 僕を真似るように前を向く少女。そしてひとこと。

「……何もありませんわね」
「ええ」

――何も……ない?

 まさか。まさかこの子達、黒板が目に映らないというのか。呪いか。特殊な呪いに侵されているのか。でもこれ、元の世界だったら悪質な学級崩壊みたいなもんだよ。
 何かの悪ふざけかとも思ったが、二人の少女はあまりにも純粋に首を傾げていた。
 呪われているのは僕だと言わんばかりに、二人は病気の患者を見るような不安げな表情で僕をみつめた。

「森田さんは具合が悪いのかし……」
「っ、そんなことはありませんわ!」

 僕は言葉をかき消した。二人は驚いたように目を丸くしている。しかしここはなんとしても否定しなければならなかった。
 今ここで病人認定になんかされてみろ。
 僕はちらりと教室の隅を確認した。フェルミーは今の会話に気付くこと無く授業を聞いていた。
 もしここで病人認定されようものなら、間違いなくあの過保護な執事がしゃしゃり出てくる。お姫様抱っこはもうごめんだ。それだけはなんとしても阻止しなければ。
 無理やりひねり出すように僕は言葉を吐いた。

「そ、そういえばお茶の話だったわね。今は授業中ですし、お茶をするのは場違いではないかしら?」

 苦し紛れ。しかし失敗したとは思わなかった。むしろ、本来言うべきことはそれだったのだと、声に出してようやく理解した。おかげで次の言葉もするすると滑らかに紡がれる。

「ほら、リリェルさんなんてあんなに真剣に授業を聞いてるわ。ノートに書かなくても理解出来るなんてきっと頭がいいのね。私達も負けてられないと思わない?」

 だからほら、君達はきちんと授業に戻りなさい。
 学生の本分は勉強! 勉強ですよ!

「でも」

 気まずそうに顔を見合わせるティラミス嬢とお紅茶嬢。なんだ、どうした。そんなに勉強よりもお茶会がしたいのか?
 二人は言いにくそうに眉をひそめて僕と目をあわせた。そして、言った。

「最初にこうしましょうって提案したのは、森田さんでしたわよね」

「……はい?」

 時が止まった――ような気がした。

「ええ。『令息・令嬢に授業なんて不要。必要になるのは社交での付き合いなのだから、そこを磨きましょう』って」

――僕? 僕が言った? この僕が? 本当に? 

 急に向けられた矛先。
 二人は僕の顔をじっと見つめ、事前練習でもしたかのように同時に頷いた。

「ぼっ、いや、わ、たしが?」

 思わず声が裏返ってしまう。
 でもあんな突飛な台詞、苦し紛れの嘘とも考えられない。じゃあ本当なのか?
 純真無垢の箱入り娘を思わせる曇りの無い眼が、僕にじいっと向けられていた。
 
――本当に、僕が、提案した、のか。

「それとリリェルさんの件なのだけど」

 お紅茶嬢がリリェルにそっと視線を送る。
 相変わらず彼女は視線を手元に落とすことなく。先生の声に耳を傾けていた。

「板書をしないのではなく、文房具が買えないだけなのではないかと……」
「えっ」
「教科書もお持ちではないようですし」

――そんなまさか。

 僕はリリェルの手元を凝視する。
 そのまさかだった。
 リリェルの机の上、そこにはノートやペンなど文房具と呼べるものが存在していなかった。それどころか教科書すら出ていない。机に広がっているのはまっさらな空間だけ。
 
――いくら先生の授業を板書しないからって、さすがに教科書を出さないなんてことはない、だろうな。

「森田さん?」
「とっ、とにかく、今日はお茶会は無しで。勉強もたまには大事だと思ったってことで……ですわ!」

 うっかり令嬢言葉が抜けそうになるのを慌てて修正し、半ば強引に会話を切った。姿勢を正し黒板へと向き直る。

――やはりおかしいのは僕なのか?

 動揺する心を押し込めながら、僕は授業が終わるのを待った。


===

「はあ、お嬢様の提案のことですか」

 授業が終わってすぐ、僕は執事のフェルミーの席へ向かった。想定外の質問だったのかもしれない。彼にしては珍しい、妙に間の抜けた感嘆詞がその口から漏れた。

「そう、私がこの状況を作ったって?」
「ええまあ。いきなりどうしました?」

 どうしたもこうしたもない。

「いいから答えて」

 急かすように僕はその問を口にした。心なしか鼓動が早くなる。どうにも気持ちが落ち着かない。
 困惑した表情の彼と目が合った。

「……お嬢様に一体何があったのか分かりかねますが」

 そう言って一瞬の間を置いてから、彼はゆっくりと口を開いた。

「確かにお嬢様の提案です。授業を受けるくらいなら、お茶会でも開いて社交性を身につけた方が有意義だと。勉学など令嬢である私たちではなく、それを支える下々の者がやればよいのだと、そう発言されました」
「……」
「成績などは教師から買収すればいいという提案もお嬢様のものです」
「…………」
「まあ、このクラスは大半が資産家や貴族の令息令嬢で占められていますからね。賛同を得るのは簡単でしたし、だからこうして何事もなく一年間過ごしていたという認識でしたが」
「………………」
「あの、お嬢様?」

 なんて、なんてなんてなんて酷い。酷すぎるだろう、悪役令嬢。自分達の都合を優先させて授業をボイコット? 何考えてるんだ一体。

「やはり先日から調子が悪いのですね」

 いつの間にかフェルミーが席を立ちあがり僕を見下ろしていた。その姿は今すぐどこかへ向かおうとしているようにも思える。トイレか?

「一度精密な検査をいたしましょう。どうも先日から不自然な言動ばかり。何かあるのかもしれません」

 そういうことか。トイレじゃなくて僕を医者の元に連れて行こうと。確かに過去の自分の行いを確認しようとする僕は、彼からすれば病人認定に値するものなんだろう。でも。

「待って」
「……まだ何か?」
「検査は必要ありませんわ」

 病院に連行しようとするフェルミーの右手を丁寧に押しのけた。病人は僕ではない。
 眉をひそめたフェルミーの不審そうな表情が目に映る。
 いや、うん、でもきっとそう。おかしいのは僕じゃなくて多分――

「……クラスの方達……」
「え?」
「私は大丈夫、いたって普通ですわ。それよりもクラスの方達に授業中のお茶会は取りやめると伝えなさい」
「取りやめですか」
「そう、取りやめ」

 おかしいのはこのクラス。そして、その原因を作ったのが自分なら解決もやっぱり自分でしなきゃいけないと思う。それがたとえ記憶にない自分の行動でも。こういう時は言いだした自分が発言を撤回するのが一番だ。これできっと少しはまともなクラスになるだろう。

「ああ、それと」

 そうだ、これも追加しておこう。

「リリェルさんに文房具と教科書をプレゼントしたいわ」

 あれはいくらなんでも酷いからね。現金だとちょっと生々しいからとりあえず現物支給で。

「しかしお嬢様」
「お金ならいくらでもあるでしょう?」

 フェルミーは何か言いたそうに口を半分だけ開いた。
 
「私は何か難しいことを言っているのかしら?」

 そんなはずはない。言い出しっぺが自分の非を認めルールを取り下げることも、友達にささやかなプレゼントを贈ることも、何もおかしなことはないはずだ。
 しかし彼の言葉は僕の想定をあっさりと打ち消した。

「それは無理な話です」
「ほらだから早く……え?」

 なんで。無理? 今、無理って言った?
 次なる行動に移そうとクラスメートの元へいざ踏み出した足をピタリと止め、僕は体を捻らせた。

「【上の人間は下の人間に恵むことなかれ】、お嬢様のような身分の方は安易に下の人間に物を与えてはいけない、お嬢様が設定したルールの一つですよ」
「なに、それ」

 そんなルールまで提案していたのか。大体恵むだなんて、僕は一体何様のつもりだ。

「ま、まあいいわ、そのルールも取り下げましょう」

 この令嬢が一体どれほどの考えをもってこんな横暴な提案をしたかは分からないけど、そんなもの取り下げてしまえばいい。

「しかし」

 フェルミーは表情を曇らせていた。まだ何か煮え切らないようである。

「何かしら?」
「先ほどから申し上げにくいのですが、取り下げることは出来ませんよ」
「???」

 え、なんで?
 パチリと目の合ったフェルミーは小さくため息を漏らすと、再び視線を合わせ、ゆっくりと確認するように言葉を続けた。

「自らの発言を取り下げる、それは自分の発言に非があったと認めるようなもの。上に立つ者に非があるなど、あっていい話ではありません。ですから【自己の提案は取り下げられない】と、それもお嬢様が決めたではありませんか」
「はい??」
「だからもしこの状況を変えたければ、お嬢様以外の誰かが、大半に認められるような提案をしなければならないのです。ご存知でしょう?」

 いや、知らない。全然知らない。

「とはいえ、仮に誰かがこの状況を変える提案をしたところで、一度お嬢様の意見に賛同した方達が、簡単にそちら側に乗り換えるとも思えませんけどね」
「……」

 確かに。それこそ自分の考えに非があったと認めるようなものだ。

「ご理解いただけたようですね」

 ……言葉が出ない。
 許されないこのクラスの現状。
 戦犯は僕。

 なんてこった。


 本当に僕という奴は、最低な女だ。
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